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1.プロローグ - 会社を辞めて旅に出る

紀行文の形式を取った小説で、登場する地名や道の駅名は実在のものですが、登場人物やストーリーはフィクションです。

 とうとう会社を辞めてしまった。十数年なんとか勤めてきたが、もう限界だった。


 会社が経営不振に陥り、技術職で入社したおれまで営業に回されたのだ。しかし、営業の仕事は人付き合いの苦手なおれにはまったく合わなかった。サービス残業の時間も増えたが営業成績は上がらず、上司には叱責され、社内の人間関係もギスギスしていた。

 休みもなかなか取れず、親しい友人もいなければ彼女もいなかった。おれは一人で悶々と悩み、ほとんど鬱状態になっていたのである。


 そんなとき、仕事帰りに立ち寄った深夜のコンビニで、一冊の旅行雑誌が目にとまった。カラフルな表紙には『全国道の駅めぐりの旅』と書かれていた。

 道の駅というのは聞いたことはあったが、おれはまだ行ったことがなかった。仕事が忙しくて旅行に出る暇もなかったし、運転免許だけは学生時代に取ったものの、ずっとペーパードライバーで車は持っていなかったし、レンタカーを借りてまで一緒にドライブするような彼女もいなければ、誘ってくれるような親しい友人もいなかったので、訪れる機会がなかったのだ。


 雑誌を手に取りパラパラとめくってみると、日本全国の主要な道の駅とその周辺の観光スポットが、華やかな写真とともに紹介されている。

 しばらく立ち読みしているうちに、おれはむしょうに旅に出たくなった。それに、たまにはチェーン店の安い牛丼やカレーやラーメンではなく、道の駅の但馬牛ステーキ定食とか地魚海鮮丼などを食べたいと思った。

 おれは雑誌をカゴに入れ、缶ビールやつまみとともにレジへ持って行った。


 コンビニを出てアパートの真っ暗な自分の部屋に帰ると、おれは万年床に横になって、買ってきた缶ビールを開けて飲みながら、雑誌をめくった。そこには自分がいま生活している殺伐とした寂しい都会の風景とは違った、生き生きとした彩り豊かな世界が広がっていた。


 会社を辞めて、旅に出よう。そう決意した。がんばって十数年も務めたのだから、退職金も少しは出るだろうし、これまでの蓄えも合わせれば、一年ぐらいは働かなくてもなんとか食っていけるだろう。

 だがそのあとはどうするか。何の特技も資格もないアラフォーの男を雇ってくれる会社があるだろうか。

 そのときはそのときだ。アルバイトぐらいは何かあるだろう。

 それにおれにはもう、自分を消耗させていくだけの今の会社勤めの生活は耐えられなくなっていた。旅に出て、これからの人生を見つめ直したかった。何か新しい生き方が発見できるかもしれない。そう思ったのだ。


 翌朝、おれは出社するとさっそく辞表を出した。そして中古車販売店へ行き、格安の小型ワンボックスカーを買った。後部座席を改造して寝泊まりもできるようにした。

 アパートも解約し、不要品は処分して、残りは実家へ送った。住民票も実家へ移した。これで旅立ちの準備は整った。


 部屋を明け渡す日、おれは長年世話になった管理人のばあさんに、別れの挨拶をした。ばあさんも名残惜しそうな顔をした。

「あんたがいなくなると寂しくなるわー。まあ、がんばんなさいね。それはそうと、今日はこれからどこへ行くつもりですの?」

「そうですね。人や建物でごみごみした都会にはうんざりしたので、のどかな山村の田舎とか、行ってみたいですね」

「それなら猪名川の道の駅へ行くとええわ。あそこの手打ちそばはほんまにうまいで」


 猪名川という地名は聞いたことはあった。大阪府の池田市と兵庫県の川西市の間を流れる川が猪名川で、その上流の方に猪名川町という町がある。

 今いる大阪市内からだと、阪急宝塚線で川西能勢口まで行き、能勢電鉄に乗り換えて日生中央という駅まで行くと、そこが猪名川町だ。

 名前からしても、イノシシが出てきそうなかなりの田舎のようだ。実際、シーズンには猪肉も売っているらしい。


「そうですね。わりと近いし、よさそうですね。行ってみます」

 おれがそう答えると、ばあさんはにやりと笑った。

「そうしなはれ。それでついでと言ったら何ですけどね、ちょっと頼みたいことがあるんやけど」

「はあ、何でしょう?」

「日生中央に妹が住んどるんですけどね、届け物をしてほしいんですわ」

 ばあさんはそう言うと、風呂敷に包んだ箱のようなものを持ってきた。

「わかりました。日生中央なら道の駅へ行く途中ですから、お届けしましょう」

「助かるわあ。これ、少ないけど餞別ね」

 ばあさんは五千円札を一枚おれの手に握らせた。おれは辞退しようとしたが、ばあさんがどうしてもと言うので、遠慮なく受け取っておいた。


 それからおれは車に乗り込み、窓から手を振って車を発進させた。バックミラーに映ったばあさんは見えなくなるまで手を振り続けていた。おれは不覚にも涙がでそうになった。

 天気は快晴で、車窓からは初秋の爽やかな風が入ってくる。まさに、いい日旅立ちといった気分で、おれは国道176号線を大阪市内から北へ向かって進んでいった。

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