馬車と晩餐2
行くと決めてからは慌ただしかった。
僕は帰ってきたその日の内に荷解きしてしまっていたから、もう一度最初から荷造りをしなければならなかった。僕付きの顔馴染みの侍女達は勤務時間外の時間だと云うのに快く荷造りを手伝ってくれた。非常に申し訳なくて俯きがちに、ありがとう。と云ったら、とんでもございません。と僕を支えてくれる彼女達は微笑んでくれた。
「クエイルーア様は、この3ヵ月半でとっても成長なさいましたね」
「え」
「本当にご立派になられて……リュンユは嬉しゅうございます」
ふっくらした腕を胸元で組んでにっこり笑う昔馴染みの侍女達に戸惑う。
「……本当に?僕はちゃんと、前に進めてるかな」
「勿論ですとも」
私が保証いたします。と力強く胸を叩いた彼女に、本当に感謝した。そう云えば、彼女は昔僕の事を自分の子供よりも愛おしいと云ってくれていたっけ。今でもそうかは解らないけれど、でもやっぱり僕は人に恵まれているんだなぁと思わず笑んでしまった。
今運に恵まれているからと云って、人を直ぐに信用しようとは思わないけれど。
うんうんと内心頷いていると粗方終えて彼女らが立ち上がり首を回していた。僕は水の精霊に頼んで“癒し”をこっそりみんなに施してもらう。
前にやったらそんな事して頂く訳には参りません!と怒られたのだ。だから今回はこっそり、3時間ほどかけて癒すコースだ。これならバレない、と、思う。
少しビクついている僕を尻目に作業が終わって色々と片づけをしながら彼女らは幾分か抑えた声で話していた。
「でも、こんな時間だとお肌が荒れちゃうわ~」
「クエイルーア様、またあの保湿液と美容液作って下さいますか?レッソの花の香りが良いんですけど」
「あら、抜け駆け?クエイルーア様、私も欲しいです」
「私も。娘の分も頂きたいのですけど」
前々から希望者には少しずつ作って渡していた。以前は僕も自分で付けたりして効能を計っていたけど人には個人差があるから全員に良い物かは解らない。現在は一人一人にアンケートなどを取ったりして実用化に向けて鋭意努力中だ。赤みが酷くはなるとか、痛みが出るとか、極端な症例は出ないとは思う。でもどうせ作るのなら効果の高い物の方が良い。その為には事実に基づいた検証が必要だ。だから被験者が増えるのは良い事だ。今の被験者は僕と父母だけだったから。
余談だけどアレクもしたいとは云ったけど子供の肌は繊細で傷つきやすいから却下した。……断腸の思いでしょんぼりするアレクを却下した。誰かこの僕の心情を察して欲しい。本気で胸が裂けるかと思った。
僕は試験運用である事とアンケートを書いてもらう事、効果が出なかったら改善するから些細なことでも気付きがあればすぐに云って欲しい、と説明を行った。すぐさま色好い返事が返ってきたので思わず笑ってしまい夜だと云う事を思い出して軽く咳払いをした。
「うん、それじゃ今度作って渡すね。何時もありがとう。今日はゆっくり寝て明日に備えて」
「クエイルーア様も。明日からの旅で女神様の幸運に巡り合えますように」
美しく規範通りの礼をして退出していく彼女らをぼんやりと視界に収める。扉が閉まり、寮よりもずっと広い部屋で独りになった。先ほどの最後の言葉を思い出し、苦笑した。
女神様の幸運、と云うのは旅の最中に良い事があると良いですね、と云う定型句だ。僕はこの世界の神様なんて神として認めようとも思わないからこの文句に意味はないが。
腕を上げ背を逸らして伸びをした。少し早いけど、今日は早く寝てしまおう。僕は一度欠伸をして夜着に着替えてさっさと布団に入った。
翌日。身支度を整え何時もの鍛錬をし終えて一度体を拭い、もう一度身支度。その後ダイニングテーブルで朝食を取っているともう既に取り終えていたらしい師匠とガーブ先生ににっこりと微笑まれ、朝から何故か2人に鍛錬を付けられぐったりさせられた。
軟弱だ、とかひ弱だとか散々云ってくれてますけどね、2対1な上に実力差がどれだけあると思ってんですかこの人達は。グレますよいい加減。怖くてできないけど。
非常にぐったりしつつ侍女の差し出してくれたタオルと飲み物を受け取る。汗を拭ってから一気に杯を呷ってその器の方だけを侍女に渡していると、ズボンの裾をくいくいと少々強めに――まるで咎めるように――引かれた。視線を落とすと愛しいアレクが瞳いっぱいに涙を溜めて僕を見上げていた。
「きょお、た、たびぃ、に……ひっく……で、でるそう、です、ね……!」
