船上
今僕は船室に居る。因みに一人部屋だ。
師匠達?愚問だね。ノーコメント。
唯、部屋は元から2つしか予約して無かったって事だけ云っておこうか。
僕はあれからビルポートにある図書館で時間を潰して港へ向かった。無論、こそこそと。
別にこそこそする様な悪い事をした覚えなんかないし、相手もいな――い、こともないけど。
……寧ろあるか。ありありじゃないか。あの青年の姿は前回の旅と殆ど変わらない姿だから、前の悪行――いや、奇行?悪名?も覚えられているかもしれない。と云うか、見ていたら覚えているだろう。基本的に非常識な事しかしてなかったし。首謀者、計画者は師匠達だけど実行犯は誠に残念ながらほぼ僕だったし。うん、志願した覚えはないんだけどね。師匠達って人使いが荒いとかいうレベルじゃないからさ。説明不十分だし、問答無用で放り込んでいくし、しかもタイミングが(悪い意味で)良いし……。
アレ、頭上のシャンデリアで目の前が霞んで前(未来)が見えない。
精霊達に慰められつつ、気を取り直して。
待ち合わせ場所で待っていると、程なくして師匠達が来たので共に乗船。
師匠は案の定と云うかなんというか僕が行くって事を先方に伝えていなかった様だけど、何時も通り強引に捻じ込んでしまった。哀れなボーイさんには申し訳ないけど、諦めて頂こう。だから部屋が2部屋しかないんだけどね。問題無いで押し切った。
先生は強面だし、師匠はド迫力の美人だ。詰め寄られたら思わず後退してしまう。知らない人から見れば『美女と野獣』って奴だろうか。しかし、実質どちらが野獣かと問われれば師匠のほ、う――思わず懐のナイフを構えてしまうほどの殺気に僕は冷や汗を流した。……どうして別室にいるはずなのに人の思考が読めるんだ。
数秒、構えたまま硬直。再度気を取り直して冷や汗を拭い、最上級であるファランダの絹で織られたらしいシーツに、豪奢な天蓋の付いたベットに座りこむ。柔らか過ぎて不必要なほど沈み込み、違和感を感じつつグルリと室内を見回した。
この船は金持ち、若しくは貴族が乗る用の豪奢な船、通称貴族船だ。装飾や構造が(不必要に)豪華なだけではなく“転覆防止”“揺れ防止”や“風雨調節”などの機能面での設備が高い。いや、設備は(・)高いのだが無粋だとか野蛮だとか良く解らない理由で攻撃、防御面での機能が著しく低く設定されている。僕からすれば全体的に華奢と云うか、貧相と云うか。お貴族様達の考える事にはとてもじゃないけどついていけないと再確認するね。お情け程度に大砲を積んではいるらしいけど、普通なら元から船に取り付けられてしかるべきなのだ。船室に積むとなると、どうしても小型化されるか分解されており、耐久力、火力が弱まる。
攻撃面、防御面ともに多大なる不安を持ったまま海に出るのは危険だ。海賊もいれば魔物もいる海では幾ら魔術師が居て風だけに頼らず進めても、全ての場合で逃げ切れるわけではなく応戦は避けられない。海賊はまだしも、特に魔物との戦闘は。
その為こう云った船の場合、1,2艇の貴族船を2~6艇のギルドや民間で出している船に警護されながら航海を行う。
これには双方にメリットがある。
貴族船に乗っている乗組員は一応教育の施された者しか乗っていない。そうじゃないと嫌味を云われた際の対処やマナーなどで何かしら粗相があった場合面倒だからだ。貴族側には無駄に選民意識の高い人間が多い。あの船会社の乗組員は野蛮だとか粗野だとか云った風評は貴族や商人相手では命取りだ。
しかし教育には時間もお金もかかる上、現役で動ける船員は筋力の衰えなどを鑑みても基本的に30代ぐらいまでだから、必然的に教育の終了した乗組員の人数は限られてくる。
教育や設備に投資したい貴族船側からすれば、そんなに多くの護衛は雇えないし、そも、そう云った職種の人間は一概に粗野だから大勢配置すると客の目につき品位が下がる。そうなると少数精鋭となるってわけだね。
