研究所1
「先ほどはあぁ云ったが、見当ぐらいは付いておる」
その発言は廊下を入ってすぐ発せられた。
5人分の靴音と一緒に反響する深みのあるバリトンに首を傾げ、すぐに納得する。
居たのか。あの中に。
「宰相の――あの無駄に声大きな薄汚れた脂肪の塊が。アレが主犯格であろう。レイスター・ルゥリアの部屋に宰相から送られてきたとみられる手紙が残っておっての。巧妙に隠しておったが奴が関与しておるのは明らか。しかし証拠が弱くての……」
「その手紙と云うのは、どのような」
「今回の儀式に必要な資金の相談だ。燃え滓が残っておった。複数人に書かれたものらしく筆跡では特徴が掴めぬ」
「なるほど。主犯を見つけたら捕獲しなければならないのは、そこを聞くためですか」
「うむ。噂に聞くそなたらならば捕獲できるかもしれぬ、とな」
横柄に頷く皇子に顔を顰める。捕まえて情報吐かせるって、不可能に近い気がするけど。
表情には出さないが師匠も先生もそう思っているのだろう。師匠が返答をする。
「善処しますが、あまりご期待されないようにお願いいたします」
「まぁ、こちらも証拠集めに動いておるでの。殺しても構わぬ。治安維持の為にもよろしく頼むぞ」
無駄に反響する通路を歩く。明り採り用の窓があるにも関わらず、少々薄暗く感じる建物内は所々の壁が抉れ、黒ぽい液体が付着している。少々の血の匂いも漂っている。
僕らを港から案内してくれていた文官さんが引き続き案内役として先頭。その後ろに皇子、師匠、先生彼らから半歩下がって僕、と云う布陣だ。
しかし、皇子には驚かされた。
「皇子、こちらです」
「うむ」
「いえ、ですから、こちらです」
「解っておる」
「そっちは出口ですっ」
……わざとなのかな?と思わず思ってしまうほどに文官の人が哀れだった。
皇子はこっちだといわれるとそっちを向き、こっちだと指をさされると頷いてあっちにいこうとする。これ、本気?なかなか難しいと思うけど。だってお兄さん思いっきり指差してるし。
この人、あの広い城の中でどうやって生活しているんだろう。
最終的に半ば引き摺る形で皇子を連れて行き、大きな扉の前で一回立ち止まる。両開きの扉があり、その前に長いローブを着た魔術師が4人居た。
扉の前で文官の男性が止まると魔術師がすっと前に出てきた。手には大きな布をくるりと丸めた物。
あ、なんか展開読めた。僕は非常に焦った。
いや、やめて、もう良いよ。何も云わないで黙って通してほし――。
「これから“魔術除去”をかけたいのですが、よろしいですか」
やっぱりいいぃ!
いや、“変身”解けるからっ、元に戻るからよろしくない!全くどっこもよろしくない!
さて、しかしこの場合を想定していない僕ではない。ネタは用意している。どれで行こう。
実は魔術で動いている人形なんで“魔術除去”されると動けないんで無理。
実は不治の病で体の自由がきかなくて、体内に魔道具が仕込まれているから無理。
神殿からの加護を受けた宝玉を肌身離さず持っていないと身体の中に封印されている怪物が暴れ出すから無理。
……頭を捻って考えたネタなのに、どうしてこんなにむず痒い気持ちになるんだろう。なんて云うんだろう、自分が自分で酷く憐れと云うか、イタイって云うか……。
ぐだぐだ悩んでも仕方ないか。よし、2つ目で行こう。
僕が不治の病でネタを使おうとするとダンッと床を強く叩く音が響いた。
驚いて顔を上げると喰って掛っていく皇子とそれを必死で止める文官の男性がいた。
「此処の結界や探索魔術を展開しているのが誰だと思っておる。控えろ」
「はっ!申し訳ございません。どうぞお通り下さい」
え?通しちゃうの?
僕だけじゃなく師匠も先生もポカーンとしている。
そりゃ維持系の魔術展開してる最中なら仕方ないと云えば仕方ないかもしれないけど、けどやっぱり可笑しい。皇子でしょ?ちゃんと立場弁えて規律のある行動しなくちゃならない立場なんじゃないのか。
それとも寧ろ――これが偽物か?
