第六章 第八話
碧の放ったロケットランチャーによる爆風で『あちら側』との接続が切れた所為だろうか。
彼女を貫いた鉤爪も尻尾も不意に力を失い、塩となって崩れ去った。
と同時に、碧の身体は支えを失い、重力に引かれて直下に倒れる。
その瞬間、傷口から大量の血液が吹き出し始めたのは……さっきまで胸を貫いていた塊が崩れた為だろう。
「碧っ!」
その様子を目の当たりにして、雪菜は碧の元に駆け寄る。
「……お嬢様、ご無事、でした、か?」
「え、ええ。貴女のお陰ですわ、碧。
ですからっ!」
碧の問いかけに応えながらも、雪菜は絶望するしかなかった。
幾ら頑丈な夜魔とは言え……この傷はどう見ても致命傷である。
──何しろ、肺を完全に貫かれているのだ。
そして、凄まじい再生能力を誇る夜魔と言えど生物である。
である以上……呼吸が出来なければ生命活動そのものを行えず、死ぬしかなかった。
肺から逆流した血液が口から飛び出していて、少女は既に呼吸すら出来てない。
それでも先ほど碧が声を出せたのは、肺の中にまだ空気が残っていたから……ただそれだけに過ぎなかった。
「……なら、良かった、です」
「ちょ、ちょっと!
碧っ! そんなっ?」
最期の碧の言葉は、主の身の無事を知り安堵に漏らした、その一言だった。
──命を張って自らの主を助ける。
自らの為したいことを体現したその小さな夜魔の少女の身体には、もう生きる気力は残っていなかった。
あっさりと碧の手は力を失い、重力に引かれて地に横たわる。
「碧っ!
しっかりしなさいっ! 碧っ!」
雪菜は、動かなくなった自らの従者の肩を揺すり、呼びかける。
だけど、その声への反応は欠片もなく……
「~~~~っ、碧っ!
『生き返りなさ……っ!』」
雪菜は最後の可能性に賭ける為に、能力を発動しようとして、止まる。
──彼女の能力では、死んだ生命を生き返らせることは出来ない。
それは、能力を覚えたときに、幾度となく実験した彼女自身がよく分かっていた。
「……う、ううぅ」
そのまま最も親しい家族であり、最も長い付き合いの友人でもあり、最も頼れる従者でもあった碧の死を前に、崩れ落ちる雪菜だったが……
「馬鹿かっ!
お前はっ!」
彼女の仲間は諦めていなかった。
未だにダメージから回復していない速人は地べたに這った姿のまま、嘆き哀しむ雪菜の髪を掴み……叫ぶ。
「お前なら出来るだろう!
速く治せ!」
……と。
だけど、その言葉を振り払うように雪菜は首を横に振ることで応える。
「でも、私の能力では、死体の復元は出来ても、死者の復活は出来ないのです。
一度死んだ生物は、生き返らせ……」
「良いから、早くしろっ!」
雪菜の泣き言は、速人の叫びでかき消された。
その怒鳴り声に従うように、雪菜は息を吸い込むと、目の前の物質に命令を下す。
「碧の肉体よ。
『損傷前の姿に戻れ!』」
その命令は相変わらず絶対だった。
これこそが……今まで速人が受け続けた怪我を癒してきた能力である。
意識のある存在には、不意を打たないと抵抗されて効果が薄いのだが……既に『物言わぬただの物質』となった碧の肉体は簡単に癒せる。
……だけど。
その肉体が生前の状態に戻ったとしても、碧のその薄い胸は動かないままだ。
──死者は死者のまま。
……それが彼女の能力なのだから。
「速人さん。やはり、私の能力では……」
目の前で望みを断ち切られた雪菜は泣き顔のまま、一人残った仲間の方を振り返る。
──だけど。
「……まだだっ!
まだ、諦めるなっ!」
速人はそんな彼女の涙も絶望も意に介さず、未だに動かない碧の元へと這いずる。
そのまま、速人は息を吸い込むと碧の死体に口付け。
同時に全力で彼女の咽喉奥へと息を吐き出す。
そして、歯を食いしばってまともに動かない自分の身体を無理やり引き起こすと、その穴の開いたメイド服から覗ける、殆ど性徴の見られない胸の上に手を置き、そのまま体重を込めて押し込む。
「速人さん。何を……」
「人間のっ身体なんてっ!
結構っ!
いい加減なっものだっ!」
そこでもう一度速人は、強制的に碧の肺に酸素を送り込む。
「まだっ心肺停止っ直後ならっ!
脳はっまだ死んでいない!
だからっ!
強引にでもっ動かしてやればっ!」
速人の説明はそこまでだった。
……いや、そこまでで十分だったのだ。
「……げほっ!
ほっ! はっぁ!」
肺と咽喉に溜まっていた血を吐き出して……碧だった物質は自律的な呼吸を開始し、碧という名の生物に戻る。
「……な?」
「……速人、さん」
目の前で生き返った仲間を見て、速人は雪菜の方を振り返る。
雪菜はまだ泣き顔のままだった。
だが、その涙に濡れた瞳に絶望の色はない。
「おぉ?」
そして。
速人はそこで体力と気力の全てを使い果たしたのか、未だに意識を取り戻さない碧の上へと崩れ落ち……
「へへへ。ははははは。
……どう、だ。
俺は、死神にすら……負けて、ない、ぞ」
ボロボロのまま、速人はそう笑う。
そんな状態だというのに……仲間を気遣うことも、疲労と激痛に苛まれる己の身体の保身すらも彼にはなくて。
ただ碧の元へと訪れた、人間では全く抗えない絶対の存在と言われる『死』そのものに対して戦いを挑んだだけだったのだ。
そして……彼は勝ったのだ。
だからこそ、速人は酷く満足げな笑顔を残し。
「さぁ。また勝った、ぞ?
