8.道の駅若狭熊川宿(福井県三方上中郡)―悠久の時の流れを感じつつ
湖水の波打つ音を聞きながら、寂しい気持ちで寝袋に入り車の中で眠ったが、そろそろ寒さが身に沁みるようになってきた。
これから北の方へ向かうとなると、車中泊も困難になるかもしれない。いや、南に行っても冬場は無理だろう。
いったん実家に戻ってアルバイトでもして、春になってからまたやり直した方がいいだろうか。
そんなことを考えながら、朝を迎えた。琵琶湖の対岸には、左に比叡の山々、右は琵琶湖大橋の向こうに比良山系が朝日に照らされているのが見えた。
今日の行き先はまだ決めていないが、琵琶湖大橋を渡ったところに道の駅があったはずだ。とりあえずそこへ行って朝食をとることにしよう。
おれはさっそく顔を洗って歯を磨き、車に乗り込んで出発した。葦の茂る湖岸を左手に眺めながら道路を北にしばらく進むと、左に曲がって琵琶湖大橋の入り口がある。
ゲートで通行料百五十円を支払い、橋に入った。このあたりは琵琶湖が一番狭くなっているところだ。橋の中程は少し高くなっていて、左右に琵琶湖の景色を見ることができる。
橋を渡って左の小さい道路に入って少し行くと、道の駅琵琶湖大橋米プラザがあった。湖岸にある大きめの道の駅で、駐車場も広い。
建物の中にはレストランもあったが、特産品直売所の方で近江牛の牛飯弁当を買い、湖側のテラスへ行って、湖を眺めながら食べた。静かでのんびりとしていて、時間が止まっているかのように感じた。しかし時間はやはり容赦なく過ぎていくのだ。おれもこれから先のことを考えなければならない。
ガイドブックを見て、おれは鯖街道にある熊川宿へ行ってみることにした。そこは昔ながらの古い町並みが残っているらしい。
米プラザをあとにして、少し山の方へ進んで湖西道路に入った。ここは無料の自動車専用道路で、途中からは志賀バイパスとなっている。近江舞子を過ぎて北小松というあたりから一般道に合流する。
しばらく進むと、湖の中に鳥居が立っているのが見えた。対岸には白鬚神社という由緒ありそうな神社があったので、立ち寄ってみることにした。
祭神は猿田彦命で、創建は二千年ほど昔の垂仁天皇の頃だという。実際はもっと新しいのかもしれないが、それでもずいぶん古い神社という雰囲気はある。なんだか悠久の時の流れを感じた。
車に戻ってさらに北上し、近江今津から若狭街道に入る。少し行くと道路は緑の木々に覆われた山の中を進んでいく。
やがて谷間が開けて人里が見えてきた。熊川宿と書かれた標示板がある。道の駅はそのすぐ近くだった。
車を駐めて、とりあえず熊川宿の町並みを歩いて観察することにした。平日のためか人通りは少なく、静かで落ち着いた雰囲気だ。昔風の建物が建ち並んでいて、いかにも旧街道の宿場町という感じがする。お店もけっこうあるようだが、閉まっているところも多い。
十五分ほど歩くと宿場町の外れまで来たので、引き返すことにした。こんなところに住んで、小さなカフェでもやれたら楽しいかもしれないと思った。だが、平日は観光客も少ないし、必要十分な収益を上げるのは容易ではないかもしれない。
そんなことを考えながら歩いているうちに、もとの道の駅まで戻ってきたので、中の売り場で名物の鯖寿司を買って、外のベンチに座って食べた。
あたりを見渡すと、四方を山で取り囲まれている。島崎藤村の『夜明け前』の冒頭部分を思い出した。ここ熊川宿もすべて山の中だ。こんなところにも静かな生活があるんだ。
おれには都会よりも田舎の自然の中での生活の方が合っているのかもしれない。だが、これから冬になると雪も積もって大変だろう。おれも冬の間は車中泊もできないから、その間どうするか考えなければならない。
するとそのとき、ちょうどメールの受信音が鳴った。スプリングスひよしで知り合ったフリーライターのマキさんからだった。鳥取県の大山に滞在しているという。おれはさっそく返事を書き、福井県の熊川宿に来ていること、冬になったらどうしようか考えていることなどを伝えた。
返事を送信して一分後、マキさんから電話がかかってきた。
「ねえ、私いま叔父が経営する大山のペンションに来てるんだけど、スキーシーズン中の住み込みアルバイトを募集しているのよ。やってみない?」
思いも寄らない提案に、おれはちょっと驚いた。
「えっ、でも、おれなんかにできるかなあ……」
「あら、慣れれば大丈夫よ。私も毎年お手伝いに来てるんだもの。でも実はね、叔父が持病の腰痛を悪化させてしまって、できれば今すぐにでも男手が必要なの。どうかしら?」
大山の大自然に囲まれたペンションで働いてみるというのは、意外とおれに合っているような気もしてきた。それに何よりもマキさんとまた会ってみたくなった。
「そうだね、これから寒くなると車中泊しながら旅行するってわけにもいかないし、住む場所や食事も提供してもらえるんだったら、そこで働いてみようかな」
「よかったわ。じゃあ叔父に伝えとくから。できるだけ早くこっちまで来てくれる?」
「わかった。大山までなら明日の夕方までには行けると思うよ」
「じゃあ、待ってるわ」
そう言って彼女は電話を切った。
こうしておれは全国道の駅めぐりの旅をいったん中断し、冬の間は大山のペンションで住み込みのアルバイトをして、春が来て暖かくなってから旅を再開することにした。
おれは残りの鯖寿司を食べ終わると、さっそく大山へ向かって車を走らせた。まずは小浜経由で舞鶴まで行こう。せっかくだから舞鶴の道の駅とれとれセンターで新鮮な魚でも食べることするか。
マキさんと再会し、新しい生活が始まることを考えると、おれの胸は期待に高鳴っていた。