食べると空腹になるフルコース
雪彦が指定された日の午前八時半に千ヶ峰堂の入口に行くと、羽束はすでに立っていた。
二階が住居なのだから降りてくるだけなのだが、それでも真面目だなと彼は思う。
今日の彼女はクリーム色のシャツにヴィンテージブルーのデニムといういでたちである。
彼が着れば野暮ったく見えそうな服装も、彼女の場合はあか抜けて見えるから不思議だ。
「おはようございます、藤無さん。今日からよろしくお願いします」
「おはようございます、千ヶ峰さん。こちらこそよろしくお願いいたします」
あいさつにあいさつを返すと、彼女はにこりと笑う。
朝から美女の笑顔を見られるのはささやかな幸せである。
たとえそれが愛想笑いの範疇だとしても。
(ありがとうございます)
雪彦は自分に祟っていた神様に内心礼を言う。
祟りがなければ羽束と出会うことはなかっただろうし、千ヶ峰堂で働くこともなかっただろう。
感謝の気持ちを抱いたのは、実はこれが初めてかもしれない。
「初めはそうですね、店番をしながら藤無さんの力の訓練をしたいと思います」
「鍛えられるのですか、これ」
羽束の言葉に雪彦は思わず、右目を指でさす。
「ええ。鍛えてコントロールできるようになれば、おひとりでお客様の対応をお願いできるようになりますし、お給料もあがりますよ」
「頑張ります」
給料があがるという言葉で俄然やる気が出る。
意気込む彼の様子を見てくすりと笑った彼女は、そっと店内へ入れてくれた。
彼を出迎えたのは明かりがついた店内に陳列された品々である。
「そう言えばこれは売り物なのですか?」
聞いてから売り物でないのに置かれているはずがないと、己の愚問を悟った。
「ええ。お客様に依頼されて祓ったものの、引き取ってはいただけなかったものや、処分を依頼されたけれど処分するには惜しいものをこうしておいているのです。お気に召したものは何かありますか?」
羽束はひょっこり顔だけ出して彼にたずねてくる。
彼女は彼が品に興味を持ったからこそ問いかけてきたと勘違いしているのだろう。
「あ、いえ、気になっていたので、聞いてみただけなのです」
羽束は残念そうでありながら、どこか安心したような顔になる。
「そうでしたか。たしかに訓練を受けていない藤無さんでは扱いきれないものもあったかも」
ぼそりとつぶやかれたのは、何やら不吉な言葉だった。
「呪いの一品でもあるのですか?」
思わず確認するといたずらに成功した児童のような笑顔が返ってくる。
「もちろん冗談ですよ。お客様がいらっしゃる場所へ、そのような危険なものは置いておけません」
「ですよね……」
言われてみれば当たり前のことだ。
雪彦はまさか羽束がからかってくるとは夢にも思っていなかったため、つい信じそうになったのである。
「こう言っては失礼ですが、意外とお茶目な性格なのですね」
彼が悔しまぎれに言うと、彼女は謝った。
「ごめんなさいね。でも、改めて藤無さんの力を鍛えなければいけないとも思いました。正確に“視”えていればわたしが言ったのは冗談だとすぐに分かったはずですから」
それはそうかもしれないと雪彦は思う。
「ではこちらへどうぞ」
羽束はカウンターに置いてある背もたれひじ掛けつきの黒い椅子の隣に、先日彼が座った椅子を置く。
そちらに彼が座ると、彼女が黒い椅子に腰を下ろす。
「“視”える力は……そうですね、世間で言うところの霊視だと思ってください。霊能力のひとつですね」
「はい」
肩が触れ合いそうな位置に雪彦の心拍数が変化したが、彼女の方は何とも思っていないようである。
「ではこちらをご覧ください」
羽束は赤い布をカウンターの上に敷くと、小さな透明の水晶玉を机の引き出しから取り出して置く。
彼女がそっと右手をかざせば水晶玉は白い光を放つ。
「おお」
雪彦が驚きの声をあげると、彼女はにこりと微笑む。
「力がない人にはいまのは見えない力です。さあやってみてください」
そっと水晶玉を差し出され、彼は目を丸くする。
「いきなりやれるものなのでしょうか?」
初心者丸出しの質問に羽束は微笑んで答えた。
「使いこなせているかどうかを見るものですから、できなくても大丈夫ですよ」
雪彦は水晶に手をかざして光れと念じてみたが、何も起こらない。
何度か念じてみたが何も変わらなかった。
「できませんね」
「そうですね。いままで無自覚だったみたいですから、仕方ありませんよ」
という羽束の顔に落胆の色はない。
ダメで元々というつもりだったのだろう。
「どうすれば意識的に使えるようになるのでしょうか?」
雪彦自身、できると思っていたわけではないのだが、不思議なくやしさがこみあげてきて質問していた。
彼女は少し考えてから口を開く。
「まずは自分の力を意識することです。そして目を閉じて頭に思い浮かべてください」
彼は言われたとおりに目を閉じる。
「そうですね……クロさんはいかがでしょうか。彼女の姿を思い出すのではなく、いちから絵に描くように」
黒がよく似合う童女の姿をとっていた彼女の姿を、いちから再現するように描く。
「そして彼女の声、姿を見聞きしていた時の自分を思い出してください」
羽束の声にしたがっていると、何やら頭の一部がぽかぽかしてくるようだ。
「いい感じですね。いま、藤無さんの力が頭に集中しています。さあ、目を開けて、力が手を伝って水晶に流れるイメージをしてください」
頭から手へ、そして水晶へ力が伝わっていくイメージでやってみたが、やはり何も起こらない。
「やはりダメですか」
雪彦ががっかりすると、羽束はなぐさめるように微笑する。
「力を外に放出するのは向いていないのかもしれませんね。これは習熟度ではなく適性の問題ですから、お気を落とさず。藤無さんの適性をさがしてみましょう。焦らないでくださいね」
「あ、はい」
残念ではあったものの、女性にはげまされてはいつまでも落ち込んではいられない、と気を取りなおす。
羽束は口元をほころばせたが、短い間だった。
「先ほど申し上げたこと、クロさんの姿と声を見聞きしていた時を思い出すまでなら、おひとりで反復練習しても大丈夫です。おうちに帰ってから十五分、朝に十五分、毎日続けてみてください」
「はい」
素直に返事をする雪彦に彼女は教師のような表情になる。
「少しずつですが、力が研鑽されていくはずですから。適性探しはそれからでも遅くはありません」
「はい」
幼稚園の先生に優しく言い聞かせられている気分になりつつ、彼はもう一度返事をした。
それから首をかしげる。
「他に覚えることってありませんか?」
聞かれた羽束は少しだけ困った顔になった。
「他は依頼が来てからになるでしょうね。お祓いなどは藤無さんがいらっしゃる前に終わってしまいましたし」
何ともタイミングが悪かったらしい。
雪彦は肩を落とす。
できるだけ早く役立たずを卒業したいのだが、ままならないものだ。
「焦ってはダメですよ?」
見透かしたように羽束が言う。
今日だけで早くも二回めの忠告に、雪彦は自分を省みる必要を感じた。
「すみません、一日も早く戦力になりたいという気持ちが強すぎるみたいです」
そして彼女にも詫びておく。
「お気持ちはありがたいですけど、無理をなさるとあとが怖い商売ですから」
彼女はうれしさと心配が同居した表情で応じた。




