コンパートメント2
この列車には水系の魔術を応用した水洗トイレもどきが付いている。
この世界での本来の名前をファングッシェ。“失われた言葉”と云う大昔の、誰でも精霊と話す事が出来た時代にできた言葉で云う“御不浄”と“流水”を掛け合わせて作った造語である。基本的に貴族トイレだとか水洗トイレだとか色々と呼ばれ方があるけど、僕は水洗トイレの方が馴染み深いのでそう呼ぶ。
形は漏斗みたいな、下に汚物を落とす為の管がある。漏斗と違うのは縁。縁が中側に織り込まれており、織り込まれた部分に“流水”と“失われた言葉”で彫られているのだ。専用のレバーを引けばレバーに埋め込まれていた魔力石――常に魔力を発している石――が“伝達”の魔術式に触れ、そこから“流水”まで魔力が届き結果、水が流れる。水と共に落ちた汚物は列車下方のタンクに貯まり、最終的に貯まったモノも肥料として学園で消費されるシステムになっている。
アルベニアさん――いや、アルさんが御不浄に席を立ち3人の男達の熾烈な視線での争いに打ち勝ったガランデリア公爵の三男坊が勝ち誇った顔で席を立ちアルさんに着いて行った。どうでも良いけど女性のトイレにドヤ顔でついて行くのは非常にどうかと思う。唯の変態にしか見えない。
コンパートメントに残る男2人が眉根を寄せていたのを見て僕は少々呆れた。そんなにトイレに付いて行きたかったのか、この変態どもは。
まぁ二人っきりだし抜け駆けされるんじゃないかとか色々あるのかもしれないけど、そんな悔しそうな顔しなくても大丈夫だよ。抜け駆けなんか彼にはできないから。 だってガランデリア公爵三男坊だって君達と同じくヘタレじゃないか。肉食系な顔をしているけど、ヘタレ度大分高いじゃないか。僕には流石に勝てないみたいだけど。
コンパートメントに残ったのは(ヘタレ)王女パーティーの2人と更なるヘタレの僕。あぁもう何云ってんのか解んなくなってきた。さっきの無駄にテンションの上がった状態のせいで僕はまだ平常心を持てていないんだ。しかし、これ以上無鉄砲にごちゃごちゃ云ってはいけない。常に考えるんだ。考える葦、そう、僕は考える葦なんだ。まずは落ち着くべきだ。これは何時もの僕じゃない。うん。戻れ、落ち着け。お友達になりたいとか恥ずかしい事を思わず口走っちゃったしこれ以上後々恥ずかしくなってベットの上でゴロゴロするはめにならない様に冷静にならなきゃ。
取り敢えず現実から逃避すれば大丈夫。僕はできるだけ落ち着き払って本を取り出した。落ち着く為にも活字を追って心を静めるべきなんだ。うん。2人からの視線も痛いし。本の世界は僕に何時でも門を開いて――くれなかった。
僕は取り上げられた本を虚しく目で追った。あぁ、無情。
取り上げた本を自身の傍らに置いたヴェルフォンガ公爵長男が片眼鏡の奥からジロリと僕を見据え、ゆっくりと口を開いた。
「もし、この先貴様がアルに害を成そうなどとしたら、その時は、私が貴様を消す」
「そんな、滅相もないです」
元より国家権力にたてつこうだなんて不遜な考えは持っていない。折角安心して友人になれる人を見つけたのに。……ある意味安心できないけど、まぁこっちの意味でなら安全だから問題ない。
別に僕は友達が欲しくなかったんじゃなくって安心して人と接する事が出来ない上に僕の事情をしったら不快だと去っていく人間が多い事を知っていたからだ。でも、彼女なら大丈夫だ。
「ア――王女殿下が僕如きと友人になりたいなどと恐れ多い話ですが、慈悲深い御心で云って下さった事を無碍にすることなど僕にはとてもとても……」
しずしずと頭を下げておく。
国内で大きな権力を持つヴェルフォンガ家の跡取りに逆らうのは得策じゃない。取り敢えず下手に出ておけば間違いはない。かと云って慇懃にしたって意味が無い。
……アルさんには申し訳ないけど振りでもこんな態度彼女には取れない。取りたくないじゃなくて、取れないだ。気持ち的な問題で。それがキャラクターだと云えばそうなのかもしれないけど、僕はそう云う人になるのも、そういう人に礼儀正しい態度を取り続けるのも御免被る。その為にもお友達になったのだけど。
友達なら態度が多少砕けてたって怒られない。なんせ僕は今『平民のクェイ』と周りには認知されているのだから。多少礼儀が抜けていても酷すぎなければ怒られないだろう。
ジェロンドの第二皇子がバサリと扇子を開いた。
「ふむ。なればお主、何処の寮に居るかは知らぬが、未聖に移って来る気かの?」
「は……い?」
思わず顔が引き攣った。未聖と云うのは寮の名前だ。一番人気の。僕は一番不人気な塵種の寮。未聖は確か寮の収容人数を超えているから、入寮すると誰かと相部屋になるんじゃなかったっけ?
