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 私がここで書く瞑想法はラジオ体操の様に心と体の健康を目的としています。

 神仏と言う宗教的概念を敢えて取り外しています。現代において既存宗教の概念を持って瞑想を行うのは害毒が大きすぎます。

 このシリーズをどれほどの方が読んで居られるのかは分かりませんが、既存宗教に帰依している方は少なくないでしょう。

 私が説く瞑想法を行おうと言う方は神仏の概念を捨てて下さい。神仏に縋れば心の安寧は容易く得られるでしょうが、本当の神仏は人を救いません。自身を救うのはご自身以外いないことを肝に銘じて下さい。

 私が説くのは健康法です。宗教と関係ありません。心得違いで行えば魔道へ堕ちる危険があるので、ご注意いたします。


①瞑想の場

 前回述べた呼吸法を日常習慣とされた方は、瞑想に入りやすい場所を得ていると思います。その場所は貴方自身の心を現しています。

 瞑想では心を清めることが必要です。

 故に、貴方が瞑想に入る場所は貴方自身が常に清める必要があります。他人任せではいけません。

 貴方が清めることで見つけたゴミや、瞑想の場に相応しくないと判断した物は、端的に貴方が心を清めるのに障害となるものを示します。

 本当の意味での出家など現代人には不可能です。

 生活するための必要悪が存在します。

 貴方が瞑想の場に相応しくない判断した物の中には日々の糧を得る為の資料や材料が含まれる筈です。それらを捨て去るのは不可能です。瞑想の場から引き離すだけで十分です。

 が、それらに固執することは害毒です。

 貴方はそれらを捨て去れる様心がけねばなりません。

 それが貴方の大事な家族を象徴する場合でも、貴方は固執を捨てねばならないのです。

 貴方が真に心の清浄を得れば、不浄と判断したそれらも有り様を変えているはずです。

 本当に切り離すか、改めて受け入れるかは、貴方が真の平安を得たとき自ずと答が出るでしょう。


 方向性が変わりますが、掃除について蘊蓄を述べさせて下さい。

 今は掃除は掃除機で行うのが当たり前です。最新式の家屋では提示にUFOみたいな自動掃除機が勝手に掃除をしてくれるお家もあるでしょう。

 が、日本古来の掃除道具に無視出来ない物があります。

 箒草を用いて造られた箒です。ナイロンや藁草で造られたまがい物は除きます。

 箒草には浄化作用があります。

 悪しき者も祓う力があるのです。出来れば箒草で作られた箒を一本は常備し、月に一度は箒で掃除されることをお勧めします。また、フローリングよりも畳草で作られた畳部屋も健康的です。畳草には空気の浄化・殺菌作用があり、ダニもわきません。

 時代劇でイヤな客が来ると、箒を逆さに立てかけて迎える描写がありますが、あれは嫌がらせの意味を持つ前は、邪気を家から祓う意味がありうました。歓迎されない客はその重力で気分が悪くなり、早々に立ち去ったものが転じて「早く帰れ」との意思表示になったのです。また、昨今では畳の上で亡くなる方も少なくなり、ご遺体も一両日で火葬されるので忘れ去られていますが、明治の頃までは遺体に邪気が憑き、起き上がると最も近くに居る人と同じ動作をする現象が良く知られていました。この遺体から邪気を祓うのには箒で背中を叩けば良いと誰もが知っていたものです。

 箒の力を伝える書物も見あたりませんので、蛇足ながら付け足しました。m(__)m


②観相

 前回述べた観相のより具体的説明となります。

 瞑想の場が定まり、呼吸法を習得すると瞑想が心地良くなり、30分や一時間はあっと言う間に経つ様になります。

 前回は瞑想の途中で眠っても構わないと記しましたが、このように深い瞑想となると眠ってはなりません。また、邪気が無ければ眠る事もありません。このような深い瞑想の場合、脳波はα波という熟睡状態に近いものになりながら覚醒を保ちます。さらに修法を積めばθ波と言う殆ど波形の現れない状態となり、すぐ側で落雷が在っても瞑想から覚めません。この状態だと魂は別次元へ行っているので、現世で起きることを感知しないのです。

 瞑想する者は予め覚醒の合図を定めて瞑想し、その合図で漸く覚醒に至ります。

 ここではそのような修行の達人の様な瞑想は説明しませんが、呼吸法を習得すると30分程度の長さの瞑想は当たり前になります。脳波は覚醒状態のβ波とα波を行き来しており、現実世界の出来事も認知しています。ただ、30分を超える瞑想に至れば、出定の儀式が不可欠です。すぐに起き上がってはいけません。頭頂から足先へ向けて身体を手のひらでゆっくりとなで回し、瞑想独特の意識が普段のものに戻るまで、血流の活性化を行い、覚醒を意識してから起き上がらないといけません。

 これを怠ると日常と瞑想状態との意識の区別が曖昧となり、最悪精神の病となります。


 が、このような深い瞑想へ一足飛びで入る方は希です。

 無念無想を心がけても精神の集中は長くて十分が限界で、人は様々な雑念を抱かざる得ません。禅宗で肩を指導に当たる僧侶が激しく叩くシーンは見たことがあるでしょう?

