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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
少女の話
7/26

6

 あっという間に放課後は訪れ、龍に会うことになった。バレーは好きだけどバレー部の先輩が憎たらしいから部活はあまり好きではない。


 学校前にいつものように龍の車は路上駐車していた。部活がないので下校する生徒もいつもより多く、学校の門を越えたら女子生徒はそそくさとスカートの丈を上げ出す。今時、膝が隠れてなきゃいけないなんておかしいわ。


 学校から一歩外に踏み出すと、待ちかまえていたかのように龍はにたにたしながら手を控えめに振った。私はそれを無視する。人前なのにみっともない。


 車の後部座席に乗り込んで、伊藤が来るのを待った。


「今日は学校どうだった」


 目線は校門にあった。学生鞄を足下に置き、唇を尖らせた。


「ふつうよ。いちいち楽しんだりしないわ」


 目線を車の外にやると、笑いながら下校するクラスメイトたちの姿があった。私が別の世界にいるかのようだ。


「友達はいないの」

「いるけど。もしかしていないと思ったの」

「そうじゃないけど」


 言葉に詰まるくらいならはじめから聞かなければいいのに。

「いつも俺とばっかり会ってるからさ。さくらちゃんだって年相応の交流が必要だろう」

「そういう龍はどうなのよ。いつも私や伊藤みたいな年下とばかり遊んでいるじゃない」


 かっとなった。けれど知っている、龍には相応の友人が存在していることくらい。


「俺のことは、今関係ないだろ」


 言葉遣いとは裏腹に口調は柔らかく、幼い子供に向けたものに思えた。それがしゃくに障る。


「私にだっているわよ。友達みたいな存在くらい」


 そうだよね、と龍は自分に向けた一言を吐いた。それから伊藤が来るまで沈黙を貫いた。


 私は知っている。龍には私が知らない友人がたくさんいることを、私と付き合うようになってから交流が減ってしまったことを。



 浮かない顔をした伊藤は車内で陰険な雰囲気を漂わせていた。あまり空気が読めない龍でも察すほどで、おどおどとどもりながら伊藤の様子を伺った。


「別に怒っていませんよ」


 伊藤自身は否定はするが、とても言葉通りには思えない。私は斜め下を向いている顔をのぞき込み


「楽しくいこうよ、ね」


 なんて無理に笑顔を作ってみるけれど、伊藤はそっぽを向くし、明らかにおかしい。


「なんにもないです。気にしないでください」


 突っぱねて伊藤は窓の外を見つめていた。


 伊藤が不機嫌になる理由はいくつか想像できたけれど、決定的な理由には思えなかった。大体、理由になり得た出来事はすべて昨日のことだし、昨日のことを今の今まで引きずっていたなら、誘いを断るだろう。