しかも強くて教養のある人間なんて早々居るはずもないし、唯の躾だけではなく護身術も、となると、船員が現役で動ける時間を念頭に教育にかかるコストを考えると採算が取れない可能性が高い。それならば、船員にはマナーや教養だけを教え、自衛は周りを戦闘のできる船に囲んでやってもらった方が早い、し効率も良と云うわけだ。
周りを囲む一般の船(基本的に船、と呼ばれるが皮肉をこめて般船とも呼ばれる)からすれば、どうせ海に出たら危ないのだから複数の船での航海の方が安全と云う意識が強い。それにきちんと給金を支払われての護衛なので乗船時の運賃を抑える事が出来る(この手の船において安さは最大の武器だ)し、海賊や魔物を討てば貴族船や国、自治体から謝礼金や報奨金が出たり、追加手当が付いたりする。その報奨金を退治した客に払うかどうかは船側の自由だ。基本的には半分支払われる形になっているが、真実そうであるかは不明だが一応本当に一部は支払われているから揶揄される事はあれど特にそこが槍玉にあげられる事はない。
そして般船の客側からすれば、商人や貴族からスカウトされて仕事が手に入ったりもする事も多々ある。護衛に強い人間が必須なのは世の常。名前が売れている荒くれ者など一握り。だけど目の前で自身の実力を見せつけ、売りこめば別だ。名前も売れるし、それこそ貴族や商人の中で噂になれば良い仕事も入るようになる。それに向こう側に着いてから商人や貴族の短期護衛につけば、貴族、商人を足にできる場合も多く、冒険者達からの評判も良い。
長々となってしまったけど、そんな訳で、双方の要望を解消した極めて合理的――でもないけど――な形の航海となっている。まぁ、師匠達が居る時点で護衛とか必要ない気もするけれど。寧ろ守護神くらいの勢いで護衛とか必要無い。全く無い。
ふと、四分の一程が開けられたままだった(と云うか僕がちゃんと締め切っていなかった)精緻なレースが施されたカーテンから藍色の空が見えた。“遮光”の施されたカーテンを開けて外を見ると一番星がもう空に浮かんでいる。そろそろ夕食の始まる時間だ。
師匠達には呆れられたけれど、僕は食堂での食事は断固拒否させてもらった。理由は……え?もう良いって?そう。
そうするのかって?“揺れ防止”が施されているとは云え、乗り物酔いにかかる人はいるからね。そう云う人の為にルームサービスがある。利用者は基本的に僕みたいな人嫌いや、稀に醜聞を避けて航海する政治家や金を持った犯罪者なんからしいけど。
食堂に行けばバイキング形式で好きな物が食べられるが背に腹は代えられない。
僕はメニュー表から魚のマリネと付け合わせのサラダを選んだ。サイドボードに在ったメモ用紙にメニューを書き、チップもプラスした料金をそれで包んだ。壁に取り付けられていたレバーを引き注文を穴に落とす。これで注文完了。後は来るのを待つだけだ。
僕は一度伸びをしてもう一度本を読み始めた。
程なくしてやってきたマリネは香辛料が多くて辟易した。香辛料は高級食材だからお貴族様達が好きだもんね。と注文の際香辛料を少なめにしてもらうよう伝えなかった自分を恨みつつ完食。サラダのドレッシングもなんか無駄に香草臭いし。
溜息を吐きつつサービスですと云ってボーイが持って来ていたケーキを食べる。思いっきりチップふんだくられたけど。スポンジが無駄に甘くて正直そこまで良い出来じゃないと思うけど。
……食事の時は一回“毒除去”をかけないと安心して食べられない。だからバイキングは怖い。立食形式のパーティーも無理だ。明日の朝も適当にルームサービスを頼もう。しかしチップが痛いな。お昼は抜いても、朝は食べたいし。