 指導に当たる僧侶は雑念を抱いた者、眠気を催した者を瞬時に見抜きます。そして、その者の背後に立ち、肩に棒を当て、叩く意志を示してから殴打します。

 その僧侶が厳しい修行に携わっているほど、殴打の勢いは強くなり、相手が妙齢の女性でもみみず腫れが出来るほど強く叩きます。一般の座禅体験者はこう言う指導者を悪く言いますが、邪気を祓う力のある有能な方なので有り難く思って下さい。更に有能な方は不必要な力を使わないので軽く触るように叩きますが、無能でやる気の無い方も同じような叩き方に感じて一般の方では区別がつきません。が、高僧と周りから呼ばれる方に叩かれると、雑念が消えるどころか、一瞬、極楽浄土の様な光景を垣間見ることもあるのです。


 前置きが長くなりましたが、ここで観相の話に移ります。

 高僧に軽く叩かれるだけで、一瞬、極楽浄土を幻視するのは何故でしょう?

 それはその高僧が常に瞑想状態にありながら日常行為を行える希有な境地にたどり着いているからで、1日座禅体験者でも、叩かれることでその高僧とシンクロして彼の内面の観相を垣間見るからです。

 禅宗ですから、高僧は無念無想の状態にあるのですが、「無」とは何も無い状態ではなく、全てを包括する調和した世界です。調和しているから、激しい動きがなく自然であり、常に満たされています。故に、叩かれることでその一端を極楽と一般人は捉えますが、それを高僧に伝えたら微笑を浮かべて頬を打つでしょう。それは極一端にすぎず、それだけでは誤った観相だからです。

 妙に難しい話になりました。

 ここでは心地良い瞑想を長引かせる為の、無害なまやかしを説きます。

 世界の宗教儀礼は全てゾロアスター教に遡ると言われます。拝火教とも言われるそれは、火と水を重要視して崇めます。その複雑な宗教儀礼の勧め方は述べません。

 一般の瞑想で長く悦楽を得る手法を述べます。

 火と水の属性を持つものに精神を集中すると長い瞑想が容易になります。

 一つは炎そのものを凝視して精神を集中する手法です。

 色々方法がありますが、例えば和蝋燭を灯し、その炎に精神を集中します。目を見開いて凝視しても疲れが増すので、目は半眼でうっすらと炎を捉え、炎の内部に宇宙の心理があると想像し、それを感得するよう努めます。

 そう言う環境が無いなら、明星を見るのも手法です。また、朝日を浴びての瞑想もそのエネルギーを取り込むと観相すると不思議なことに病すら癒える事もあります。

 また、天台宗には水観と言われるものが伝わっています。

 清流の流れを思い描く瞑想で、水は清流となり大海に出て天に昇り、雨となり降り注ぎ又清流に転じます。この変化そのものと一体化して真理を得るものです。

 本来は清流を見下ろす深山の岩にて座り瞑想し、夜は明星か月を見据えて宇宙と一体化するのが理想ですが、一般人はそんな事は出来ません。

 日本神道は元々深山の神が降りる岩磐を拝むものでしたが、民草を導くには野に降りるしかなく、社を造り、ご神体に鏡を置きました。

 鏡には火の属性と水の属性を感じられますので、鏡を見つめる瞑想が有効になりますが、これはお勧め出来ません。鏡は異界に通じる物です。また、貴方自身がそこに映るので、勢い、貴方は自らの深淵を覗くことになります。これは山中での修行を為し、真理の一端を自らの物とした方でないと、魔に捕らわれるか、狂気に犯されるかのいずれかの危険が大きく、やるなら自身の魂の消滅を覚悟して取り組む修法です。

 が、鏡をご神体にしたのは意外と近年(と言っても奈良時代以降ですが)で、本来は水晶玉をご神体としていました。あるいは球形の石をご神体としたものです。ある霊地では山肌から次々と球形の石が自然にこぼれ落ち、近辺の神社にご神体として分けられています。


