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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
少女の話
6/26

5

 バレーをしているときだけは、嫌なことを忘れられる。体が軽くて球を取ることができるから、楽しいのだと思う。でも、うまくできないならこんなスポーツは苦痛なのだろうとも。


 部活で二年と三年で練習試合をする際に気をつけることは、手を抜きすぎないことである。


 しかし、手を抜かずに試合をしてしまったら同級生からは喜ばれても三年にバッシングを受けるので、私は少しだけ手を抜く。大体、手を抜いたって六割方は二年が勝っているのだけど。


 二年は優秀なのだ。昔からバレーをしていたとか、小学生の時にバレーで地区大会優勝したとかいうメンバーがそろっているので、三年よりずっと基礎ができているし動きも機敏だ。しかし、中学の部活動ではそんなものは二の次で、上級生を尊敬する心や謙遜する気持ちの方が優先される。


 なんてくだらない。


「ぼーっとしてないで球取って」


 私は体育館中に聞こえるくらいの声を上げた。


 すみませんと、同級生なのに敬語で彼女は構えた。私はセンターで、後ろを観察しながらボールがどこへ飛んでいくかを五感で感じ、判断する。


 大きくジャンプしブロックをするときはなんて気持ちがよいのだろう。私のブロックははずさない。だから三年はブロックされないように球を操ろうと必死になる。


 三年が息を切らしはじめた頃、五対九で二年が四点差で勝っていた。そろそろ手を抜いて良いと私は合図を送る。


 結局、一点差で二年が勝った。今にも舌打ちをしそうな顔の副部長は、試合後の令すらせず、貧乏揺すりをしていた。


「ちょっと調子乗りすぎじゃない?」


 短い髪を二つに結んだ副部長は私に向かってそう言った。丁度、部活が終わってネットを片づけているところだった。


「乗っていませんよ」

「わかるんだよね、手え抜いてるでしょ。うちらのことバカにしてるんでしょ、二年の方が強いもんねえ」


 この先輩は週に一度はこうやって、負けたことについてねちねちとしつこく文句を言う。それは去年からずっと続いていて、他の二年からの評判もすこぶる悪い。


「手なんて抜いていません。今日だって先輩方が勝ったじゃないですか。手を抜くならもっと手を抜くことができますし、私たちは先輩方を尊敬しています。見本になっています」


 ネットの紐を解きながら、早口でまくし立てた。多分、この先輩には半分も理解ができていないに違いない。


「尊敬しているならいいんだけどさあ。ま、うちらは三年だし、そりゃあ尊敬されなきゃ困るよねえ」


 足の裏にひっついたガムのような喋り口調は、副部長が嫌われている要素の一つだろう。


「うちらはもう着替えてるから、勝った二年は頑張って片づけてね」


 透明に光る爪をきらきら光らせて、体育館裏に消えていった。


 既に片づけの九割は終了しているというのに、尊敬されたいならば率先して手伝えば良いのに、と三年のいない体育館裏で着替えながらみんなで愚痴を言い合った。


 

 玄関にある靴は一つだけだ。母のサンダルだけ、恐らく母は外出している。いつもミュールを履いて出かけるから。


 あの人の靴は見あたらなかった。靴を確認するのはあの人がいなくなってからの癖で、誰がいなくて誰がいるのかを確認してから、部屋にあがらなければ不快な思いをすると思い知ったから。


 あの人の泣き声なんて聞きたくないのだ。


 ともかく、私は安心して靴を脱ぎ、台所で牛乳を一杯だけ飲んだ。靄のかかった頭で今日の出来事を思い出す。伊藤の台詞を、あの顔を。


 身震いした。怖かったのだ。元々、伊藤は観察力と理解力に長けている。頭がいいのだ。龍と互角に議論ができるというのだから、相当のものだろう。


 唇に人差し指を当てた。


 空想の中では自由でいられた。誰にも縛られず、邪魔されず、監視もされない空間で自由だ。奈々子とのキスも、奈々子との抱擁も、誰にも笑われないし咎めることを許さない。私が許す限りは自由なのだ。


 ほんとうに?


