はじめての、
「ちょっと俺の仕事手伝え」
と誘いかけられるよりも、命令に近い言葉が送られたのは、その次の週末だった。そうして休日返上で呼び出された俺の前に笑っているのは、何を思ったのかひげ面のがっちりとしたおっさんに化けた津堂だった。
言われた場所で待っていると急にごついおっさんに親しげに話しかけられた俺の驚きを想像していただきたい。
「とりあえず来いって言うから来てみたら、なんだ?その格好。男子高校生でいることに飽きたのか?」
「いやだって、狐であるからにはやっぱ化けなきゃでしょ」
「時と場合を考えて化けろ」
「考えた結果、楽しむために化ける必要があると判断いたしました!いやあ、驚いた顔を見せてやりたかったよ。あ、なんなら今ここで見…」
不毛である。
「帰る」
そう言って踵を返そうとする俺を慌てて津堂が引き止める。見ると元の姿に戻っていた。
「つれないなぁ」
「そもそもお前の仕事ってなんだよ。さっさとそれを話せよ」
「急いては事を仕損じるって知らない?」
付き合っても得はなさそうである。早く言えと睨んで先を促した。
「…はいはい。<BEE>から仕事の依頼がきてさ、ほら、仕事がたまに来るって八雲さんから聞いてない?」
確かそんなことを聞いた。そしてその仕事に巻き込まれて俺はいきなり化け物に囲まれ…。
頷いたが、多分自分は神妙な顔をしていたのではないだろうか。またその手の仕事なら即断るつもりでいたが、次の言葉で少し安心した。
「おつかいを頼まれたんだ。少し離れた森の方に」
「なんか安全そうでよかった…」
思わず口から出た安堵の言葉に津堂が首をかしげる。
「なんでもない。それより、なんでまたおつかいなんだ?しかも森になんの用があって?」
「小遣い稼ぎに決まってるじゃん。その森には何というか…御神木?不思議な木?まぁ精霊が宿ってる的な木があって、その木がこの季節に落とす実が必要なんだとさ。んで、それを拾いにいくわけ」
木の説明がいささか曖昧すぎやしないだろうか。まぁとにかく、
「その程度なら一人でやれよ。なんで俺が休日をつぶさなきゃいけないんだ」
危険でも、安全でも、どちらにしろめんどくさいものは同じだった。
「いやだって一人で森の中とか、寂しいじゃんよ」
断ってもめんどくさそうな雰囲気満載である。あまり気のりはしないのだが、しょうがない。しぶしぶ頷く。
「…分かったよ」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
電車で三十分ほど移動した先、歩きでさらに三十分ほど行ったところから、森に入った。
そこそこ長いこと移動しただけあって、いつものような都市の建物は一切なく、見渡すかぎり木、木、木。どこかで鳥の鳴く声も聞こえる。
「誘っといてなんだけどさ、文句言わねえのな、お前」
津堂がいきなりそんなことを言い始めた。
「文句?」
「疲れたー、とか、虫が多いー、とか、そんなこと」
「俺は別にか弱い女子じゃないんだけど」
「例えばだよ、例えば」
「今更言ってもしょうがないだろう。ここまで来ちゃったらその木の実とやらをさっさと持って帰るしかない」
「ふーん…」
聞いておいて反応が薄い奴だった。まあいいかと流した。
「しっ」
いきなり、左腕を急に引っ張られて、立ち止まらされた。何事かと若干津堂の方に向けていた視線を前に戻す。
そこには、黒いフードのついたマントを羽織った集団がいた。津堂がその集団を鋭く睨みつけるのを見たと同時に、前には琥珀が現れていた。
「黒衣衆がなんの用だよ。俺たちは木の実拾いに来ただけだぜ」
「そこの方に…」
先頭に立っていた人が、ぬらりと指すのは、俺と琥珀がいる方向。
いや、人と呼べるとは限らないかもしれない。フードに隠されて、全体こそは見えないものの、その人影のような者の顔からは、カラスのような嘴が生えていた。
「なんだよ、あいつら。人間なのか?」
「さあな。人間と呼べないのは明らかだけど」
そう返す津堂は、一瞬たりとて黒衣衆と呼ばれた集団から目を離そうとはしない。
よく見れば、先頭のカラスだけでなく、後ろに並ぶメンバーひとりひとり、それぞれ人間とはかけ離れた姿を覗かせていた。
その数は、十人あたりだろうか。いや、いつの間にか後ろにも十人ほど回っている。完全に囲まれた。
「決して…許さ、ない………復讐…」
そう言うや否や、カラスがこちらにとびかかってきた。人並ならぬその速さに驚く間もなく、琥珀が手にした剣で迎え撃つ。
金属を激しくぶつけたような音を皮切りに、囲んでいた一部も襲い掛かってくる。琥珀が剣の形を弓矢へと変形させ、息つく間もなく矢を放つ。弾け飛んだ血液に、少なからず身がすくんだ。
