怪奇と私の本音
「人いねえ。さっすが、田舎だあ」
いや、そういう道を通っているだけで、我が街にも現時刻に賑わっている場所はあるのだが。警察や犯罪者の影も形もない。スムーズに夜道を歩けた。でも夜風が寒い。ジャージしか着てこなかったのはさすがに失敗だったか。コンビニじゃないんだから。でも授業を受ける訳じゃないし。
ジャージで学校に行く。
ただ、そんな普通でない行為をしたかっただけかもしれない。風邪を引いたら元も子もないのに。
家から抜け出るのは容易だった。何故なら、私の両親は家にいないから。父親は九州に単身赴任していて、母親は不規則な仕事生活をしていて、滅多に家には帰らない。
兄弟や姉妹はいない。一人っ子である。
ちなみに、探偵部の中では、人間失格には中学生の弟が、鷹垣には年の離れた姉が一人いる。先述したと思うが、横井には兄と姉がいる。引きこもりの牧場は妹。
親友の後山は私と同じ一人っ子。割と、私と牧場には共通点が多い。でも彼女は私ほど、異端に憧れている訳ではないようだ。探偵部に入ったのも、『面白そう』という浅い理由だし。いや私と何が違うんだよ、大して変わらないじゃんと思うかもしれないが、そいつは違う。私の目的は探偵部を作ることでも探偵部で活動することでもない。
異端と関係を持つことだ。
「とか考えている間に、学校到着」
閉ざされた校門をよし登る。七不思議にあるように独りでに開いてくれると楽なのだが、そうはいかなかった。スカートで来なくて良かったと思う。
こんなはしたない姿、親には見せられない。
んー? そうでもないか?
「きゃ!」
みっともない悲鳴を出しながら、バランスを崩して落ちた。痛いー。
打ちつけた腰をさする。状況を確認。ふむ。どうやら、不法侵入には成功したらしい。
うちの学校って宿直やってったっけ? 確認してなかったな。確かいなかったはずだが。どうだったかな。もしいなかったら、ただじ済まないな。
さて、どうしよう。いやいや。何言ってんすか自分。
やること、決まってんでしょ?
「七不思議一人探検隊、出発ー」
隊長、私。隊員、私。
小学生か。まあ、七不思議の調査なんてそれこそ、小学生か。それも男子の女子高校生のやることじゃない。
それともこれは偏見か? ヤバいヤバい。異端を追求し、追究する者として、常識に捕らわれるようなことがあってはいけない。
とりあえず、七不思議校庭編から調査を開始しよう。走る幽霊と血の池だったかな?
そう思って、池のある左側を見たのだが。
そこに、
『何か』がいた。
「え?」
背筋が凍った。悪寒が走った。いやオカン(私は母親をそんな風に呼ばない)じゃないよなんて考えるだけ私には余裕があるのかもしれない、なんて思わないで欲しい。
私は一瞬の内に、一瞬の現実逃避をしただけなのだから。
「え、あぐあ、うぎ」
驚きを言葉にできない。
果たしてそこにいたのは、やはり『何か』としか表現できないような何かだった。距離もあるし闇夜だから明確な姿が分からないのは勿論だが、何と言えば良いのか、何と言わなければ良いのか、第一印象だけ言わせてもらえば、
おぞましい。
その一言に尽きる。具体的な代名詞(矛盾しているが細かいことは気にしないで欲しい)を付けるなら、化け物、だ。だが、そんな言葉より、『何か』と表現した方がよほどしっくりくる。
そんな『何か』は、たぶん私の方を見て、たぶん私の表情を見て、たぶん笑った。
「う……」
そして私はそんな『何か』の視線にただただ恐怖して。理性なんて停止して、知性なんて低下して。気持ち悪くなって、気持ち暗くなって。訳が分からない、目の前が真っ黒になって、頭の中が真っ白になって。
恐くて怖くて、恐くなって怖くなって、恐怖して、駄目になって、もう駄目で、私が駄目になりそうで、自分が駄目になってきて、そんなのは駄目で、嫌で、嫌になって、やっぱり嫌で、
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
逃げ出した。
□
「はぁ、はあ、はあ……。はあ、はあ。つあ」
走った。とにかく走った。何も考えずに走った。何も考えられずに走った。何も分からずに走った。何も分かろうとせずに走った。何も確認せずに走った。何も確認できずに走った。何も確認しようとせずに、逃げた。
……………はあ?
