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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
少女の話
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3

 龍は奈々子を空き家に一番近いコンビニまで呼び出して、不釣り合いなほど大きなコンビニの駐車場に車を停めた。伊藤と龍は車から出て、ジャージ姿の奈々子の元へ行く。


 こっそりと、後部座席から三人の様子を観察する。見られないように目だけを出して。


 すぐさまスマホのバイブが鳴る。


「そんなに気になるなら来いよ」


 龍からだ。私は返信をした。


「あの人、怒ってない?」


 すると三人は車まで歩いてきた。


「さくら、久しぶり」


 あの人は車内の中で縮こまった私を俯瞰して、にこにこと微笑んだ。だから私は口元を隠して会釈した。


「久しぶり」


 ここまで来られたら車を降りるしかなかった。「ここじゃ何だし、ファミレスでも行くか」


 結局、私はまんまと作戦に引っかかってしまったのだ。立ち話程度なら良いと思っていたのに! 奈々子は助手席に乗り込んで、すぐさまシートベルトを装着した。



 ファミレスは人が少なかった。入店してすぐウエイターがぎょっとした顔になったのは忘れられない。そりゃあ、制服を着た男女二人と明らかに不良だとわかる容姿の男女二人が入店したのだ。驚かないはずがない。


 禁煙席の一番奥にはラッセンの絵が飾られていて、そのすぐ傍にある四人掛けの席に座った。私が一番奥で、その隣が伊藤、私の正面にはあの人がいた。いつだか龍はラッセンが嫌いだと言っていた。理由はあまり覚えていないけれど。


「注文が決まりましたら、ボタンを押してください」と決まり文句を伝えてからそそくさと店員は去っていった。


 奈々子は少女のようなまなざしでいた。私をじっと見ていて、虫唾が走る。


「伊藤君、大丈夫?」


「ええ、どうにか」


 伊藤は頬を染めていた。奈々子はいつものような暴力的な口調を改めているのに、ようやく気がついた。


「ドリンクバーでいい?」


 いいよ、とそれぞれが言うと龍は迷いもなくボタンを押して注文をした。それから飲み物を取りに行ってしまった。私もついて行けば良かったと、後悔する。


「何て言うか、私にいくらでも頼ってね。伊藤君がこれ以上傷ついているのを見たくないよ」

「大丈夫ですよ」


 なにが大丈夫なのだろうか。ちっとも大丈夫ではないだろう。あの人も同じことを考えたのか、顔をゆがませた。


「もう、無理をしなくて良いから」


 ドラマのワンシーンのようだ。ああ、むずがゆい。早くここから逃げ出してしまいたい気持ちになる。二人は手を取り合っていた。


「あんたら、結構仲が良かったのね。もしかして、できてんの」


 二人はぎょっとした顔をしてお互いを見つめ合った。それから、二人とも下を向いた。


 ん? まさかね。


「ちょっと、冗談でしょ。マジみたいな反応よしてよ」

「お前等、できてたのか」


 四人分の飲み物を器用に両手で抱えた龍が、きょとんとした顔で、丁寧にグラスを並べて座った。


「できてるというわけではないよ」


 もじもじと体をくねらせるそいつは、私の見たことのない姿だった。がらがらと、固定概念が崩れていく。


「まあ、手を出したら犯罪だしね」


 私が言うか、それ。


「プラトニックならいいんじゃねえの」


 と龍がのんきな顔をしてコーラを飲んでいる。


「よくないわよ。今は伊藤が受けている虐待を解決しなきゃいけないのに、恋愛なんてしてる余裕ないでしょ。色ぼけが」

「さくらだって龍と付き合ってるだろ」

「僕は」


 伊藤の声で三人は黙り込んだ。


「奈々子さんと一緒にいられるだけで幸せですから」


 この世で一番聞きたくなかった言葉だった。私の醜さを鏡に映し出す言葉で、伊藤の心の美しさを表す言葉でもあった。


 これだから、私は奈々子と会いたくはないのだ。これだから? これとは一体何のことなのか? それは。


「じゃあ二人で勝手に幸せになればいいじゃん。殴られても根性焼きで火傷しても、あの人がいて幸せなら、私らが伊藤に干渉する必要なんてまったくないし」


 こんな嫌みを言うことしかできない自分が大嫌いで、こんな自分を好きでいる龍のことも嫌いだ。


「そんなこと言わなくたっていいじゃねえか」


 龍は何もわかっていないのだ。私の表面すら見えてない。結局、彼は私のことなど好きではないのだ。


「もう、私帰る」


 いつもこうなのだ。だから会いたくなかった。踏んだり蹴ったりだ。


 ファミレスのドアを勢いよく開けた。逃げるように走りながら、まるで私が悪人みたいだなあってぼんやりと思う。


 事実、あの場では私は悪人だった。あの場で私は二人に笑顔を振る舞うべきだったのだ。そうでなくてはいけなかった。


 息を切らして、あてもなく走る。走った先に何があるかなんて知らない。いつも通らない坂道を駆け上がって、胸も脚も喉もじんじん痛み出すけれど、我慢してもっともっと酷使する。