「容赦ないねえ、琥珀ちゃん。柊が驚いちゃってるよ」
どこからか津堂の声がする。さっきまで左にいたはずの姿を探して辺りを見渡したが、どこにも見つかりはしなかった。
そもそもさっきの声はどこから聞こえてきたのだろう。確か、黒衣衆がかたまっている方ではなかったか。そう思ってこちらに目を向ければ、黒衣がばたり、ばたり、と順番に倒れていっていた。
もっとよく見れば、狐の顔を覗かせた黒衣が、周りの仲間を気絶させて回っている。
さすがに異変に気付いたカラスがばさりとマントを翻すと、黒い矢のような羽が狐のもとへ飛んでいく。
「気づくのが遅い」
と笑みとも警戒ともつかぬ顔でそう言ってのけた津堂は、今度は俺の背面を指さす。
そこでは、琥珀を中心として、黒衣が円状に倒れていた。広がる血から何があったのか推測するのは簡単で、目をそらす。
残るはカラスとわずかな黒衣だけ。自分はただ立ち惚けていただけだというのに、この二人の手際の良さに驚くしかない。
「そうか………………………」
それだけを消えるように呟くと、カラスは素早く木に乗ってどこかへ去ってしまった。残った仲間も同じように続く。
「倒れているやつらは放っていくんだな…」
「急所は全部外してやった。放っておいても死にはせん。感謝してほしいものじゃな」
置いて行かれた黒衣を見てそう言うと、琥珀が一つ鼻を鳴らして、もう用はないとばかりに戻った。琥珀が平気だと言うので、俺たちも黒衣を放って歩き始める。目的は木の実なのだ。
さっきより、若干体が重い気がするが、倒れるまで力を吸い上げなかった琥珀に感謝だろうか。津堂が苦笑を漏らした。
「お前のナイト、容赦ない上に強すぎるな」
「あぁ、なんか、ものすごいデジャヴだった」
あの時も、琥珀は鬼神のような強さで八雲と一緒に化け物たちを圧倒していた。本当、見た目に反して恐ろしい奴である。
「ところで、お前も随分慣れてたな。っていうかなんだよ、さっきの黒衣衆って」
そう聞くと、津堂は少し悩んでから、思いついたように言った。
「悪の秘密結社」
ふざけてんのか。そう言ってやりたくなるのを堪え、続きを待つ。そもそも俺たちの前に堂々と現れた時点で秘密でもなんでもないだろう。
「俺たちのいる<BEE>が、なんというか…化物界の政府みたいな存在だと思ったら、さっきの奴らは犯罪組織みたいなもんだ。ほら、どこにでもいるもんだろ、化物関係なしに、すいうのって。あいつら、メンバー全員黒いマントを羽織ってるから、通称黒衣衆」
「全員が人間っぽくないのは?」
ただ化物に取り憑かれただけで体が変形するなんてことがないのは、基地に行って知っている。まさか全員が津堂のように化けているとか…。
「質問の多いことで…。でも、知らねえのなら知っといたほうがいいな」
「何を?」
「お前、山で遭難とかしても、そこら辺の化け物ひっ捕まえて食うなよ」
いきなり真剣な顔で津堂がこちらに向き直ってきた。
「誰が食うか」
とっさにそう返したものの、ここでそんなことをいいだす理由に心当たりがつく。まさか、
「食ったらあんな風になるぞ。二度と戻れないけどな」
「まだその目で見てくるってことは、まさか俺がそうするかもしれないと?」
「………………」
「食わねえよ」
「………………」
まだ疑われている。今こんな話をされて、やろうとなんかしないって。ふっと笑顔に戻った津堂は、両手を頭の上に組んでゆらゆらと歩く。
「まじな話、化物を食うのって代償がでかいらしい。体に化物が混じるって、どう聞いてもいい響きじゃねえもんな」
確かに、と言わざるを得ない話である。世界には悪食も山ほどいるが、化物を食うなんて悪食をいささか超えるものだ。
「…っわ」
「っと、大丈夫か?」
木の根に足を引っ掛けて転んだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
その不思議な木とやらには、髭が生えていた。鮮やかな緑の葉を、口らしき部位の周りに、そりゃあもう贅沢にこんもりとつけている。
高さは…目測が苦手なものでよく分からないが、5メートルもないように思う。しかし横に大きく、木というより巨大な切り株が髭を生やしているように見えた。
「というか顔があることに驚きだ」
「まだこの不思議世界に慣れてないな。魚っぽい化け物は空を飛ぶし、巨大ピンキーモグラだって出てくるぜ」
「それでも顔がある木に驚いちゃいけないことはないだろ」
「さっきから…失礼な若造たちだな」
返ってきた声は、津堂のものではなかった。やけにしわがれていて、やけに重みがある。何もかもがわざとらしい声だ。