 脱線しました。

 要するに水晶玉を瞑想の道具とすれば、容易にある境地に至ることが可能です。

 真言宗の僧侶の間では良く行われる宗法ですが、危険もあるので、流布していません。また修法のやり方を書いた本もありませんので、長文になりますが、その手法を開示しましょう。


 まず本物の水晶玉である必要はありません。

 ガラス玉・クリスタルガラス・練り水晶(水晶の屑を溶かして成形したもの)、値段の順番ではこう言う並びになりますが、瞑想に用いるのは直系一寸強で透明度が強い物を用います。結跏趺坐もしくは正座で仏様を拝むように手を合わし、その手の中に隙間を作り、そこに玉を挟みます。玉は胸の前、丁度顔を真っ直ぐにして半眼で見下ろす位置に在ることになります。

 自らの心がこの玉の様に透明で丸く落ち着いてあるよう観相します。

 ガラス玉でも修法が終われば、必ず流水で洗う様心がけて下さい。

 本物の水晶で無いので、一寸玉でも5000円以下です。それ以上の値段で売りつける店は敬遠しましょう。また、時折、日光浴させるのも忘れないで下さい。

 後、床の間があるお家では、決して玉石の様な形状の物を飾ってはいけません。理由を説明すると長くなるので割愛しますが、一寸玉なら、袋のような物に入れ傷がつかぬよう机の引き出しにでもしまい、持ち歩く癖をつけ、暇が在れば眺めて自分の心がこのように丸くあると暗示をかけるのが宜しいでしょう。


 蛇足になります。

 本来は水晶玉(透明で無傷のもの)が最も相応しいのは事実です。一般に石屋で購入するとヒマラヤ産が多く2万円強するでしょう。ただ、ヒマラヤ産は石の持つ気が強い傾向があるので、万人向きではありません。

 やはり日本人には国産が合うのですが、国産はとうの昔に掘り尽くされて大抵中古です。中には元ご神体もあるでしょう。

 水晶はその性質から中に霊的存在が宿りやすいものです。又、本物の国産品を証明書付きで売る良心的お店は信州に集中し、町中の石屋では良質な物は少なく値も張ります。中にはクリスタルガラスや練り水晶を本物と称する悪徳商店も多いのが実情です。

 仮に国産水晶を入手出来ても、中に宿る者を見極め、抜く手法を体得された方がいないと、最悪、悪霊付き水晶を入手し地獄の苦しみを味わうことになります。

 又、本物の水晶は上記の性質から定期的お清めが不可欠です。月に一度はその容積の4倍の粗塩に浸さねばなりませんし、流水のお清めも毎日必要です。しかも水道水では限界があり、聖地の清流に浸すことが年に4,5回必要です。

 私は知人に守護としての水晶玉が必要で本人から依頼されれば、懇意の石屋にて一万円強で保証書付きの和水晶を仕入れますが、100%の確率で何か入っています。また、守護の役割を担う契約も必要です。その条件に見合う物は希なので、車で400キロの道程を走り、とある聖地の清流で魂抜きを行い、その知人と性質の合う神格のある御霊と契約して中に入って貰い、知人に祀り方を指示して渡します。水晶購入代金は頂きますが、ぶっちゃけ、赤字です。まぁ、その水晶がただの水晶で無いと気づいた方は後から多大な謝礼を頂くこともあるが、半数は指示した祀りも怠り、御霊も怒って出て行く。この際、私に苦情を述べていかれるので、情けなさと虚無感を味わうので、今はお受けしない。


 正直に言うと御霊入り水晶とガラス玉ではその効用に天と地程の差がある。

 もし、石の扱いに長け、御霊を見抜ける方なら天然水晶がお勧めではある。


 ま、それでも道具だ。朝日や明星に意識を集中する環境があるなら自然に身を任す方が良い。要は瞑想が快感になり、θ波が出るほどの深い瞑想に瞬時に入れるテクニックが身に付けばそれで目的は達成である。この境地に至れば魂抜きなど稚技に等しいものとなる。わざわざお経や真言を唱える必要もなくなる。


 少々、高すぎる到達点の一つを開示してしまったが、要は半時間以上の瞑想を楽しめる手法を見いだして貰えれば良いのだ。その方法は千差万別であり、その一端をお知らせしたに過ぎない。私の示した手法以外にも多々方法はあるので自分に合う方法を見いだされればそれが正解と言って過言ではない。


 以上を以て、2回目の入門講座といたします。

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