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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
少年の話
23/26

11

 起きたらもう夕方になってしまっていた。窓の外はどんよりとした雲が覆っていて、小学生が下校していた。俺は自室から出たくなくて布団の中にもぐり続けていたかった。どうせまた父がリビングを散らかしているだろう、それを片付けなくてはならないだろうから。体はずっしりと重たく疲労が抜け切れていないのだと見え思って知る。


 遠くの方でチャイムの音が鳴ったのが分かった。俺の自室は玄関から遠くにあるのでかすかにしか聞こえない。父が大きな声を上げて出て、陽気に話す声が聞こえた。無職だというのに夕方に家にいて負い目はないのだろうか。と布団の横にあるスマホの時間を確認していたら誰かが扉をノックした。


「蓮君、入ってもいい?」


 それは加藤さんの声だった。いいよ、と返事をしたらすぐに扉を開いて、きょろきょろと辺りを見渡した。何だよ、とため息をつくとごめんごめん、と反省もしていなさそうな人懐っこい笑みを浮かべた。


「なんだか、男の子の部屋って感じがして」


 野球選手のポスターやグローブ、動物図鑑やゲームが棚や机に並べられている部屋は普遍なものだろう


「そういえば野球部だったよね」

「やめたけどな」

「確か一年でレギュラー入りしていたよね、もったいないな」

「俺は協調性がないからな」


 無理してへらへら笑った。思い出したくなかったのだ。だから笑ってどうでも良さそうな表情を作ってさっさとこのくだらない雑談を終わらせたかった。


「そうそう、今日の宿題と明日の時間割を持ってきたのよ」


 加藤さんは猫のキーホルダーが付けられた学生鞄をカーペットの上に置き、やけに膨らんだクリアファイルを俺に渡した。


「隼斗と信司が大変なことになっているわよ」

「そんなこと、知っているよ」

「そうじゃなくて」


 苛立った口調の加藤さんは首を横に振った。


「今日のこと。警察沙汰になったのよ」


 その言葉で俺の体はかあっと赤くなり、体の血液がすべて逆流したかのような錯覚を覚えてしまうほどだった。


「何があったんだ」


 喉は締め付けられ、思った通りの声が出ない。


「校門のそばで信司と隼斗が、あの、ぽっちゃりした主犯の男いたじゃない、あいつを襲ったのよ。隼斗はサバイバルナイフを持っていたみたいで、近所の住人に通報されたみたい」


 目眩がする。もしも俺が休まなければ止められたのだろうか、と考える。いや、休まなかったとしてもクラスの状況を止めない限り、避けられなかったのかもしれない。


「どうして」


 それしか言えなかった。


「これまでのことをどんなに訴えたって、現行犯で連行されたらどうしようもないし、監視カメラがあるわけじゃないから」


 加藤さんは、多分大事にはならないとは思うけど、と付け加えた。加藤さんは立ったままだったので、小さな座布団を渡して座りなと言った。


「ありがとう。意外と気が利くのね」


 どこか棘のある言葉に思えた。俺のことををなんだと思っているんだ、と冗談混じりに言った。


「何か、あの人に少しだけ似ているような気がしたの」


 一瞬だけ、ひどく冷ややかな表情になったような気がしたが、瞬きをするといつもの加藤さんに戻っていた。


「あの人?」と聞いたらなんでもないわ、と顔を逸らして、信司の名前を口にした。

「あいつプライドが高いけど、いつか壊れてしまうわよ。あなた友達なんでしょ」

「友達だからどうしろっていうんだよ」


 俺が体を張ってどうにかしろとでも言うのか、友人だからといってそこまでしなければいけないのか。


「プライドを折るしかないでしょ、学校を休ませるか、ゴリラに協力してもらうの」


 加藤さんの提案は俺の予想したものとは、大きく反したものだった。


 クラスメイトたちは意固地になっているのではないか、と加藤さんは言う。だから、一度信司や隼斗が傷ついた素振りやお手上げだという態度を見せてやる。メディアでも伊藤の死といじめは無関係だという論調に切り替わって、現在は虐待が原因ではないかと報道されつつあるようだから、一度流れを変えてしまえばまた元のクラスに戻るのではないか。という考えらしい。


