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 一人の旅人風の男が街道を歩いていく。

 長年旅を続けてきたのだろう。来ている外套は端が擦り切れているし、靴もきれいとは言い難い。そして髪にはちらほらと白いものが混じっている。

 顔つきからして不思議と年を食っているようには見えないが、年齢に対し若く見えるのか、それとも苦労を重ねてきたのか、どちらに見えると問われたら後者を選ぶ者が多いだろう。


 男は背中には大きな荷物を背負って、しっかりとした足取りで歩を進めていた。この道の先にあるモユクの村まであと幾ばくも無い。日暮れまではまだ時間があるし、今日中には村にたどりつけるだろう。少しだけ歩調を速める。

 久しぶりにしっかりとした寝床に横になりたい。前の村からこちらまでの道のりは予想以上に遠く険しかった。


 後ろから行商人の荷馬車が迫り、ゆっくりと追い抜いていく。

 あの荷馬車に乗せてもらえば、楽に村までつけるだろうに。

 そう思うが、運賃を払えるほど懐の状況は芳しくない。悔しさに歯を食いしばった後に一つ諦念のため息をついて、歩く。歩く。


 ―――カサリ


 荷馬車の主人を呪う勢いで睨みつけていると、奇妙な音がした。道の両脇には鬱蒼と木々が生い茂っている。そのどこかで、生き物が動く気配がする。


 たいていの動物は人を恐れるので、自分からこちらに接触してくることはほぼ無いと言って良い。ここらの森に野盗の類はいないと聞いている。絶対とは言えないものの旅に危険は少ないはずだ。


 だが、注意を怠ってはいけない。念のために立ち止まり、もう一度気配を探る。


 ―――カサ、カサ、カサ


 集中すると、音を明確にとらえることができた。音の感じからして、複数だ。そして軽い。

 小動物の――――――群れ。


(おいおい、またか)


 若干のいら立ちを交えつつ、息を漏らす。その音の正体はこの道で幾度となく彼に近づいてきていて、そのたびに追い払っていたのだが、結果はいたちごっこだったようだ。

 辺りを見渡し適当な葉を見つける。その葉を器用に丸めて口元に寄せ、息を吹く。


 ピ――――――……ピ――――――――――!


 葉笛の鋭い音が響き渡る。その音がきっかけになったのか、奇妙な音に動揺して隠れていたものが街道に飛び出してきた。

 

 毛むくじゃらの体躯に大きな耳が左右に2対、つまり4つついている。愛らしい瞳とげっ歯類の歯を持ち合わせている。ここらではよく見かける異形の獣だ。この世に存在するはずのないその獣が次々に両脇の林から現れる。それらは、同中何度も男が追い払ったものだった。


「んん?こいつらは不意の高音に弱いはずなんだがな…」


 男はひとり呟き、首をかしげる。

 これまでの道中では葉笛を聞いた途端に気絶するか林の奥へと逃げだすかしたはずの獣たちが、どんどん林から現れてくる。そして男がもともと進んでいた方向へと駆け出して行った。その方向にあるのは、先ほどの行商人の荷馬車である。


「しまった!」


 異形の獣たちは荷馬車に向かっている。いち早く危険に気がついて男が駆け出した。

 荷馬車はのんきにのろのろと進んでいて、獣たちはあっという間に追いついてしまうだろう。相当数が互いに押し合いながら突き進んでいく。このままでは行商人に被害が及ぶ可能性がある。


「おーい!行商人の方!耳の獣がそちらに向かってる!逃げろ!」


 その声に御者台の人物が振り返る。フードで顔の大部分が隠されているものの両目が驚きに見開いたことが分かった。後ろからおよそ30は超えるだろう数の獣が追いかけてくるのだ。それらはみな兎ほどの大きさしかないが、その数は脅威に当たる。

 行商人は目の前の光景に混乱したのか、振り返ったままの状態で固まってしまう。男はそれを見ると舌打ちをして、既に疲弊しきった足を動かして駆ける。背負っている荷物が重い。息が上がって、膝が折れそうになる。


 獣の先頭のものが駆け出した状態から大きく跳ねて荷台に飛び乗り、後続の何匹かがそれに倣う。行商人が荷物を荒らされてはたまらないと慌てて追い払おうとするが、その間に他の獣たちが馬を刺激してしまい、驚いた馬が混乱したせいで荷馬車が揺れ、行商人はべたりと倒れこんだ。