食べ終わった食器を廊下の突き当たりに備え付けてある棚に入れるべく部屋を出た。そこの食器を入れておけば巡回している船員が持って行ってくれるのだ。
この貴族船、3階建てのかなり大きなタイプだ。
1階は食堂とか遊戯室とかの大きめの施設が主。一部に客室はあるけどグレードは一番低い部屋だ。ギルド船と比べれば大分良い部屋だけど。利用者は金のあまりない無い貴族やそこそこ成功している小金持ちくらいの商人や、一部の裕福な、豪農や大地主と呼ばれる農民などだ。
2階は逆に客室がメイン。バーラウンジも2階にあるんだっけ。そこそこのお金が必要だ。貴族や、大金持ちと呼ばれる商人達が利用している。
3階。一番高い。値段も高さもね。部屋数も10もないんじゃないかな。船室の中の部屋数も一番多い。殆ど材料はないのに何故かある簡易キッチンやサービスとして存在しているのに存在する洗濯機など、良く解らない物もあるけど。
と云うか、簡易キッチンの戸棚の中になんで調味料もないのに胡瓜、茄子、長葱、人参、牛蒡があるんだろう。あとあったのは白とまっピンクのフリフリのエプロン。極めつけは下剤とローションだ。なんだろう、コレ。胃薬とか置いとけばよいのに、なんで下剤?ローションは、お風呂場にあるべきなんじゃないかな。置き忘れたのかな。ちゃんとお風呂場に置いておいてあげよう。
余談だけど、船底はエンジンやスクリュー等の主要機関を除いて貨物室と船員室が大体7:3と云う比率で構成されている。貴族は基本的に荷物が多いし、商人がこれだけは!とか何とか商品を乗せたいと云って来た時の為に貨物室は広く設計されている。勿論、船会社から検閲が入るから載せたがる商人は早々居ないけどね。船側からすれば武器だったりアブナイブツだったら困るからせざるおえないし、事件に巻き込まれる事が多いせいで積極的に載っけて欲しがってるわけじゃないみたいだけど。でも貨物室使用は別料金だから船側からすれば儲けにはなるみたい。
商人達は別口で貨物船雇ってそっちに品物を入れてる人の方が多いみたいだ。貴族船だと一人が使える貨物スペースが少ないからだけど。でも普通の貨物船は揺れるから壊れ物はそうそう載せられない。貴族船も般船も一長一短だ。
そうそう、僕達がいるのは3階の一番高い所。帝国がお金を出してくれるから何も云わないけど、幾ら最強だとか最凶だとか云われているにしても、高々旅人にちょっとお金かけすぎじゃないのかな。僕達は特に船酔いとかするわけじゃないしギルド船でも大丈夫なぐらいなんだけど。でもま、それだけ期待が大きくて、それだけ厄介な事態になっている、って事か。好待遇は、そういう意味だよね。
……それならいっその事、ルームサービスを経費で落とせるか試してみようかな。
部屋で頼んだものの後始末――ツマミの余や酒瓶、食器――用に備え付けられている棚の前に、丁度良く回収に回っている船員が居た。さっと渡してチップを要求されないうちに立ちさろう。がさがさと袋を回収する彼等は僕が近付いて来ている事に気づいていないらしく小声でぼそぼそと会話し続けている。
「あの悪魔憑きのせいで魔物増えちまったから、この海域通んのも物騒だなぁ」
「この前、帝国行きの船の護衛が2艇も烏賊のバケモノに襲われて沈んだそうですよ」
「はぁあ~そりゃぁおめぇ、おっかねぇこって――」
「申し訳ないんだけど、これを」
「「!!ももも申し訳ありませんっ」」
此処は先ほども云った様に一番高い所。ビップルーム、と云うやつだ。そんな客の前で無駄話をしていた事を上役に知られたら、叱責は免れない。悪くて減俸だろう。真っ青になってゴミ袋を握りしめる彼等を見やりながらバレ無い様に溜息を吐いた。
わざわざチクろうなんて面倒な事、しないけどね……。
僕は適当に手を振って皿を押しつけて踵を返した。毛足の長い絨毯を踏みしめつつ、部屋の扉の前で鍵を挿し込み、部屋に入ってばたりとベットに倒れこんでポツリ零した。