それからは地面に膝を付いて謝り続けた。
ごめん、僕が悪かった。悪かったから泣かないで。アレク抜きで勝手に帝国に行く事にした僕が馬鹿で間抜けなおたんこなすなんだ。だから泣かないで、アレクの事が世界で一番大好きだよ!と幾ら叫んでも大きな瞳から涙をぼたぼた零ししゃくり上げ続けるアレク。僕は悩んだ挙句、少し先の事を約束して目先の事から目を反らさせる事にした。
……仕方ないじゃないか、それ以外思いつかなかったし、皆が皆して微笑ましいと目を細めて助けてくれなかったんだから。
「アレク、大好きだよ。でもね、どうしても行きたいんだ(と云うか今更僕に拒否権なんてないんだ)。終わったらすぐに帰ってくるから、そしたら一杯、一緒に遊ぼう」
「ほん、と?いぃ、いっぱ、い……ひっぅ!あそん、で、ひっくぅ……くれま、か……?」
「本当だよ。約束しよう。大好きだよ、アレク」
その後約束の印としてお互いの額にキスをした。ゴシゴシと目元を擦るアレクを留めて白いハンカチを差し出し、それから侍女を呼ぶ。あんまり擦ると赤くなる。
心得ていたとばかりにスタンバっていた侍女から程良く湿らせたハンカチを渡してもらい優しく拭う。「目を閉じて」と云うと「はいっ」と云いぎゅうっと必死で目を瞑るアレクに思わず噴き出しかけた。されるがままにされるアレクが可愛くて、閉じられた瞼に優しく口付けた。
「微笑ましいわぁ」
「ぼ、僕も混ざりに……!あぁ愛しいリリア!どうして邪魔をするんだい?!」
「大人(不純物)が混ざるなんて許し難くってよ、シアーノ」
「あぁあそんな君も好きだよリリア」
「旦那様奥様、お控えください。他の者に示しが付きません!」
アレクで和んでいると大分アレクも落ち着いたみたいだ。その様子を見てお菓子を用意するように侍女に云った。甘いお菓子で御機嫌を取ろう作戦だ。
……子供じゃないと拗ねられてしまったが、そんな姿にもキュンキュンだ。だって顔を背けようとしているのにすぐに顔がお菓子の方に向くんだよ?それでも必死で拗ねてますよアピールされてみなよ。そりゃ鼻血も出しかねない。僕は出さなかったけど。
将来、アレクには礼服は着てみて欲しいけど、夜会には出したくないな。
なんでかって?こんな天使が貴族の脳足りん共の前に出たら、理性のないペドフィリアに攫われそうで危ないじゃないか。
今回は帝国側に色々と手配して貰えるので宿や足に関しては金銭的な心配がない。師匠達が正式な依頼をされて行う任務だから帝国側もなかなか羽振りが良い。
師匠達は俗称冒険者ギルドって云う、何でもご依頼掲示板みたいなところでかなり有名だった――師匠に関しては在学中から(悪い意味で)目立っていた――から、こう云う風に国から個人で依頼なんかが来たが、普通ではあり得ない。いや、あり得なくもないけどそう云うのは何人か――少なくとも前衛職が2~3人、後衛やそれ以外の特殊スキル持ちなど含め10人前後の――でパーティーを組んでる人達だ。決して前衛後衛合わせて2人なんてパーティーとも云えない人数の人達に云うもんじゃない。
……今更と云えば今更だし、師匠達にこれ以上の普通を求めようだなんて無駄な事しないけど。
そんな訳で金銭的に余裕のある僕らは移動の際に料金表と睨めっこしたり、足を売ってるおじさんと怒鳴りあいながら値切ったりなんてしなくて良いので、少々大目に荷物を持っていくことにした。
……前の時の、服2、3日分と水筒、食器、財布、武器しか持たせてくれなかった(しかも全て現地調達で自分の物じゃなかった)のと比べれば大分大荷物だ。そんなわけで少々荷物が在るので今回は家の辻馬車を使用して船のある所まで行く事にした。帰りはビルポート(港街)で視察をしていたうちの領地の人に乗って帰ってもらう形で落ち着いた。馬で行ったそうだから、ちゃんと馬車渡せば大丈夫だろう。
そして家を出発してから早4時間。僕はそれから率先してずっと行者をしている。
なんでかって云うと――ほら聞こえるでしょ?あんな甘ったるい2人の間には入りたくないじゃないか。
流石に場を弁えてくれているから、その……ふ、夫婦の、営み?って云うか、うん、えっと、えっと、そういう、行、為?は、してないけど、まぁせ、接吻はなんかはしてるっぽいって云うか、していたって云うか、決して見てないけど!うん、取り敢えず僕は空気を読む事にしたんだ。居た堪れなくなったとも云う。
照りつける日光に体力を、車室の様子に精神力を消耗しつつ、僕は陽炎の満ちた轍の残る道で馬を走らせるのだった。