なんだその地獄は。
「それはそれで面白そうではあるが……ちと、邪魔じゃのう」
「いや、そんな気は全くありませんけれども」
何で僕がアルさんの為に寮を移動しなければならないんだ。冗談じゃない。僕は少々げんなりした。大体やむを得ない事情がないと移寮はできないはずだ。可笑しいな。何処にやむを得ない理由があるのか、理由を持っているはずの本人が解っていないんだけど。
「ふん、寮も違うと云うのに私達の中に入ろうなどと、片腹痛いものだな」
「……待って下さい。それ、どう云う意味ですか」
聞きたくない。非常に耳に入れたくなんかない。しかし今何とかしておかないと大変な事になる気がする。僕は勇気と気力を振り絞って訊いた。するとキョトンとした顔で第二皇子が首を傾げた。
「我らの仲間に、に決まっているであろう?まぁ授業もそれほど同じと云うわけではない。難しいじゃろうがなぁ」
「……断固拒否させて下さい」
冗談でも笑えない。寧ろ入りたくない。
何で僕が恋の下僕ズ……いや、忠実な僕……これもハマりすぎて使ったら駄目だな。思わず云っちゃいそう。えっと、恋の虜ズの中に入らないといけないんだ。勘弁してよ。薄ら寒くて真夏なのに鳥肌が立ったじゃないか。
ヴェルフォンガ公爵長男は居心地悪そうに片眼鏡を上げて胡乱気に僕に尋ねた。
「では、貴様は一体何を望んでいると云うんだ。貴族に顔を売る為か?アルに気に入られる為か?――傷つける為、か……?」
「ハッハッハ!クララ、その様な事を馬鹿正直に云うような馬鹿は早々おらぬぞ?尋問は、もう少し上手くやるべきじゃ」
「うるさい!クララなどと少女趣味なあだ名で呼ぶな!」
どうでも良いけど、本人の前で尋問って云うな。確かに僕ももっと上手い事訊けば良いのにとは思ったが。
わぁわぁと顔を赤くして叫ぶヴェルフォンガ公爵長男とそれを突いて遊ぶ第二皇子を見ていると段々脱力してきた。大分テンション下がったね、うん。何時も通り何時も通り。僕は云い争う2人に云った。
「僕は先ほども云った通り友人が欲しかっただけです」
「だが貴様は何時も一人でいるだろう。友人が欲しいのならば他に作れば良いだろう」
ご尤も。
だけど、それは裏切られる恐怖を知らないからこその言葉だ。人間は学習能力の高い生物だ。一度裏切られたらなかなか信用できない。それが多大なる苦痛を伴う物なら、なおさら。
「例えば貴方が幼少期に魔物憑きに監禁されたとします。その魔物憑きは自分の両親や友人、信頼していた使用人に次々に姿を変えて来る日も来る日も凌辱してきたとします。……周りの人間が本当に人間か、常に疑った事はありますか。本当に自分の知っている人間か常に気を張っていますか。そんな経験をして、沢山の見知らぬヒトの中に居られますか」
「…………」
「王女殿下は、精伝令です。ご存じの通り精霊は嘘を、偽りを嫌います。特に全属性などの、力の強い精伝令はそれだけで偽装が出来ないのです。することも、されることも」
「……その魔物憑きは、捕まったのか」
「いいえ」
だって、犯人なんて存在して居ないんだから捕まっていないに決まってる。
最初に断ってある通りこれは作り話、基、例え話だ。
沈痛な面持ちで話を聞く彼らには悪いけれど、僕の実体験とかでは、全く、ない。真実も混ぜてあるけど。だからそんな幼児性愛者的な奴――本当にそういう奴が居る可能性も高いけど――捕まっていない。少なくとも、僕の中では。
呪術で召喚した異世界の生物を魔物と云い、力の強いモノは悪魔と呼ぶ。彼らは実態を伴わずにこの世界にやって来て、呼び出された術式の中にある物体に乗り移る。大抵は術者自身であり、それ以外は生贄だ。彼らは無機物に取り憑く事などめったにない。だって餌を喰べに来ているのに、口がなかったら困るでしょ。
魔物憑き、と云うのは魔物に体の主導権を握られてしまった人間の事を指す物で基本的に、奴らに理性はない。だから僕の作り話の中にあったことがもし実際に起こっていたらその子供が生きている事は奇跡に近い。大概が直ぐに壊されて食べられて死んでいる。
「そう云うわけで、僕が安心して友人となれる数少ない条件を満たしているのが王女殿下なのです。納得していただけたでしょうか」
