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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
少年の話
21/26

9

 俺と信司と隼斗はバラバラで帰った。特別な理由はないけど、なんとなく話したくなかったのだと思う。俺も二人にどんな顔で話せばいいのかわからなかったし、それは二人も同じだったのだろう。


 自宅に帰ったら、今日は誰もいなかった。部屋も朝と同じように整えられていたし、部屋の明かりもすべて消してあった。窓の鍵もかけてある。


 喜ばしいことなのに、どこかもやもやするのはどうしてだろう。自室の勉強机の上に鞄を置いて、今日の晩御飯の買い物のために外出をした。


 帰り道、やはり奈々子さんのいる空き家へ向かう。彼女は今日もいるのだろうか。雑草を踏みつけて、石段を上がりドアを叩く。しかし反応はない。もう一度叩く、はやり反応はなくしんと静まり返っていた。


 そりゃあ、奈々子さんもまだ二十代の花盛りで青春真っ盛りなのだし、いつも家にいるわけもないだろう。当たり前だ。


 そう言い聞かせて、自転車を押しながら自宅へ帰った。



 テレビのニュースを付けると、うちの学校の話題とどこかの新興宗教の話題で持ちきりだった。若年者が新興宗教にはまり込んで借金を背負う等というトラブルが増えているのだと、ニュースで解説していた。


 そういえばリュウさんは違法薬物の売人らしいけれど、彼は警察に逮捕されないのだろうか。ひょっとして既に逮捕されたことがあるのだろうか。


 知らないことは沢山ある。俺はテレビを消してスマートフォンの電源を付けた。


 知りたいことも沢山あるが、それを知って幸福になるかどうかは別の話なのだろう。


 

 寝坊して遅刻ぎりぎりに登校し、教室へ走った。教室の扉を開けると、全員が俺を見た。教壇の前で皆が円状に囲んでいた。その隙間から誰かの足が見えた。


「何をしてるんだ」


 悪意や疑いはなく聞いた。一部の女子は自らの席に逃げるように戻り、中央にいる信司が見えた。信司は横たわって鼻から血を流していた。その信司の顔に拳を突き付けようとする男子五人が、じっと俺を見ていた。


 頭がくらくらする、どうしてそんなことをするのか。信司が何をしたというのか。


「信司に何してんだよ」


 声のボリューム調整ができないほど、混乱していた俺は叫んでしまった。


「見りゃわかるだろ、制裁だよ」


 正気なのか、と思った。その男は一度信司の頬を殴った。


「こいつ抵抗しねえからさ」


 信司は元々は口こそ悪い不良だが、誰かに暴力をふるったことは一度もなかった。怒鳴ることはあった。だが信司が怒鳴る時は何かしら正当な理由があるときだけだったし、彼は彼の正義に従順で、素直だったのだ。俺は信司を殴っている男を思い切り殴ってやりたいと思った。しかし、それでは場の収集がつかないこともわかっていた。


 俺は、職員室にいる先生の所へ行き、助けを求めることにした。口げんかならまだしも殴り合いのリンチだ、先生も放置することなどできないはずだ。


 できないはずだと思っていたのに。


 担任の田中を教室に連れて行くと、まだ奴らは信司を殴っていた。田中は、無言を貫いた。


「どうにか言ってやってくださいよ」


 田中はそれでも何も言わない。「あんた先生だろ」という言葉で田中は涙ぐみ、気の弱い「やめなさい」を浴びせたが、そんな言葉では動じない。


「何してるんだ」


 そんな様子を見かねてゴリラは現れ、信司から奴らを引きはがした。信司の流血に気が付いたゴリラは大きな体に体重を預けさせ、保健室まで運んで行った。ひとまず、俺は安心したが、やはり異常な状況には変わりなく、弱々しく抵抗しない信司の情けない表情をただ幾度も幾度も思い出した。



「何があったの」


 騒がしいクラスの様子に疑問を抱いたらしい加藤さんは、信司の席に座って、小さな声で問いかけた。窓際の周囲には俺と加藤さんしかいなかった。扉側に固まって聞こえないほど小さな声で話しているた。奴らの声すら聞きたくない。


