第三章 第五話
「死ぬ!
死んでしまうっ!
これ、絶対に死ぬって!」
速人は顔面直撃コースだった硬球を必死で躱しながら、室外に響けと言わんばかりに叫んだ。
……だけど。
外部からの反応はない。
というより、次に飛んできた硬球……しかも三つがその答えらしい。
「阿呆か~っ!
これは特訓じゃなくて拷問ってんだよ!」
速人は必死に硬球を躱しつつも、監視カメラに向かって叫ぶ。
だが、室外から彼をモニターしている筈の雪菜と碧からの答えはなかった。
……無視されているというよりも、泣き言には付き合ってられないというのが二人の少女の感想なのかもしれない。
「……大体、何なんだ、この部屋は?」
やっと球速にも部屋にも慣れてきた速人は、硬球が飛んで来る合間に周囲を見渡してみる。
その部屋はただの真っ白な部屋だった。
四方20メートルくらいの家具も何もない部屋で、四隅にあるのは監視カメラだろう。
そんな部屋の四方の壁に穴が幾つも開いてある。
四方八方見渡す限り……である。
「くっ!」
先ほどから速人を狙い続けている硬球は、その穴から出てきていた。
球速は……凡そ150キロ毎時ってところだろう。
速人の記憶にある限りでは、あの球の速さは「バッティングセンターで一度も当たらなかった速さと同じくらいだ」と判断出来る。
その程度には速い硬球が……恐らくは乱数計算された個数、乱数計算された穴から速人目掛けて飛んでくるのだ。
室内がピッチャーとバッターの距離の倍以上あるからこそ、何とか回避できているものの、それも時間の問題である。
「やばっ!」
と考えていたら時間の問題が早くも訪れていた。
足元に転がっていた硬球に足を取られた速人の顔面目掛けて、硬球が飛んでくる。
──手で防ぐのは無理だ。
あの速さの硬球を腕で受け止めなんかしたら……間違いなく骨がイかれる。
「出ろっ!」
だから、速人は能力で防ごうと右手を前に出し、黒い球状の能力を意識する。
──狙い違わず、能力は発動した。
気付けばテニスボール程度の黒い球が、速人の右手の先へと出現していた。
速人は、反射的に『ソレ』を飛んできた硬球に重ねて防ごうとする。
……ちなみに。
テニスボールの直径は凡そ6・5センチメートル。
硬球の直径は約23センチメートルほどである。
──つまりがどうなるか。
テニスボールで硬球が消せる筈もない。
そして、飛んできた硬球が正面一つきりの筈もない。
「へぶろわっ!」
全身に硬球の直撃を、しかも時速150キロ毎時を食らった速人は、あっさりとその意識を闇の中に手放したのだった。
「……全ての観測機で、測定不能です」
その能力を目の当たりにして、出た結論は……そんな程度のものだった。
雪菜は自らが雇っている研究者の、その報告を聞いて頷く。
報告を上げたのは、それほど高くもない金額で引き抜いた物理学専門の学者である。
まだ若い女性なのだが、その実力は雪菜も認めている。
と言うか、能力なんて訳の分らない超能力を研究してくれる学者なんて……実力はあるのだが、その若さ故に世間で認められていない、そんな人間だけなのだ。
そんな相手でも、能力という異質な現象に関してはどうしようもないのだろう。
……雪菜自身の能力の時も、碧の能力を測定した時にも、報告の結論は似たようなものだったのだから。
「つまり……セラにも分らないと?」
「ええ。現代物理学・現代科学では、物体の観測を行って初めて存在を確定させますから。
お嬢様たちの時よりもまだ理解不能です。
そもそも全てを消滅させる超能力なんて、実存を証明なんて出来る筈もありません。
……光さえも反射されないのですから、観測自体が不可能なのです」
その研究者……金髪の白人、セラ=グリモワールは肩をすくめる。
彼女としてはその事実は語りつつも認めがたいのだろう。
苦々しげに歪められたセラの表情が全てを物語っている。
──観測できないものは『存在しない』。
それが現代科学と現代物理学の基本である。
勿論、量子力学におけるエルヴィン=シュレディンガーの箱詰め猫惨殺理論みたいな、観測するまで確率論です、みたいなものもあるのだが、それは置いておいて。
基本的に『原因と結果はあるが観測できない』などというオカルトそのものの現象に理論を詰め込むなんて……現代科学や物理学では不可能なのだ。
「ですから、数日間待っていただけますか。
何とか、仮説だけでも……」
だが、セラは……そんな科学の限界を知りつつもそう提案するしかない。
彼女の立場としては、仮説だけでも立てないとスポンサーである雪菜に見放される。
──そうなると、研究費用や研究施設が全てなくなってしまう。
この立場がなくなってしまえば、彼女はまたしても研究者としてではなく、何者でもないただの女性として……無駄な時間を費やしてただ紙切れを複製し続けるだけの事務屋に戻ることになる。
そして……己の才能の価値を信じているセラには、それだけは耐えられない。
「ええ。任せるわ」
どの道、頭は良くても専門的な知識のない雪菜には、セラが導き出すという非常に専門的な仮説を聞かされても、全く訳が分からなかった。
だけど……動機はどうあれ、相手のやる気に水を注す訳にもいかない。
彼女が欲しいのは能力の理論でなくて『有効な使い方』で……セラという科学者の言葉は今まで雪菜や碧に対して幾度となく有益なアドバイスをもたらしてくれているのだ。
今回も恐らく、速人に対して有益な回答を見つけ出してくれるに違いない。
だからこそ、雪菜は彼女を雇っているのだ。
「では、よろしくお願いしますね」
雪菜は、先ほどの観測結果を睨んで動かなくなったセラに声をかけると、特訓室という名の観測室に足を運ぶ。
何しろそこには、彼女の『治療』が必要な相手が、大の字で横たわっているのだから。




