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瞑想は体得する技術です。

 よって、文章での指導には限界があるものです。通信教育制で空手を習っても強くなれないでしょう? マントーマンの指導が不可欠です。現代ではsky-peと言うTV電話の様なシステムがあるので、正しい瞑想が出来ていないと不安な方はメールを頂ければ30分程度のご指導も応じるつもりです。


 では、前回の講座はこの瞑想法の帰着点として、頭の隅にちょっと残しておく程度にして、今回は瞑想前の準備から説明し直させて頂きます。


①入定前の準備


●身を清めると言うこと

 瞑想をいつ行われるか人それぞれでしょう。早朝にされる方と就寝前の方が圧倒的に多いと思います。

 瞑想の場が清められているのは当たり前ですが、心身を清めるのは瞑想に入るには重要です。叶うなら冷水のシャワーを頭頂から浴び、性器・肛門・手足を清めます。仕上げと言うか口中の清めは非常に大事です。餃子のニンニクの香りがする口では良い瞑想は得られません。

 シャワーは滝行のような気持ちで臨んで下さい。滝行の出来る清い滝が近所にある方は皆無に近いでしょうから、冷水を浴びる際には背筋を伸ばし、頭頂で水を受け、約5分間水浴びをしてから体の不浄を拭って下さい。

 般若心経を暗唱出来る方は手を合わせ、3回唱えると良いでしょう。

 これらは瞑想時と同じ腹式呼吸で行います。


 お湯で行ってはいけません。

 当然ですが、酔った状態で瞑想してもいけません。瞑想は食前もしくは食後四時間を経過した状態で行って下さい。


●衣服

 体を締め付けない清潔な服装が望ましいです。特に腹部を締め付ける服装はNGです。Gパンやスーツでの瞑想は論外です。スェットスーツや寝間着(洗い立てのもの)・等が宜しいでしょう。作務衣や寝間着の場合、腹部を締めないことに留意して下さい。

 意外と忘れられがちですが、足は裸足を守って下さい。

 瞑想する部屋は基本的に空調は切り、風を通すのが望ましいですが、体調を壊さぬ程度に空調を入れるのは止む得ないものとします。

 人目も無く、基本裸族と言う方は全裸での瞑想でもかまいませんよ?


●入定の準備運動

 入定の説明を忘れていました。「にゅうじょう」と読み深い瞑想に入ることを意味することから、瞑想することを入定と言う様になりました。また、瞑想したまま食を断ち、即身仏ミイラとなる僧が増えたことから、死ぬことを入定と言うこともあります。


 閑話休題。


 入定の準備運動は瞑想する部屋の壁沿いにゆっくり歩くものです。時計回りに歩きます。歩法は独特です。まず頭頂に杭を打たれ天上からぶら下げていられる状態を想像して背骨を伸ばします。呼吸は腹式呼吸です。

 足は肩幅で開き、足は真っ直ぐ揃えます。

 まず右足の踵を左足の親指のラインまですり足で動かし、次に両足が揃う様、左足をすり足で動かし、ここで息を吐きます。次は左足から同じ歩法を行います。関節に力が入りやすい歩法ですが、全身の力を抜いて行って下さい。四角い部屋を壁沿いに回ることで結界を作る意味もあります。掌が温かくなるまで部屋を回ります。

 手の位置ですが、仏教だと合唱し真言を唱えます。今回は真言の記述は省きます。

 私のオリジナルでは、右足を出すとき同時に右手の甲を前に出します。左足を動かす時は左手の甲を前へ出します。次の移動では、残される掌で水を掻く様イメージして歩きます。頭は上下動せず、手の動きも最小でいたします。


 え? 壁際とか物を置いてあるから回れないよ。

 そう言う方が多いでしょう。部屋も団地サイズの六畳間以下なら、目が回る方もいるでしょう。そう言う方は次に述べる運動をして下さい。


 座る位置。(なるべくなら部屋の中央)に前述の様に頭に杭を打たれ、天上からぶら下げられたイメージで全身の力を抜いて直立する。足は肩幅に開く。両手は両脇からだらんと下ろす。腹式呼吸の数息観を行う。(息を吐くときに数を数え、十数えたら、また一から数える呼吸法)。息を吸う際に両手を揃えて下腹部上まで上げる。吐くときは上げた手を降ろし、臀部(でんぶ)後方へ水を掻く様に下げる。


 この運動を掌が温かくなるまで行います。


 これは気功がヨーガより取り入れた呼吸法で、慣れると自然に手が動く様になり、自分では意識していないのに、両手は方の位置まで上がる様になります。クンダリーニの活性化が意識できる様になりますし、すぐに肩まで上がる方は気を扱えますので、大人一人を気で突き飛ばす程度が可能となりますが、そこまでやる必要はありません。


 体を温めほぐすことを目的とお考え下さい。


 閑話休題。

 右手と右足、左手と左足を同時に動かす歩法は、明治時代までは日本人なら自然に行っていた歩法で、西洋式軍事教練にそぐわず、小学校の体育で西洋式「行進」を強要することで失われた日本の文化です。

