見えない赤
「見えない赤を見てしまった者は死ぬ」
というまことしやかな噂がある。
いったい誰が言い出したのか、いつごろから広まったのか、分からない都市伝説的なものだ。
放課後、人気がほぼなくなった教室で、級友から聞かされた大平俊は親友の小泉と一笑に付す。
「馬鹿だなあ。見えないのにどうして赤って分かるんだよ。赤だと分かる時点で、見えているだろう? つまりデマカセまるだしじゃないか」
ふたりに馬鹿にされた北見は、ムキになって言う。
「でも、でも、そんなことを言って死んだ人が何人もいるって話だよ!」
俊と小泉のふたりは黙ってニヤニヤしている。
彼らの心情を読みとった北見は悔しそうに地団駄を踏む。
「もし本当だと分かっても、もう遅いんだからな! 壁に赤い染みを見つけたけど、他の人は気づかないって状況になったら、もう助からないんだからな!」
そう捨て台詞を残して、教室の外へ駆け出す。
ニヤニヤしながら見送ると小泉が俊に話しかける。
「あいつ、馬鹿だよなぁ。デタラメなんだから助かるに決まっているじゃん」
「本当にな」
俊は相槌を打ったが、それだけにはとどまらなかった。
「でも、どこで聞いてきたのだろう?」
「さあ? どこにでも転がっているような話じゃないか? 都市伝説ってそういうものだろう?」
小泉はまるで興味がないらしく、そっけなく肩をすくめる。
「そりゃそうかもしれないけど」
俊は言いよどむ。
どうして気になったのか、自分でもよく分からなかったのだ。
「図書室にある都市伝説をまとめた本にでも書いてあったのだろうよ。気になるなら探してみるか?」
「うん、探してみる」
小泉の提案に彼は食いつく。
「意外だな。こういうのが好きだったのか?」
目を丸くした親友に彼はあいまいな笑みを作る。
「いや、何か気になってね」
自分で自分のことがよく分からない感覚がもどかしい。
「ふーん。お前がねえ」
小泉はひょいとかばんを持ち上げあげる。
彼らが出れば教室には誰もいなくなるから、すべての窓がしまっているか確認してから出た。
学校図書室は東棟の一階にある。
中身は基本を無難に抑えているという感じで、彼ら中学生が好んで読むような本は少ないのが欠点だと言えた。
そのせいか利用者の数はあまり多くはない。
俊たちが足を踏み入れると、司書の女性が一瞬だけ彼らを見てすぐに視線を戻す
利用者は二十人もいないだろうか。
建物の一区画に入っているせいか広さもそれほどではなく、ひと目で室内の端まで目が行き届く。
そしていまの彼らにとって重要なのは、伝奇オカルトの棚が一列だけでもあるということだ。
上から順番にたしかめていくが、それらしきものは見当たらない。
「タイトルだけ見ても分からないな」
小泉は舌打ちをすると、仕方なさそうに本を手に取っていく。
目次を確認したものの、やはり成果は挙がらなかった。
やがてふたりにはひとつの結論が生まれる。
「何だ、北見の奴、ここの本を読んだわけじゃなさそうだな」
本を戻すとそのまま図書館を出て、ふたりは帰路につく。
「あいつ、どこで聞いたんだろう」
俊は校門をくぐったあたりでぽつりと漏らす。
「さあ? なぞなぞかひっかけ問題のたぐいなんじゃないの?」
小泉の方はすっかり興味をなくしたようで、返事が適当だった。
そこで彼らの話題はとぎれる。
元よりふたりのつき合いは長く、会話がないと場がもたないようなことはない。
坂を下ったところの交差点の信号機が赤だったため、一度立ち止まる。
青になって渡りはじめたところで俊は親友が立ったまま動かないことに気づく。
怪訝に思って振り向くと、彼は前方の一軒家の白い塀を凝視している。
いったいどうしたのかと見てみたものの、何も変わったところはない。
「おい小泉。いったいどうしたんだよ?」
俊がポンと肩を叩いて尋ねれば、小泉はびくりと身を震わせた。
「あ? 大平?」
彼の表情からは血の気が失せて、目はうつろになっている。
「何なんだ? 化け物でも見たような顔をして」
