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第一章 第二話

 少年が血の海で怪物に襲われる、僅か三時間ほど前。

 その少年……黒沢速人はまだ平穏な日常の中にいた。



「お~い、そろそろ起きろよ、こら」


 速人を夢の中から引きずり出したのは、そんな少年の声と、乱暴に身体を揺すられる感覚だった。

 目を開いた速人の視界に、人の良さそうな、だけど今一つ特徴のない中肉中背の友人の姿が映る。


「……あ?

 白木か?」


 未だに寝惚けた頭のまま、速人は周囲を見渡す。

 彼の周囲はいつもと変わらない教室だった。

 言葉としては意味をなさない、だけど言葉が乱雑に集まったが故のざわめき。

 顔を知っている男子や女子があちこちで何やら話し合っているのが目に映る。

 そろそろ夏と断言しても構わない暑さの中、窓の外ではそろそろ活動を始めた蝉と年中無休で活動している運動部の連中が、競い合うように声を張り上げていた。

 窓の外は少しだけ赤みがかっていて……


「……放課、後?」


「ったく。何時間眠りゃ気が済むんだ、お前は」


 未だに半ば夢の世界にいる速人の声に、白木という名の少年は肩を竦めながら苦笑する。

 白木が呆れて笑う通り、こうして速人が寝惚ける姿は別に特別なものではない。

 いや、速人の昼寝癖はこの二年B組でもかなり有名な方だった。

 身長は平均より僅かに下、体重も平均より軽め、成績も下から数えた方が早いという、黒沢速人は、あまり教室内でも目立つ方ではなく……

 彼を印象付けているのは、その昼寝癖くらいのものだった。

 だから……もし級友に彼のことを尋ねても「ああ、いつも寝ている……」という返事しか返ってこないだろう。

 この時の黒沢速人という少年は、そんな目立たない、どこにでもいるただの高校生だった。


 ……そう、この時は、まだ。


 速人自身、自分が一体何に秀でているか、自分の本質が何なのかすら気付くこともなく、何の目的も見いだせない、退屈な日々を過ごすただの高校生に過ぎなかったのだ。


「あ~。白木、いつも悪いな」


 ようやく意識と感覚が戻ってきた速人は、そう友人に向けて口を開きつつも、額に浮かんでいた寝汗を右腕で拭う。

 季節の所為か、それとも空調代をケチる学校方針の所為か、教室内は酷く蒸し暑く……半そでのカッターシャツという夏服を着ていても、寝起きはいつも汗だくになってしまう。


「ったく、お前は放っておいたら朝まで寝かねないからな~」


「うっせ。どうせ授業聞いても分からないんだ。

 だったら寝てた方がマシだろ?」


 友人の呆れた声に速人は軽く言葉を返しながら、机の上に枕代わりに置いてあった物理の教科書を机の中に仕舞い、机の脇から鞄を掴む。

 健全な高校二年生である速人は……教科書なんて持って帰る訳もなく、カバンはただの弁当入れに過ぎなかった。


「ったく。お前は。

 ……で、今日はどうするんだ?」


 友人である白木も、速人のそんな行動を咎めることもなくそう尋ねる。


 ──類は友を呼ぶ。


 白木もまた、速人と同じくらいの成績と、速人に負けないレベルの真面目さを持つ、健全な高校二年生であった。


「あ~。久々に行くか?」


 速人は答えながら右手で操縦桿を握るふりをしてみる。

 それは、ゲーセンに行っていつもの某アニメをモチーフにしたシューティングアクションゲームをやろうという合図だった。

 速人の声に白木は軽く頷いて応える。

 何度もコンビを組んだ仲だ。

 その程度のやりとりで、意志の疎通くらいは可能になっている。

 ……ちなみに二人の勝率は六割強。中級者といったところである。

 そのまま二人連れ立って教室を出ようとしたところで……


「ちょっと! 速人!」


 二人の背後から少女の声がかけられる。


「何だよ、環」


「あと二週間でテストでしょう? 

 ちゃんと勉強してるの?」


 速人に声をかけてきたのは、同級生にして従妹の黒沢環だった。

 ……従「妹」って言っても、たったの七日しか違わない。

 ちなみに速人にとっては幸運なことにクラスは別で、彼の隣の教室が彼女のクラスになっている。


「あ~あ。思い出させるなよな」


「前のテストでも赤点寸前だったじゃない!