「ゴリラは隼斗や信司に協力的なようだし、休むことで内申が下がることを心配するなら保健室や空き教室に登校することだって可能なはずよ」


「確かに良い考えかもしれない。正直、隼斗はもうそろそろ限界みたいだ。遅刻する日が増えているし心身共に限界が近づいてる。ただ信司は」


 加藤さんは下を向いた。そう、杞憂しているのは信司のことなのだ。俺も加藤さんも同じことを考えている。


「やるなら、今から連絡してみようか。俺ももう動けるからファミレスかマックあたりで話してもいいぜ」


「そうね、それがいいわ。私、あの二人のアドレスを知らないから、連絡してもらってもいい?」


 俺は頷いた。



 俺はアプリケーションから信司に通話をかけた。緊張している俺とは裏腹にアプリの発信音は間抜けで気楽な音だ。


「何や」


 三十秒ほど経って信司は通話に出た。


「俺だよ、俺」

「オレオレ詐欺は間に合っとるんで」

「違うわ、蓮だ。ふざけるなよ」


 二人でげらげら笑った。こういうアホみたいなノリが恋しかった。


「こういうの久しぶりだな」

「俺いじめられとったもん、陰湿な雰囲気の中じゃ笑いも生まれへんわ」


 加藤さんは俺をきっと睨みつけた。早く話せとの催促のようだ。


「今日、警察にお世話になったんだってな」

「ああ、大したことちゃうで、あのデブに借りてた消しゴムを返そうと鞄を開いたら、サバイバルナイフが鞄に混入していたらしくてな。たまたま警察が見回りしとって勘違いされただけや。不思議なこともあるもんやな」

「もう、降参しようぜ」

「何に?」


 俺は口に出すのを躊躇した。でも言ってしまわなければならないことは明白で、言わなければ二人はこのままいじめられ続けるのもわかっている。


「クラスの奴らにさ。毎日殴られたり蹴られるの辛いだろ。もう立ち向かうのはやめにしてさ。ゴリラに協力を仰げばどうにかなるだろ。一度休もうぜ」

「蓮は何もしとらんし、何もされとらんだろ」


 鋭い言葉に、信司の顔を容易に思い浮かべることができて、顔がかあっと赤くなる。


「でも、友達だろ。心配なんだよ。伊藤みたいになったら、俺悲しいぜ」

「お前は何を知っとるんや」


 大きな声はスマートフォン越しに部屋に響いて、加藤さんはびくりと跳ね上がった。


「気持ち悪いわ、友達ごっこの青春ドラマでもしたいんか。俺は伊藤じゃねえし、自殺もせんわ。俺がそんなことをする弱い人間やとずっと思っとったんか。残念やわ。お前、俺の何を見とったんや」


 まくし立てる口調に呆気にとられて、返事もできない。手があからさまに震えて、今にもスマホを落としてしまうそうだ。


「加藤にはきいつけよ、あいつは信用ならん」


 小さな声でつぶやいて通話を一方的に切った。


 目の前にいる加藤さんは心配そうな顔をして手を握りしめていた。


「大丈夫だった?」


 うん、と上の空で答えた。


 加藤にはきいつけよ、と言葉を思い出して加藤さんを見る。今にも泣き出してしまいそうな表情をした加藤さんは俺の手を握りしめて


「よかった」


 何度も何度も言った。大きな声が聞こえたから驚いて、と付け加えて、今日はもう帰った方がいいかな、と俺の顔色を見て聞いた。


 うん、と頷いた。加藤さんの表情が暗く鳴っていく気がしている。「わかった。じゃあもう帰るね。お大事に」とポニーテールを垂らしてお辞儀をした。


 じゃあ、明日ね、と俺も手を振った。振ってから加藤さんが扉を閉めたことを確認してからベッドに横になった。


 様々なことが起こりすぎてわけがわからないのだろう。そうだ、ただそれだけだ。


 あの純真無垢な表情を疑えと言うのか、あのクラスメイトや田中ではなく加藤さんを信用できないと信司は言ったのだ。


 いつのまにか大きな太陽は山の裏に沈もうとしていた。ビルの谷間のもっと先にある山脈の影に落ちていく夕日を見て、なぜだか大声を出して泣きたい気持ちに駆られた。泣くことはなかったけれど。

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