違うだろ、私。
「ひっく、ひぐ、えっぐ、うぐ、ひっく……」
何泣いてんだ。泣いてる場合でもないし、泣いてる状況でもないだろ。
それとも、感動の涙か? きっとそうに決まっている。
「も、もう、大丈夫かな?」
ふざけんな。
何が大丈夫だ。
「こ、怖かった……」
そんなはずないだろうが。私が、怖がるはずがない。あれは、あれはきっと、私がずっと求めていた物に違いない。金塊に怯える海賊がいるか? いない。いるはずがない。だから、私が怖いなんて思うはずがないし、逃走するなんて有り得ない。
あれは間違いなく、人間じゃなかった。生物でさえもなかったと思う。化け物がいた。七不思議と関係あるかどうか分からないが、私の人生にはこれまで見なかったものだ。空気が、違った。近いものがあるとしたら、あの転校生、火元真紅だろう。あの普通でないと誰もが判別できるような、異端。平穏な世界にとっては邪魔物でしかない、誤植のような、異物。
「こ、ここどこだろ?」
校舎のようだ。当然だ。学校に侵入したのだから。知性が崩壊した先の状態で、後方の閉じた校門に向かえたとは思えない。覚えていないが、鍵が開いていたのだろう。私が校舎にいるということは、そういうことなのだろう。……もしかして私、鍵壊して中に入った? いやいや。そんな腕力ないし。 でも万が一ということもある。火事場の馬鹿力って可能性もあるし。念の為に、確認の為に戻ってみようか。さっきの『何か』もまだいるかもしれないし。
「逃げなきゃ」
だから、そうじゃないって言ってんだろうが、私。
逃げるなよ、せっかく、やっと、奇跡的に、ずっとずっと逢いたかった合いたかった遭いたかった異端に異物に異常に異形に出逢えて合縁して遭遇したのに、できたのに、何で逃げようとしてんだよ? 望んでいたのに願っていたのに、何も変化がなくて散々で飽き飽きしていたのに? 辛くて嫌で自分が世界から必要とされていないようで、そんなの認めたくなくて、でもちょっとそんな安定と安寧に安心していて……
あれ?
私、今、何て思った?
「逃げなきゃ……」
だからそうじゃなくて、だからだからだからだからだからだからだからだからだから、だから? だから何? 何から逃げたいか分からないけど、何で逃げたいからは信じらんないくらい明確で、信じたくないくらい明白で、あれ? あれれ?
私、何で泣いてんだっけ?
犬の遠吠えのような物が聞こえて、私は我に帰った。
「野良犬が学校に住み着いてるなんて聞いたことないけど……」
勿論、飼育委員が飼っている話も聞いたことがない。
てか、ここどこ? さっき廊下だったのに、今は階段を登っている。
私は、どこに向かっている?
「い、いや……」
分からない。足が勝手に動く。抵抗できない。停止できない。私と関係ない意志が、私の足を動かしている。
しかしオカシイのはそれだけではない。
この階段、いくら段を登っても、踊場がいつまでも見えてこないのだ。
我が高校の校舎は確かに広いし大きいのだが、段が他の学校より多いなんてことはない。十二段だ。先が見えないはずがないのだ。
「どうなって……」
階段の先は、奈落のような暗闇だった。
奈落は下だから階段の上というのも変な話だ。だが、問題はそこじゃない。
まるで、七不思議にあった、『階段』のようだった。
私の恐怖をかき立てるように、どこからか、ピアノの演奏が聞こえてきた。当然、ピアノは風や物が落ちて音が出るような楽器ではない。七不思議の一つ、骸骨のピアノ演奏、だとでも言うのか。
足は止まらない。
段も尽きない。 先が、光が見えてこない。訳が分からない。
誰かに、笑われているような気がした。不相応にも異端の世界に足を踏み入れようとした無知な人間を、化け物どもが嘲笑しているようだった。
頭がおかしくなりそうだ。いや、もうおかしくなっているのか? いっそ、そうなら良いのに……。悪い夢なら、どうか醒めて……
「誰か……」
誰か。
お願いだから。
認めます。私、本当は異端なんかに興味はありませんでした。異常に対する恐怖しかありませんでした。化け物に逢いたくなんてありませんでした。怪物なんかに遭いたくありませんでした。きっと、探すことで、見つからないことで、求めることで、そんなものがいないことがないことを確認したかったんだろう。そんな、浅はかで臆病な、ちっぽけな人間だったんだ。今更、気が付く。
私、こんな物を望んでなんかいなかった。
二度とこんなものを探しません。もう探偵を気取って他人の恋愛の邪魔をしたりしません。善良な秀才を人間失格なんてあだ名で呼びません。元カレの悪口も控えます。幼なじみを殴りません。親友の毒舌をたしなめます。引きこもりの旧友にも逢いに行きます。インスタント以外の食事を増やします。髪を染める計画を中止します。ネットからダウンロードした映像を削除します。信憑性に欠ける噂をネットに書き込んだりしません。あの日のことも懺悔します。部屋の掃除もこまめにします。過度なダイエットに挑戦しません。二度と夜の校舎に忍び込んだりしません。
だから。
だからお願い--
「助けて」
誰も助けてくれない。
こんな言葉を思い出した。
後悔、先に立たず。