「信司がどうかしたの、隼斗は?」

「隼斗は今日休みなんだって」

「信司は?」


 スポーツタオルを肩にかけてそれで汗をぬぐいながら、悪意のない加藤さんは顔をしかめていた。


「殴られて、保健室にいる」

「どうして、信司のそばにいないの」


 口ごもった。ついていくべきだったのだろうか、いや、俺がどうにかできることではないだろう。


「親友なんでしょ」


 だから、何だというのだ。


「そばにいて解決する問題じゃないだろ」

「蓮は冷たいよ」

「どうして加藤さんにそんなことを言われなきゃならないんだ」


 加藤さんはきょとんとして首をひねった。さも当たり前のことを聞いてるかのような顔をして


「どうにかなるとかならないじゃなくて、気持ちの問題じゃない」


 平気な顔をして言う。俺は全然平気ではなかった。まるで、お前には思いやりがないと遠まわしに言われているようで。


 あの時、信司が殴られていた時に、俺は力ずくで止めるべきだったのだろうか。信司はその選択を求めていたのか? 一瞬でも、止めようとしなかった俺に幻滅しただろうか。


 理想の親友であるべきだという道徳観が脳裏に張り付いて、ふわさしくない俺がいる事実に直面していた。何より恐れていたのは加藤さんのような存在だ。純粋な瞳で、素朴な疑問として彼女は問いかけるのだ。


 それはなんて、なんて、恐ろしいことなのだろうか。


「保健室に行ってくる」


 俺は立ち上がった。この選択は自分を守るためのエゴだということくらい、理解はできている。  



 信司は保健室のベッドに横たわっていて、ゴリラがなぜか付き添っていた。会話を交わしていたようだが、俺が室内に入った途端にやめたので、内容は分からない。


「どうして来たんだ」


 ゴリラの言葉にぞくりとした。


「心配になったので」


 つぶやくとそうか、と平坦な口調で言った。それからパイプ椅子を用意し始めた。保健室のカーテンは閉められているため薄暗い。ベッドにいるのは信司だけだった。


「山岡がどうしてあんな状態になっていたのか聞いてるんだが、話してくれなんだ」


 いつもクラスで大口叩いてる不良が無抵抗で殴られている様はゴリラにとっても、目をそらしたくなる情景だったのだろう。眉をしかめたゴリラの目は悲痛で満ちていた。


 いつもしかめっ面で威張ってる男とは思えない表情だった。


「俺はあいつらと同じになりたくないだけです」


 いつだか「暴力をふるう相手に暴力で返すのは同じ土俵に上がることだ」と信司は言っていた。だから、殴られるのが一番賢いのだとも。


 ゴリラは納得したように腕を組んだ。


「あの空気はなんだったんだ」

「それは僕にもわかりません」


 俯いたゴリラの顔はとても落ち込んでいるように見えた。


「大したことはありませんよ。ただ馬鹿がピエロに煽られてパニックに陥ってるだけです」


 信司は布団をはがし、あざだらけの足を床に下した。「授業がありますから」と標準語に戻った信司の冷ややかな声は、空っぽの保健室によく通った。


 真剣に前を向いて、シューズを履いた信司は右足を引きずりながら教室へ戻ろうとした。俺は、信司の体を支えてやることしかできなかった。



 教室はホームルームの最中だった。扉を開けると一斉に俺と信司をぎょっと見た。バケモノや珍しい動物を見るような、好奇心の目で凝視されるのは気分が悪かった。


 田中はおどおどとした表情と落ち着きのない両手で小さな手振りをしながら、信司から目をそらそうとしていた。それはあまりにも大げさすぎて違和感を誰しもが感じざるを得ないものだ。


「そんな顔するんやったら何か一言くらい声をかけてもええんじゃないですか」


 信司の似非関西弁は健在だ。目の前にゾンビがいるのかと疑うほど青ざめた顔をした田中は「はい」と、蠅の音ほどの小さな声で言った。


 この後のクラスの雰囲気はあまりにもじめじめとした雰囲気を保ったままだった。それをうまく説明することはできないが、とりあえず確定したことは信司が悪者にされていて何かが計画されているというこ

とだ。


 信司も感じ取ったのだろう、周りをきょろきょろと見渡していたし、何かをメモしていた。混沌とした空気に田中は触れぬように努めていたし、クラスの人間は俺と信司に気づかれていないと信じ込んでいるようだ。


 遠くで鳴く烏の声が別の世界のもののように感じられたのは、俺の心が荒んでいるからなのだろうか。



 信司は右足を引きずりながらも「バイトをするから」と言って急いで帰った。休みたいけど急に休むのは迷惑だから、と言ってすぐに別れた。


 もやもやは晴れずにいた。原因は信司のことだろう。家に帰ったらまた父が部屋を散らかしているに違いない。最悪、喧嘩に巻き込まれてさらに憂鬱な気分になるだろう。


 奈々子さんは今日、いるだろうか。 



 どうしようもないことはどうしようもないのだと、母は昔言った。それは父の爪を噛む癖や母のあかぎれのこと、そして俺が塾に通うことのできないこと。どうしようもないことは諦めることが一番で、諦めずに希望を持ち続けるのが一番不幸なのだとも。


 だけどそんなのあんまりじゃないか、と俺は言った。世の中を簡易化しすぎている、諦めずにいたらいつか報われるはずだ。


 母は抑揚のない声でそんなに甘くないのよ、とテレビの電源を入れた。

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