 普段の生活は勿論、武道や茶道、華道もこの歩法が前提で成り立っています。成人して古武道を学ぶ人は歩法を取り戻す苦労を味わいます。


 今回は中途半端ですが、長くなるのでここで切らして頂きます。


 次回は入定と出定について書きますが、最初、私は初心者の方には辛いだろうが、最低15分は座って欲しいと書きました。

 で、実践される方に出会い驚きました。どの方も5分程で止められるのです。15分座ったつもりでも、実際は5分です。これでは意味が無い。


 で、線香を使うことをお勧めします。

 市販の短い線香を一本立てて、燃え尽きるまで瞑想するのです。なるべく高価な線香が良いでしょう。高価な物ほど長く保つからです。

 それでも燃え尽きるまでには10分とやや足りませんが・・・・・・


 仏具専門店に行きますと約15センチの長い線香があります。私は瞑想の終了の合図に用いていましたが、これは1時間半で燃え尽きます。これを折って時間調整するのも良いでしょう。

 良い環境で瞑想すると、線香の灰が落ちる音が凄く大きく響いて驚きますよ。


 それでは今回は終了します。お疲れ様でした。


瞑想法入門(4)


 それでは、いよいよ入定編に入ろうと思います。


 書くのに手間取った理由にどこまで書くべきかと言う問題がありました。このシリーズを読み実践されている方は限られていると思いますが、実践される方々がどのような環境にあるかは私には分かりません。故に迂闊な事を書くと不安を煽りかねないからです。


 よって、説明は簡易にいたします。


 水垢離などの準備を整えた方は、すでに適度な緊張を持ってすぐに瞑想に入れるコンディションになっている筈です。早朝に瞑想される方は瞑想の場が定まっているでしょうから、あまり問題がないのですが、夕刻以降にしか瞑想出来ない方もおられるでしょうから、その様な方を念頭に手法を書かさせて頂きます。


①瞑想する場所


 殆どの方が自宅での修法をされていると思います。狭い日本の住宅事情では自ずと瞑想する場所は限られるでしょう。しかし、瞑想の場をころころと変えるのは望ましくありません。

 払暁を浴びる瞑想をする方は場が必然的に定まりますが、夕刻以降にされる方はその日の家庭事情で場が変わる方も多いでしょう。


 無理を承知で申し上げますが、瞑想の場は一カ所に定めた方が良いでしょう。

 場は気持ちよく瞑想が出来、雑念が入りにくい場所を選ぶべきです。座禅道場では壁に向かい半眼で瞑想しますが、壁が家具で埋まるご家庭もあるでしょう。自身が最も落ち着ける場所を選び、瞑想中はご家族の協力を得て、喋り賭けられたりしないよう環境を整えて下さい。


 場が定めれば、そこは聖域と意識して下さい。

 瞑想に入る前には、その聖域に正座して額を畳に擦りつける礼を、まず三回します。この時、自分が生かされている事、守られている事への感謝をします。真言を唱えるなら「オン ボウジシッダ ボダハヤマミ」と一礼毎に念じる様に唱えます。真言は参考です。音程など気になる様なら唱える必要はありません。

 この後更に同様に三礼します。この時は瞑想への助力と真理に近づけるよう祈願します。真言を唱える場合は「オン サンマヤ サトバン」と一礼毎に念じる様に唱えます。真言が馴染めぬ方はここでの真言の記述は無視して下さい。


 瞑想の場に座布団を敷いている方もおられるでしょう。瞑想の場に選んだ座布団は一枚に決めて、それ以外に使ってはなりません。また足で踏むとか荷物を置くなども禁じます。そこは神聖な場所だからです。


②座法


 30分以内の瞑想の場合、座法は正座でも構いませんが、極力足を痺れさせない座法が必要です。両膝の間は握り拳が二つ入る程度開き、両足は親指を交差させます。痺れを感じたら親指の上下を入れ替えます。正座の場合、座布団はしない方が実は宜しいです。くるぶしが痛いですが、皮が厚くなり黒ずむまでは続けるべきです。毎日行っていれば1年半で座りだこが出来ます。正座の場合、両掌を上にして左手の上に右手を重ね、親指と親指は指先を合わせ、残る指は自然に広げます。


 さて、すでに30分以上の瞑想が習慣化している方、また、修法を只の健康法以上の物としたい方は『結跏趺坐けっかふざ』と言う座法を体得して頂く必要があります。あぐらは厳禁です。慣れないと足を組むのも苦痛で、瞑想が出来ない状態になりますが、体得しないと真の瞑想に至りません。一ヶ月練習すれば組める様になります。お風呂上がりに練習すると効果的です。「結跏趺坐」の組み方はググって下さい。中には間違いを教えるサイトもありますが、教えは無視して座法を覚えて下さい。足の組み方は左足が下です。

