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世界に異形が現れたのは今からおよそ150年程前とされている。今までに存在しなかったはずの動植物。固体、液体、気体、様々な新素材。実体を持たないがこちらに影響を及ぼすもの。
異形はこちらの世界に大きな影響を与えた。全滅した動植物は少なくなく、生態系は今もなお変化し続けている。人間も、その変化に巻き込まれ、これまで農業や畜産、林業などを営んできたものがその職を失い、土地を追われることもあった。人里を襲う異形もいるのだ。
しかし、その逆に人と共存する者もいる。新しい主食として栽培されるもの、人に飼われ家畜となるもの、異形の素材によって、これまでにない創作物や技術が開発されることもあった。
人類は異形の脅威にさらされながらもその恩恵にあずかっている面もあるのだ。良くも悪くもその影響は計り知れない。
異形が世界にあふれると、それを研究するものが現れた。それが呪い師である。
彼らは異形に魅せられ、それらがどのような存在であるかを追求し続けた。有害なものや無害なもの。利益を生むものや被害を生むもの。それらはどうやって生きていて、どのよう習性を持つのか。
調べて分かった結果はより効率よく異形を統制、あるいは殲滅することに用いられる。しかし、呪い師の目的は人の生活を守ることでも、豊かにすることでもない。彼らは知識に飢えた獣であり、常に異形の新しい一面を探ることに意識を割いているのである。
そして、すべての呪い師が解明に挑みながらも、いまだに謎のままとされている究極の謎がある。
―――異形たちはどのようにして生まれたのか―――
あるいは”どこからやってきたのか”と考えてもいいかもしれない。異形はある時突然その生命体としてこの世の出現したとしてはその数が多すぎた。突然変異で生まれたのではなく、どこかからその異形のコミュニティを丸々移動させてきたかのような現れ方だったのだ。種が子孫を残す際に起こる異常事態にしてはそれは常軌を逸している。
ある呪い師が、それらの異形は未発見の大陸から運ばれてきたのだという説を説いた。しかし、だれが、どうしてそんなことをする必要があろうか?意図が全く読めない上に、その考えに基づいて行われた国家規模の大陸散策はかけらも実を結ばなかった。
ある呪い師は、どこかの狂気の者が禁忌の術を使って世界の法をゆがめたのだと考えた。しかし、それはこの世において夢のまた夢のような話で、狂言としてしか受け止められない。そのような人の域を超えた術があるとするならば、それを行使できるのは人には及ばぬところに存在する何かだ。それこそ神か悪魔かという話になるだろうが、この世にそのようなものがいるなど誰も信じていない。
その派生として、神や悪魔の存在、世界滅亡の危機をうたう呪い師もいたが、彼らは狂人として扱われることになる。この世には神も悪魔も存在しない。存在するのは時を地道に生きるものたちだけだ。
異形はどのようにして生まれたのか。
その問いは解明されないまま時が経ち、しかし、その謎を真剣に考える者は少なくなってきている。彼らにとって、既に異形は日常になりつつある。”異形”という名さえ、それらを示すのには不適当と考える者も出てくるほどなのだ。全ての呪い師はその謎に固執し、答えを追い求めるが、人々は、彼らの行為はただ時間を無為に過ごしているとしか思えなくなっている。
「さて、ユーリよ。お前も呪い師なら、その問いに興味がないとは言うまいな」
護衛の県の詳細を話す前に一つ小話を挟むと言って、ムジカは楽しそうに語っていた。できの悪い子を諭すように丁寧に。
ユーリはそれを悔しそうに聞いていた。
「その口ぶりからすると、まるであんたは異形の出現の真実を知っているかのように思えるが」
「さあ、どうだかな」
「何だそれは」
「知っている、と断言はできない。根拠が無いんだ。しかし、俺はその説を信じている」
ムジカの表情が引き締まる。冷たい目がユーリの内面を、あるいは相対しているユーリを通り越した位置にある何かを射抜く。
「あれは異なる世界から来たのだ」
「……どういう意味だ」
ムジカの言葉の意味が分からず、聞き返す。ムジカはその反応は織り込み済みだったのか、早々と次の説明に移る。
「世界というものは無数に存在する、といってお前には理解できるか?」
「それは、世に言う死後の世界のことを言っているのか?それとも哲学者どもが言う精神や概念の世界というものか?どちらにしろ、妄言にすぎん」
「そうではない。…いや、そういう世界もあるのかもしれないが、そういうことを言いたいんじゃない。俺が話しているのはもっと個として確立し、独立した世界のことだ。そうだな。お前は自身の思考の領域をもっと大きくすると良い。きっとお前は、この世界から外へと思考を広げることができんのだろう」
「たとえば、そうだな。一本の大樹があるとする。世界はそれから生える無数の枝で、葉はその世界に住む者すべてを指す。異形がはびこるこの状況は、俺たちの枝に他の枝に生えているはずの葉が移ってきたということに当たるかな。まあ、あり得ないことではあるが、それだけの異常事態ということだ」
ムジカがひとり納得したように頷くが、ユーリはそれに対して眉をひそめるだけだ。
――――― 一本の大樹
――――― 枝と葉
「若いのだから頭を柔らかくして考えろ。考えねば脳が腐るぞ」
「いちいちうるせえな、あんたは。大体なんだその考えは?お前の仮説なのか?」
「そうじゃない。そもそも、これは仮説ではないんだ。”世界を渡ってきた人間の話”なんだよ」
「……なんだと?」
「まあ、それももう記録でしかないんだがな。150年前、異世界よりこの世界に渡ってきたであろう女児の語りだ。自分はこことは異なる世界から渡ってきた、と。そう語る女児は体内に強大な異形を飼っており、その異形がいくつかの世界に穴をうがった。その穴から葉が降ってきた。女児の体内の異形は葉を引きよせる力を持ち、その力ゆえ女児は監禁された。あの灰色の建物に」
「…は、待てよ。じゃあ、この地に異形が密集しているのはその異形がいるからって理由なのか?」
「ああ、その通りだ」
ユーリにはその話はなかなか信じられるものではない。異形が世界をうがつだと?それはまさに神ではないか。
「しかし、その異形は、その女児はどうなった?もう150年だろう?人間が生きていける時間ではない。女児は死んだのか?死んだとして、異形はどうなる?それともそれだけの異形を体内に秘めると、寿命さえ超越するのか?というか、もしや、俺に護衛させたいというのはその異形のことではあるまいな?」
「質問が多いな。そう焦るな」
焦るな、と言われればさらに激昂してしまう。話は進めど、ユーリは未だに状況が飲み込めないままなのだ。
ムジカはその様子を見て困った子どもを見る目をする。
「まず、護衛対象は異形ではない。人間だ。だが、その方は先ほど話した女児のように異形を内に宿している」
「どういうことだ?」
「その方はこの世界に渡ってきたと言われる女児の子孫に当たる。異形は親から子に受け継がれてきているんだ」
ユーリはムジカの話を咀嚼するが、それを現実と捉えられないままに嚥下してしまう。考えろ、考えろと言い聞かせ、何んとか実態をつかめるように頭を働かせる。
「しかし、何でそいつは監禁されているんだ?それだけ危険なやつなんじゃないのか?」
「違う!あの方は優しい方だ。まだ幼いが、聡い子なんだ」
「では、何で監禁されている?」
ユーリがその問いを発した途端、ムジカは顔を歪める。憎い敵を見る憎悪の目。
「それは、村の奴らが異形を呼ぶためにあの方を利用しているからだ。俺はあの方を、この村の呪縛から助け出してさしあげたいんだよ」