 それとも奈々子のことだろうか、もしくは龍に関連すること? それらも考えづらいだろう。そもそも、誘ったのは龍である。


「空き家に行くの」


 聞いたら「そうだよ」とハンドルを握ったまま龍は言った。


「あの人は?」

「大丈夫、いないはずだよ」


 そっか、と少し期待を裏切られたような気持ちになった。いや、伊藤がいるし期待もしていないけれど。


「俺の部屋に全部置いてるからさ。あと焼き鳥を仕込んだから焼いてみんなで食べようぜ。ガスコンロは借りてきたから」


 肩を揺らしながらいつもより陽気でいた。


「伊藤も焼き鳥食べたら元気になるよ」


 黙ったまま、頷くこともしなかった。



 空き家の近所にあるコンビニに車を置いてから、車内を出て空き家へ向かう。車内と外気の差が明瞭である、もう夏が近い。


「夏休みになったら、海に行きたい」


 三人で歩く、私が先頭でその次に龍、伊藤と続く。


「去年は行けなかったしな。花火大会にも行きてえな。四人で」


 もう一人が誰なのかは明白だったが、それを指摘するのも野暮だ。


「僕は遠くへ行きたい」


 どんよりとした空気を纏った伊藤はどこかへ消えてしまいそうだった。鈍感な龍は大きな声で笑い出す。


「遠くもいいな。温泉にでも行くか。いい思い出になるぞ」


 私には、伊藤の言葉の意図がわかってしまった。だけど、誰にも言うことはなく、自分自身も信じられないままで黙っていた。


 空き家に入ってリビングで私と伊藤は待つことにした。龍が何もかも準備してくれるのだという。私が手伝おうか、と問いかけても頑なに拒んだ。


 空き家の中で一番大きな部屋の和室に座り込んでいると、伊藤が私をじっと見ていることに気がついた。私は天井を見ていたところだった。


「加藤さんは奈々子さんに似ていないね」


 驚いた。いつも面影があるとか似ているとか言われるのに。


「そうかな。似てるって言われるんだけど。あの人、最近化粧しているからわからないんじゃない」

「もしかして、本当の姉妹じゃないんじゃないの」

「何を言っているの」


 あっ、と伊藤は驚いた。ばかにされているという気持ちと、自分の心の内の願望を見透かされてしまったのではないか、という恐怖であった。


「私とあの人は血の繋がった姉妹よ。何を言ってるのよ」


 ふうん、そうか。とあっさりとした返事の後に、伊藤は自身のスマホをさわり始めた。


「冗談だよ。そんなに怒らなくてもいいだろう」

「最近の伊藤はどこかおかしいわ」

「どういうところが」

「学校は監獄だとかさ、世の中を見下したような、その口調とか」

「おかしくないよ、別に」


 まっすぐな目は、私を罵っているかのようだ。常識を知らない人を攻める目と同じだ。


「おかしくないわけないじゃん。どうしていちいち私に言うのよ。もっとふさわしい相手を探せばいいじゃん」

「僕の気持ちがわかるんじゃないかと思ったから」


 それは、私と伊藤が同種だと言うことなのだろうか。だとしたらきっぱりと否定したい。私は学校を監獄だと思ったことは一度もないし、友達にあなたの姉とは違繋がってないんじゃない、などと無神経な発言はしない。大体、伊藤のような人間ではないのだ。私は、


「一般的な人間なの」


 そうだ。私は一般的で普遍的な女子中学生である。それは誰にも否定できないだろう。


「一般的ではないよ、どこに十歳年上の男性と交際している一般的な女子中学生がいるの」


 しんと静まりかえった。いや、私が言葉をなくしたのだ。遠くの台所から包丁で野菜を切り落とす音がかすかに聞こえる。


「親が新興宗教にはまっているのに、その子供である加藤さんが一般的?」

「信仰は、自由でしょ」


 伊藤の顔がよく見えない。それは私の視界が揺らいでいるからだ。私の声さえも揺れている。


「どうして、そんな酷いことを言うの」

「僕は事実を言っているんだ」

「あんたの好きな奈々子だって、ふつうじゃないのよ」

「いいんだよ、僕もふつうではないから」

「ふつうじゃなくても、伊藤は好きになれるの」


 そりゃあ、好きにはなれるよ。と伊藤は言った。好きであることに属性なんて関係ないじゃないか、と付け加えた。「そんなわけない」と私は言い返す。


「なぜ」


 真顔だった。色白で知性のある男で、私をこんなにも愚劣する伊藤に、勝てる気がしなかった。それはこの言い合いだけではなく、すべてにおいて。だから、憎かった。消えてほしかった。


「そりゃ、私たちはここに生きる文化的な人間だからよ」


 そう言うしかなかった。白旗をあげたのと同義だ。私は己の非を、私の感情を認められない以上、まっすぐに奈々子を愛す伊藤を越えることはできない。だから私は伊藤のことが心底嫌いなのだ。


「あんたなんて、死んでしまえばいいのに」


 それは負け惜しみだった。私の心の奥の、そのまた奥にある深海に沈んでいたはずの感情で、言葉だった。触れたのは伊藤で、私を傷つけたのも伊藤だ。なのに、伊藤はとても悲しそうな表情をしている。今にも泣いてしまいそうな表情で、私を見ている。私がそれに気がついたときには、制服の袖で目元を押さえて嗚咽をしていた。


 可哀想なんて微塵も思わない。むしろ、伊藤がどうして泣いているのかがわからなかった。うずくまってばかみたいにわんわん泣いてる中学生男子をはじめてみた。ちゃぶ台があるせいで伊藤の顔は見えない。見たくもなかったからよかった。


 その声に気がついた龍は「どうしたの」と心の底から心配していた。


「どうして泣いてるの」


 私に聞いた。知らないと答えた。勝手に泣き出したの、私は何も知らないわ、と。


 龍は私に焼き鳥を焼いておいてくれないか、と頼んだ。むしろ一番それを望んでいた。私だって泣きたい位なのに、伊藤に傷つけられたのに、どうして被害者面して泣くことができるのだろうか、それがわからないのだ。いらだつのだ。


 台所でガスコンロの火をつけ、金網の上でじゅうじゅうと鶏のもも肉を焼きながら、あの人のことをぼんやりと考えた。あんな男のどこがいいんだろう、私なら、そう考えてやはり、自分は愚かだと思い知る。白い煙が天井まで到達して台所を包み込んでいた。


 和室から「どうせ僕は透明な存在なんだ」と叫ぶ声が聞こえた。

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