「申し訳ない、ね」
きっとこの船、襲われちゃうだろうな。なんせ、僕が乗っているんだし。
精霊達が、大きく頷いた。乾いた笑いも漏らしながら掌で顔を覆い嘆く。
なんで僕って、こんなに運が無いんだろう。
次の日。
夜間は特に問題なく船は粛々と進んだ。帝国まではビルポートからだと順調に進めば3日。大体明後日の午前中に到着する予定だ。
天侯の荒れる冬の終わりだとかだったら休み休み行くから一週間ほどかかるけれど、今は夏。天侯自体は安定している。良い事だ。
時化や嵐なんかと遭ったら最っ悪だ。一回民間の安い船――この船の一番安い船室の1/5ほどの値段――に乗っている時に大時化に遭ったけど、あれは酷かった。何が酷いって渦に浮かぶ木の葉みたいにぐるぐる回るし上下に揺れるしで吐く人が続出。到る所で吐かれるから嘔吐物の異臭が其処彼処で漂い出した事が一番酷かった。後、ご飯が不味い上、揺れてるからスープが席に着く前から零れる事。しかも護衛についていた貴族船から逸れたせいで依頼料を貰えなかった船側から運賃の引き上げを告げられたし。
あれにはsの場にいた全員がキレた。いや、もう本当に、地獄絵図だった。僕も怒ったけど、怒りがすぐに萎むくらい怖かった。なにより師匠と先生が般若だった。……あの時は金欠どころかすっからかんだったからなぁ……。
原因は師匠が賭けでやらかしたって云うしょうもない原因だったんだけど。
あの船に比べれば貴族船だから殆ど揺れもないし、そんなに美味しくないけれど何も気にしなくとも綺麗に盛りつけられた状態で料理は運ばれてくる。あの時は厨房まで自分で注ぎに行って立ち飲みしたもんだ。
良い航海だと思っていた。思っていた。そう、過去形だ。
この海域に大量の魔物がいる事が解ったとなれば話は別だ。正直嵐も魔物も変わらないぐらいの迷惑度だ。精霊達は良かれと思って教えてくれてるんだけど正直そう云うテンションのダダ下がる様な情報はいらなかった。
海の下の様子を聞くだに、寧ろエンカウントしていない事自体が奇跡の様な気もしているけど、不幸はまとめて後でやって来る。油断してはならない。
一番良い装備の時に来てもらいたいもんだね。本当。こんな紙みたいな装備じゃ、水鉄砲も防げないじゃないか。
……まぁ、今回は師匠や先生が居る。僕は何の不安も感じずにいられて良い。あの人達ならなんとかしてくれるって云う安心感がある。
でも海面下の魔物数とか報告されると、流石に気分が滅入る。何?船を追っている魔物の数がもう200超えた?あぁ、うん、もう良いよ。更に34体目のクレトパス?何、アイツらって群れで行動するっけ。丁度繁殖期なの。繁殖期って気性が一番荒くなる時期じゃないか。
……解っていた事ではあるけれど、無事に終わるわけがない事を再確認させられた。
2日目のお昼が過ぎ。少し行った先にちょっとレベルの高い魔物が跋扈するポイントに差し掛かる、と精霊から伝えられた。
……だから僕にどうしろと?いやいやそれ師匠達に云うべきでしょ。
『むりむりだめだめー』
『自然界における当然の行為を行っている。連綿と受け継がれていく因子を、営みを邪魔立てする事は許されない』
何故か師匠と契約している精霊達が居座ってうんうん頷いている。良く解んないけど、取り敢えず今は取り合ってくれないって事、かな。仕方ないね。
ま、先ずは護衛船に任せてみよう。その為にいるんだし、仕事はきっちりやって頂こうか。
僕はこの2日、下に響かない程度に朝の鍛錬(と云うか筋トレ)と読書と宿題に勤しんでいた。学生だしね。余計な厄介事はできるだけ見ないふり。
スルーするな?何云ってんの。この後のパターンなんてお約束過ぎて反吐が出そうなくらいなんだから、別に少しくらい平穏を享受したって良いでしょ?
