第二話
パーティーもそろそろ最後の一曲に差しかかろうとしていた。ガストンは、ふと思いついたようにレイラに手を差し出した。
「一曲お願いできますか?」
そういえば、ジョニーと踊っただけで後はひたすら壁の花と化していた。ダンス自体は特に嫌いでもないし、とレイラは笑顔で手を添えた。
「はい、喜んで」
軽やかな曲に合わせてくるくるとホールを移動する。ガストンは意外とリードが上手かった。周りからも、意外そうな男性の視線をちらほらと感じたので、レイラは自分の感覚が間違っているわけではないと思い、にこりとした。
「ところで、レイラ」
「はい?」
曲はそろそろ終盤に差し掛かる。
「24日は何か予定あるか?」
「いいえ、家事をする以外は特に何もないわ」
「じゃあ一緒に夕食でもどうだ?」
「え、と――」
「夕方だけだから予定とは被らないだろ?」
「え。まぁそれは――」
「ちゃんと迎えに行って、ジョニーが心配するだろうから食事のあとは送るし」
「はぁ」
「なかなか旨い店なんだが、結構穴場でな」
「そうなの、」
「じゃ、18時に迎えに行くから」
「は、…え?」
「ん?やっぱ何か予定あった?」
「ううん、それはないけど――」
「そう?なら良かった。24日、楽しみにしててくれよ」
にか、という嬉しそうな笑顔に見下ろされて、レイラは何も言えず頷くことしかできなかった。こんな風に誘われたのは初めてのことだし、ガストンがどんどん話を進めてしまうので考える間もなく了承してしまった。
帰る馬車の中で、ジョニーに食事に誘われたのだが、と話してみた。一応自分よりはガストンのことを知っているだろうし、困った様子を見て代わりに言い訳を考えて断ってくれないかと思ってのことだった。
が。
「へぇ、いいんじゃないの?奢ってもらえるんだろうしさ」
と何やら楽しそうに答えてくれた。この様子だと、むしろ24日は無理やりにでも外に放り出されそうだ。
奢ってもらえるだろうし、などと随分気楽に言ってくれるが、レイラはそういった経験がゼロなのだ。最近の若者はこれだから、とため息で返答した。しかし、少し楽しみだと思っているのも事実だった。
普段着で良い、と言われていたが、一応小奇麗なシャツとスカートに着替えておいた。24日の18時きっちりに、チャイムが鳴らされた。
ガストンは終始機嫌が良く、レイラは少々気後れしていた。何せ食事に誘われたのも初めてなら、弟以外の男性と2人で出かけるのも初めてなのだ。
しかし、心配したような気まずさは全くなく、ガストンが鍛錬場でのジョニーの様子などを楽しそうに話していたために、気がついたら店に着いていた。その店の食事はガストンの言った通り非常に美味しく、レイラでもついぱくぱくと食が進んでいた。本当は女性は少食が美徳とされるのだが、ガストンの楽しい話に相槌を打っていると知らぬ間に普通に食べていた。ガストンはむしろそれを喜んでいる風だったので、気にせずに美味しくいただいてしまうことにした。
ガストンが子どものころ、まだグレイスローズで勉強していて、弟達と悪戯をしまくって王城魔法使いのじーさまに叱り飛ばされた話や、ガストンは3人兄弟であること、長男なのだが跡継ぎはじゃんけんで決めた話などに、驚いたり笑ったりしているうちに、あっという間に食後のデザートまで終わってしまった。
「って、オレばっかりしゃべってるし」
「あはは、でも楽しかったわ」
さてこれでお開きだろう、とレイラが一息ついたところ、
「レイラ、次の店で飲むか」
「へ?」
「飲むのは嫌いか?」
「ううん、どっちかって言うと好きだけど、」
「よし、近くにワインが旨い店があるんだよな」
てきぱきとレイラを誘導しつつ、その店の支払いも済ませてしまって。またしてもレイラは流されて、気づいたら少し落ち着いたバーのカウンターにガストンと並んで座っていた。
「で、レイラの家族は?」
ジョニーとはそういう話にならなかったのだろう。レイラは緩く微笑んで答えた。
「弟が1人、妹が2人。妹はそれぞれ結婚して家を出てるわ。ジョニーだけは奥さんと一緒に家にいるけど」
「ご両親は?」
「12年前に、事故でね」
「…すまない。不躾だったな」
