真夜中に泣く人形(4)
「ほら、こっちよ。ちゃんとごあいさつしないと」
彼らの会話は部屋の外から聞こえてきた、みやの声で中断する。
彼女に手を引かれてまず赤い服と黒いスカートをはいた小さな女の子が姿を見せ、次に小学生の男の子が現れた。
女の子の方が初めに異変に聞いたという那智の孫娘で、男の子の方が物置部屋の扉を開けてみたという兄だろう。
「息子の進一と娘の千穂よ」
「初めまして、ちほです!」
女の子は明るく笑顔で言うと、ちらりと母親を見上げる。
教えられたとおりできたという得意そうな顔だった。
彼女の髪をみやは優しく撫でて「えらいねー」とほめる。
進一の方はチラチラと羽束に目をやっては恥ずかしそうにそらす、という行為を繰り返していたが、ようやく顔を横向きにしてぼそっと言う。
「進一だよ」
「こら」
みやは眉をつりあげ、那智は苦笑する。
この点だけを見ればどちらが年長者なのか分からない兄妹だった。
羽束は口元をほころばせて立ち上がり、ふたりのすぐそばまで行ってかがみこむ。
「知っていること、お姉さんに教えてくれる?」
「うん!」
「う、うん」
明るく無邪気な千穂と、恥ずかしそうな進一と対照的だったが、兄妹は話しはじめる。
まず口火を切ったのは千穂の方だが、彼女の話し方はまだたどたどしく、聞く者が理解しようと努める必要があった。
要約すると次のようになる。
「夜、トイレに行きたくなって起きた。ひとりでできた帰り、悲しそうな声が聞こえた。声がする物置の方に近づいてみると、女の子の声だった。気になったけど、ひとりで入ったと分かると叱られると思ったし怖かったので、我慢して部屋に戻った。次の日、お母さんに言った」
ということだ。
そして次の日も同じようなことが起こり、やはり両親は半信半疑だったため、千穂は那智に話したのである。
みやはと言うと困った顔で説明した。
「まだ小さい子の言うことだから、どこまで信じていいのかと思ってね。近所で親に怒られて泣いた子のものと、聞き間違えたのかもしれないし」
半信半疑とはそういう意味だったのかと雪彦は内心で納得する。
次に進一の方だったが、彼もまた妹の言うことは信じていなかったという。
「でも、こいつが言ったように、女の子の声が聞こえてきて、見てみたら、はっきりと」
彼はそこで言葉を区切り、うつむいてしまった。
「何か見たのかしら?」
羽束に優しく聞かれて、彼はそっと首に横に振ってから答える。
「暗かったから……でも泣き声はたしかに部屋から聞こえたよ。どこから聞こえたのかは分からなかったけど」
彼の言葉を那智が引き継ぐ。
「次の日、この子も言うものだから、私と一緒に見てみようかと言ったのだよ。そのあとのことは、すでに羽束ちゃんに話したとおりだね」
「はい。ご無事で何よりでした」
羽束が答えると、みやが若干不安そうに問いかける。
「本当はどうなんだい、羽束ちゃん。本当に変なものがいるのかい?」
「いるのはそうですけど、みなさんにとって悪いモノではないと思います」
彼女はにこやかに即答した。
いつも見られる自然なものではなく、努力して作られた表情だと雪彦は見抜く。
彼女はまずこの一家を安心させる必要があるのだ。
「そうなんだ。よかったね」
ほっとするみやの顔からは明らかに不安が抜ける。
あやかしという存在を全面的に信じているわけではいないが、羽束や仙丈のことは信じているという複雑な心理だろうか。
「羽束ちゃん、どうする? いまからやってくれるかい?」
次の問いは那智から放たれた。
これに対して羽束は「いいえ」と答える。
「悪いモノであればいますぐ対処しましたが、そうでないならば自然に現れるのを待ちたいと思います。悪意のないモノもうかつに刺激すると、悪いモノへ変わってしまう危険がありますから」
「そうなのかい。それじゃあすまないけど、委細は任せてもいいかね?」
老人の言葉に彼女はにこやかにうなずく。
「はい。もちろんです。お任せください」
「みやさん、ふたりの寝床はどうしたかな?」
