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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
少年の話
17/26

5

 バレー部の加藤さんのことはバレー部の次期部長候補で二年でレギュラーの優秀生という情報しか知らない。それと勉強が少し苦手そうだということくらいか。


 やけに俺たちのグループに首を突っ込んでくることも。ただ、それだけだ。


 大体、覚せい剤と麻薬とハーブの違いすらわからない俺に、薬売りの容貌なんて知るはずがない、あからさまな容姿なのだろうか? しかし、日本じゃ覚せい剤は違法なはずだし、警察に気づかれないような容姿服装をしているはずだろう。 

そもそも、加藤さんはなぜ、伊藤が受け取ったものを覚せい剤だとわかったのか?



 漢字の小テストはいつもに比べて埋められなかった。漢字どころじゃなく、様々なことが頭で渦巻いていたので勉強どころではなかったのだ。


「お前がボロボロなんて珍しいやんけ」


 信司に自信がないというとけらけら笑って、珍しいと何度も繰り返した。


「昨日全く勉強してなかったからな」

「ほう、恋でもしたんか?」

「ちげーよ、多分恋じゃない」

「多分っちゅーことは女絡みなんやな? ええぞ、お兄ちゃんに話してみ?」

「いやだわ、信司はすぐに言いふらすし」


 確かにそうやな、と他人事に言って陽気に笑う。「何笑ってんの」と加藤さんは寄ってくる。相変わらずポニーテールは落ち着くことなく揺れ動き続けている。


「蒙古斑が残ってるお子ちゃまな蓮君が人に恋したんやて」


 蒙古斑はさすがに残ってはいないが。


「蓮君って蒙古斑残ってるの!」

「残ってるわけないやん」


 まあまあ、それはさておき、と信司は言い、俺を見つめた。


「もしかして、女じゃなくて男に恋したんか?」

「俺は異性愛者だ」

「じゃあ何や? 恋したんやろ」


 俺は一つ間を置いた。分からないからだ。


「わからねえ」


 わからない、と加藤さんは繰り返す。


「わからないなんてことはないやろ、自分の感情くらいわかれや」

「俺は信司じゃねえんだよ」


 黙り込んだ信司は、せやな、と背を向けた。加藤さんはおろおろと、「言い過ぎじゃない?」と心配をしていたが、いいんだと答えた。あれくらい言ったって一時間もすればケロッとした顔で忘れてやがるんだから。


 自分の感情くらいわかれや。


 信司の言葉が頭の中で繰り返された。そりゃ、信司は馬鹿で単純だからそういえるだけだ。


 じゃあ俺が賢いのか? そんなことはない、ありえない。ただ信司よりかは複雑であると断言できる。


 単純構造の信司は根がしっかりと張っているし、そういう点では尊敬もできる。だけど、人の感情の複雑さや繊細さを知らないし、無神経だ。


 知ろうともせず、


「考えすぎて頭がオーバーヒートして変になっちゃいそうやな」


 なんて平気で言う、悩み相談をしてる相手にも言う。


 どちらが変なのか俺にはわからないが、少なくとも信司が普通じゃないことくらいはわかる。


 鼻歌を歌いだした信司は、ぼーっと窓の外を眺めていた。



「隼斗にお姉さんなんていたんだね」


 加藤さんは驚いていた。放課後に、二人は教室からすぐの廊下で話していた。


「加藤さん、知らなかったのか」


 隼斗のお姉さんは二十二歳の大学生で、一人旅をしながらぷらぷらと生活をしているのだという。


「もうねーちゃんとは二年間は話してないけど」


 大阪の大学に進学したと前に言っていたっけ。隼斗とお姉さんは特別仲が良いわけでもなかったので、出て行ってからそれきりなのだそうだ。俺も実際に会ったのはたった一度きりだし。


