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ヒステリックな私たち  作者: 橘セロリ
少女の話
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プロローグ


 目が覚めたからまた目を閉じた。目を覚ました時に目にした情景が、過去の優しい誰かの表情だったからだ。これは恐らく夢なのだろう、と思った。


 もう一度目を開けたら、様々な色が水に落とした絵の具のように、ぐにゃぐにゃと絡み合う世界と怒号と、大きな巨人の顔が見えたので、もしかして、と思ってまた目を閉じた。目を閉じている時だけが、唯一平穏を保てる時間だ。現実をありのままに直視するためにはアレを打つか吸うかしなければならない。ただ、現在の状況では打つことも吸うことも困難である。


 私の生きている世界は、かつての私が想像もしなかっただろう世界である。私が自覚していないだけで、ここは世界の果てなのかもしれない。


 世界の果てを見た。といえばいつだかの私の知人は「大げさなことを言うね」と笑うだろう。私からすれば自殺してしまった彼の方がよっぽど大げさに思える。


 彼は今の閉塞感を経験したのだろうか。


 目の前が真っ黒に染まって、頭は平常心を保てず、意志とは別に体が動いてしまう。明日を生きることを考えられないこの感覚。


 漠然と死を考える。それは追いつめられたからとか演じているわけではなく「死」以外を考えられない状態。例えるならば徹夜して目の周りを黒くした人間が睡眠についてしか思考できなくなるような、そんな普遍的なもの。


「警察だ。そこにいるのはわかっているんだ。鍵を開けなさい」


 私の自室は二重の鍵がかかっていた。大声で騒ぐ警察たちの声が徐々に遠くなっていく。ああ、もう私は保たないのだと察してしまった。


 ベッドに座っている。手元には作成した拳銃があった。それを両手で触りながら考えた。それは私の姉のこと。


 姉はこれからどう生きていくのだろうか、と夢想した。


 おそらく、死刑判決は免れるだろう。しかし、それは私が死んでいればの話である。姉に知らされていない様々な事実を私は知っていた。教えなかった、といったほうが正しいのかもしれない。もしも、私が捕まって口を開いてしまったら、姉やリュウはもしかしたら無期懲役、もしくは死刑判決が下される可能性すらある。


 奈々子はただ悪い妹に騙されて使い走りをさせられていただけだ。それを示す書類や証言ならいくらでもある。なら、あとは簡単だろう。一番の証拠となり得る私がいなくなれば良いのだ。


 いつだか出会った純粋な少年は、愛は自己犠牲だと言っていた。そうなのかもしれない。愛を受ける側にとってまっぴらかもしれないが与える側にとって、愛なんてそんなものなのかもしれない。ただのエゴでしかないのかもしれない。


「はあ」ほんの小さな声が出た。私の体はぼろぼろで、喋ることすらままならない。ため息をつくことだけが、私にできる意思表示だった。


 しかしこのため息すら外にいる警察たちの耳には入らないようだ。


 ため息をつくとそれをきっかけに、走馬燈のようなものが頭の中でぐるぐる巡る。


 大した人生ではなかった。まっとうな生き方をしなかった。できなかった。


 それでも一般的な人間らしく生きていた頃もあったのだ。いつだかの少年たちと、まだデフォルトの恐ろしさを知らない私と、殺人を犯していない青年の純粋な表情が脳裏に刻みつけられている。幸福は呪いである。一度経験してしまったら、覚せい剤よりも執着して、それはいつまでも私の後をつけて離れない。


 そもそも覚せい剤は幸福になるための薬物なのだから。自ら幸福になれないものは人工的に幸福を生み出すほかないのに、そのような成分の薬物を摂取すると、人間が生み出した司法によってますます不幸になる。蟻地獄のようだ。一度はまってしまえば二度と幸福を得られない。私も同じだ。


 願わくば、次に生まれるときは意識がない生物に生まれ変わりたい。これほど意味のなく、不毛な人間という動物にはもうこりごりなのだ。


 幸福や不幸や快感だとか、そんな事柄を考えなきゃならない世界に生きていたくないのだ。生まれて繁殖して死ぬ、そのサイクルを延々と繰り返すだけの生き物に生まれたかった。


 そう、所詮人間もただの動物でしかない。


 意識なんて幻想でしかないのに、どうしてそれらに執着してしまうのだろうか。


 思考を停止させたい、それだけが私の望むことである。重たいプラスティックの拳銃を両手で持ち、耳に当てつけた。引き金を引く力が残されていたことに安堵し、瞼を閉じた。






 空気を引き裂く発砲音は室内にいた警察だけではなく、近隣住民や野次馬、信者たちまで黙らせた。しんと静まりかえった空間の中、警察に連行されていた奈々子と龍はその発砲音によって泣き崩れ落ちたという。警官もそのときだけは同情し、脚を停めたのだと信者の一人は話している。


 加藤さくらはデフォルトの幹部で、薬物を使用して信者を統一していた。加藤奈々子はその信者の一人だった。新宿で起きた交差点爆破事件を計画したのは加藤さくらであるということも判明し、現場に姿を現した加藤奈々子は、直接事件に関与しているわけではなく、自身も「あれが爆発物だとは知りませんでした」と話している。記憶障害と認知機能の低下を起こしており、時折夜中に叫びだしたり暴れることがあった。加藤奈々子は重度の薬物依存症者と診断され、現在は更生保護施設に入院している。

五十嵐龍もデフォルトの幹部であり、違法薬物の売買やハーブの開発に携わっており、加藤さくらとは恋人関係にあったようだ。五十嵐龍の尿から薬物反応はなく、一連の事件について反省の態度を示している。


 加藤さくらの自殺について、五十嵐龍も理由はわからないと話している。司法解剖の結果、アルコールや違法薬物が多数検出された。身長百五十六センチでありながら死亡後の体重は二十九キロで、内蔵や気管は破損し、所々骨折していた箇所もあったとショッキングな情報が報道された。


「この状態で生きていたことが信じられない。この事件は我々が想像しているよりももっと深い闇に覆われているのかもしれない」と専門家は話している。


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