彼は次に義理の娘に尋ねた。
「ええ、準備はもうしていますよ。おじいちゃんの話だともっと遅くにならないと出ないらしいから、先に部屋まで案内しましょうか」
「頼むよ。千穂と進一はおじいちゃんとこっちで遊ぼうか」
那智は孫たちに声をかけて、顔中をしわくちゃにする。
孫たちが可愛くて仕方がないのがよく分かる顔だったが、千穂は「いやっ」と拒絶した。
「お姉ちゃんと遊びたーい」
彼女はどうも羽束に興味を抱いたようである。
「こら、お姉ちゃんの邪魔したらダメよ」
しかし、みやは娘の主張を認めなかった。
「先に子どもたちを連れていくね」
彼女はそう断ってだだをこねる娘の手を取って連れていく。
すこし気の毒な気もするが、幼い少女はそろそろ寝る時間であってもおかしくはない。
進一の方は母に手を引かれなくとも、自らそのあとをついていった。
「にぎやかでしたね」
羽束は楽しそうに那智に話しかける。
「はは。生意気ざかり、やんちゃざかりで大変だよ」
老人は苦笑したが、孫たちに対する隠れない愛情があった。
彼と羽束には共有する多くの思い出があり、みやが戻ってくるまでいくらでも話に花が咲く。
雪彦はそれを黙って聞いていたが、手持無沙汰だとは思わなかった。
退屈ではないかと気を回した羽束に、にっこり笑って応じる。
「千ヶ峰さんの過去にはちょっと興味がありますから」
本当は大いにあると言うべきなのだろうが、正直に話すのはさすがにどうかと思う。
那智老人がいるのだからなおさらだった。
戻ってきたみやが案内してくれたのは、母屋の二階である。
那智への配慮か、階段の横にはスロープと手すりが作られていた。
羽束にはきちんと鍵がかかる部屋、雪彦には障子戸で仕切られただけの部屋があてがわれる。
部屋の前で彼は持っていたバッグを彼女に手渡す。
「ゆっくりしておくれ。時間はまだあるようだからね」
声をかけてきたみやに礼を言い、雪彦は一夜を過ごす部屋をちらりと見た。
まだ新しめの畳の上にはいい匂いがする布団が敷かれている。
他には小さな鏡台と衣紋かけがあるだけの殺風景な部屋だった。
普段は誰も使っていないことは容易に察しが付く。
(進一くんと千穂ちゃんが大きくなったら、どちらかがこの部屋を使うのかな)
と彼は思いながら、部屋の隅に荷物をそっと置いた。
中身は羽束に言われたように着替え中心である。
何もすることがなくなった彼は部屋を出て、羽束のところへ向かう。
三回黒いドアを叩くと彼女はひょっこり姿を見せる。
「いらっしゃい。どうしますか?」
彼女が聞いたのは部屋の中に入るかどうかだろう。
彼は入ることを選び、
「お邪魔します」
と言った。
部屋の中は彼にあてがわれたものと似たようなもので、せいぜいカーテンの色が違うのと、洋風であることくらいだろうか。
フローリングには白いカーペットが敷かれていて、ちゃぶ台が置かれている。
そのちゃぶ台の前に彼が腰を下ろすと、羽束は向き合うような位置に座った。
「とりあえずこの家に何事もなくてよかったですね」
彼が話しかけると、彼女は真情を込めて答える。
「ええ。わたしが渡した品が災いの引き金となるだなんて、想像しただけでも恐ろしいですし、申し訳がたちません」
胸に手を当てて安心するしぐさもじつに可愛らしかった。
だが、じろじろと見つめる失礼なまねはできない。
彼は気持ちを切り替えるためにも、那智がいるところでは聞けなかった問いをいま放つ。
「何か思念を宿したものが近づけば、他のモノが泣きだすようなことって、あるのですか?」
「いえ、じつはわたしも初耳ですね」
返ってきたのは彼女にしては珍しい困惑であった。
「那智さんの奥様……孝子さんの嫁入り道具となると、付喪神になっているものがあっても、たしかにおかしくはないのですけど。いずれにせよ、いまの時点では何も言えません」
「そうなのですか」
羽束にも分からないことはあるのだなと雪彦は思う。
考えてみれば当たり前なのだろうが、彼にしてみれば目からうろこが落ちたような気分だ。




