馬車
結局、説明なんて欠片もしなかったわけなんだけど。
みんなポカーンとしてたから、普通に船内に戻っても誰にも何も云われなかったんだ。良かった。根掘り葉掘り師匠の事を聞かれるのも、何故貴族船で帯剣しているのか(貴族船内では武器の非携帯が暗黙の了解となっている)難癖つけられるのも、どっちも本意じゃない。僕はできる限り平穏な世界の中で暮らしていたいんだ。自然の中で大きな力に煩わされる事も無く精霊達とキャッキャウフフしたい。決して英雄だとか救世主だとか云うポジションは狙っていないんだ。勿論、非常識に強いな不審者も、お断りだ。
例のシードラゴラの以後、周りを取り巻いていた魔物達は一応鎮静化した。と云うか、せざるを得なかったのだろう。野生の動物の狩りに於けるもっとも重要な判断材料は本能である。そしてこの海域の魔物達は師匠を見て、ヒエラルキーの頂点に君臨すべき存在を本能的に嗅ぎ取った。
――手を出してはならない、絶対的な強者がこの船に降臨している、と。
その判断に間違いはない。ただ生きたいのなら脅威からは逃げるべきだ。そこに余計な理性やら利己心、仁義なんかはいらない。ただ『生きる』だけなら。
残念ながら人間は欲張りで、ただ『生きる』だけじゃ満足しないから、そんなに単純に生き死にできないんだけど。
そんな訳で残りの航海は何の支障もなく、終始穏やかに進んだ。天候もアレ以降荒れる事もなく、魔物に襲われる事もなかった。寧ろ、触らぬ魔王に祟りなし、だっけ?死神だっけ?
唯一変わった事と云えば、何故か外では毎日祈祷が行われるようになっていたが。
意味の解らない変な邪神の作りだした迷信だ。やったって意味なんてないだろうに。生産性皆無な行動だ。いや、確かに僕の苛立ちを生産してはいる。それになんの意味があるのかは別にして。
祝詞も間違えてるし。祝詞間違えるなんてしたら逆に嵐が起こったり、魔物がわんさか出てきたりするんじゃないだろうか。もし主なら、愚かなる人間に絶対的で公明な真実を教え諭し正しい道を提示してくださるだろうが、邪神如きにそんな力はないだろうが。
最初は数人が朝昼夜のご飯後に祈っていたけど、次々に人数が増えていった。仕舞いには般船でもやっている始末だ。うにゃうにゃむにゃむにゃ云ってる声に一々突っ込んでしまう自分の無駄な律儀さに思わず呻いた。本が読めない。煩くて敵わない。集中できない。同じ行を幾度か辿り僕は本をベットに投げた。2,3バウンドして沈黙する本と、止まないうにゃらむにゃらした祝詞に頭を掻き毟った。
だから、それだと“神の御衣”じゃなくて“神が唐揚げ”になってるから!
笑っちゃうし苛々するからやめてくれ!