「では認証機能付きの腕輪を持って参ります。其方の方々には判別式の物を」
あ、更に拙い。
認証機能付き、と云うのは王族用の物だろう。王族が悪魔や魔物になり変わられたりしていたら洒落にならない。その為に身分の高い人間を認識するための腕輪が造られている。大抵の国の王族が造っているはずだ。王族の血に反応して腕輪の色が変わるらしい。
いや、そんな事はどうでも良い。問題は僕らが付ける判別式の方だ。
判別式、と云うのは何者かに憑依されていないか確認する為の物だ。憑依されていたらその憑依されている者に応じて腕輪が色を変える。
拙い、非常に拙い。
「それなら構わぬ」と鼻を鳴らした第一皇子を一瞬ぶん殴りたくなったがぐっと堪える。
駄目だ。憑依系統の誤魔化しについて考えていなかった。
いや、だって傍からは見えない様にはなってるから大丈夫かな、とか思ってて。と云うか、“判別”の術式をかけられる機会も、術がかかった道具を使う機会もそうそうない。
差し出された腕輪に思わず身を引いた僕に変わって、師匠達のフォローが入った。
「悪いんだけど、コイツはそう云うの駄目なのよ、えーと、ちょっとした、事故?で……」
「しかしそう云うわけには」
「多分、この中で一番役に立つ。規則を曲げてでも中に連れて行ってはくれないか」
押しに押されて困惑している魔術師達は、僕の方を見て不審な顔をする。取り敢えず、この反応から見て何かしらに憑依されている事は解るからだろう、明らかな不信感と蔑視の色が窺えた。
憑依されている人間は特殊な能力を持ち、その能力をきちんと扱える者は『魔物持ち』、もしくは『悪魔持ち』と呼ばれる。役には立つが基本的に蔑視されている。それはそうだろう。身の内に化物を宿している人間を、そうそう信用しようとは思わないだろう。
しかし、下々の者の印象などどうでも良い。最終的な判断は皇子様だ。とは云え、普通なら了承はしないだろう。寧ろ此処で叩き斬られるかもしれない。そうなったら全力で逃げるけど。
あぁ、折角頑張って此処まで来たのに現場の術式が見れないなんて一番意味がないじゃないか。
いや、まぁ確かに師匠達に全部任せれば良いんだけど。
でも僕の方が一応は得意だし師匠より知識はある。……駄目だ、師匠は知識差なんか寝ぼけながらでも凌駕するセンスと魔力量と熟練度を持っている。アレ、僕本格的に要らない子だ。
……まぁ、帰る事になっても仕方ない。その場合は適当に人がいない所で待っておこう。
僕は諦めて皇子の方を見た。
……えぇー?なんかどうでも良さそうな顔してる?
「好きにするが良い。余はもう終えた」
「あたし達も終わりました。そこのあんた、開けておくれよ」
「いや、しかし……!」
「こんな無駄な問答に時間をかけてどうするつもりだ。早く開けてくれ」
「無駄などと云う事はない!」
「良いじゃない、そんな固いこと云わなくても。禿げるわよアンタ」
「な……キ、キサマ……!」
「早くしろ。余は暇ではないのだ」
結局押し通しました。
いや、申し訳ない事をした。うん、僕の事なのに僕が一切何もせずに終わってしまったから何と云うか、申し訳なさだけが先に立つと云うかなんというか。
彼らは懸命に仕事をしていただけなのにね。師匠と先生の暴言でまっしろになっちゃってたよ。可哀想に。
中には薄暗い室内には棺桶が2,3等間隔に並んでいる。見た所、棺桶には“時間緩慢”と“防腐”が掛けられているらしく中身はある意味綺麗に保存されていた。
文官の男性から引き継いで、先程の魔術師の中から1人が説明役を担ってくれている。勿論、僕とは大きく距離を取っている。
棺桶を指しながらこれは何時何処でどのような状況で見つかったか、魔術師としての実力、勤務態度などを棺桶の上に一枚一枚置かれていた紙を見せながらざっくり教えてくれた。
文官の男性は扉の前のすったもんだが終わった後、足早に帰って行った。此方を怯えながら窺っていたのには、敢えて気付かないふりをした。
憑依されている人間の扱いなんて、往々にしてこんなもんだから、気にしていたらきりがない。
もう気にしないって思う事にした。
了承を取って棺桶を開けて中を幾つか見てみた。皇子があんな意味深な云い方をするからずっと気になっていたのだ。
どうやら遺体には骨がない様だった。今回の事件の担当官の話では筋肉もないと云う。あるのは皮膚と脂肪と臓器と髪ぐらい。皮ばかりになった遺体を眺めて思わず唸る。
骨を食べるって云うのは初めて聞いたな。大概、心臓だとか脳だとか、それ以外なら好き嫌いなく全身とかなんだけど。
「すみません、脳や心臓、肺はどうなっていますか?」
「そのまま残されておりました。内臓系に損傷は見られません」
偏食家だな。寧ろ味音痴?