俊の言葉に小泉はすっとまっすぐ正面の塀を指さす。
「あれ、あそこ」
指の先を目で追ってみたものの、やはり何もない。
「何なんだよ、さっきから。からかおうとしているのか?」
いらだち混じりの言葉をぶつけると、小泉の顔はぐしゃっとゆがむ。
いまにも泣き出しそうな顔で彼は言う。
「赤い染みがあるじゃないか? 見えないのか?」
「…………はあ?」
何を言い出すのかという言葉がのどまでこみ上げてきたが、かろうじて飲み込む。
「ほら、そこ!」
小泉はもどかしそうな顔で、力強く叫ぶ。
しかし、彼が指さす先には何の変哲もない塀があるだけだ。
「からかうなら相手を選べよな」
俊はあきれて吐き捨てるように言い残し、さっさと横断歩道を渡りはじめる。
「お、おい、待て。待ってくれよ」
小泉は慌てて彼を追う。
それを無視して俊は歩き、家の中に入った。
明日になれば馬鹿な考えを捨てているだろうと思い、それ以上親友や北見のことは忘れた。
翌日、小泉はいつものように家の前に来ている。
彼と俊はふたりで登校していくのは互いの親も把握しているし、いまさら急に止めるわけにもいかない。
(昨日は悪かったと言えば許してやるか)
俊はそのように気楽に考えていたが、目の前の親友を見て改めた。
小泉の表情は真っ青でガイコツを連想させる。
別れてから二十四時間も経過していないのにそこまでやせ細るのは、通常ではとうていありえない。
「……下痢にでもなったのか?」
俊としては一応確認しておきたかった。
「そんなわけないだろ」
返ってきた声は病人のように弱々しい。
「まだ言うのか?」
彼が言うと小泉はにらんでくるが、迫力はなかった。
「だって本当に見たんだぜ」
俊はどうしようかと迷う。
相手にしない方がいいとは思っているのだが、この憔悴ぶりを見たかぎり小泉自身は本気にしていそうだ。
「分かったよ」
ひとまず彼は親友につき合うことにする。
「それで昨日、何か変わったことあったのか?」
「ああ。俺の部屋の天井にも赤い染みができていたんだ」
小泉は頭を抱えながらうめく。
彼はひとり部屋を与えられていて、俊も何度か遊びに行ったことはある。
「おじさんやおばさんはなんて言ったんだ?」
「漫画の見すぎだって。俺にしか見えないらしい。なあ大平、お前にも見えなかったのだろう?」
彼のすがるような質問に、俊ははっきりと答えた。
「ああ。何を言っているのかさっぱり分からん」
これを聞いた小泉はがっくりと肩を落とす。
「まじかよ……俺はこれからどうすればいいのだ?」
俊はすぐ言った。
「北見に聞くしかないかもな。昨日のことは謝って」
「あ、ああ」
小泉は気まずそうな表情になったものの、拒否はしない。
彼もうすうすは最善の一手に気づいていたのだろう。
「そうだな、それが無難か」
親友の言葉にうなずいた俊は何げなく上を見上げ、顔色を変える。
「危ない!」
同時に小泉を力のかぎり突き飛ばす。
その直後、彼がいた場所にコンクリートブロックが落ちてきた。
「すいませーん。大丈夫でしたかー?」
作業員らしき男性に謝罪してもらったものの、ふたりの空気は重い。
「まさか、な」
俊はぽつりとつぶやく。
フィクションとしてはありふれすぎている展開だったが、笑う気分にはなれなかった。
そのあと、小泉はゴミに足をとられて転びそうになったところを俊に助けられたが、その目と鼻の先を猛スピードで車が通過する。
「あっぶねー」
「大平がいなかったら、思いっきり跳ね飛ばされていたよな」
小泉のただでさえ悪かった顔色は、さらにひどくなってしまう。
「お前、学校休んだ方がいいのかもな」
俊としてはまだ冗談まじりだったのだが、親友はぶるりと体を震わせる。
「い、家にいれば安全なのかな?」
聞かれたところで自分に分かるはずがないと俊は思う。
「それも北見に聞くしかないけど、俺がひとりで行こうか」
「……いや」
すこしだけ逡巡したが、小泉は登校する意思を見せる。
ふたりはおっかなびっくり登校し、そのまま何事もなく学校についた。