 毎晩毎晩、変な映画ばっかり借りて観ていないで、たまにはもうちょっと……」


「はいはい。

 ま、その内な」


 そう言って速人は従妹の説教を軽く聞き流す。

 黒沢環という少女は、一言で言うなら『学級委員長』と表現するのが早い少女である。

 全く手を加えていない漆黒の髪を頭の後ろで三つ編みにし、メガネをかけているという……ある意味では時代錯誤とも言える恰好をしている。

 彼女は委員長の例に漏れず説教好きで……


 ──加えて……速人にとって最悪なことに、彼と環の家は隣同士だった。


 だから速人にしてみれば、彼女の説教なんてもう「耳にタコ」という奴だ。

 最近では彼女の眼鏡を見ただけで、胃の辺りがずうんと重くなってくる始末である。

 それは、イワン=ペトローヴィチ=パブロフが飼い犬を虐待して発見されたという症状だろう。


「洋モノのホラー映画を見て、何が悪いんだか」


 従妹に向けて速人がそう呟いた通り、彼女の言う『変な映画』というのは、別に思春期特有の肌色なヤツではない。

 いや、肌色の多いベッドシーンも多々出てくるが……そうやってイチャイチャしていたカップルは大抵が悲惨な最期を遂げるような……

 早い話が、血が大量に吹き出る類のヤツだ。

 速人はそんな映画を、友人である白木の薦めで数ヶ月前から見始めて……それから延々と義理で見続けている。

 速人自身の嗜好としては、スプラッターというジャンルは別に好きじゃないのだが、白木のヤツが同好の志を見つけたとばかりに次々と貸してくるのである。

 ついでに言うと……特に趣味もない速人にとって夜という時間は長過ぎた。

 尤も、お蔭で速人の生活リズムは完璧に崩壊し、今や授業中に睡眠を取るという始末なのだが……ま、それはそれ。

 その所為でこの数か月、従妹の機嫌は悪化の一途を辿るばかりであった。


「ちょっと~! 少しは私の話を……」


 従妹の説教を完全に無視して、そのまま教室を出る速人。

 そんな速人の態度に従妹である環が喚くが、速人にとってそんなの、知ったことじゃない。


「おいおい。いいのかよ、相変わらずだな」


「知るか。もう毎日毎日……」


 白木は心配そうに背後を振り返るが、速人は無視して歩く。


 ──実際、歳の近い、説教好きの従妹なんて鬱陶しいことこの上なかったのだ。


 ただでさえ最近……というか、高校に入学して以来一年ちょっとの間、延々と下がり続けている成績の所為で親の逆鱗に触れた速人は、今現在、小遣いを三割カットという酷い虐待に遭っている最中なのだ。

 ……その上、学校で繰り返される日々は退屈で、同じようなことの繰り返し。

 毎日同じような時間に起きて、同じ学校に座り、何の意味もなさそうな言語を聞かされて、帰って飯食べて寝る。


 ──それだけの人生。


 現在の自分に満足出来ない。

 ……だけど何をすればいいのかも分らない。

 勉強をしたとしてもスポーツをしたとしても……「何かが違う」と頭のどこかが囁き続けて。

 結局、何をするにしても中途半端。


 ──そんな毎日がただ続いていたのだ。


 その繰り返しの中、将来とかいう見えないほど遠い未来への希望を抱くなんて、速人には不可能で……

 その挙句に、またしても数字で自分を測る、訳の分らないテストとかいうイベントも近づいて来ている。

 そんな状況の中では、速人が身内に対して鬱屈した態度を取るのも無理はない。

 だけど彼は性格上、その鬱屈した感情を晴らすため暴れたり万引きしたり、そういう後々響きそうな事には手を出せるタイプでもなかった。

 暴れたら後でどうなるかを、暴れる前に考えてしまうタイプなのである。

 結局のところ、そんな鬱屈した感情から一時的に逃避するために、速人はゲーセンという、俗世を一切忘れられる場所へと、毎日のように逃げ込んでいたのだ。

 と言うのに、その矢先に説教されては、身がもたない。

 ……しかもその説教してくる相手が、親から散々比較され続け、そろそろ殺意さえも覚えそうな、お隣の優等生からとなれば。


「いい加減にしないと、落第するわよ~!」


 背後から聞こえてくるそんな従妹の叫びを聞き流しながら、速人は友人と連れ立って近くのアーケード街に向かったのだった。


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