そしてよく見れば、目の前にある緑の髭が動いている。
「喋った!」
顔があるのだから、喋ることくらいはありえそうなものなのだが、それでもやはり、木が喋った感動は薄くはないものである。
「私は今でこそこうして大人しくあんたらに実を与えてやってるが、昔は災いを起こしてここらの村を沈ませた事だってあるぞ」
「柊、脅されてるみたいだからそこら辺にしとけ。今になってはここに村も何もねえけど」
耳打ちしてくるようでいて、津堂の声は普通に木にも届く音量だろう。髭がカサカサと震える。頭上から何か落ちてきている影を認識した時には既に痛みが襲ってきた。
「いてっ!」
「あいたっ!」
「言い値で買ってやる」
喧嘩を売っていると見なされたらしい。かなり痛む頭を押さえて足元を見れば、手のひらサイズの赤い球体が落ちていた。手に取ってみればずしりと重い。
おそらくこれが目的の実なのだろうが、喧嘩を買った割に実を与えてくれるとは、なんたるツンデレ御神木。
「相変わらずのツンデレじいさんだな」
津堂も同じ感想らしい。上を見ればまだまだ赤い実は大量にあって、落とす準備は万端のようだった。髭を見れば分かる。
津堂がお手上げだというように二歩ほど下がるのに、自分も倣う。すると髭はもっとガサガサ音を鳴らして、木が激しく震えていた。
ぼとり、ぼとり、と重みのある実がふかふかの落ち葉の上に次から次へと降ってくる。ツンデレと言われた木はもはや喋る気がないらしい。ひとしきり実を落としてしまうと、もう髭が揺れることすらなかった。
「毎年ありがとな、じいさん」
最後に津堂が木の側面を撫でてから、しゃがみこんだ。寂しげに実をひとつ手に取って、こちらに流し目を送ってくる。
「…さて、こっからが地獄だぜ、相棒」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「うぐ…」
呻き声を上げながら、どさりと背中の袋を床に放り捨てた。全身が悲鳴を上げている。明日は筋肉痛確定だった。
一つ頭上に落とされただけでもあれだけ痛かった木の実を、大量に集めると凄まじい重量になる。持ち上げるだけならまだしも、それを抱えて森の中を歩き、電車に乗り、〈BEE〉本部まで来るのは、津堂の言う通り軽い地獄だった。
「何が相棒だこの野郎、ただの道連れじゃねえか」
「しょうがないだろ、あの量を一人で運ぶなんてもはや不可能だ。俺の食費確保のためには心を鬼にしてもこの任務を成し遂げる必要があったんだよ」
「じゃあせめてもう一人でも手伝えを呼べよ」
「そしたら俺の報酬を分けなきゃいけないだろ!?それは嫌だ!」
ガミガミと大量の木の実の近くで言い争っていると、扉が開いた。実をここまで運べと指定された小さな部屋だったが、誰もいなかったのである。
「あ」
現れたのは、一筋だけピンクに染められた髪をした少女だった。顔見知りが出てきたことで思わず小さく声が出る。
莉絵は小さく頭を下げて、木の実を詰めた袋の中を見た。ざっと確認し終えると、封筒を取り出して津堂に渡す。
「莉絵ちゃんさんきゅ」
無言のままもう一度頭を下げると、莉絵は無言のまま去っていった。
「こんな仕事もしてたんだな、あの子」
「なんかあのおっかない医者に拾われてから、あの人の傍で雑務ばっかりしてるらしいぞ。踊り子もその一環で、あの医者に養われるばっかりなのが嫌で年の割にかなり稼ぐらしい。おかげで色んなとこに顔を出すから、そこそこ有名人」
一切表情を崩さず、一言も喋らず、文字を書いても子供らしからぬ表現をするあの少女のことを思った。
「苦労してそうだな」
「いかにも他人事な感想をどうも」
苦笑した津堂が、ドアノブに手をかけて部屋から出る。その後についていくと、振り返ってこちらに現金を差し出してきた。
「ほい、今日の給料」
「え、いやいいよ。食費なんだろ?」
確か弟のお弁当も自分が作ると言っていた。そんな状況の高校生からお金を貰うのは少し申し訳ない。そう思って断ると、津堂は目を見開いて固まっていた。
「いいのかよ」
「まあ、うん。俺別に金に困ってないし」
津堂は何かを言おうとしたのか、口を開いたがすぐに閉じてしまった。そしてお金を勢いよくしまうと、片手を髪につっこみかき回す。
建物から出ればすでに夕暮れで、たわいもない話をしながら家路についた。
そういえば、自分の家に両親の存在はない。
自分の生活費は、一体どこから来ているのだろうかと、ふと気になったが、重労働を初めて経験した体は疲れ切っていて、一通りの支度をすませてしまうとすぐに眠りに落ちてしまった。