……まぁ、それは置いておいて。
僕は食事の全てをルームサービスで切り抜けた。元の姿でね。だってその前まで元の姿で頼んでいたのにいきなり青年になっていたら不審に思われてしまう。いや、生温かい目で見られるのか?10代中ごろの子供と20代中ごろの男(どっちも僕)で密室の船内で外に一歩も出ず囲い囲われ…………気持ち悪い。やめよう。なしなし。
長くはないのに妙に疲れた船旅が終わり、港に停泊した。帝都ノスフェレスに到着したのだ。
そして船外に出る時――詰まり師匠達と連れ立って歩く段階――には元の姿のまま無防備に歩くことはできない。師匠達と一緒にいるってだけで、半端なく目立つ。と云うか、師匠達がいるから何もしていない僕まで目立つ。そうなると無駄に顔覚えられたり、学校の人に見つかるかもしれない。
そんなの嫌だ。拒否。無理。家に迷惑がかかるじゃないか。師匠達は有名だから調べればすぐに今懇意にしている家として実家の名前が出てきてもおかしくない。そうなると僕の面なんて簡単に割れる『実は貴族の子息だったくせに平民の流れ冒険者と一緒に旅人ごっこをしていた真黒毛虫』だなんて不名誉すぎる。折角今のところ貴族って事を云わずに済んでいるんだからこのままで過ごし終えたいし、なによりそこまで情報が曝け出されたらあの事件の話も全部ばれるだろう。それは避けたい。
以上の理由から僕は船外に出るにあたって再度“変身”をかけた。こっちの姿は前回散々見られたし、船上でも見られちゃったからもうなんでも良い。家と何かしら繋がりのある姿でも無いから、僕がバレる心配も(全くとまでは云い切らないが)無い。僕が何も云わずに“変身”していた事に師匠達からは特に何も云われずに終わった。
……反応してもらえないのも、ちょっと寂しいよね。
前回の旅では2人は僕に良くこの格好をさせていた。
当然と云えば当然か。まさか12歳の子供と一緒にS級討伐依頼(竜とか都市破壊レベルの魔物に関するものなど)こなしたり、荒くれ者ばっかりの酒場に入り浸ったりは流石に周囲の目が怖いし、多分あの人達のなけなしの倫理観が疼いて――いや、疼いてないか。周りに突っ込まれるのが面倒だっただけだな。変装させてばれない様にして連れ回してる時点で明白だ。うん。
お陰で僕は偽名で冒険者ギルドに登録せざるおえなかったんだけど……。
いや、仕方ない、よね。うん。まぁ、お金出せば名前変えられるし。そうだよね、うん。例え師匠に“洗脳”かけられて僕の知らない合間に勝手に名前決められて登録されてたとか、ね、うん、仕方ない、よ、ね……。仕方ないで、納得しよう。今まで何度念じたか解らないけど、納得しよう。うん。
ただ、もう二度と“洗脳”にかからない様に、“精神攻撃反射”の効果があるお守りだけは肌身離さず持っていようと決めた。
師匠には殆ど効果なんて無いけど。
下船する際、僕らは他の乗客や船員からものすごい遠巻きにされて凝視されていた。人前に出ると一瞬ざわりと空気が揺れ、そこからみんな息を殺して僕らの一挙手一投足に注意を払っているのを肌全体でビリビリ感じた。僕は元から被っていた外套についていたフード部分を更に目深に被った。船内に他に動いている人がいない中、師匠達は勿論空気なんか読もうともせず平然とタラップの方へと歩いて行く。僕はぐっとフード部分を持ったまま動きがぎこちなくならないように注意しながら少々急ぐ。
なんでこんな針の筵みたいな状態になっているんだ。
きっと、いや絶対、師匠達が何かやらかしたんだろうけど。
2人ともご飯は毎食バイキングに出ていただろうから、その時に一回ぐらいは絶対に絡まれてる。断言する。そう云う人達だ。
絶対絡まれていらない事やったんだ。断言する。そう云う人達だ。
溜息を吐きながら2人に続いてタラップを降りる。外は荷の積み下ろしの人や送迎の人、人、人。思わず足が止まりかけたのを気力で動かす。
喧騒が耳を突き平衡感覚が崩れる。視線に貫かれる様な錯覚に眩暈がした。僕は外を遮断するように耳元を抑えながら師匠達について行く。潮と機械油の臭いと香水の匂いが混ざってぐるぐるする。人が集まる事によって上昇した温度に不快感が募った。擦れ違う人間の魔力の高まりや手の動きに一々反応して神経が過敏になっていくのを感じた。同時に、酷く精神を消耗していく気がした。気持ち悪い。人込みは嫌いだ。
ぐるぐるしながら半ば無意識で師匠達に付いて行くと、師匠達を読んでいる声が微かに聞こえた。しかし如何せん、港は出迎えの人や船の整備、荷の積み下ろしをする人で混雑している為なかなか呼んでいる主を発見できない。取り敢えず声のする方へずんずん進む師匠達について行く。
いや、荷物を亜空間に収納していて身軽だからって、歩くの早すぎない……?
