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羽束さんのあやかし綴り  作者: 旭川旭
13/25

食べると空腹になるフルコース(4)

 雪彦と羽束のふたりは、翌日の二十時にプレズィールに予約を取った。

 平日だからか、それともふたりだったからか、時間帯を少し遅らせれば意外とあっさり予約を取れたのである。

 雪彦は白い襟付きシャツに黒パンツといういでたちで、十分前に店の前につく。

 店に確認してみたところ襟付きシャツであれば、ジャケットを着てなくてもかまわない。

 そう回答をもらってホッとした。

 それから二分ほど遅れて羽束がやってくる。

 彼女はグリーンのドレスに袖がふんわりとしたシフォンのボレロ、白いパンプスという服装だった。

 高名な画家が魂を込めて描いた美女の絵から抜け出してきたご令嬢だと言われても、大勢の人は信じてしまうに違いない。

 それほどまでに素晴らしい彼女に、雪彦は思わず見とれてしまった。

「お待たせして申し訳ありません、藤無さん」

 彼女の声にハッと我に返り、彼はごまかすために咳ばらいをする。

「いいえ、先ほど来たところです。とてもお似合いでついつい、見とれちゃいました」

 彼は反応が遅れた弁明しようとして口を動かしたところ、彼女は恥ずかしそうにうつむいてしまう。

「そ、そんなお世辞を言われても、何も出ませんよ」

 どうやら男性に褒められた経験が乏しいようである。

 彼女ほどの美人がと雪彦は思うのだが、考えてみればまだ彼女のことをほとんど知らない。

 褒めすぎても逆効果になるかもしれないと判断して、本日の予定に意識を向けてもらう。 

「では少し早いですが、中に入りましょう。何が出るでしょうか」

 彼がそう言えば彼女は澄んだ水面のような顔になる。

「はい。わたしが一緒ですし大丈夫だと思いますが、何が出るか分かりません。気をつけましょう」

 彼女の言葉に彼は素直にうなずく。

 レストランの中に入ると清潔でさわやかな印象を与えるウェイターが、すぐにふたりを席まで案内してくれる。

 店の内装は豪華でも派手でもないが、落ち着いた感じの品のいい雰囲気だった。

 しかし、ふたりには店の雰囲気を楽しむ余裕は持てなかった。

「千ヶ峰さん」

「ええ」

 雪彦が気づいたくらいだから当然羽束も気づいている。

 彼女がけわしい顔で見ているのは奥に位置するもうひとつのふたりかけ用のテーブルだった。

 この時になってようやく彼は、彼女が入り口側の席を選んだ理由を理解する。

 ウェイターに飲み物を聞かれて、ふたりともお茶を頼む。

 彼が下がると雪彦は小声で目の前の美女に聞いた。

「どうです? 祓えそうですか?」

 返答の変わりに羽束は首を横に振る。

「いえ、あれは生き霊です。それも動物霊です」

「生き霊?」

 雪彦が怪訝そうに聞き返すと、彼女はうなずいて話す。

「ええ。通常の霊は死者の魂や思念によって生まれるものですが、中には生きたまま思念や魂の一部を飛ばせる存在もいるのです。生半可な気持ちでは実現不可能なものを可能にしているのは、死者の怨念にも勝る強烈な執念でしょう」