「へえ、家族なのに寂しいね」

「寂しいとも思わねえよ。ねーちゃんは自由に生きるのが似合う人だから、いいんだ」


 隼斗は壁にもたれて、頭をかいた。


「加藤さんは何人家族なんだ?」


 聞くとううん、と一度腕を組み、


「三人家族で一人娘よ。だから兄妹がいるのが羨ましいんだよね、ずっと一人だったから」


 意外だった。加藤さんのことは根拠もなく長女だと信じ込んでいた。


「そんなにいいものでもねえよ、ねーちゃんいても寂しいもんは寂しいし、女だし趣味も合わねえから」

「それでもいいじゃん。そんなにいらないなら私に分けてほしいくらいだわ」

「ああ、いいぞ。俺の姉でいいならやりたいくらいだよ」


 三人でくすくすと笑った。


 案外、言わないだけで考えていることや悩んでいることがあるのかもしれない。でも、信司は別だ。あいつは、そうではないと、わかっている、ずっと付き合ってきたのだから。



 俺は奈々子さんの「またね」を思い出しながら、あの空き家へ向かった。いつだか、山で誰かと作った秘密基地を連想した。あのとき、胸が躍ったことを思い出す。


 生い茂った雑草を踏みながら、扉を二度叩く。また、奈々子さんは煙草を吸っているのだろうか、と考えながら、わくわくしていたが、


「お前誰だよ」


 登場したのは赤い髪の男だった。鋭い目つきで、まじまじと観察された俺はメデューサと目があった気持ちになった。その長身の男は俺を見下ろして


「何か用があんのか?」


 言葉が出なくて口ごもっていると男の後ろに奈々子さんが現れた


「蓮君、今日も来てくれて嬉しいよ」

「知り合いなんすか」


 男の耳に空いた穴は十円玉ほどの大きさで、穴にぶら下がった輪っかのピアスはぶらぶらと揺れていた。


「伊藤君のクラスメイトなんだってさ。昨日知り合ったんだ」

「じゃあ、さくらちゃんのクラスメイトってことすか」

「さくらちゃん?」


 聞いたことのあるような名前だったが、誰の名前かわからずに聞き返した。


「加藤さくら、知らないんか? 俺の彼女なんだよ」


 赤髪の男は似合わない口調で、口にした言葉にも信じられなくて、頭がくらくらとした。



 男の名前はリュウと言うらしい。見た目はいかにもな危ない人だけど、中身は臆病で優しいのだと奈々子さんは話した。


 覚せい剤を売るグループの一員で、奈々子さんとは昔からの幼馴染なのだという。見た目通りの中身じゃないか、と突っ込みたくなったけど、ぐっとこらえた。


 正座をしたリュウさんは


「さっきは申し訳ない」


 と土下座をした。


「リュウは歳や社会的地位関係なく、きちんと謝る人なんだよ」


 それにしたって土下座はやりすぎだろう。


「さくらのクラスメイトだと聞いたし、これから俺とも仲良くしてくれたら嬉しい」


 ぶっきらぼうに差し出された右手を振り払う理由なんてなく、俺は手を取った。


 和室は昨日と変わらず、整えられていて、違うものと言えばリュウさんの私物らしきエレキギターがあるということくらいだった。


「さくらちゃんってバレー部の加藤さんのことですよね」


 信じられない現実に戸惑いながらもう一度聞いた。リュウさんは不思議そうな顔をして


「そうだが、そんなにおかしいか?」


 そう首をかしげた。


「いや」


 俺はもう一度リュウさんの全身を見渡した。赤い長髪に180CMはあるだろう長身にシルバーのネックレスが施されている。服装は特別変わってはいないが……。


「俺ってそんなに奇抜な恰好をしているか?」

「自覚ないの、あんた。毎朝ちゃんと鏡を見なさいよ」


 見てるよ、と猫なで声に言った。


「加藤さんって恋愛の噂とかしない人だったので」

「そりゃあ俺と付き合ってるからな」


 だいぶズレた人なのだな、と納得した。


 そもそも、二十歳ほどの年齢の男性(推定)と中学二年生が付き合うのは犯罪なはずだったのだけど、そこら辺はどうなっているのだろうか。


 覚せい剤を売ってる人らしいし、法律や道徳観なんて倫理は知らないのかもしれないが。


 ちゃぶ台には葉巻が置いてある。恐らくそれもリュウさんの私物だろう。奈々子さんはちゃぶ台に置いてあるセブンスターを手に取って火をつける。


「こいつ抜けてるから、気をつけろよ。常識は知ってるけど、世間を知らねえから」


 にこにこと笑みを浮かべたままのリュウさんは、ちょこんと正座をして座ったままだ。


「怒らないんですか?」


 てっきり、世間を知らないと言われて怒ったりするような人だと思っていた。