無意識でついて行っていたのきちんと意識下におく。少々遅れを取りながら、人を掻き分ける師匠達に必死で付いて行く。
無理人込み怖い囲まれる嫌だ置いていかないで師匠おおぉ……先生えええぇーー!
「サートン様!あぁ、サートン様。此方です」
「そんなに連呼しなくとも解ってるわよ。じゃ、案内は任せたよ」
「はい。それでは此方に馬車を用意してございます。申し訳ございませんが少々ご足労いただきたく存じます」
「あぁ。案内を頼む」
師匠達を呼んでいる人をやっと発見できた僕はようやっと一息吐いた。これで置いて行かれない。大丈夫。
恭しく頭を下げた城の文官と思しき男性に大人しくついて行く。帝国の臣下は大抵青色の濃い順で序列が付けられている。彼は瑠璃色。中々高い地位の様だけど、師匠達の迎えなんて使いっぱしりしてるって事はそれほどでもないのだろうか。僕の覚えがあってたら瑠璃色は真中くらいだったと思うのだけど。
いや、別にね、唯の使いっぱしりなんて可哀想でも何でもないよ。唯、それが師匠達の迎え、となると同情を禁じ得ないと云うか運が無いと呆れると云うかなんというか。総括すると、可哀想な人だなぁ、と。
城の文官の男性は人の多い所を避けておいてくれたらしく段々人込みから遠ざかって行く。僕はかなり感謝した。人込みで気分が悪かったのだ。折角、揺れない船で快適に航海してきたのに、まさか陸地に着いてから出鼻を挫かれるとは思ってもみなかった。
前回の師匠達との旅で、確かに人込みの中を歩かされた。最初の頃は大量の人型の『群れ』を見て思いっきり吐いてたけど1年と少し、散々連れ回されて大分慣れた。……そりゃ、まだこんな感じだけど、これでも慣れた方だ。
でも、何時誰に何をされるか解らない人込みは無駄に周囲を警戒し過ぎてしまってやっぱり苦手だ。精神的に疲れる。周囲に響いてる声が煩くて周りの音が聞こえないし、咄嗟の時の逃走ルートをどうても考えてしまう自分にも嫌気がさすし。
文官の男性が云っていた様に少々歩いたが、別に苦にはならない。寧ろ此処か歩いて王城に行ってくれと云われても特に不満はないくらいだ。馬車があるならそれに越したことはないけど。
「此方にお乗りください」と促され船から少々離れた所にあった馬車に乗り込む。流石に帝国が手配してくれただけあって下のスプリング、クッションの質感共に高水準だ。
パタン、と閂の嵌る音がした。文官の男性中には乗らないらしく、御者をしてくれるようだ。大方、僕らに気を使ってくれたのだろう。心遣いは有難く受け取ろう。
僕はふーっと溜息を吐いた。なんだかもう既に疲れてしまった。
「何辛気臭い溜息ついてんのよ」
「いっつ」
師匠に根性が足りてないと頭を叩かれた。グーで。魔術師兼剣士でもある師匠(魔術剣士なんて中途半端な存在では、断じてない)は勿論、単純な腕力も普通の女性より強い。
詰まりはまぁ、痛いと云う事で。
頭を抱えて悶える僕を余所に、先生達は今後の打ち合わせを始めた。
帝国に来るのが久しぶりだと笑う師匠に、そう云えば俺もだ。と頷き返す先生。因みに僕は記憶に在る限りでは初だ。
聞く事しかできない僕は素直に黙って2人の話を聞く事にした。僕の為に省いても良い様な事も話してくれている2人はやっぱり面倒見が良い。
街の構造、どんな人種がいるか、通常時の街道の魔物の強さ、泊まる宿屋の相談や武器屋の話などなど。この夫婦は基本的に趣味も思考回路も似通っているので同じ店を利用して居る事が多く、案の定、今回もだった。そんなわけで根城(宿)は速攻で決まった。文句はない。この2人が選ぶ宿屋や武器屋は良質だから、選び方も勉強になるし。
いや、武器屋の選び方のコツなんて学んだって今後使う予定なんか無いんだけどね。薬師だから。落ち着け僕。毒されたら終わりだ。