 結論に至るのが、何よりも怖かった。


 もやもやした感情の名前を私は知っている。知っているけれど認めたくはない。なぜなら、認めてしまったらこれまで生きてきた私の人格が死んでしまうことが容易に想像できるからだ。


 薄暗い街に覆うじめじめした空気に、苛立っていた。その苛立ちはどこへ向かうわけでもなく私の中にとどまり続けた。だから私は、私から逃げるように、ただただ走り続けた。コンクリートはしっとりと濡れている。



 けれど、走った先には何もなかった。


 ファミレスから走って、見たこともない標識をあてにして道路の脇を走っていたら、私の住んでいる街の見覚えのある風景が見えてきた。私の知らない景色とか、華やかな何かが見たかったのかもしれない。けれど、この街にそんなものは存在しないのだ。


 いや、存在しないわけではない。高速を走っていけば十五分ほどで高層ビルや地下街が広がる都会もどきが見えてくる。でも、違う。そんなものがほしいわけではないのだ。


 今にも崩れてしまいそうな土砂に斜めに植えられているしょぼい木々の一瞥して、ため息をつく。平坦ではなく手入れもされていないコンクリートを脚で踏みつけた。


 三人は、今何をしてるのだろうか。と思った。既に時間は二十一時を回っていて、空を見上げても星の一つも見えない。月すら雲に覆われていて時折姿を見せるが、ほとんど隠れてしまっている。


 私は一体何がしたかったのだろうか。


 奈々子と伊藤ができてるなんてどうでもいいじゃないか。どうせ。


 どうせ、何なのだろう。私は一瞬頭に浮かんだ空想をかき消そうと必死になる。あんなのおぞましい。何てことを考えているのだ。


 スマホには不在着信が入っていた。それも龍からだけで、さらに落ち込んでしまう。


「加藤じゃん、こんな時間に何してるんだ」


 振り返ると同じクラスの隼斗がいた。


「隼斗こそ、こんな時間にどうしたの」


 げんなりとした表情で塾だよ、と吐き捨てた。


 隼斗のことはなんとなく知っていた。隼斗の母親が私の父親の知り合いということもあって、幼い頃から顔を合わせることが多かった。最近隼斗はこちらに引っ越してきたけれど、その前からの顔見知りではある。


「でもさ、家にいるよりは気楽なんだよ」

「家が嫌なの?」


 二人で並んで歩いた。隼斗は両手をポケットの中に入れていた。


「少し息苦しいんだよな。勉強しろってうるさいし、変な本を読まされそうになるし、ナントカの教えってやつ? いやだいやだ」

「ああ、あれね。私も一応読まされたけど、隼斗がいうほど気持ち悪い本ではないわよ」

「ふうん、そっか」


 どうでもよさそうに隼斗は言った。 


「俺さ、将来どうなるのか不安なんだ」

「どうして」

「そりゃあ、就職や結婚とか。親があれだしさ」


 考えたこともなかった。隼斗は、私と違って生まれた環境を受け入れられないようだ。昔から私に相談することが多かった。


 私にとって父や母が信じ続けているあれは、私がご飯を食べる前にいただきます、を当たり前に言うのと同じくらい日常になじんでしまっているものだし、違和感を感じることもなかった。けれど隼斗は違うようだ。


「信じていないの?」

「そりゃあそうだよ。俺はあんなものに頼らなくても生きていけるし、弱くない」

「楽になるらしいよ」

「それは甘えじゃないか。俺は誰にも甘えたくないんだ。無神論者でいたいんだ」

「日本人だって無神論者ではないよ。それにその根性論だって宗教みたいなものじゃない。都合が良すぎるわ」

「お前も、信じているのかよ」


 隼斗は立ち止まって私を睨みつけた。


 信じているというと嘘になる。けれど信じていないわけでもなかった。正直、どうでもよかったのだ。神様なんているはずないと幼い頃から信じていたし、クラスメイトが「神様、お願いします」なんていうのがばかばかしいなと、思っていたし。


「信じてはいないけど、わざわざ親にいうことでもないし。関係がこじれるじゃない」


 あの人みたいに。


「お前に聞いたのが悪かったよ」


 唾を吐きかけるような目で私をみた。軽蔑しているのだろうか。そんなことすらどうでもよかった。隼斗がヒステリックになることは頻繁にあったし二日も経てばケロっとした顔でまた話しかけてくる。恐らく、親についての相談ができる人が私しかいないからだろう。


「また明日」


 冷ややかな声で言い捨て去った。きょとんとした表情の私は、もう一度、月さえ見えない夜空を見上げて、湿った空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

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