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第一章 第四話



「……はっ?」


 左半身に喰らいつかれた時。

 速人の口から出たのは、そんな何気ない一言だけだった。

 巨大なその牙が貫いたのは……速人の左肩と左腕。

 牙が食らいついた勢いによって脇腹と胸も大きく抉られている。

 その光景を目で確かめた瞬間、速人にあったのは、痛みよりも恐怖よりも……ただの困惑だった。


 ──目の前で、自分の身体の一部が、訳の分からない生物らしきものに食われている。


 その日常を簡単にぶち壊す事態は、ただでさえ思考回路が鈍っていた速人の脳みそを完全に停止させるのに必要にして十分な条件だったらしい。

 だけどその怪物は、速人の脳みその再起動を待ってくれるほど優しくはなかった。

 その恐怖や痛みを速人の脳が認識する前に、彼の左半身がその顎に引っ張られる。


「……ああああああああああああっ?」


 抗うことすら出来ないほどの力で、速人の身体全体が持っていかれる。

 どうやら、この怪物は喰らいついた速人を喰いちぎることもなく、そのまま引きずってどこかへ向かおうとしているようだった。

 その時になっても速人は未だに現状を理解出来ず、恐怖を感じる暇すら与えられず、ただ自らの肉体を千切ろうとする凄まじい苦痛に、速人は叫びを上げる。

 ……いや、それを『痛み』と認識出来ないほどの焼け付くような刺激を前に、速人の咽喉は自然と叫びを上げていたのだ。


「くっ。人質のつもり?」


「お嬢様!」


 背後であせった声が聞こえてきた。

 助けを求めるかのように、無意識の内にその声の方向へと速人が振り向くと、さっきまで戦っていた少女二人目掛けて、怪物は襲いかかろうとしていた。


 ──彼を引っ掛けたままで。


 その所為か、二人の反応が遅れる。

 この怪物と戦うような非常識な少女たちにしても……見知らぬ少年ごと怪物を撃ち抜くのは、流石に躊躇われたのだろう。


「~~~っ!」


 その時点になってようやく、速人は自らの状況を理解できた。

 

 ──ただ遊びに来ていただけで。

 ──ただ普通に歩いていただけで。

 ──突如訳の分からないことに巻き込まれ。

 ──友人はその体積の九割近くを食べられ。

 ──周りの人々も食べられ。


 ……自らは、こうして化け物に半分食われている。


 ──要するに。


 速人は今、昔見た記憶のあるアフリカの動物映像とかの、鰐に身体を半分齧られた子鹿みたいな感じなのだ。

 ……あの後、抵抗も出来ずに跡形もなく飲み込まれた、あの子鹿と同じ。


「───っ!

 ふざけんなっっっ!」


 そう理解した瞬間、速人の頭の中から困惑も恐怖も、さっきまでの凄まじいまでの激痛も、何もかも全てが吹っ飛んでいた。


 ──周囲が真っ赤に染まる。


 腹の奥から頭の芯まで貫くような、そんな衝動によって全身が熱く燃えるようで、さっきまでの何もかもが遠くなる。


「ふざけんな!

 ふざけんなっ!

 ふざけんなっっっ!」


 叫ぶ。


「こんなっ!

 こんなのっっ!」


 喚く。


「~~~!」


 ……その時だった。


 ──目が合ったのだ。


 目の前の化け物と。

 ……顎の周辺にある、七つの瞳の、その一つと。


「はははっ!」


 頭の中の熱が命じるまま、嘲う。


 ──コイツ。

 ──こんなに分かり易い弱点を晒しておいて、この俺を餌にしたのか?


