ハカセの演説
理系だからと言って本を読まないのかと言えば、そうではない。
常に新しい情報を仕入れるために論文は読むし、息抜きに本を読む。
むしろ本を読むのが当たり前すぎて、わざわざ趣味や特技と言わないらしい。
「うー」
「何をスマホを持って唸っているんだ?」
「あっ、ハカセ」
「ふむ、ネット小説のページか」
「・・・引きます?」
「なぜ?」
妹に知られたときは気持ちわるいものを見る目をされた。
「助手よ」
「・・・はい」
「趣味嗜好は人それぞれだ。それが仕事に影響しなければ何を愛でようと法に触れない限りは問題ではない」
「つまりは、僕がネット小説を読んでいても引かないと」
「なぜ、引くという思考になるのか分からないが、媒体の違いというだけだろう」
媒体とはなんぞや。
質問をしたらキムワイプが飛んできそうな気がする。
「はい、ハカセ」
「なんだ?」
「ばいたい、とはなんですか?」
キムワイプは飛んで来なかった。
だが、代わりに広辞苑・第六版が飛んで来た。
「調べろ」
「はい、ハカセ」
「・・・情報伝達の手段だ」
「あぁ、あともうちょっとで媒体まで辿り着くのに」
紙の辞書は中学生以来だ。
電子辞書とはいかに便利な物か。
「さらに助手が婚約破棄をテーマにした恋愛小説を書いていても、どうということはない」
「へっ?何で知ってるんですか!?」
「さっきスマホを見ただろう。そしたら『マイページ』という項目と『〇〇〇〇〇〇』というタイトルが見えた」
「あの一瞬で見たってことですか?」
本当に一瞬だった。
その記憶力が欲しい。
「それくらいの情報量なら苦も無く覚えられるぞ」
「いやいや、それよりも」
「でだ、ランキング入りしたこともある作品らしいな?」
これはネットで匿名でちまちまするから楽しいのであって、現実世界の人に知られたくない。
友達の誰にも話してはないのに、ハカセにばれた。
妹ですら読んでるというところで止まっている。
「どどどどどど」
「どうして?そんなのネットで調べたに決まっているだろう」
パソコンに向かっているなと思っていたが、仕事をしているのだと思っていたが、よもや調べていたとは思うまい。
すべてをさらけ出しているような気分だった。
「ハカセ」
「どうした?」
「どうしたらいいと思います?」
「漠然とした質問だな。だが、さきほどまで落ち込んでいたことを踏まえると、小説を書き続けるかどうか?」
「はい・・・」
「趣味だろうが、仕事だろうが、続けるも辞めるも自由だぞ。本人次第だ」
そんなありきたりな答えが欲しかったわけではない。
でも、正論だ。
「だが、気持ちは分かる。私も出した論文で期待していたコメントが来ないときは凹む」
「ハカセでも凹むんですね」
「私を何だと思っているんだ?」
「そんなときはどうするんですか?」
「検討する。そして、取捨選択をする。全部に対応していたら私の実験というオリジナリティが消えるだろう」
どうやって、取捨選択をしているのか。
取捨選択とは何か。
無限思考に入りそうだ。
「分かりやすく言うとだな。私はA社のキットを使って研究している。そして発表した」
「はい」
「そしたらB社のキットを使った方が絶対にいい。そっちで実験をすべきだ。というコメントをもらう」
「はいはい」
「だが私は頑なにA社のキットを使う。その理由は何か。そこには私なりの理由がある」
自分なりの理由となると、コメントをしてきた人が嫌いとか?