それから1刻ほど。流石にもうそろそろ来るな。と感じ取った僕は嫌々ながら“変身”して、ビルポートの酒場以来となる青年の姿を取った。
どうせ、僕が出張る事になるだろうなぁ。師匠達がいるから沈没は――9割方、ない。だけど残りの1割の可能性がある。見過ごせない。大体あの人たちは思考回路が特殊すぎてどう考えているのか見当もつかないんだ。まかせっきりにするのは危うい。僕の命と尊厳が。
それに師匠達なら僕に全部放任してホエルノ(デカイ海洋性哺乳類。口から中に入って胃袋まで到達したら胃液が来ない限り胃袋の中で生活できる)召喚して勝手に帝国行ってそう。
それで必死に追いついた僕に対してイイ笑顔でこう云うだろう『ノロマ』、と。置いて行った癖に。そしてまた修行とか云って連れ回されて――って、何故、あまりにも予想でき過ぎるのだろう。僕は“変身”後の姿を確認しつつ溜息を吐いた。
“狭間”から僕用の剣を引っ張り出して腰の皮ベルトに差す。手袋からグローブに付け替え看板へ向かった。部屋から出て鍵を掛けて階段を下り――思い切りジャンプした。僕の足が宙に舞った時“揺れ防止”をに重点を置いている船体が、大きく揺れた。
甲板は阿鼻叫喚だった。
いやね、そんなに怖いんならさっさと中に入ってよ。結界が張られていて中に入れない?破れば良いじゃんか。そんな事も出来ないんなら、ちゃんと安全確保にずっと中に入ってなよ。僕は船員に口泡を飛ばしながら掴みかかる客達を尻目に魔物を眺めた。
シードラゴラ。形は竜だけど、空を飛ぶ為の翼は付いておらず、代わりに大きく発達した背鰭や胸鰭、尾鰭などが特徴。体長は3mほど。瞳は黄色で体は透き通ったアクアブルー。手には大きな爪が付き、牙も鋭い。
注意すべき点を述べるなら彼らの身体は固い鱗で覆われており、打撃系の攻撃が殆ど意味を成さず魔法で仕留めなければならない。そして、風並びに土、炎属性はほぼ効果がなく一部の属性でなければ倒せない事が最大のポイントだ。水属性の場合は効果がないどころではなく逆に回復すると云う面倒な敵である。弱点は白い腹。闇、光、電気系魔術。僕なら適当に光を纏いつかせた剣で串刺しにするけど。もしくは闇属性の魔術を体内に突っ込んで中からどうにかする。
しかし、普通はこんなに人間が――と云うか大型船が――引っ切り無しに通り過ぎていくような海域に居る魔物ではないのだけれど。どうして出張って来たんだ。僕は天を仰ぐ。僕か。僕のせいか。僕がいるからか。どんだけ運が無いんだよ、僕は。
生温かい風が吹き荒び、ぐるぐるとすごい速さで頭上では重苦しい鉛色が垂れ込めてきた。頬や鼻にポツポツ当たる感覚に思わう眉を顰める。降り始めたか。
シードラゴラが現れたせいで魔力の大きな流れ崩れ出し、天候が荒れ始めた。大きな魔力を律せない――寧ろ自然界に於いては律する必要性がない――と、体から洩れる放出魔力が本人(?)が何も意識せずとも周囲に影響を及ぼしてしまうのだ。結果的に彼ら水属性を持つ魔物には好都合なフィールドが出来上がるわけなんだけど。
顔や頭に当たり始めた水滴ごと僕はぐしゃぐしゃと触りなれない長さの髪を掻き回した。
ああああなんだって僕はこんなに運がないんだっ。別にね、僕は魔物を倒して一攫千金とか名を知らしめすとか望んでないのに。寧ろひっそり生活させて欲しいぐらいなのにぃいい。
目の前から飛んできた毒針をバックステップで回避する。護衛船が魔術を放ってるけどシードラゴラに有効な術師が居ないんだろうか。いや、居るのかも知れない。光と闇は基本的に術者の総数が少ないが、雷ならいる事だろう。
問題は規則だ。この海域での――と云うか海全般での――雷属性の使用不可が辛い。生態系に広範囲に影響を及ぼす可能性が高いから仕方ないけど。まさかシードラゴラとかち合うなんて誰も思わないから光や闇属性の術者が居ないのも仕方ないと云えば仕方ない、か。
背後で悲鳴や怒号を上げる煩い貴族達を結界で覆ってから、風と光の精霊に矢を放ってもらうように頼んで――断られた。
……え?