動揺を収めつつ話を聞いていると、どうやら宿はシチューの美味しい店らしい。いや、帝国は比較的涼しい気候だとしてもこの時期は暑い。この暑い中シチュー。でも美味しいって勧められたものってどんな味か気になる。師匠は前世、食文化の豊かな日本で育ったから舌が肥えている。その師匠が太鼓判を押すって事は本当に美味しいって事だ。食べてみたい。でも暑いのに熱いのは僕がバテそうだし。うーん。
料理の事を考えていると、そう云えばとばかりに先生に話しかけられた。
「これから王宮に向かうが、お前はその姿で行くつもりか?」
「……え?はい、そのつもりです。知り合いに遭ったら困りますから」
あの第二皇子とか第二皇子とか第二皇子とか、ね。
うぅお、バレた事を考えただけで悪感が。ブルリと震える上がっていると師匠と先生が頷いた。
「ま、それが良いかしらね。前にソレで旅してたんだし、クェイも――いや、クィル慣れてる方が良いでしょ」
「じゃあ普通に俺達の弟子で良いか。歳も適当に24とかで」
「ん、妥当ね。王宮に部屋は用意しない様に云わなくちゃ。マナーとか面倒なのはごめんよ」
「行動も制限されるしな。適当に行動資金として金をふんだくっておくか。クィル、お前からの要望は何かあるか」
「いや、俺からは何もありません」
「どうせなら僕で良いわよ。咄嗟の時に云い間違えるかもしれないし」
「……僕からは何も。強いて云うなら父上や母上、アレクにお土産を買って帰りたいです」
帝国は色んな種族を内包してるだけあり一番広大な領土を持ち、領民も多い。広大な領土の各地から税として送られてくる品々は各領地、自治区から騎士や自警団の者達が警護しながら運ぶ。各地の対魔物の最前列で鍛え上げられた騎士・自警団員に便乗すれば警護されながら帝都か大型都市に荷を運ぶ事が出来る。流石に無料とまではいかず、警護の申請を出さないといけないが、それでもギルドや傭兵団に依頼するよりは格安で警護をしてくれる。そして税に便乗し、商品を伴って都入りして来る商人達によって帝国の首都ノスフェレスには沢山の品々が溢れているのだ。
そうこう話している内に、周辺が賑やかになって来た。
ジェロンド帝国は軍事国家だ。幾つかの亜人系の種族や獣人達の国を竜の血を引く竜人族の人達が纏め上げて統治している。盛んなのは武器の制作、基、物作り全般だ。列車の部品部分の開発、生産は帝国が一手に引き受けている。機械技術は一番だ。如何せん、アイデアに欠けるのかセンスに欠けるのか知らないが、役に立たない珍品も多く開発しているが。
「あーあたしも新しい武器、見たいわね」
「ま、何日かは個人で情報収集が鉄則だしな。その時に各自で適当に見て回るか」
馬車の速度が緩まり御者が誰かに言葉を掛ける声が聞こえた。程なくして通常の速度に戻る。どうやら入城した様だ。ゴトゴトとはね橋の上を渡る独特の音と振動がして、再び緩まる馬車の速度に僕は溜息を吐いた。
嫌だなあ。できれば大勢の人には会いたくない。見られたくない。見たくない。
鬱々としていると師匠はバンッと思いっきり僕の背を叩いた。思わず咽かえる僕に師匠は辛気臭い顔すんな、と一喝し、止まった途端勝手に出た。
……普通は一回外からノックされてきちんとした返答を返してからエスコートされながら出るべきなんだけど。
あちゃあと額を押さえて呻く僕をスルーして苦笑しながら先生も降りた。諦めて僕も降りる。
あぁもう、御者やってくれていた文官さん、固まってるじゃないか。
思わず憐みの視線を送っていると、ハッとしたように勝手に進んでいた師匠の背を追った。
「お、お待ちください!ご案内いたしますのでー!」
僕はそのあまりにも悲痛な叫び声にやはり同情を禁じ得なかった。