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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
青年の話
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1

 大体さ、俺にはお前らみたいな物語なんて存在しなかったんだよ、そんなことを口にしようだなんて思うことは一度もなかった。だけど、俺は中学、いや小学校の頃から隼斗や蓮のことを冷ややかな目で見ていた自覚はあるんだ。これは今だから言える話だぜ、なんて蓮に打ち明けたら彼は笑ってくれるだろうか。


 昼ごろに、中学の頃の親友からメールが届いて、驚いた俺はとっさにメールを返信した。


「ひさびさだな」


 そう返信したら、「今日、空いてるか」と顔文字一つない文面が返ってきた。それは今日の十三時のことだ。そのとき仕事をしていたから、すぐには返信できなかったけど、俺も久々に旧友と話がしたかったから「じゃあ、飲もうか」なんて心を躍らしながら返信をしたのだ。


 俺は高校を卒業してからすぐに警察官になって、ちょうど去年に入籍した。子供はどうするかとか、結婚式をちゃんと挙げるかとか、そんな話を妻としているところだ。確か、蓮は今年大学卒業だったはずだ。ちゃんと内定は貰えたのだろうか、どうだろう、あいつはなんだかんだで器用な奴だから大丈夫だろうな。


 蓮とは高校を卒業して以来、連絡を取っていない。だから驚いたのだ。今更、メールが届くとは思っていなかったし。もしも街中で蓮を見つけたとしても俺は果たして声をかけるだろうか、いやかけるとは思えない。つまり、それくらいの間柄だ。

蓮は公立の進学校へ進学してから、良い意味で変わってしまったし、遠い存在に思えた。頭のよさげな連中とつるんで、俺みたいな馬鹿とは話したくないと、口にはしないが思っているのを感じ取れた。仕方ないだろう、実際に俺は工業高校へ進学した落ちこぼれではあるし。


 蓮との約束のため早めに仕事を終えてから、定時で上がった。最近はデフォルト関連のことで仕事が増えているのだ。どうしてこんな地方都市を拠点にしたかなあ、勘弁してほしい。


 店は蓮が手配をしてくれたようで、気を使ってくれたのか、警察署の近所にある焼肉屋にしてくれた。ローカルチェーン店の焼肉屋からは炭の燃えた煙の匂いがして、腹がぐうと鳴った。焼肉と聞いたから、いつもより昼飯を少なくしたのだ。


 平日の夕方は客が少なく、客は一組のカップルだけだった。わざわざ個室を選んでくれたのか、と店員に案内されながら思った。


 木製の扉をがらがらと開くと、メニューを眺めているみずぼらしい青年がそこにいた。それが蓮なのだと認識するのに五秒ほどかかってしまった。顔を上げた蓮は口元だけ笑って久しぶり、と改めて言った。戸惑ってしまった俺は、軽く会釈して蓮の正面に座った。


「蓮ってそんな顔だったっけ」


 きょとんとした顔の蓮は


「変わってないと思うけど。ただ、今日は三時間しか寝ていないからさ」

「眠れない理由があったのか」


 まあ、と言葉を濁す。薄々感づいていたのだ。どうして今更俺を誘ったのか、それは今ニュースで騒がれているデフォルトのことが気になるからではないのか? 


 大学生くらいの女性店員がおしぼりとお冷を持ってきて、蓮は「とりあえず生二つ」と「カルビ二つとホルモン二つ」を注文した。俺はまた後で注文することにし、蓮はメニューを渡してくれた。


「最近どうよ」


 就活の話でもしてくれるだろう、と蓮に聞いたら、心ここに非ずと言った感じで唸って「わからない。考えられないんだ」


 そう水を口にした。じゃあ、どうして俺を誘ったのだろうか。考えられないような状況なら家で安静にしておけばいいのに。


「就職はどうなったんだ」

「東京の上場企業に決まったよ。だから再来月には東京のアパートに引っ越すんだ。でも」


 俺はでも? と聞きながらおしぼりで手をぬぐった。


「正直、そんなことがどうでもよくなってきたんだ。くだらないよ、就職とか、人生とか」


 内心、馬鹿なんじゃねえの、と思った。中学の頃から変わった奴というか、流されやすい奴だとは思っていたが、ここまでとは。ふわふわしているのだ。それでいて良い子ちゃんだから、救いようがない。傍

から見ればまともな青年にしか見えないから、周りも自分も危機感を覚えない。


「今は大事な時期だろ。新卒は一度しかないんだからさ。何で悩んでいるのか知らないが、もっと冷静になった方がいいぜ」


 女性店員は生ビールを机に置き、すぐにカルビとホルモンを持ってきてくれた。俺はついでに「タン二つと豚バラ一つとサラダ」を頼んだ。茶髪に染めた髪を高いところで一つに結んでいる女性は、さわやかに「ごゆっくり」と出て行った。


