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習作

雪の日の夜に歌うのは

作者: 彼方此方

明日は十年に一度の大雪だと、昨日の夜から連呼し続ける画面の中のアナウンサーにも飽きてきた頃。

見上げた空は、どこまでも高くて、雲ひとつ無かった。こんな天気で雪なんて本当に降るんだろうか?みんなが挨拶代わりに投げかける疑問符に、確実な回答を返せる人なんて居ないし、誰も答えなんて求めていない。これは、一種のこの時期特有の形式美を持った挨拶以外の何物でもないのだと気が付いたのは数年前。

吹き付ける風は、差ほど強くないものの、大地を這うように冷たさが足元から確実に上がってきた。


来週金曜日提出のレポート用に本を二冊、図書館で借り、帰り道のいつものスーパーで、コーラともやしとインスタントラーメンを買う。

米は実家から送られてきたばかりだし、卵とマヨネーズとしょうゆは、賞味期限は不明だったが、出掛ける際、覗いた冷蔵庫にあった気がする。もし雪が降ったら、そのまま引きこもってレポートを仕上げてしまおう。

そう心の中で決めて、駆け上がった古いアパートの階段は、ところどころ塗装が剥げて赤茶色く錆びてはいるが、そのお陰で雨で濡れても滑りにくい。


バイトもしている。もう少し金額を上乗せすればもっと良い部屋に住むことも出来る。けれど綺麗なアパートに暮らせる生活よりも、今はこのアパートで出来るだけ長い時間を過ごすことがとても幸せだった。




*****





軽く目を通していたつもりの資料から視線を上げれば、いつの間にか、カーテンを開けたままの、窓越しの世界は、薄暗く、外気との気温差に無数の水滴で、灯ったばかりであろう街灯の明かりを乱反射させている。少しばかり長くなった日が落ちれば、昼間の晴天など嘘だったかのように、ジェットコースターの様に気温が急降下を始めていた。


外に干しっぱなしだった洗濯物の存在を思いだし、慌てて窓を開けると、ぬっとりとしたファンヒーターの温もりが、楽しげに風花を舞わす夜空に遊びに誘われ、外に流れ出す。


耳を澄ませば、雪の結晶の積もる音さえ響きそうな静寂の中、それは聞こえた。

今日は子供の頃、雪の日によく歌った歌に似たフレーズが混じる。

クラシックには疎いが、耳を潤す響きが、自分の知る童謡と異なる部類のものだということだけは理解できた。




一年前の春から聞こえだした、二軒隣の音大生と思われる少女の鼻歌は、とても美しい。

以前、一度、廊下ですれ違った時、友人と思われる同世代の女の子と話していた。

『このアパートは壁が薄いから、鼻歌位しかうたえないの』と。


それ以来、この古いアパートの壁の薄さに感謝しつつ、僕は彼女の歌声を探し求め窓を開け、耳を傾ける。


開けっ放しの窓から、いつの間にか降りだした粉雪が吹き込む。馴れ合いにもなりつつあった温もりが全て流れだし、その分、とても厳かな冷たい空気が流れ込み室内を満たす。



僕という観客を彼女は知らないだろう。

そして、僕自身もまた、今、この凍てつく空気の中、粉雪が降り積もるかのように意識してしまった感情の正体と、その温度差が生み出す気流を向けるべき方向性を知らない。




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