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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
少年の話
19/26

7

 朝のテレビの特集は俺の学校で起きた伊藤の自殺についてだった。学校で首を吊ったという事実が世間ではショッキングだったのだろう。


「十四歳の少年が抱える心の闇とは」


 なんて笑えてくる。俺の周りで起きたことなのに、テレビで報道してるとどこか遠くで起きた作り話のように思えて仕方がない。


 それは信司も同感だと笑った。


「実感わかへんよな、不謹慎なんやろうが」


 教室の机に肘をついて、信司は時々時計を確認する。朝のホームルーム前の時間にいつも他愛のない話をして、時間をつぶす。隼斗と違って信司は宿題をきちんとしていた。


「人が一人死んでるんだもんな、こんなあっさりしたもんだなんて考えてもなかったわ」


 それはわからんな、と信司は言う。そういえばこの間、祖母が亡くなったと言っていたような。


「人ひとりの命って重たいで、一人の存在まるまるなくなるっちゅーことやから」


 人ひとりがまるまるいなくなっても学校はいつも通り回っているじゃないか、と思った。


「信司がそんなこと言うの、珍しいな」

「せやろか? わいはいつもこうやで。ナンバーワンよりオンリーワンが大事やと思っとるし」


 信司がなんだかんだで偽善の塊であることは、理解していた。しかし、その程度が予想以上だったというだけだ。


「蓮はわいのこと、偽善者やって思うとるんやろ」


 まあ…、と歯切れの悪い返事の途中で、信司は


「そもそも、完全な善人なんて存在するわけがないと思うねん。わいからすりゃ、わい程度の人間を偽善者やっつー人はどんだけ世の中を疑って悪ばかりだと信じてるんやって思ってしまうんやけど。そんなの考え方の違いやし、人それぞれでええやん」


 委員長が「静かにしてください」と弱々しく覇気のない声で呼びかけた。


「まっ、こんな話なんて面白ないし場が湿気ってしまうからやめとこな」


 そうだな、と俺は一時間目の教科書を取り出しながら言った。


 信司は強い、と思った。そんなところが信司の嫌いなところの一つである。そんな些細なことで苛々してしまう自分自身も嫌いだった。



 バレー部の加藤さんが昼休憩中に俺の腕を掴んで、学校の裏庭にまで引っ張った。鬼の形相をした加藤さんは俯いて何かを堪えているようだった。、いつもの加藤さんとは違うとすぐにわかった。


 裏庭では校舎に沿ってプランターが並べられて、色とりどりの花が咲いていた、マリーゴールドや菜の花なんかの見慣れた花が春を過ぎても尚咲き誇っていた。


 乾いた地面の砂を蹴りあげながら立ち止まった加藤さんは、やっと俺を解放した。ゴミを捨てるように俺をプランター側に投げた。


「何するんだよ」


 雑な扱いに俺は半ば怒っていた。加藤さんも口にはしないが、顔は怒りや悲しみの感情で歪み切っていたので、強くは言えなかった。こんな状態の女を泣かせると後々面倒なことくらい、わかっていたからだ。


「あんた、リュウと会ったんだってね」


 ああ、そうだよ、会ったよ、と投げやりにいうと加藤さんは俺の胸ぐらを力強く掴んだ


「何がしたいの。探って楽しいの」


 力強いといっても、男の俺の力を出せば、振り切って尻もちをつかせることができる程度の力だ。でも、ここで手を上げるわけにはいかなかった。


「落ち着けよ、加藤さん」


 結局こういう言葉しか投げかけられない。そりゃそうだ、彼女は今、とても興奮して顔も真っ赤で、恐らく正気ではないからだ。そんな人間にどんな正論や事実を投げかけたって無駄なのだ。だから、あくまで俺は冷静ですよ、と見せつけるのだ。


「落ち着いてるわ」


 怒った人間は決まってそう言う。母親の「落ち着いてる」を俺は何度聞いたことだろうか。


「昨日、リュウと話したんでしょ」


 掴んでいたワイシャツを離し、軽くぐらついた俺は左足を支えにして、地面に立った。


「話したけど、それがなんだよ」

「どこまで聞いたの」


 俺は唸った。どこまで言っても良いのか考えた。


「嘘ついたら殺すわよ」


 俺は嘘をつかずすべて話すことにした。


「リュウさんと加藤さんが恋人だということと、加藤さんには姉がいることくらいだよ」


 加藤さんはしゃがみこみ、頭を抱えた。


「あいつら話しちゃったの」


 慰めにもならないが「気にしてないよ」と声をかける、それくらいしかできないのだ。


「誰にも言わないで」


 しゃがみこんだまま、上目使いで俺を見た。


 元々誰にも言うつもりはない、だが


「どうしようかな」


 なんて意地悪を言いたくなるもので、彼女はその言葉で涙をにじませた。


「何でもするから」


 お決まりの台詞、まってましたと言わんばかりに俺の心は高鳴りだした。


「じゃあ、奈々子さんと会ってくれないか」


 校舎から黄色い声が聞こえる。風で花々たちは靡いて、かんかんと照り付ける初夏の太陽はとても眩しい。彼女の表情は暗くなって、指先はかすかに震えているのが分かる。日光で影になっているから余計