「とりあえず、乾杯」


 蓮の持っている手は震えていて、今にも泡がこぼれてしまいそうだったから、腰を浮かせて近くに寄ってから乾杯をした。


「信司は、今どうなんだ」

「去年入籍したよ。同じ職場の子で、一つ年下なんだ」

「それはおめでとう」


 そうか、俺は蓮に入籍報告すらしていなかったのか、としみじみ思った。蓮はカルビを網に乗せながら


「加藤って名前知ってる?」


 と暗い表情で問いかけた。おう、と頷く、勿論知っている。知らないわけがない。


「デフォルトの幹部の姉妹で、うちの中学の卒業生だろ。勿論知ってるよ。お前仲良かったよな」

「どうだろ。俺も良く覚えていないんだけど、あの子の姉と遊んでいたんだ。当時好きだったのかもしれない」

「深入りしなくてよかったじゃねえか、大やけどするところだっただろ」


 そう、デフォルトの活動が過激になりだしたのは、ちょうど俺や蓮が中学三年になった年のことだった。今はまだ調査中ではあるが、暴力事件や違法薬物売買はそのころから盛んに行われだしたと耳にした。


「蓮は、デフォルトのことを悪だと思う?」

「そりゃあ、悪だろ。人が死んでるんだぜ。それも何十人と。浄化だか何だか知らねえが、人が人を殺めることは悪以外の何物でもないだろう」


 ひょっとして、蓮はその価値観を疑っているのだろうか。だとしても、どうして俺に聞くのだ。もっとふさわしい相手がいるだろう。大学の友人とかさ、社会学だか哲学だかわからねえが、そういう学問に精通した相手なんてごまんといるんだろうに。じゅうじゅうと肉汁を垂らしているカルビを、たれの入った取り皿に入れた。


「俺さ、一昨日逮捕された、五十嵐龍や加藤姉妹と仲が良かったんだ。あいつら良い奴だったよ」

「そりゃ、まだ罪を犯してない頃の話だろ。お前どうしたんだよ。正気か?」


 俯いた蓮は焼き目のついたホルモンを皿に取った。


 さっきの女性店員がタンと豚バラ、あとサラダを持ってきてくれた。後でまた注文するので、と頭を一つ下げた。


「そういえば、信司って関西弁じゃなくなったのな」


 俺は顔から火が吹き出しそうになった。あれはダメだ、一時期の気の迷いだったのだ。そうか、蓮はあの頃の俺しか知らないんだもんな、仕方ないけどよ。


「忘れてくれ。あれは俺も思い出したくねえんだよ」


 ははは、と乾いた笑いを浮かべて


「信司にもそういうのあるんだな」と言った。

「俺のことをなんだと思っていたんだよ」


 笑いながら、タンを網に並べる。


「そりゃあ、お調子者でよくわかんない奴って感じかな。幼馴染だけど、信司のことをあまり知らないような気がしていたんだ」


 ふうん、と口にした。お前はわかりやすかったぜ、清々しいほどいろんなものが丸見えだったよ、なん

て言うことはできない。


 当時の蓮は確かに荒れていた。不良的な荒れ方ではなかったが、心が荒んでいた。それはそばにいたら感じられるほどのものだったし、おそらく隼斗も感じ取っていただろう。だからわざわざ口にしなかった。


「俺は単純なんだがな。感情は一貫してるよ」


 それはわかるよ、と控えめに微笑んだ。


「何だろうなあ。ときどき、ふっと遠くを見たりするじゃんか。あの愁いを帯びた目とかが当時の俺には恐ろしかったんだよ。リンチされても殴られっぱなしだったしさ」


 確かに、今思えばどうしてあのときにやり返さなかったんだろうと不思議だ。やり返したらややこしくなるし、自分にも責任が降りかかることを理解してはいたのだろうが、それにしたって、不思議だ。今なら構わずに殴り返しているに違いない。目についてはわからない。おそらく腹でも減っていたのだろう。


「本当に、中学の頃みたいだ。懐かしい」


 蓮の表情のほうがよっぽど愁いを帯びていた。


「隼斗のことは知っていたっけ」


 カルビを頬張りながら蓮は首を振った。そうか、と俺は生を一口飲んでから、机に置いた。


「あいつの親がデフォルトの信者だって知ってたか?」


 え、と蓮はぎょっとするほど大きな声を上げた。それは本当か? と身を乗り出す。


「この間、保護された信者の中に隼斗の両親がいてよ、俺も驚いたよ。そういえば隼斗から親の愚痴を聞くことはあったが、まさかデフォルトの信者だったとはな。その後に隼斗にも会ったよ」


 俺はメニューを開いた。ここまで反応が良いとは思わず、少しばかり焦ってしまった。


「あいつ、やつれててさ。高校卒業以来話していなかったから知らなかったけど、今は無職で精神的に参っているらしくて、入退院を繰り返してるんだってよ。親が信者だから頼る当てもないんだ、と相談されたが俺だってどうにもしてやれねえし」


 お前はちゃんとしてくれよ、と付け加えたら、曖昧な返事をした。もう、蓮に干渉するつもりはないが、旧友が悲痛な人生を歩んでいく様を見たくはない。


 机に置かれているベルを鳴らすと、今度はハチマキを頭に巻いた男性店員が訪れた。上カルビと生二つ、あとハラミとロースを注文した。サラダを取り皿に取り分けて、蓮に渡した。