「A社は結果が出るまで十時間かかるがコストは百万円で済む。B社は一時間で結果が出るがコストが一億円かかる。私の研究室に一億円という予算はないからA社を使う。これが理由だ」
「なんだ」
「だが、私の研究室に百億円の予算があったとしよう。なら一億円は払える。時間も短くて済む。B社にしようとなる」
「それが取捨選択」
「そうだ。助手君はいろいろアドバイスをもらったのだろう」
「もらいました」
正反対のものもあったりして、ちょっと困ったりもした。
だから今はちょっとお休み中だ」
「助手君の時間は一日二十四時間だ」
「はい」
「そのうち八時間は働いて、六時間は寝て、三時間はご飯を食べる。残りは七時間だが、実家にいても色々とすることはあるから趣味に使える時間はせいぜい二時間だ」
「たしかにそれくらいですね」
「趣味は小説を書くだけじゃない。本を読むし、映画も見るし、はたまた寝るかもしれない」
ずっと小説だけを書いていない。
他のこともいろいろしたい。
「そうすると、その限られた時間で何をするか。助手君は新しい話を書くことを選んだのだろう」
「はい」
「それが取捨選択だ。ただ、完全に意見を無視したわけではない。意見をもらった話を改訂できないが、これからのものには意見を取り入れた部分もある」
「はい」
「論文も書くだけなら、いくらでも書ける。それは私だけでなく、どの教授も同じことを言うだろうよ。ただ修正、改訂はおそろしく労力と時間がかかる。たった一文、修正するだけで、一時間かかるというのも嘘ではないからな」
すでに書いてしまったものをすべて改訂するのは、書いた時間以上のものが必要になる。
それなら設定そのままに新しく書いた方が楽だ。
「でも、ハカセ。どうしてそこまでご存じで?」
「ん?ざっくりと読んだからに決まっているじゃないか」
「ノー!」
今なら死ねる。
確実に死ねる。
「さて、ここまで話したが、助手君」
「はい、ハカセ」
「残り三時間。頑張って仕事をしようか」
「はい、ハカセ」
恥ずかしいを通り過ぎてしまった。
ここまで来たらとことんまで行ってやる。
「ハカセ」
「何だ?今いいとこなんだ。邪魔をするな」
「何を読んでるんですか?」
ビーカーを洗いながら聞いてみる。
指紋を残さないようにきれいに洗うのがコツだ。
「それはもちろん『〇〇・・・』」
「今すぐパソコンを閉じてください!」
「これ以上、助手をいじめる趣味はないから止めておこう」
「ハカセ、もう遅いです」
驚きすぎてビーカーを落としてしまった。
ふちが欠けた。
「なら遅いついでに言ってもいいか?」
「なんです?」
「感想欄を復活させてくれ」
「それは・・・まだ勇気がないといいますか。なんといいますか」
「ふむ、つまり、物語の感想は欲しいが、ちょっと物語の根幹を揺るがすようなことを言われると、その欠けたビーカーのようになるから肯定的な感想だけが欲しいということだな」
「おっしゃる通りでございます」
ビーカーが欠けたことばれてた。
まだ使えるかな?
「それは無理だろう。肯定的意見に付随して否定的意見も生まれる。逆もまた然り」
「ですよね」
「だが、根本的なことを忘れると大変だぞ」
「根本的なこと?」
「小説でも論文でも自分が結果として述べたいことを主軸にすること」
「主軸」
「それを忘れると最後まで読んだときに、何が言いたいんだ?と読み手は思う。書き手がそこを忘れると大変なことになる」
どう書きたいのかが重要だと教えてくれるつもりかもしれないが、余計に難しいことになった。
「書きたいこと書きたいだけ書いたらダメってことですか?」
「それが筋道立っているなら問題ないが、たいていは破綻するな。今、書けないだろう」
「はい」
「それは書きたいことをある意味で書ききった状態だからな。さて、続きはどうする?」
書きたいけど書けない。
じゃぁどうするか?
書けるところだけ書いたらいい。
「取捨選択ですね」
「最後に辿り着くまでの筋道を先に作ったらいい」
「ほぅ」
「あと最大の原因は、ひとつの話にオチを十も二十も作るからそうなる」
「その点は反省してます。あれもこれもと欲張りすぎました」
プロットを考えているときは楽しかった。
あれもこれもとやっているうちに、収拾がつかなくなったのだ。
そしてそれに気づかなかった。
ぼちぼちやるか。




