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地獄のように黒く甘い

我輩は使い魔である。


我輩には名前はない。


より正確に言うのならば主人のみが知る"真実の名"のみが存在する。


こほん。

ここからは少々難しくなるので心して聞くように。


すべてのものは"言葉"によって神々が紡ぎだし、その性質は"名前"によって定められた。


我ら使い魔は召喚という儀式を経て主人によって"名付け"られる。


いわばそれは擬似的な生命創造なのだ。


故に主従の緊密な魔術的関係は"名前"を媒介にしているため決して他人には知られてはならない。



我輩の長話に付き合ってくれたことに礼を言おう。


実を言うと我輩は今、暇を持て余しているのだ。



主人のこの館に友人だという男が訪ねてきたのは昼前の事。


我輩が礼儀正しく挨拶に上がったところ、その若い男は事もあろうに猫扱いをしたのだ!


本来であれば決闘も辞さぬほどの非礼であったが主人の客相手では退散するしかない。


そこでこの図書室で読書に明け暮れていたというわけだ。


「こんなところにいたんだね?」


突然降ってきた聞き慣れぬ若い男の声に我輩は思わず臨戦態勢を取った。


「そんなに怖がらくてもいいじゃないか。

さっきはごめんよ」


さっきの無礼男ではないか!

しっし!あっちへ行け。


「すっかり警戒されちゃったな…」


あまりに傷ついた様子に我輩はその男をまじまじと見た。


男はまだ若いように見える。

だが主人のような高名な魔導師の友人なのだ、見かけ通りの歳ではあるまい。


しかしこの表情この態度。

我輩は嫌な予感がしてならない、我輩が苦手とするあの人種ではないだろうか?

「猫ちゃんと仲良くなりたいだけなんだよ」


やはりそうか!

"猫好き"

彼らはところ構わず我輩を追い掛け回し餌やくだらないガラクタで気を引こうとする。


あまつさえ乳飲み子にするような言葉遣いの者までいる。


我輩は奴らを人間とは認めん。


下等動物と一緒にするとは実にけしからん。


三十六計逃げるに如かず。

我輩はさっと身を翻し駆け出す。


我に地の利あり、今度こそ見つからぬところへ行くのだ。


「待って!?

僕…道に迷って困ってるんだ」


確かにこの館は見かけ以上に広い、おまけに複雑な構造をしている。


知らぬものでは苦労するだろう。


「お手洗いはどっちかな?」

猫に対する発言ではない。

いや我輩は使い魔だが。


「お願いだから案内してくれないか?」


ただの猫好きではないらしい…我輩を一個の人格、使い魔として認めての発言であろうか。


頼まれたとあらば致し方あるまい。


客を遇するもよき使い魔の勤め。


我輩は先に立ちこの若い男を案内することにした。



「ありがとう助かったよ」


その後主人の居るテラスまでの先導を我輩は買って出た。


この頼りなげな様子では何日あっても辿り着けないと判断したが…間の抜けた笑顔を見ているとまんざらでも無かったようである。


主人は我輩の働きにいたくご満足の様子。


我輩に向かって微笑みかけてくださる。


「ところでこの子の名前は何というのですか導師?」


若い男は席につくとカップに注がれた茶を飲みながら尋ねた。


ちなみに注がれた、は装飾詞ではない。


魔導によってポットから勝手に注がれたのだ。


「おう名前か………」


我輩には名は無い。


「なんじゃったかな?」


我輩には名は無い………のですよね?


「………そうじゃ!あれじゃ」


え!?あるんですか??




「めんどくさいんで付け無かったんじゃわい」


………………………………。

我輩の期待は一瞬のうちに打ち砕かれた。


まるで太陽が燃え付き月は割れ星が落ちてきたように。


「それは余りにも……」


若い男はなんとか場の空気を取り繕おうとしたが我輩の心、いや魂はそれを拒否した。


我輩には名は無い。


それでいいではないか。


今までそれを誇ってきたのだ。


最後まで貫こう男なら、いやまして紳士たる我輩はそうすべきである。



「そ、そーいえば!

この珈琲は相変わらず美味いですね」


武士の情けあい忝ない。


無理矢理の感がないわけではなかったが必死のその様子に我輩は涙した。


「これはな普通の茶葉ではなく南の大陸でしか採れん特殊な豆を使っておるのじゃよ」


どうりでいつもの茶とは違うなんとも言えぬ甘い薫りだと思った。


「それで導師のところでしか見たことがなかったのか…いつも楽しみにしてたんです」


我輩はその"珈琲"なるものを見たことがない。


さきほどの衝撃もつい忘れ覗きに行くがなかなかに見づらい。


よもやテーブルの上に登るなどという不作法は犯せぬし。


「飲みたいのかい?

さすがに導師の使い魔だね趣味が高尚だ」


いや見たいだけ……いやいや茶は紳士の嗜み、それぐらい当然である。


「ほら」

若い男は新しいカップに珈琲を注ぐと我輩の前に置いた。


立ち上る芳醇な薫り。

我輩は思わずヒゲを震わせあるまじきことに礼も言わずに口を付けた。


「あ?」

主人がなにか言いかけた気がする。


だが我輩はそれを問い返す事はできなかった。


床を転げ回っていたからである。



て!あちぃぃぃぃいい!!!


混濁する意識の中で昔読んだ詩篇が頭をかすめた。


『闇のように黒く地獄のように熱い』


初めて飲んだ珈琲は恋のように甘かった……。



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