「あぁ。……いや、まぁ、その……無理やり、話をさせた形になって悪かった」
「うむ。疑って悪かったと思っておるぞ」
僕が適当に締めるとヴェルフォンガ公爵長男が視線をうろうろさせて気まずそうに謝罪してきた。謝罪さえも居丈高に行った第二皇子よりは好感が持てるけど、そんなに解りやすくて大丈夫なのだろうか。別に僕には関係ないけどさ。
取り敢えず僕は王女が気にするだろうから云わないで欲しいと2人に云っておいた。
精霊は嘘を見抜く。嘘じゃないけど今は結構ギリギリのラインに居るから云われたら多分彼女を溺愛して居る精霊の誰かが何か云う。絶対要らない事を云う。
僕の背中を火精霊が蹴りつけ、水精霊がもの凄い勢いで足を踏みつけているくらいにはアウトラインギリギリ。絶対何か要らない事云われる。確実に。
第二皇子が火、ヴェルフォンガ公爵長男が水の魔術を使うからそれぞれの精霊がむかっと来ているらしい。逆を云うとこの二人は結構騙されてくれている、と云う事だ。まぁ火の精霊の様子からして流石に、第二皇子はまだ半信半疑みたいだけど。
それから僕は、もう一つの大きな理由を口にした。
ほんのちょっとだけ冗談めかして、ね。
「それに、何時までも友達になりたくないと盾を付いている方が目立つじゃないですか。僕は目立つ事は好みません」
「……貴様今までの話の流れをどうしてくれる……!」
「ほほう……では、つかぬ事を聞くが、どれぐらいの割合がその2つ目の理由で占められておるのかの」
バサリと開いた扇で口元を隠しつつ第二皇子が半眼で僕に尋ねた。帝国の民独特の爬虫類的な瞳の奥が楽しそうに揺らめいている。僕は少々演技くさく斜め上を見てんーっと唸る。乗ってくれた事だし僕もちゃんと乗らなきゃいけないよね。
「まぁ、大体9割くらい」
「ほとんど?!」
「冗談です」
「ハッハッハ!クララはまっこと、面白いのう」
「だから!その呼び方はやめろと云っているだろうっ」
実際、この理由は4割くらいだ。だって何時までも駄々捏ねるの面倒になって来たんだもん。周りからは良く解んないけど、拒否していれば構ってもらえると何とか、狡い真似して気を引こうと云々、とか云われるのも大分飽きたし。
勿論、あの美しい言葉と、それを発する際の魂の輝きの美しさ――その言葉の真実性との高さと力の強さ――も重要だ。魂の輝きが強いと云うのは、唯在るだけでも強い力を持っていると云う事だ。それが言葉を発すれば強い力の籠る言葉となり、強い拘束力を持って本人を縛る。精伝令であれば嘘を吐く事は出来ないから、なおさらだ。
僕を好きだと云ってくれた魂の輝きは本当に美しくて、光り輝いていて、だからとても嬉しかった。永遠なんて意志の在るモノには求められないけれど、その場限りでないその言葉は僕をとても暖かな気持ちにしてくれた。
それだけで十分なんだ。改善する所は沢山あるから恋の下ぼ――恋の虜ズ程近くに居るつもりはないけれど、でも友達にはなりたい。傍に居たいと思うよ。こんな僕でも、君の傍に居たらきっと綺麗になれるのかなんて無駄な羨望を抱いたりとか。なれるはずもないのにそうありたいなんて思ったりとか。
「まぁ、何て楽しそうにしていらっしゃるのかしら!わたくしも入れて下さる?」
「ハッハッハッハ、アルには秘密じゃ」
「えええええ酷いですよチェリ!楽しい事はみんなのものですよっ」
「我は良いが、クェイが云うなと云うからのお……」
え?其処で僕に振るの?がっと首を此方に向けて目を輝かせるアルさんに僕はヴェルフォンガ公爵長男に話を振って誤魔化した。うん、犠牲にしてごめん。でも恋の下僕だもん大丈夫だよね。
瞳を輝かせる王女と詰め寄られて真っ赤になって慌てる公爵の長男、それを見て阻止しようと躍起になる別の公爵三男坊と無駄に高笑いをする第二皇子と僕を乗せて、列車は真っ青な空の下を進んでいくのだった。
補足、になったでしょうか…?
これ夏休み明けくらいにこんな感じの話入れるつもりだったんですけど
やっぱり先の方がいいかなと思いまして。
全ては描写力の無さからです。激しく申し訳なく思っています。
矛盾点などがあったらご指摘お願いいたします。
次から夏休み編ですー。