 空になったコップに、牛乳を注いだ。冷蔵庫を勢いよく閉める。


 ほんとうに、私の思想は自由なのだろうか。私は奈々子とのキスや抱擁を許せるのか? 姉であり、同性でもある奈々子への空想を、私自身が許せるというのか。


 そもそも、私は奈々子のことなど好きではないのだ。あんな裏切り者に恋愛感情を抱くはずがない。汚らわしい。憎たらしいただの姉。


 あの人を神聖に考えすぎているのだ。あの人は、ただの女でただの姉だ。私は何を考えているのだ。もっと冷静になれ。このおぞましい感情がばれてしまったら私は生きていけないのだから、これまで通りにしていればよい。


 牛乳を飲んでいる途中で胃が鳴り出し、トイレに駆け込んだ。情けない、情けなくて涙すら出てこない。



 龍からメッセージが届いていた。


「昨日はごめんな。今日ジュースと酒をもらったからみんなで飲まないか(もちろん、さくらちゃんにお酒は飲ませないよ)。明日学校まで迎えに行くからさ。楽しく飲もうぜ」


 違法薬物を売るくせに、私にはとても厳しい。不思議だ。なんだか、悩んでいたのがばかばかしくなってしまった。


「うん。じゃあ、明日は部活ないからよろしく」


 素っ気なく返事をした。これはわざとだ。ほんの少しだけ素直になるのが恥ずかしかったのだ。龍は私に対してはばかで優しいから、腹立つくらい優しいから逆に私がとても恥ずかしくなってしまうのだ。そんなところがたまらなく嫌いだ。



 その日は曇り空の日だった。私は好きでもない赤色の折りたたみ傘を鞄に忍ばせて、朝早くに出かけた。特別な理由もなかったのだが、朝早くに目が覚めてしまったのだ。


 学校では隼斗と信司が和気藹々とおしゃべりをしていて、その楽しげな姿につい、私は交わろうと近づいた。


「何話してるの?」


 げっ、と言いたげな表情で信司は私の顔を穴が開くほど睨みつけた。


「女にはわからん話題や」


 しっしと手で払う動作をする。


「何よ、エロい話でもしてたの?」

「隼斗の家で飼っとる犬の花子の話や」

「男女関係ないじゃない!」


 それは冗談なんやけど、とにやにやしながら信司は言う。信司のことは少しだけ苦手である。彼のペースに巻き込まれてしまうからだ。


「そういえば、信司って関西の人じゃないのよね。どうして関西弁なの」

「それは聞いちゃあかんことやで」


 どうして? と聞くと隼斗がフォローしてくれた。


「そりゃあ、関西に行ったことすらねえもんな」


 はあ? と驚いた感情は抑えきれない。いけないいけない。


「はあ? って失礼な。吉本を見て勉強したんやで。いつかは本物の新喜劇をみたいとおもっとるんや」

「何のために?」

「こっちの方がキャラ立つやろ」


 そんな理由で、と目で隼斗に問いかけたら、笑いをこらえながら頷いた。


「小学生の頃は標準語だったんだよな。中学デビューってやつだろ」


 クラスの人々も「嘘、もっとちゃんとした理由だと思ってた」「しょーもない理由だったんだな」「キャラが立つって」などとひそひそ喋っていた。多分、現在学校内で一番注目されている人物に違いない。


「どうでもええやろ! そんなくだんないことで人をじろじろ見るなや!」


 唇の端をぎゅっと締めても笑いをこらえきれずに、信司にしかられた。


 私と信司と隼斗はクラスでも目立っていたし、常に見られていた。それが不快でもなかったから、場の雰囲気に応じて笑わせたりぼけたりしていた。


 信司と隼斗はよく蓮とも話していたけれど、蓮とはあまり関わることがない。二人の引き立て役、という感じで影が薄かったからだ。容姿は悪くなかったので一部の女子から人気はあったようだけれど、その女子と話す機会がなかったのでよく知らない。


 クラスの陽気な雰囲気は担任の田中がクラスに脚を踏み入れてもなお続いた。田中に事情を話すと彼女もくすくすと笑っていたけれど、信司は不機嫌そうな表情のままだった。


 不機嫌そうに窓の外を見ている信司の表情は、ハイライトが異様に暗く、それでいて冷ややかだった。その表情は一瞬にすぎなかったのがなおのこと不自然だった。やはり、信司の不自然さが苦手だ。

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