「お前も食うだろ」


 首を縦に振った。少し覚ましても、湯気が立ち込めていたし、猫舌の俺にとっては十分熱かった。生ビールを飲み干して、一息つく。


「どうして、今日は俺を誘ったんだ?」

「どうしてだろう。ニュース見てると、中学の頃のことが懐かしく思えてさ。連絡が取れたのが信司だけだったんだよ」


 店に入ってすぐに比べると喋るようにはなったが、やはり、離人的な危うさを感じざるを得なかった。


「ニュース見て、仲が良かった三人のことを思って、もしも、俺が止められたらなんて馬鹿なことを考えちゃったんだよね。だって、彼女は俺に関わったら危険だと言ったんだよ。もしも、あの頃の俺がこっち側の世界に引きずりこめたなら、加藤さんにリュウさんと付き合わないほうが良いと強く言えたら、リュウさんには、まだ若いんだから道を踏み外しちゃいけないって真剣に向き合えれば、もしかしたら、こんなふうになっていなかったかもしれない」


 こいつは、馬鹿だ。変われるはずがないのに、己を責めるなんて。たった数日間だけ親しくした人間なんて忘れちまえばいいのに。今までどうせ忘れていたのだろうし、そのまま見て見ぬふりをすればいいのに。こいつは馬鹿だ。かわいそうなほどに。


 それに、三人は蓮がどう助言しようと強く言ったとしても、いずれは不幸の道を歩んでいたことだろう。そういう運命なのだ。もしも、変わることがあるなら、俺の目の前にいるしょげた顔の男が、その三人の仲間入りをしていたかもしれない。仮に、運命を変えられたとしても、今はもうどうしようもできないのだ。加藤さくらは自殺したし、もう二人は警察に捕まっている。どれほどの罪になるかは定かではないが、数年じゃシャバに出られないだろう。


「蓮が罪を感じる必要はねえよ。あいつらの罪だ。だからあいつらが背負うんだ。隼斗も自分を責めていたけど、俺にはお前らの気持ちはこれっぽっちもわからねえな」


 注文した食べ物が届いたけど、どうにも食欲が出なくて、生ビールで肉を流し込みながら胃に詰め込んでいた。肉はうまいのに、こんな湿気た話をしていたら、上手い飯もうまく感じなくなってしまう。今にも泣き出しそうな顔の蓮を目の前にして、行儀悪く肘をついた。泡だけが減った生ビールに、一口だけ口を付けた蓮は


「俺、卒業したら結婚する予定の女性がいるんだ」


 悲劇のヒロインみたいに弱々しい声で言った。


「じゃあ、もっと甲斐性のある男にならなきゃな。お前が結婚するって言うんだから、いい女なんだろ。な、がんばろうぜ」


 酔っているからだろうか、いつもはとうてい口から出てこないような台詞が自然と口にできた。


「がんばるよ」


 引きつった頬はふるふると痙攣していた。酷い顔をしているぞ、とからかうこともできず、これからの蓮の将来が垣間見えたような気がして、気分が悪くなった。


 けれど、俺はもうこいつや隼斗に直接、友人として関わることはもうないだろう。そんな予感がした。


 それは俺が蓮や隼斗のような人と関わりたくないからとか、蓮や隼斗が俺と関わりたくないからとか、そんな複雑なことではなく、もっと単純だろう。ただ、俺と彼らの所属している場所が変わってしまったというだけの話で、変わってしまった者同士は深くかかわるのが困難というだけの話だ。ただ分断されてしまっただけだ。


 二人には物語があって、俺は物語を持ち合わせていない。俺はときどき、物語が恋しくなったり欲しくなることがある。しかし、物語を得た人生は困難で、苦しくて、きっと孤独なものなのだろう。あの三人もまた、物語を持ってしまっただけなのだ。蓮も隼斗も、自己を持って、自分を追い、責任を持つからこそ苦しんでしまうのだろう。あいにく俺にはその自己というものがひどくあやふやで、プライドだって見せかけの張りぼてだ。今の職が首になりそうなら、いくらでも残業するし、いくらでも頭を下げるだろう。それは物語を持ち合わせていない俺の、数少ない大切なものを守るためだ。自分の感情なんてものより、社会的地位や周囲の人間が大事に決まっている。だから自己と物語を持ち合わせた人間は勝手だというつもりはないが、今の時代じゃ、まっとうに生きるならそんな生き方はできないはずだ。


 焼肉屋を出た後、薄暗くなった歩道を、二人でのろのろと歩きながら、


「いつかまた飲もうな」と見覚えのある笑顔を浮かべている男が隣にいた。俺は、そいつの顔すら見れないまま


「そうだな」としか言えなかった。月は満月で、誰の元にも平等に輝いて、薄暗い夜道を照らしてくれて

いるような気がした。でも、薄暗い夜道を照らしているのは、月ではなく、建物や車の明かりで、たぶん、俺たちの道を照らしているのも人為的なものなのだろうな。


 お前はどう思う? と隣にいる男に聞こうとしたけれど、そいつはぽっかりと浮かんだ月を見つめていたままだったから、俺は目を伏せた。

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