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第二章 第六話



「……なんだ、ありゃ」


 鈴の音に導かれるように、黒な車で凡そ五分ほど走った先。

 小さな雑木林の中に連れてこられた速人は、目の前の物体を見てそう呟いた。

 ……いや、そう呟くしかなかった。

 そこにあったのは先日の悪夢と似たような、非常識な光景だったからだ。


「……ひも?」


 『それ』は、確かにそうとしか表現できない存在だった。

 速人の手首ほどの太さの、白くて長い物体が、何もない空間からウネウネと湧き出している。

 線虫というか、ハリガネムシというか。

 頭という動きの中心がない分、蛇よりも遥かに気持ちが悪い。


「恐らく、【蜘蛛の糸】ですわ。

 あ、余所見をしていると危ないですわよ?」


「……蜘蛛の糸?

 あれが?」


 そんな速人の隣で、真っ黒なドレスの雪菜が微笑みながら速人の疑問に答える。

 その黒衣のドレス姿は、雑木林の中で物凄く異彩を放っていた。

 この場所にこれほど似合わない格好もそうないだろう。


「お嬢様もです」


 ……いや、もう一人いた。

 これまた雑木林には似合わない、メイド服を着た小柄な少女。


「来ますわ!」


 雪菜の叫びに、慌てて速人は敵の方に視線を戻す。

 その敵……即ち白いひもは、全体を弛ませたかと思うと……


「どわっ!」


 速人の眼前を、真っ白な何かが通り過ぎる。

 どういう原理かは分からないが、その白いひもは自律行動が可能らしく、凄まじい速度で動き……その威力は速人の近くの木をなぎ倒すほどである。

 木の皮がひもにへばりついているところを見ると、多少なりとも粘着性があるのだろう。

 雪菜の言うとおり、蜘蛛の糸を拡大したらああなるのかもしれない。


 ──あんなのを喰らったら……


 良くて骨折。

 ……悪くて内臓破裂。

 当たり所がどうであれ、少なくとも無茶苦茶痛いのだけは覚悟しなければならないだろう。

 そんな恐怖で速人の膝が笑い始めた時……


「雑魚、ですわね。時間の無駄、でしたわ」


 雪菜はつまらなさそうにそう呟いた。


「……は?」


「あの速度なら問題ないでしょう。

 碧、任せましたわ」


「はい。お嬢様」


 突然訳の分からないことを言い出した雪菜を前に、目を白黒させるだけの速人。

 だが、小柄なメイドの少女……碧は、それが当然のように眉一つ動かさずに頷くと、蜘蛛の糸の方を振り向き……


「わわわっ」


 その光景を見て、速人が驚いた声を上げるのも無理はない。

 碧は突然、自らのメイド服のスカートをたくし上げると、その内側に両手を差し入れて……


「んっ」


 スカートから手を出した時には、その両手に拳銃を持っていたのだ。


「……はぁっ?

 一体、何がどうなって?」


 彼女の動きに速人が目を白黒させている間にも、碧はメイド服を翻して蜘蛛の糸の方へと走り出す。


「おいおい?

 一人で大丈夫なのか?」


 メイド姿の小学生が常識はずれの化け物に向かって一人で走り出すという非常識極まりない光景を見た速人は、慌てて隣の黒衣のお嬢様を振り返る。


「ええ。

 碧も夜魔(ナイトゴーント)ですから」


 だけど、雪菜の答えはそんな簡潔なものだった。

 実際、彼女は自らの従者が化け物に一人で向かっているというのに、加勢をするつもりもないらしく、ただ悠然と佇んでいる。


「……夜魔?」


「ええ。あの『声』にそう呼ばれませんでしたか?