普通、彼らは思考の核になっている脳や、空気中のマナを取り込み、送り出す肺と心臓を好む。あぁ、延髄とか肝臓が好きって云う通(なのか?)な奴もいるらしいけど。大抵は多機能な臓器か、主要な器官、もしくは空気中のマナをより沢山取り込んでいそうな臓器を好むものだ。
骨なんてカルシムばっかり摂ってどうするつもりなんだ。骨粗鬆症予防か?偏食家は往々にして変人(変悪魔?)なので話が通じない事が多いのだ。面倒くさいなぁ。
幾つか遺体を見て回り、魔術師の解説を聞く。結果、此処で解った事はそんなに多くない。
その時居た職員の性別年齢魔力量に関係なく同じ姿にされているとか、事件の日時、犯行時間とか。まぁ、訊くほどの事でもなかった。
本来は色々な棚や机があったであろう部屋は所々が抉られたり焦げたりしている。事件以降閉め切られていたであろう部屋は少々埃っぽく、血臭と混ざって辟易してきた。
僕らは時折置いてある棺を覗き込みながら部屋の奥まで辿り着いた。すると案内役の魔術師の人が隣にあった部屋を指差した。
「あちらが召喚の行われた部屋となります。ご覧になられますか?」
「是非」
先生が返答すると担当さんは「ではこちらへ」と奥の扉を示し、僕らはぞろぞろと扉を潜った。中に入り思わず眉を顰める。
濃密な、悪魔の気配。負の感触。懐かしの、憎しみの権化。
「術式の解析などはまだ済んでおりません。何分見た事のない図面でして。それに、レイスター・ルゥリアはかなりの悪筆で解析チームの中でも文字一つに論争状態で――」
「おまけに所々の召喚陣の術式を間違えている」
「……は?」
「クィル、ちゃっちゃか終らして」
「解ってますよ」
僕は多くの血が流された陣に触れる。召喚陣としては最もシンプルな三角形を基調に四重の円と“失われた言葉”でびっしり覆われた赤黒い陣に思わず失笑が漏れる。
全然違うよ。全然、何も、合っちゃいない。
動物や幻獣の血なんかいらない。要るのは魔力の高い魔術師の血だ。それも少量で良い。何日も経過しているはずなのに未だに血臭を失わない量の血なんて必要ない。魔力の低い血は、どれだけ寄り合わせたって元々持っている分以上に高まる事なんかない。
意味不明な迷信を信じたのだろうけど、香草を燻したもので陣を描くなんて不正確だ。緻密に描いておかないから召喚びだしたモノをすぐに捕まえておくはずだった陣から抜け出され、憑かれたんだ。
スペルミス。文法間違い。どれもこれも滑稽だ。
此処まで無知なら、仕方ないね。一仕事しよう。
常時閉ざしている体内魔力の大本を意識して解放すべく、僕は目を閉じた。感じるのは流れ。意識してゆっくりと全身に流れさせる。じわり、漏れだし、それから栓が抜けたかのように飛び出してくる力の奔流に歯を喰いしばって耐える。
陣と云うのは召喚術において使用される、魔術式を複合させた呪術の一種だ。
召喚術を学ぶ事は、陣を学ぶ事と云って良いくらい、お互いがお互いの本質に関わっている。陣には呼びだしたい悪魔の種類、もしくは特定の悪魔に関する紋様や力の動き、向こうの世界と此方の世界を繋ぐ扉の出現場所などを記した魔術式、生贄、報酬、叶えたい願いなどを描き記し、悪魔に来てもらうための目印にするものだ。
詰まり、その悪魔と悪魔を呼びだした呪術師に関する情報の宝庫。
陣をきちんと解読できれば呼び出された者がどの程度の実力か、生贄は何だったか、召喚対象が今何処に居るのかなんかが解る。それに、解ったら生贄を別で用意すればこちらの云う事を聞いてもらえたり、送還したりする事もできる。
とは云っても、格上にはそうそう通用しないけど。
この陣は比較的簡素だからあまり強い悪魔と云うわけでもなさそうだし、この程度の解析なら気合でどうにかできるだろう(強い奴ほど見栄を張りたがるから無駄に複雑な印が必要だったり、強い、もしくは面倒な生贄を要求して来るものなのだ)。
……まぁ、解読云々以前にあまりにも陣が汚く間違っているせいで、造り直しを余儀なくされているのだけど。
間違ったままだと上手く魔力が流れなくなったりして爆発したり変に作用して更に悪魔を呼び出したりしかねないのだ。
……別の悪魔が大量に召喚されたとしても師匠達が居るから平気だけど。寧ろ瞬殺。居たのかどうかさえも解らないぐらいの勢いだとは思うけど。
そこまで考えて苦笑する。
……魔力制御が得意じゃないのは、注意力が散漫なのも一つの原因だ。
大きく息を吸い気を静める。
さ、始めようか。