「生半可な気持ちではできない……羽束さんでもですか?」

 彼が一番気になった点を口にする。

 羽束でもできないことができるような存在がいるとは、すぐには信じられない。

 祓えないと答えたのはそういう理由だからなのか。

 彼の問いに彼女はもう一度首を横に振る。

「わたしはできますが、何年も修業した結果です。魂や思念の飛ばし方を何も知らない存在が、執念だけではできないはずのことをやれてしまう。驚くべきなはその点なのです」

「たしかに」

 彼は彼女にしてもらった指導を振り返ってみた。

 強い思いがあれば実現できるようであれば、彼の苦労はもっと少なかっただろうし、すでに一人前になれているだろう。

 彼の相槌に後押しされたように羽束はさらに説明する。

「今回の動物霊からはお店への敵意は感じません。それどころか憑いている人にも。となると、何か特別な理由があるのでしょう」

 動物霊から悪意や害意のたぐいを感じないのは彼も同感だった。

 だからこそ大きな被害が出ていないのが分かるのだが、ではどうして動物霊がそのようなことをしているのか、という疑問が浮上する。

「生き霊となると、どこかに生きた本体がいるのですよね」 

 雪彦の言葉を羽束は肯定した。

「はい。そしてこうして“視”た以上は探すのも難しくはありません。というわけで、お料理を楽しみましょうか」

 彼女はニコリと可憐な花のような笑みを浮かべる。

「あ、はい」

 “視”てしまえばほぼ解決になってしまう彼女の実力に雪彦はまず唖然とし、次に気おされそうになった。

 彼女の言葉に従い、彼は出される料理に舌鼓を打つ。

 口コミで評判を勝ち取ってきただけのことはあり、どれも見事なものだった。

 雪彦はいやな気配が時折店内の違う場所に移動していることに気づいていたが、その都度羽束が平然としている様子を見て落ち着く。

 食後のコーヒーを楽しみ、ふたりは勘定をすませてから店外に出る。

「こちらには来ませんでしたね」

 周囲に人がいないことを確認してから雪彦が言うと、羽束は小さくうなずく。

「動物霊は人間霊よりも危険察知能力が優れている場合が多いですからね」

 彼女は清楚な服装がよく似合う大人しそうな美女だが、霊にしてみれば特に恐ろしい存在なのは確実だ。

「それだと千ヶ峰さんに気づいた時点で逃げそうなものですが……」

 彼が思ったことを口にすると微苦笑が返ってくる。

「生き霊は情念のかたまりですから。そのような理性的な判断ができる状態ではないでしょう」

「あ、そうか……」

 彼はバツが悪くなって頭をかく。

 普通では到底できないはずのことを、執念のみで実現させてしまったほどの存在が生き霊なのだ。

 冷静な判断や思考力が残っている方が不思議なのだろう。

 ところが彼女はそこで微笑を浮かべてなぐさめるように言った。

「ただ、今回の霊は被害がむやみに大きくならないよう、気をつけて行動をしている節があります。理性がまるで残っていないとも考えづらいですね」

「そ、そうですか」

 彼女は一般論や経験則をよく口にするが、柔軟性もあるようである。

 雪彦としては見習うべき点がずいぶんと多い先輩だった。

「では今回の犯人のところに行きましょうか。真意を確認しに」

 羽束は凛とした表情で彼に告げると、迷わず店の裏側へと向かう。

 店の裏口付近にある青いポリバケツのところに、一匹の茶色いの猫がうずくまっている。

 その猫は彼らの接近を察知したか、起き上がって警戒するような態度を見せた。

 その際に首輪についている鈴の音が鳴ったあたり、飼い猫なのだろう。

「この子が……?」

「ええ。少しお待ちください」

 羽束は一度目を閉じて手をかざす。

 思念を飛ばしているのだといまの雪彦には分かる。

 相手が人語を話せない動物でも、思念を交信すれば意思疎通が可能となるのだ。

「そう……子ども時代、人間に捨てられて雨に打たれて震えていたところを、このお店の人に拾われて……恩返しをしたかったのね」

 彼女はぶつぶつと独り言をつぶやく。

「でも、いまのやり方だとお店にはよくないわ。お店に来た方がまた来たくなる、そのような手段を選ばないと」

 優しく諭された猫はやがて「承知した」とばかりにニャーと鳴いた。

 それを聞いた彼女は目を開いて、優しく猫に微笑みかける。

「あなたとこのお店に、幸あらんことを」

 そっとしなやかな指で何かを描く。

 幸運のおまじないだろうか。

 猫は警戒を解いたように、再びうずくまる。

 羽束はずっと黙って見守っていた雪彦に向きなおった。

「お待たせいたしました、藤無さん。帰りましょうか」

「あ、はい。猫は……拾われた恩返しのつもりだったのですか?」

 歩き出した彼女を追いかけながら、彼は断片的に拾った言葉をもとに問いかける。

「ええ。おなかがすけば、お客が料理をさらに頼む。そうすればお店が儲かると思ったようですね」

 料理を食べている最中にお腹が減れば、よくない印象を持つ人は少なからずいる、ということまでは分からなかったようだ。

「だからやり方さえ分かればもう大丈夫です」

 彼女は一度足を止めてさびしそうな表情になる。

 それを見たからこそ、雪彦はつい言ってしまう。

「止められないのでしょうか。自分の魂を削るって、負担は大きいでしょうに」

「止められませんよ」

 おだやかで柔らかい言い方をする羽束にしては、珍しく力強い調子だった。

「人も動物も、己の生命を投げ打って誰かの役に立ちたいと想う時は同じようです。そういう子は、止められません」

 彼女の言葉には奇妙なまでの説得力がある。

 これまでに何度も同じような例に遭遇したかのように。


 ──翌日、羽束は安藤に連絡を取ってもう心配はいらないと説明した。

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