に、彼女の奈々子さんに似た白い肌が暗く見えるのかもしれない。


「それは無理よ」

「何でもって言ったじゃねえか」

「それでも、無理よ」


 奈々子さんは加藤さんが真面目だから、嫌っているのだと言った。しかし、俺にはそうは見えなかった。加藤さんの表情は、些細な嫌悪感なんかとは比べものにもならない、それはそれはどす黒い感情が渦巻いているようにしか見えなかった。


「奈々子さんに何かされたの」


 彼女は首を横に振った。


「あの人は、そんな悪い人ではないから」


 じゃあ、なぜと聞くことは不毛でしかないと自覚している。


「奈々子は、良い人よ」


 そう言って、加藤さんは大粒の涙を流しだした。逃げ出したい思いでいっぱいだったが、逃げられもしないからずっと加藤さんが泣いている様子を見降ろしていた。



 結局、なんでもは聞いてくれず、代わりに二人でファミレスへ行くことになった。もちろん、加藤さんのおごりだ。


「これで文句ないでしょ」


 とか言っていたが文句がないわけじゃない。


 でも仕方なかった。彼女とはこれからも円滑な関係を継続したかったし、わざわざ喧嘩もしたくなかったからだ。


 加藤さんは部活動をわざわざ休み、学校からは少し離れた場所にある国道沿いにぽつんと建っているファミレスに寄った。


「学校の近くだと、色々面倒だし」


 確かに。俺と加藤さんは制服のままだし問題だ。誰かが学校に報告なんてした日にはそれはそれは面倒なことになる。


 笑顔を張り付けた店員を潜り抜けて、俺と加藤さんは禁煙席の奥にある二人掛けの席に座った。三つ先の机には談笑をしてる主婦が夢中でスマホをいじっている。


「ご注文がお決まりになったらお呼びください」


 とお決まりの台詞を吐いて足早に去った。


「あんまり高いの選ばないでね」

「はじめから選ぶ気はないよ」


 フライドポテトとアイスクリームを頼み、加藤さんはアイスコーヒーだけを注文した。


「私のこと、どう思ってるの」


 向かい合った先にいる加藤さんは水を一口飲んでから言う。


「もしかして、本当は私のことが好きなの? だから関わろうとするの?」

「待てよ、どうしてそんな話になるんだ」

「だって不自然だもの。リュウと会おうとするなんて、わけがわからない」


 そう、俺は奈々子さんのいる空き家に入り浸っているという一番大事な事柄を話していなかったのだ。


「そんなことどうだっていいじゃないか」

「どうだってよくないのよ、リュウなんかと付き合ってることが誰かにばれたら」


 ううう、死んじゃう、と机に突っ伏した。


「好きだから付き合ってるんじゃないのか」

「どうだっていいの、そんなこと」


 リュウさんが聞いたらどんな反応をするのだろうか。


「リュウさん、いい人なのに可哀想」


 余計なお世話よ、と俺をきっと睨みつけた。確かにそうだけれど。加藤さんが注文したアイスコーヒーと俺が注文したアイスとフライドポテトが机に置かれた「注文は以上です。ごゆっくり」


 まあ、俺も正直、加藤さんや奈々子さんのことについて首を突っ込みすぎてるという意識はもちろんある。だが、寂しそうな奈々子さんの泣き顔を見てしまうと、気が気でいられなくて、ほっとけないのだ。


「キスとかしてるの」


 俺は聞いた。


「そりゃそうよ。恋人だもの。大人の付き合いぐらい毎週してるわよ」

「羨ましい。俺も彼女の一人や二人欲しいよ」


 ふうん、とちゅーちゅー吸いながら言う。「別に、そんなにいいもんじゃないよ。つまんないし、大人なんてくだらないしさ」


 大人なんてくだらない、理解できていても経験に基づいた結論というだけで大人な気がする。


「大体、アンタだってキスやエッチするだけなら大人の女に売ればいいじゃん。リュウが言ってたけど、中学生は高く売れるらしいわよ」

「違うんだよ。俺は愛が欲しいの」


 はあ、と加藤さんはため息をつく、


「愛って例えば何よ」

「そりゃ……」


 何だろう。セックスのことだろうか、それともぬくもり? いやそれはセックスと同じじゃないか。金をいくらかけられるか? さすがにそれは愛と認めたくはない。


 アイスクリームを口に入れると、奥歯が少し痛んで沁みた。これは愛じゃない。


「自己犠牲かな」

「ダッサ、自己犠牲なんて一方的なものじゃ自分は不幸になるだけなのに」

「幸不幸の話はしてねえし。愛なんてそんなもんじゃねえの」

「愛なんてくだらないわね」


 と、加藤さんは俺のフライドポテトをつまんだ「何するんだよ」


「冷めてしまったらもったいないでしょ」


 三本を一口で食べてしまった加藤さんは、アイスコーヒーをちょびちょび啜り、ファミレスに飾られている絵画のレプリカを眺めた。


「明日は晴れるかしら」


 遠くの見えない何かを考えていた。誰にも見えないそれを空想した。それから奈々子さんのことを少しだけ考えた。


 多分、これは恋心ではないのだ。


 ファミレスの黄色い明りは、夕日に似ている。加藤さんは、レプリカを見て何を考えているのだろうか。名前もないような絵画に、果たして意味はあるのだろうか。


 加藤さんの横顔の曲線はゆるやかで理想的で、奈々子さんが頬に大粒の涙を流していたあの時の寂しそうな表情と重なった。

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