「阿呆がっ!」


 速人は身体を駆け抜けるその衝動のまま、自由だった右腕をその瞳に向かって思いっきり突き出す。

 次の瞬間には、彼の指先は生暖かいゴムみたいな感触を突き抜けていた。


「まだまだっ!」


 指から手首、肘まで奥へ。

 意外に抵抗なく右腕は、その怪物の眼窩へと潜り込み……


『GYAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaa!』


「~~~っがっ!」


 と、激痛によって暴れだした化け物によって、さっきまで餌でしかなかった速人はあっさりと振り払われてしまう。

 何の因果か……彼が吹っ飛んだ先は、今日入ったゲーセンの店の前に置いてあったクレーンゲームの筐体で……速人はプラスチックの筐体に思いっきり叩きつけられていた。

 クレーンゲームの中身が、辺り一面にと散らばって行く。

 女性なら可愛いと表現するだろう、パンダやらキリンやらのデフォルメされた人形が、血まみれの床に転がるその光景は……かなりシュールな光景だろう。


「へっ。へへへっ。

 へへへへへへへへへへへへへへっ」


 だけど、そんな中。

 クレーンゲームの筐体へと吹っ飛ばされた速人は、そのまま痛みすら感じていないように、笑いながら起き上がる。


 ──事実、彼は痛みなんて感じてなかった。


 ただ、頭の中が燃えるように熱くて……殺意というか破壊衝動というか……早い話が『目の前にある敵を消滅させる』という感情以外、何も考えられない。


「お。千切れたか?」


 速人がふと、自らの左腕を見ると、そこには腕はもうなかった。

 その傷口からは、いつ致命傷になってもおかしくないほど、真っ赤な血が噴水のように吹き出ている。

 右腕も血まみれで、その指の何本かは通常ではありえない方向に捻じ曲がり。

 その挙句、筐体にぶつかった時に刺さったのだろう。

 彼の背中にはガラスの欠片が数本、突き刺さっていた。


 ──だけど。


 そんな致命的な身体の損傷すら、今の彼には遥か遠い彼方の雑事に過ぎなかった。


「……ははははははははは」


 理由もなく笑いながらも、速人はそれが当たり前のように、武器を探す。

 当然のことながら、ゲーセンの店先にコンバットナイフやら日本刀やらが存在しているはずも無い。

 結局、近くにあったガラスの破片を、折れた右手で掴む。

 指がへし折れているのに無理矢理握ったため、ガラスの破片は指を切り裂き、指から醤油挿しを傾けたように真紅の液体が流れ続けていた。


 ──だけど。


 ……その痛みすら、今の速人はもう感じない。

 目を潰された怪物の、残り六つの瞳と目が合う。


「へへへ。

 ……きやがれっ!」


 化け物を前にして、速人は獰猛に叫ぶ。

 大怪我をしたというのに、片腕を無くしたというのに、自分に一瞬で致命傷を与えるだろう化け物が正面から顎を開いて襲って来ているというのに。

 彼の身体の奥から湧き上がる激情は全く衰えることなく、いや、彼の鼓動が一つまた一つと打つたびに更に更にと強まって行くばかりだった。

 彼の脳はただ『目の前の化け物に右手のガラスの破片を叩きつける』以外、何も思いつかず。

 目の前に迫ってきた、血まみれになっている鋭い牙に対する恐怖も浮かばず。

 もはやこの怪我では避けられそうもない彼自身の死に対する恐怖すらも浮かばない。


『GRUUAAAAAAAAAAaaaaaa!』


 喚き声を上げながら、ソイツが突っ込んできた、その瞬間。


『GYANN!』


 化け物が横へ吹っ飛ぶ。


「何を考えてるんだ! 貴様!」


 吹っ飛んだのと逆の方向を速人が向くと、そこには中腰で銃を構えた、メイド服の少女がいた。

 彼女はどうやら、速人を助けようとしたのだろう。

 ……だけど。


「馬鹿野郎っ!

 邪魔をするなっ!」


「……な?」


 速人の口から出たのは……感謝の言葉でもなく、そんな罵声だった。

 何しろ彼の頭の中には『的が遠くに離れていった』という事実しか認識していなかったのだから。


「待ちやがれっ!」


 遠くなった的は、近づいて切り裂かなければならない。

 そう思い、速人が駆け出そうとした瞬間……


【……気に入った】


 突如、そんな声がした。

 速人の耳には、その声は老人の声のように聞こえた。

 だが、周囲ある人影は、黒いドレスとメイド服の二人の少女くらいである。

 彼女たちの声ではないとすると……

 周囲を見渡す速人の脳裏に、またしても老人の声が響き渡る。


【お前を、夜魔(ナイトゴーント)に加えよう】


 その声は速人に向かい……確かに、そう告げたのだった。



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