 次に印ですが、本来なら正座の手の組み方と同じにするのが主流です。が、やれば分かりますが、慣れぬと背骨が前屈みに曲がります。

 そこで、桐生慎の我流(正しくは我流ではない)の印の組み方を初心者の方はして下さい。

 右膝には右手の甲を左膝には左の甲をそっと乗せ、掌の力を抜きます。掌は自然に開きますが、親指と人差し指の指先を合わせて円を作ります。ブッダが悟りを開いた時のポーズですので、同じポーズの仏像を見た方もおられるでしょう。

 大事な事を言い忘れました。

 結跏趺坐では座布団を半分に折り、その上に尾てい骨を乗せる様に座ります。瞑想に入る前に上半身を揺らして安定感を得てから印を組み、瞑想に入って下さい。

 このポーズは胸を大きく開く事から、背骨が真っ直ぐになりやすく、長時間の瞑想でも足が痺れにくい理想的瞑想のポーズです。


③クンダリーニコントロール


 すでに生物としての五感を失った方だと分からないケースがありますが、尖った鉛筆などを用意し、目をつむり、先端を眉間のやや上に徐々に近づけて見て下さい。額の中央部にむず痒い部分が感じられると思います。その小さな円形を瞑想の際に意識して下さい。

 これは「第三の眼」と言われるチャクラで、腹式呼吸で背骨に添って上下するエネルギー(クンダリーニを感知し、コントロールする重要なチャクラで、前に述べた数息感の際にこの額のチャクラに意識を集中します。息を吐くときにエネルギーが降下するのを感知し、体の穢れが吐息と共に肛門から吐き出されるイメージを行います。息を吸うのも肛門から吸うようイメージします。白く輝く宇宙のエネルギーが呼吸と共に体に入り頭頂まで上昇するイメージをこの額のチャクラで行います。


 ここで結跏趺坐での瞑想を行っている方は更に生体エネルギーの感知方法があります。両手の指の輪の接点と額のチャクラがエネルギーの光で繋がれているイメージをします。それにより構成される二等辺三角形を前面とするピラミッド型の生体エネルギーの中に自分の肉体があるのを額のチャクラで俯瞰出来ると自らのオーラの色も見えることでしょう。


 これらのイメージは一度に行うのは初心者には無理でしょう。自分がイメージしやすいモノからイメージし次のイメージに移り、最終的には統合的にこれらのイメージが出来れば理想です。


 重要な事をまた言い漏らしました。

 目です。

 瞑想の際、目は半眼と言うのが基本です。まぶたの力を抜き自然に下りた所でおけば、うっすらと視界がぼやける程度に開くはずです。目は閉じてもいけませんが、特別の修行を除き何かを見てもいけないのです。

 回りの明度が分かる程度に半眼としなくてはなりません。


 さて、この段階をクリアする直前に目か額のチャクラで異様な感覚を見る方がいる可能性があります。それはレスにせずメールで問い合わせて下さい。


④三位一体


 密教では身口意の一致と言うのに重きを置きます。

 すなわち修法する身体、唱える真言あるいは吐息、そして意が一致して悟りに至るとされます。キリスト教でも三位一体は修法の到達点を示すもので、カソリックが伝えるのは意図的に歪められたものです、


 では、「意」とは何か?

 今、修法しているあなたの「意」は何か? 明言出来る方はおそらくいない。逆に明言出来る方が誤った方向へ進んでいて危険です。


 この瞑想法は入門編で瞑想で心身が清々しくなれば目的は果たされていますが、より深い瞑想に入る場合、眼目が必要です。

 よって、より深い瞑想へ至る為の眼目を私は提示します。

「自分とは何か?」

 極初歩的命題ですが、自らの真の有り様を知らずに宇宙よりも広大な法門へ踏み込めば、あなたは観察者としての自己を失い、エントロピーの海と同化してしまいます。

 瞑想が深まった方は常にこの命題の解を導くことに専念して下さい。


 蛇足ですが、チャクラの輝きを三つ以上感得された方は、数息感は無意味となります。「口」の初歩を説きましょう。

 吐息において「オーム アーム フーム」と自分の体の奥に響かせる様唱えて下さい。

 オームは喉、アームは胸、フームは丹田のチャクラが輝き回転して発する音です。それと同調することが自分と言う小宇宙を感得することに繋がります。



※若干難しい内容に思われたかもしれません。

 が、すでにこの受講の目的である心地よい瞑想を習慣化されている方が多数おられます。心地よい世界は深入りするものです。その際に眼目が無いと「魔」に憑かれます。


 また、観音菩薩や天使が光輝き現れて「そなたは選ばれた」などと言う神秘体験もどきをなされる方もおられるでしょうが、それは狐狸の類いの低級霊の仕業であなたを自分と同類に貶めようとしているのです。


 真の神秘体験はごく当たり前のことに気づき身を糾す類いの物です。惑わされないよう気を付けて下さい。


 天使や悪魔が訪れることもあります。

 心を乱してはなりません。ブッダもイエスも修行の際にそれらの訪問を受けていますが、心乱すことなく修法へ打ち込んだ話が記されていますが、あれは事実です。この道を歩めば誰もが通る関門です。


 私の言葉で瞑想を始め魔に墜ちる方が出るのが最大の懸念です。


 次回は出定についてお話してこの講座を終えたいと思います。


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