7.道の駅草津(滋賀県草津市)-琵琶湖の畔にたたずんで
松尾大社の駐車場から車を出し、大きな赤い鳥居の下をくぐって阪急桂線の踏切を渡ると、桂川が流れていた。上流には嵐山や嵯峨野といった観光地がある。桂川の上にかかる松尾橋を渡ると、四条通がまっすぐに延びている。
そこから先はもう京都の街中で交通量も多く、道路の両側にはビルが立ち並んでいる。しかし景観条例か何かの関係で、どれも低いビルばかりだ。すると目の前を路面電車が通り過ぎて行った。京福鉄道の嵐山線で、四条大宮から嵐山まで走っている。
やがて四条烏丸の交差点に差し掛かった。このあたりから四条河原町までの間が京都でも一番の繁華街で、人通りも多く、あまり京都という感じはしない。車ものろのろと進んでいく。
鴨川にかかる四条大橋を渡ると、すぐ右手に南座の建物が見えた。ここからは祇園で、さすがに京都らしい雰囲気が漂っている。
少し行くと、左手に一銭洋食と書かれた幟が立っていた。一銭洋食はお好み焼きに似た食べ物で、だいぶ前に京都に来た時に一度食べたことがあるが、案外癖になる味だったのを覚えている。
さらに進むと正面に八坂神社の赤い門が見えた。そこを右に曲がって東大路通を五条まで南下し、左折すると国道一号線である。左側は徒然草にも出てくる鳥辺山で、いまでも墓地がある。墓地の向こうに清水寺を見ながら坂道を上り、トンネルを抜けると山科で、そこそこ開けた感じのいい街だ。
山科の街中を通り過ぎるとまた上り坂に差し掛かり、トンネルに入る。そこの峠は逢坂の関があったところで、百人一首の歌などにも詠まれている。トンネルを抜けるといよいよ滋賀県に入り、琵琶湖が見えてきた。
京阪電車の浜大津駅まで行き、そこから右折して進むと、左側に大きなログハウスのようなものがあった。ドイツレストランのヴュルツブルクで、ドイツの民家を移築したものらしい。
大津市はドイツのヴュルツブルク市と姉妹都市なのだ。ヴュルツブルク出身のダウテンダイという作家が『琵琶湖八景』という小説を書いていて、その縁だという。中に入ってソーセージでも食べてビールかワインでも飲みたかったが、車なのであきらめることにした。
近江大橋を渡ると、琵琶湖はすぐ隣に広がっている。あとは琵琶湖沿いにひたすら北へと向かって車を走らせた。ところどころに蘆が茂っていて、水鳥の姿も見える。のどかでいい気分だ。
やがて前方に、発電用のような巨大な風車が見えてきた。そこは烏丸半島というところで、陸地が湖にちょっとだけ出っ張っていて、琵琶湖博物館があり、その隣が公園になっている。
そのすぐ近くに道の駅草津グリーンプラザがあったので、まずそこへ行くことにした。田んぼの中にぽつんとあるような感じの道の駅で、こじんまりとしている。
中に入ると、地元の野菜のほかに、琵琶湖の魚の佃煮などが売ってあった。小鮎のほかにモロコ、イサザ、ゴリなど、あまり聞いたことのない魚もある。琵琶湖名物の鮒寿司はちょっと高かったので、鮒の甘露煮とシジミご飯を買って夕食にすることにした。
買い物を終えると、おれは湖岸道路を少し南に戻って、ちょっと広めの湖岸緑地に車を駐車した。車中泊に適しているという情報をネットで得ていたのだが、ほかにも車中泊するらしい車が何台かあった。
俺は湖畔の草の上に腰を下ろし、買ってきたシジミご飯と鮒の甘露煮を食べながら、暮れゆく湖を眺めていた。爽やかな風が吹き、あたりも静かだ。
そうしておれは、自分のこれまでの人生を考えはじめた。人と打ち解けるのが苦手で、友達もできずにいつも一人でいて、学校へ行くのがいやでいやでしかたがなかった。運動も勉強もできず、やっと入った三流大学を何とか卒業し、就職活動もうまくいかなかった。
それでもどうにか拾ってくれた会社でなんとか頑張ったが、成績はさっぱり上がらず、友達も彼女もできなかったのだ。
これからおれはどうすればいいのか、今のところさっぱりわからない。この旅で何か答えが見つかればいいと思った。
そうするうちにふと寂しくなり、なぜか島崎藤村の『椰子の実』の歌詞を口ずさんでいた。遠い島から流れ着いた椰子の実を見て、その孤独に共感し、一人旅の寂しさと故郷への想いをうたったものだ。
おれもそんな孤独をひしひしと感じた。やがてあたりも暗くなり、対岸の町の灯がちらちらと輝くのも、なんとなく物悲しかった。