つぎ、は……どん、な……」
そのまま、眠りに落ちたのだった。
「やっぱり、私はまだまだ……ということです、ね」
雪菜は、目の前で倒れ込んだ少年の背中を見つめ、そう呟いた。
銃という凶器と、犯罪を厭わない大人という圧倒的な恐怖を前に、何も出来なかった幼少期。
そして、一年前の絶対的な存在に対する根源的な恐怖。
その二つの記憶から逃れようとして強くなろうとし続けた彼女だったが……
目の前で『本当の強さ』というものを見せ付けられては、もはや自らの弱さを認めざるを得ない。
──強い敵に打ち勝つ力があるとかないとか、そういうことじゃない。
──全ての生物にとって恐怖の対象である『死』という圧倒的な存在を前にしても、絶対に屈せずに抗い続ける。
──それこそが本当の強さなのだろう。
結局……彼女は抗えなかったのだ。
……友人の死という圧倒的な恐怖と哀しみを前にして。
そして、その絶望に抗える強さを持った少年は、目の前で眠りに就いている。
「ですが……この世の中に、その強さは必要ない……か」
雪菜は、戦いの前に碧に言われた言葉を思い出す。
確かに以前聞かされた碧の言葉通りだろう。
──死を嫌う人間が寄り集まって出来た『社会』という集団内では、死を前にしてこそ発揮される速人の強さなんて、全く無意味な代物なのだ。
それどころか、適切な社会生活を営むことを阻害しかねない。
……事実、速人はその本性に身を焦がし、戦いのみを望む挙句一般人にまでその牙を剥き、もう既に社会不適合者になりかけているのだから。
彼が時折放つ殺気は、雪菜や碧さえも時折怯ませるほど強烈なものとなっている。
──いや、殺気ばかりではない。
雪菜の元にも、街の不良相手に喧嘩を売りつけ、それを楽しんでいたと報告が上がっているくらいだ。
……彼の日常的な感覚は確実に崩壊してしまっているのだろう。
先ほどだって、倒れる寸前に呟いた言葉は、ただの勝利の喜びと次の戦いへの渇望である。
体力も気力も尽き果てた挙句、怪我の激痛の中で意識を失う瞬間まで、自分を偽れる人間などいない。
即ち、彼にとって戦いへの渇望こそが存在意義と化すほど……
──黒沢速人という少年はもう、それほどまでに壊れてしまっているのだ。
「やはり、そうするしかない……ですか」
雪菜は戦闘の前、碧から提案された内容を思い出す。
……確かにソレは可能だった。
──速人が叫んだ通り、人間という存在は結構いい加減で……所詮はアミノ酸やら脂質やらの塊に過ぎず、記憶や感情も脳内の化学物質と電気信号の伝達に過ぎないのだから。
彼女の命令一つで、ソレは可能となるだろう。
だけど、ソレは……決断するには重い内容だった。
……だが、それ以外に彼を救う術はないだろう。
このままでは、路上で殺されるか、逮捕されるか。
それとも戦闘で命を落とすのが先か……どちらにしても彼に未来はない。
何しろ、彼の怪我は全く再生しないのだ。
──彼には夜魔特有の再生能力が備わっていない。
その能力は、夜魔となる人間が死の間際に立った時、「自らの命と身体の無事を願う心」から産み出される能力の一種だと、雪菜は考えていた。
だけど、彼の怪我は治らない。
……それは即ち、彼が自らの死の瞬間でさえも『自らの保身など全く願わなかった』という事実を示しているのだ。
──彼の本質は純粋な破壊衝動。
彼が戦闘を繰り返し、自らの本質に近づけは近づくほど、保身を考えさえしない彼はまずます死に近づいていく。
勿論、雪菜自身が延々とフォローし続ければ彼の傷を癒し続けることは可能かもしれない。
……だけど、彼女が命を落としたら?
そうしてこれ以上の戦いは、ただ彼が未来のない戦いに身を落とすだけである以上……
「───っ!」
いや、少し前の雪菜なら、それを受け入れていただろう。
──戦友である彼の望むままに戦場を与え、彼の望むままの死にざまを与えてあげることこそが、彼にとっての幸せだと信じて。
……でも、今の雪菜には無理だった。
少年があの化け物に吹っ飛ばされたあの瞬間。
彼が死んだと思った瞬間の……あの絶望感にはもう二度と耐えられる訳がない。
──何しろ、あの化け物を討つことを戦う目的だと信じ力を磨き続けた彼女が……その化け物との戦いの最中に戦いを忘れるほど。
──雪菜の中を占める速人という少年の存在が、大きく育ってしまっていたのだから。
……だから。
「さようなら、速人さん。次に逢う時は……」
そう呟いた雪菜は……少しだけ落ち着かない様子で周囲を見渡した後……
倒れたままの少年に、そっと顔を近づけ……
そのまま、意識のない少年に、最後の『命令』を下したのである。