「奈々子の言うことは正しいからね。確かに俺は世間を知らないし、ずっと裏で働いてきたから本当に何も知らないんだ」

「こいつ一応地主の息子でボンボンなんだぜ。腹立つだろ、大学も国立のいいとこに通っていたのによ」


 奈々子さんは煙を深く吐く。


「僕はこっちの世界のほうが楽でいいよ」

「だってよ、私にゃ皮肉にしか聞こえないぜ」


 無愛想に煙草を灰皿に押し付ける。俺はちゃぶ台に置いてある文庫本に目をやった。今日は本屋のブックカバーがつけられていた。


 もしかしたら、奈々子さんはかつてリュウさんのいた側の世界へ行きたかった人なのかもしれない、と思った。



 リュウさんは「ダチと飲みに行くんで」とあっさり出て行った。


 俺と奈々子さんとで二人きりになった和室は、がらんとしてやけに広く感じた。


「本を読むんですね」


 ははっと奈々子さんは笑う。


「そんなに頭が悪そうに見えた?」


 一生懸命に首を振る、


「そういう意味ではなくて。最近は本を読む人なんてあまりいないじゃないですか」

「君も読まないの」

「一切読みません。学校で強制されたときだけしか読みません」


 ふうん、と肘をつく。もったいないね、面白いのに、と文庫本を俺に渡した。太宰治の人間失格だっ

た。ぺらぺらと中身をめくっても、やはり心ときめくものはなく、ちゃぶ台に置いた。


「太宰治なら学校で読みました。走れメロスの人ですよね」

「あれを読んだんだ。私は好きじゃない」


 俺はなんて返していいのかわからず、沈黙した。


「強制するつもりはないけどね。本なんて娯楽だし、楽しんで読むもんだよ」


 彼女はそう言って、本を置いた。


「そうそう、伊藤君のことなんだけどさ、学校でどうなってんの」


 俺は口をつぐんだ。あの混沌とした様子をどう奈々子さんに説明すればよいのかわからなかったからだ。


「なんていいますか、噂が噂を呼んでいる状態です。薬売りと話していたとか虐待を受けてたとか、あとお兄さんがゲイだとか」


 まじで、と奈々子さんは腹を抱えて息ができないくらい笑った。「それ、ほとんど事実じゃん」


 言葉を失った。他の三年をボコボコにした、だとかも事実なのだろうか。いや、聞かないでおこう。


「多分、流してるのはさくらちゃんでしょ」


 セブンスターを口にくわえる。あの子、伊藤君のこと嫌いだったから。


「嫌いだったって、理由は?」

「さあ、私は知らないね。あの子とはあまり話さないし」

「長い付き合いなんですね」


 うん、と奈々子さんは煙を吹かす。


「そりゃ妹だし」


 え、と思わず声が出た。奈々子さんは不思議そうな顔で、俺を見る。そんなまさか、と信じられないことばかりでめまいがする。


 確かに目がくりくりと大きいところや、色白なところ、あとは髪の毛が少し茶色掛かったところそっくりだ。面影があると言えばあるような気もする。


「加藤さんは、一人っ子だといってましたけど」

「いつもそうだよ。あの子、私が嫌いらしくって」


 煙草を持ったまま、目を伏せたその表情はどこかで見た聖母マリアの石像に似ているような気がした。彼女は淡々と話す。


「私ってほら不良だし、あの子は真面目だから仕方ねえのよ。下品だし、覚せい剤なんかを売る奴とつるんでいる姉なんていやでしょ」


 なのに、リュウと付き合ってるのが不思議だけど、と肩を上下に揺らす。


「とにかく、このことはさくらには秘密だからね。あの子は神経質で怒りっぽいからさ」


 一つ、頷いた。


 俺はバレー部の加藤さんを思い出していた。ポニーテールですれ違うときにせっけんの香りがほのかに香る、清潔感のある姿を思い起こしていた。


 目の前にいる奈々子さんは退屈そうに寝転がって、蹲った。


「昔はさくらも私にプレゼントとかしてくれてたんだぜ」


 うう、と何度も唸って小さくなる。


「どうしてなんだろうなあ、リュウと付き合えるなら私と仲良くすることくらいできるだろ、あいつのほうがよっぽど不良なのに。リュウは知らねえけど私はシャブを打ったこともないんだぞ」


 面倒見の良く気の強いお姉さん、という感じなのだろうなと想像した。俺なら平気なのに、いやむしろタイプなのに。


「今日は飲みに行くかな」


 むくりと起き上がった奈々子さんは俺の腕を引っ張って、家を早々に飛び出した。


 嫌な予感がした。

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