やっちまった、という少し悲しそうな表情のガストンに、レイラは笑顔を向けて首を横に振った。
「気にしないで。もう、すごく昔のことだし、金銭的に苦労はせずに済んで、弟も妹たちも素直に育ってくれたわ。妹たちも弟も良い人と結婚してくれて、家に関する重荷は全部ジョニーに押し付けられてほっとしてるの。なにより、今、こうして笑って話せることだから」
レイラが言い切ってガストンを見上げると、何だかすごく優しい瞳で見つめられてしまった。ぺらぺらとしゃべってしまった上にこうして見つめられて、酔いだけではなく頬が熱くなるのを感じてレイラは俯いた。
「えっと、そろそろ遅くなってきたし…」
レイラは赤い頬に気付かれないよう、顔は少し下を向けたまま言った。ガストンも時計を確認して、そうだな、と同意してその店を後にすることにした。この時も、レイラは先に馬車に乗せられて、支払いはガストンがしてくれた。
送ってもらっている馬車の中では、先ほどの気詰まりな雰囲気はなく、またガストンが明るく話してくれていた。
「そういえば、レイラはシーフードとか好きか?」
「そうね、結構好き」
「旨い店があるんだよ」
「そうなの」
「あぁ。しばらく忙しくなるから、俺が落ち着いたら一緒に行こう」
「えっと――」
「あ、近くなったら先に手紙か何かで連絡するから」
「え、ええ」
またさらりと流されつつ次の約束をしてしまった。
家に帰ると、ジョニーに楽しんだようだね、と少しからかわれたが、レイラは至って普通に返事をした。
「ええ。今度はシーフードを食べに行きましょうってことになったのよ」
「へぇ…」
毒気を抜かれたジョニーは、それ以上つっこんで冷やかす気が失せてしまったのだった。
2週間ほどは静かに元の生活に戻っていた。
レイラは、この間ガストンと一緒に食事に行った日のことが夢のように思えてきていた。そんなあまりに今まで通りの午後、今日はいつもと違い、刺繍をしている時間に来客があった。チャイムに出ると、レイラ宛の手紙を渡された。
それはガストンからで、今日の夕方迎えに行くという旨の内容だった。無理だったら会ったときに言ってくれ、と書いてあった。
特に用事もないので、コックに夕食を1人分減らすように指示して、シリンに今日は夕食を食べに出ると知らせておいた。
夕方、レイラは浮き立っている自分を発見した。不思議に思っているとちょうどガストンが迎えに来た。
やはりガストンのペースで、馬車に乗り込み店に向かった。
なんだかんだで、レイラとガストンは楽しんで食事をし、前回と同じように次の店で飲み、送ってもらって、あっという間に時間が過ぎていた。
その後も、数日おきに何度か夕食に誘われ、その度に特に用事のないレイラはガストンと食事に行った。一度はオペラにも誘われて、そのときは意外なほど音楽に詳しいガストンに驚いたものだった。
ガストンが強引なのは確かだ。
けれども、そうやって連れ出されるのは気分を悪くするようなものではない。むしろ、レイラは楽しませてもらっている。それを不思議に思いつつも、レイラは日常の一部として受け入れていったのだった。
そんなある日、掃除を終えて昼食の準備をしているころに、突然ガストンが家を訪ねてきた。
ちょうど昼休みで、近くに用があったため寄ってみたらしい。
「まだ昼飯食ってないなら、一緒に行かないか?」
「ええ、まだ食べてないけど――」
「じゃあ行こう」
レイラは手を取られて外に出た。一応、近くにいたメイドに外に出ると告げておいたが、用意されていたであろう昼食が少しもったいない気がした。
昼休みは1時間ほどしかないらしく、いつもと違ってあわただしく食事をして、少しだけしゃべってすぐに別れた。
近くだから大丈夫だ、と送ってもらうのを断ったが、ガストンはそれを最後まで詫びていた。しかし、急ぎ足で去って行ったところを見ると、本当に仕事の合間に抜けてきたようだったので断って良かったようだ。
家へ帰る道中、少し物足りないような気分になり、レイラは何となく立ち止まった。何かが足りないようだ。疑問に思って考えてみたのだが答えは出ず、そのまま足を進めて家路についたのだった。