一瞬、思考が停止した。
どうして。生まれた時からの友人である彼らに初めて拒否され、頭の中が真っ白になる。
どうして。どうして。どうして。どうして。どう、し、て。
真っ白になりながら反射的にシードラゴラの攻撃を避けると、上空からパリンと、やけに軽々しい音が響く。僕は着地点だろう場所を振り返るとやっぱり――と云うかそれ以外いないと云うか――師匠がいた。
船室から、出てきた?僕に任せっぱなしにするつもりかと思ってた。
精霊達に拒否されて半ば放心状態の僕に生来の友人である彼らは囁く。
『彼女が「行く」と云ったから邪魔になると思い、留めただけの事』
『ごめんねごめんね』
『だいじょぶだいじょぶだいすきだから』
『だからなかないで』
師匠が出ると自分から云った事に驚き、そして師匠のあまりにも不機嫌そうな顔に僕は戦慄した。
うおぉ……あの顔は、アレだ。先生が浮気してるんじゃないかとか変な噂が流れたあの時と同じくらい――ではないか。アレは本当に思いだしただけで卒倒しそう――のオーラが流れている。めちゃくちゃ怖い。あまりの恐怖に鳥肌総立ちの僕を師匠はさっくり無視。と云うか、ずっと何事かぶつぶつ呟いている。
何云ってるんだろう。断片的で解らない。
「明るい家族計画が」「やっと手を出してくれたのに」「第二ラウンドが」「子供が、子供が」
何故だろう、戦慄が止まらないのは。
面倒くさいと云わんばかりの大雑把な魔力の使い方だが、それでもそうそう師匠の魔術が失敗するはずもなく数秒で完成したのは風属性の大きな鎌。しかも複数。
下を向いていた師匠がすぅっと顔を上げた。僕は斜め後ろの方にいたから師匠の顔は見えなかったが、海の王者とも畏怖されるシードラゴラがはっきりと怯えの色を見せた。
「人の恋路を邪魔する奴は」
吹き荒れていた風が、止んだ。
「切り殺されても、文句はないわよねぇ?」
いや、流石に殺されたくありません、師匠。そもそも師匠達夫婦だし、熱々だから邪魔するのも多分無理だし。
現実逃避ぎみに考える僕の胸中など勿論意に介してくれるはずもなく師匠は手をゆっくりと上げ――勢い良く振りおろした。
憐れなシードラゴラをスパスパなます切りにした師匠は「寝るわ」と云って踵を返した。師匠の背後、詰まり僕の前面で、シードラゴラだったモノがザバーンと水柱を立てて海に還った。
巨大な水柱の一部が甲板に叩きつけられビシャザバザブーンと僕らの上にも降ってきた。
あぁ、水飛沫がかかって服が潮臭くなるなぁ。思わず現実から目を背けた僕など全く意に介さず、師匠はちゃんとした術を使わず、力任せに結界を解いて中に戻ってしまった。
辺りは静寂に包まれた。誰も何も喋らず、唯少々荒れた波の音がする。
…………僕に、どうしろと?
この、なんとも云えない、説明キボンヌーな空気の中、僕にどうしろって云うんだ。
どうしてあの人は基本的に効果が無いと云われている風属性で倒して行ってしまったんだ。説明どうするんだ。せめて光属性とかで倒して行ってくれれば。
あぁツレだなんて云いたくない。云いたくない。……云わなくても良いか。
もう一度天を仰ぐと鉛色の雲の隙間から汚れの無い青空が覗いていた。
クレトパス…でっかい蛸。体色は自在に変えられるが、死ぬと紫色になる。大きさは成獣で大型船並み。2エーチン(80m)くらい。しかしでか過ぎてそうそう海面に出てこれない。墨には麻痺と溶解の毒が仕込まれている。吸盤からは麻痺の効果を持った毒針が出るので足は食べられず、一部の転生者が地団太踏んでいるとか何とか。
頭は食用にされていて美味。現在毒を持たないクレトパスを品種改良で開発中。
シードラゴラ…形は竜だが、空を飛ぶ為の翼は付いておらず、代わりに大きく発達した背鰭や胸鰭、尾鰭などが特徴。体長は3ドーヤ1トーフィ(3m)ほど。瞳は黄色で体は透き通ったアクアブルー。手には大きな爪が付き、牙も鋭い。身体は固い鱗で覆われており、打撃系の攻撃が殆ど意味を成さず魔法で仕留めなければならない。そして、風並びに土、炎属性はほぼ効果がなく一部の属性でなければ倒せない。水属性の場合は逆に回復する。弱点は白い腹。闇、光、電気系魔術。普通は人間が滅多に来ない海域や深海に棲んでいる。天候を操ると云われているが水系統の魔力に上空の雲が反応して雨雲ができるだけで別に降らそうと思って雨を降らせているわけではない。
台所の話ですが。
退屈を持て余した貴族達の遊b(ry)すみません。
クェイはアブノーマルな世界は知っていますが、現実に結びついていません。