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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
少女の話
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 六月二十日、とへたくそな字で黒板のはしに書かれた文字を誰が書いたのか、そんなことはどうでもよかった。ただ、その字は誰かの書いた字に酷似していたのだ。


 それは誰だったのか。確か、私の家族だったような気がする。あの人はとても字が下手で、救いようがないほどだった。蛇のような字、という比喩がぴったり合っていた。


 そんなへたくそな字をあの人は気に留めることをしなかった。「そんなの人それぞれでいいじゃん」なんて言葉を、悪びれもなく言ってしまう人だ。私は「あんたのことを考えて言ってるんだよ」と決まって言うのだけれど、あの人はそんな言葉を聞こうとしない。


 どうしようもない人だ。


 私はあの人のことが嫌いだ。家を捨て、ばかみたいな人とばかみたいなことをして、ばかだからそれに適応してしまう。そんなところが心底嫌いだ。反吐が出るわ。


「加藤さん」


 教室の入り口の席でぼんやりとしている私に、声をかけたのは伊藤だった。学校で私に声をかけるなんて珍しい。


「今日、三人でカラオケ行こうって龍さんが言っていたよ」


 龍さんとは私の彼氏のことである。伊藤と龍とは古い間柄で俗に言う幼なじみだ。


「いいけど、今日部活あるよ。待っててくれるの」


 伊藤は困ったような顔をして大きく頷いた。うん、待ってるよ、とそいつは芯のない声で言った。



 伊藤のことはあまり好きではない。あいつは見ていて腹が立つからだ。龍のこともあまり好きではない。龍は自分を持っていないから。


 二人のことは好きではないけれど、一緒にいて気が楽なので惰性で付き合い続けている。


 龍は体つきは良いし、高価なものをプレゼントしてくれるから、恋人であり続けているけれど。正直熱は冷めてしまっている。大体、イケメンでもあんな格好の男と手をつないで歩くのは気恥ずかしい。私の容貌が派手ではないからなおさらだ。


 やっかいなことに龍は心の底から私を愛しているらしい。私が冗談半分で「別れようか」というと、冗談だとわからずに泣き出してしまうのだ。


 ああ、何て面倒な男だ。いつもくどくどと愛の言葉をささやくし、ウザい。


 あの人に相談したらどんなことを言うだろうか。


「あんたのことでしょ、好きにしなよ」


 声や表情、仕草までありありと思い浮かべることができる。セブンスターをふかしながらどうでもよさそうな顔をするのだ。マスカラがむらなく塗られたまつげを伏せて、


「ただ、龍はいい奴だよ。あんたを泣かすことはしないだろうよ」


 なんて寒い台詞を吐くのだ。


 ああ、むず痒くなってきた。あの人のそんなところが嫌いだ。私と七歳しか違わないのに大人ぶって逸脱者ぶって、腹が立つ。


 そんなことをあの人に言ったら


「考えすぎ」と笑われるに違いない。あの優しくて綿菓子みたいな、格好にそぐわない幼い笑顔が何よりも大嫌いだ。


 

 部活が終わって校門へ出ると、龍のハイエースが学校前の道路に駐車していた。龍のハイエースは仕事用でもあるらしく、私としてはどんな仕事をしているのかが、気になって仕方ないけれど、今日の今日まで仕事の内容を明かしたことは一度もない。

そういえば、いつだか違法駐車だと注意されたことがあった。人を待っているのだと弁解したら許してもらえたようだけれど。中学の前に停まっているハイエースに乗った龍が「人を待っている」なんて怪しいことこの上ない。


 私は後部座席に座り込み、シートベルトを締めた。隣には伊藤が背筋を伸ばして座っている。車内は芳香剤の匂いがした。この芳香剤はやめてって言ったのに。


 龍はむすっとしたあからさまな表情で


「どうして隣に座らないんだよ」


 頬を膨らませた。


「いいでしょ、別に。荷物が多いのよ」


 背負っていた学生鞄とスポーツバッグを足下に置いて、スカートのウエスト部分を折った。座席に深く座るとヘッドレストに高いところで結ばれた髪の毛が当たって痛いのですぐに解いた。私は学校へ行くときはポニーテールにしているけど、車に乗るときは髪の毛を下すことにしている。


 龍はじゃあ仕方ないね、とつぶやいてハンドルを握った。


 赤い髪にヴィジュアル系バンドマンのような服装に人差し指が入りそうなほど大きなピアス穴、性格はそんな見た目にそぐわない、穏やかで常識的な人だ。でも、普通は見た目で人は人を判断するのだ。だから、いくら常識的でも龍のような人は損をする。


 運転だってきっちりと黄信号で停まるし、横断歩道だって譲る。高速道路でもスピードを出すことはしない、「赤ちゃんが乗っています」ステッカーを見かけたら、ただでさえ遅いスピードをさらに落とす。そんなだから時々遅すぎるとクラクションを鳴らされることはあるが。


「加藤さんも、龍さんに厳しく言い過ぎじゃない?」

「そんなことはないわよ。ちゃんと飴と鞭は使い分けているし」

「さくらちゃんは二人きりになると優しくなるもんね」

「龍は黙って運転してて」


 龍が言うほど、私は優しくはしていない。伊藤がいる場でいちゃつきたくはないし、厳しいくらいでいたいのだ。


「そういえば、奈々子がさ」


 龍がブレーキをかける。黄信号だ。


「さくらちゃんのこと心配していたよ。高校受験のこととか、誕生日祝った方が良いのかどうかとか」


 ふうん、とどうでも良さそうに振る舞う。


「姉妹なんだし、たまには会ってみてもいいんじゃないかな」

「うん、伊藤くんと同じことを俺もずっと思ってるんだけどさ、さくらちゃんが頑ななんだよ。どうしても会いたくないんだって」


 まるで私がわがままな子供のような扱いである。


「あんたらは他人なんだから、別にどうだっていいでしょ」

「さくらちゃんは酷いことをいうなあ」 


 二人が頻繁にあの人に会っていることは知っている。だから、私はわざわざ嫌いな二人と連んでいるのだ。


 ぴかぴかと輝くパチンコ屋と、そこの前を通る四人の小学生が車内から見えた。


 私たちが行くカラオケ屋は道路をずっと走り続けた先にある、ショッピングモールのすぐ隣に建っている。赤と白の大きな看板が建っていて、十車は駐車することができる駐車場がある。


 そのまた隣にはケンタッキーがあり、龍はいつもカラオケ帰りにそこで二つほどチキンを買って、カーネルおじさんに挨拶をする。そして私を自宅へ送って、お土産だとチキンを二ピースくれるのだ。


 二十分ぐらい走らせたところにいつものカラオケ屋はあって、私はすぐさま車を降りた。車の中があまり好きではないのだ。


「先に部屋を取っておいて」


 龍は窓を開けて大きな声を出した。


「わかってるわよ、そんなこと。大きな声出さないでよね」  


 周囲の目は龍に向いていた。高校生のグループや若いカップルはじろじろと嫌らしい目つきで私たちを見ていた。こうなるのがわかっているから、龍と一緒にいたくないのだ。


 後部座席にいた伊藤は困ったような顔で微笑んでいた。

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