 そこでやっと男が辿り着く。彼は行商人の見事な転倒に頭を抱えたくなるのを何とかこらえて、走りつつ荷から取り出した何本かの線香にマッチで火をつける。


「散れ、獣ども。」


 声とともに線香の先端に息を吹きかけると、煙が勢いよく周りに充満し始める。それは薄緑色の奇妙な煙で、まるで生き物のようにくねりながら獣たちに向かって行った。

 初めに荷台の獣たちがその煙を吸い込む。その瞬間、それらは耳をピンと立てて全身の毛を逆立てた。それが成功の合図である。

 キィキィ、という甲高い叫び声を上げると、獣は荷台から飛び降り、一目散に林へと駆けこんでいく。最初の一匹が逃亡すると、煙を吸った他の獣たちもその後を追う。

 キィキィ、キィキィ、という無数の鳴き声が辺りを満たす。そして、鳴き声を上げたものから次々と林へと逃げだしていく。


 線香の煙は無味無臭。人間や普通の動植物には無害だが、あのような異形の獣に対しては絶対の効果を持つ獣払いの香。

 周囲が煙に満たされ、時間がたつにつれて薄れていく。

 獣はもう、林の奥へと消えていき、その後には、男と行商人だけが残された。行商人は倒れた状態から上半身だけを起こして周囲の状況を分析する。


「あんた、大丈夫か?」

「ふぇっ…あ!ああ、大丈夫です」


男が声をかけると、自分の醜態に気付いたのか慌てて立ち上がり、不安定な御者台で再びふらついた。まだ動揺が抜け切れていないらしい。


「すまんな。本当は街道に出てくるような奴らじゃないはずなんだが……いや、それも言い訳か。俺が葉笛を吹いた結果、獣たちがあんたの荷馬車に向かって行った。故意ではないんだが、迷惑をかけたな」

「えっと…よく分からないんですけど、あれを追い払ってくれたのはあなたなんですよね?なら、差し引きゼロです。荷物も無事でしたし、大丈夫ですよ。こんなことで取り乱すようでは行商人としてやっていけません」

「ん、そうか?商人なら迷惑料くらい取りそうなもんだがね」

「こんな道端で余計な問題を抱えるよりはマシです。もう村も目の前ですし、早く着いてしまいたいという考えもありますが。まあ、つまりはここで口論するよりも感謝だけしといた方が損は少ない、ということです」


なるほど、と男が笑う。それに吊られるようにして行商人も目元を緩める。


「堅実な計算をなさるようで。こちらとしても助かる」

「いえ……」


 行商人が男の恰好を観察する。全体的にくたびれた感じの装いで、顔つきこそ若者のようだが、髪には既に白髪が生えている。物盗りの類には見えないが、警戒は緩められない。

 そして、男も行商人を観察する。相変わらずフードを深くかぶり、口元も布で隠れている。民族的なものか宗教的なものか、意識して肌の露出を控えているようだ。唯一見える部分から整った鼻筋と大きめな瞳がうかがえ、声色からして若者のように見える。しかし、こいつは少し奇妙だと男は警戒の度合いを上げる。

 

「ところであんた、ずいぶん若そうに感じるが、たった一人でここまで来るのはちょっと危険なんじゃないのか?」


男の疑問はそれだった。こんな若造がたった一人で荷馬車に積めるだけの量を運搬する。護衛はいないし、さっき獣に囲まれた時の様子からすると本人は不意の攻撃を受けることに慣れていないように見える。確かにこの付近には野盗の類は出にくいという情報があるが、さっきの獣の例もある。きっとあれよりも凶暴な異形の獣もいくらかはいるはずだ。どう考えても危険すぎる。


「いや、本当は異形除けの道具を持ってきてたんですけどね。余裕を持って用意したはずなんですが全部使い切ってしまって…この道は異形が多いとは聞いていましたが、これほどとは思っていなかったんです」

「護衛を雇うという考えはなかったのか?」

「一人で行けるところはひとりで回らないと。護衛を雇う程の危険があるかどうかをシビアに見極めるのも行商人の仕事なんです。今回は失敗してしまいましたが」

「ほう」


 行商人は恥ずかしそうに頭をかく。

 言っていることは正しいが、判断は甘い。商人としては駆け出しなのかもしれない。

 もう一度相手を観察の目で見ると、にこやかに笑っている眼もとはいかにも緊張感に欠けているようだった。


 眼前の相手に気取られないように浅く息をつく。


「もし良ければ村までの道中、俺があんたを護衛してやろうか?さっき見せたがここらの獣程度なら追い払えるくらいの腕は持ってるぞ。」

「売り込みですか?」

「金は取らんよ。だが、あんたの荷馬車に乗せてほしい。正直足がクタクタなんだ」

「それで釣り合いますかね?最初に獣が荷馬車に向かってきたのはあなたの失敗なんでしょう?」

「それはさっき手打ちにしたはずじゃなかったのか?」

「すみません。一応、命にかかわることですので。……あと利益にも」


今度は深く息をつく。行商人は実に楽しそうな表情でこちらを見ていた。


「運賃はまけてくれないか?」

「きちんと仕事をして下さったら報酬もお支払いしますよ」


 男は苦笑しながらも右手を差し出す。行商人は満足げな様子でその手をとった。


「ユーリだ。呪い師をしている」

「呪い師とは珍しいですね。クルトです。見ての通り、行商を商っています」


 二人は互いに固く握手をして、呪い師の男――ユーリは荷馬車に乗り込んだ。

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