 私たち、『声』に選ばれた者たちの名称です」


 その不気味な響きの言葉に速人は少しだけ眉をしかめるが……彼女の説明はそれ以上続かなかった。

 まぁ、そういうものだと聞き流すことにする。

 ただ、彼女の声に動揺も心配も感じられない以上、碧は一人でも心配ないのだろう。

 ……恐らく彼女たちは、速人なんかよりもずっと戦闘経験を積んでいるのだろうから。


「つっ!」


 そんな二人が見守る中、碧は銃を放ちつつ、白い糸が襲い掛かってきたのを見て回避行動を行う。

 と、同時に両手に持つ二挺の拳銃が火を噴いていた。

 彼女に襲い掛かった蜘蛛の糸はその一撃で千切れ、雑木林の落ち葉の上をのたうちまわる。

 ちぎれた糸は暴れまわる内に落ち葉を周囲にまとわりつかせて動かなくなった。


「そしてあのような異形こそ……私たちの敵なのですわ。速人さん」


「……敵?」


 目の前でメイド姿の小柄な少女が、その小さな手にはそぐわない大型拳銃を両手に戦っている姿から目を離せずに、速人は呟き返す。


「ええ。アレは私たちの世界への侵略者。

 そして、私達『夜魔』がその守護者……と言えば、分りますか?」


「……分り易いな」


 製作費をケチったRPGや三流映画かと思うほど簡潔な雪菜の説明に、速人は状況も忘れて少しだけ笑う。

 実際、速人にも何故このお嬢様がメイド一人に戦いを任せるかを、そして何故彼女が勝利を確信しているかを理解出来たから、少し余裕が出来てきたのだ。


 ──何しろ、敵はどう見てもただの『ひも』である。


 アレが戦闘に適した形状か否かは取りあえず置いておくとしても、この場所こそが最大の問題なのだ。

 敵の攻撃はその形状的に打ち据えるか薙ぎ払うしかない。

 だが、敵の攻撃はその形状故に周囲の雑木林に阻まれてしまい、速度が乗らない上に軌道も限られてしまう。

 ついでに言えば……碧は非常に小柄であるため、敵の攻撃は完全に当たらない。よっぽどのミスをしない限り……

 と、速人が今までゲームで鍛えた戦略眼で戦局を分析したときだった。


 ──カチッと。


 ふいに碧の銃撃が止む。

 ……どうやら銃の残弾が尽きたらしい。

 そこを好機と見たのだろう。

 蜘蛛の糸は今までにない速度で、メイド姿の少女に向けて大振りの一撃を振り下ろす。


「……っ!」


 だが、それも予想の範囲だったのか、碧はさっさと両方の銃のマガジンを解除。

 その直後に左手の銃を咥えながらも、横転しつつ敵の攻撃を回避する。

 同時に空いた左手をスカートの中に突っ込み、マガジンを二つ取り出し。

 そのまま敵の横薙ぎの追撃を、バク転をして華麗に回避。

 地に足が着くと同時にマガジン交換。

 そして、ほぼ時間差なく左右の手で引き金を引く。

 その一連の動作を彼女は全く淀みなく、手慣れた様子でこなしていた。


「……どうなってんだ、ありゃ?」


 その光景を見た速人は、またしても疑問を口に出していた。

 ……今度は前よりももう少しだけ呆れた声で。

 何しろ、さっきのアクションで、碧のスカートの中身が完全に見えたからだ。

 其処には小学生のような、余計な肉が全くない細身で色気をあまり感じない脚と、その脚を包みこむ黒のストッキングとガーターベルト。


 ──そしてそれらに全く似合ってないクマがバックプリントされたお子様パンツが見えた。


 だけど、スカートの中には肝心の予備のマガジンも、銃を入れておく筈のホルスターすらも見当たらなかったのである。


「ですから、あの子も夜魔なのですわ。

 無から武器を産み出す能力(ナイトメア)

 勿論、色々制限はあるのですけど……」


「能力?」


 聞きなれない単語に首を傾げる速人。


「ええ。夜魔として選ばれた時に受け継ぐ超能力。

 黒沢速人さん。貴方にもそういう力がおありでしょう?」


 速人への答えに混ぜ込まれたその何気ない雪菜の問いに、速人は少しだけ躊躇したものの、頷く。

 前に見たのが夢ではなくて現実であるなら、彼女に隠しても無駄だからだ。


「……と言うと、君も?」


「ええ」


 探るような速人の問いに、笑顔で答える雪菜。

 全く自分が人とは異なるということを隠そうとしていない、超越者の自信に満ちたその笑みに、速人は少しだけ毒気を抜かれる。


「さて。そろそろ終わりそうですわね」


 ふと雪菜はそう呟くと、目線を自分の従者に戻す。

 そこには相変わらず、『拳銃を構えた小柄なメイド少女と白いひもが戦っている』という、今目の前で起きていてさえ、自分の目と正気を疑いたくなるような光景が繰り広げられていた。

 速人から見ると、その光景は今までとあまり変化ないように思えたが……実のところ、ひもの長さが以前よりかなり短くなっていた。


 ──どうやら、碧の銃撃によってちょっとずつ短くなっていったようである。


 ……その時だった。

 速人の目では確認出来なかったのだが、黒いドレスの少女がそれとなく指で合図を送る。


「……ん」


 その合図にメイド姿の少女が頷き、銃を咥えるとスカートに手を突っ込む。


 ──敵から見れば、それは絶対的な隙だった。


 眼前の敵には油断は全くない。

 それは今までの戦いで分っている。

 今と同じように残弾がなくなったときでさえ、この蜘蛛の糸には有効な攻め手を展開出来なかったのだから。

 ……だが。


 ──背後でこちらを見ている二つの生命体ならばどうだ?


 その白いひもが自律的にそう考えたのか、それともひもの本体……即ち、蜘蛛の糸が続く先の、虚空の彼方で糸を紡いでいる存在がそう考えたかは分らないが……

 そのひもは突然、背後で戦いを鑑賞していた速人と雪菜の元へと突っ込んできた。


「───っ!」


 傍観者に徹していた速人は、突如迫ってきた敵に反応できない。


 ──さぁ、見せてもらうわよ、貴方の能力を!


 そして、その様子を助けるでもなく見つめる雪菜。

 ……だけど。


(避ける?

 ……間に合わない)


(超能力で?

 ……発動できるのか?)


(ガード?

 ……もう、間に合わない!)


 生命の危機が迫った時に達するという、全てが遅く感じられるという世界で。

 ……速人に出来たことは、考えることだけだった。


 ──当然だろう。


 訓練もしていない人間が、突然不意を突かれて、的確な行動が出来る筈もない。

 先日のように怒りに我を忘れているなら兎も角、普段の状態ならば、思考が判断の邪魔をする。

 という訳で……


「げふっ!」


 結局、速人は能力を使うでもなく、避けるでもなく、防ぐでもなく。

 その攻撃を胴にもろに貰い……


 ──そのまま、あっさりと意識を失ったのだった。



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