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Overflow






 東京の空を覆う鈍色の雲。


 街路を行き交う人々の口から洩れる白い吐息が、冷たく乾いた世界に色を添える。

 本格的な春の訪れを待つ首都の空は、未だ冬の気配を残したものだった。


 一昨日から吹き荒れた春一番こそ収まったものの、その代わりに、ぐっと落ち込んだ気温が冬の残滓を感じさせる。

 それは、この国に、西日本に春が訪れるのはまだ早いと天までが暗示しているかのようでもあった。


「おいおい・・・そこまで東日本は要求をエスカレートし始めたのか。その話は本当なんだろうな?」


 この国の行く末を決める船頭の声が、執務室に響き渡る。

 冷気が支配する世界とは切り離された首相官邸。だが、流れる空気は、建屋の外となんら変わらぬ冷え冷えとしたものであった。


「はい。彼ら北関東工業地帯における賠償と、89年度にうち切られた有償円借款の再開を求めています」


 外務大臣を務める前園信吾の事実だけを述べるかのように淡々としたものだった。


「謝罪だけではなかったのか?」


「謝罪どころではありません。要求が聞き入れられない場合は、決然たる態度を持って事に臨むと・・・態度を硬化させております」


「はあ?なぜだ。なぜそういうことになる?それに東日本は、もはや開発途上国では無いだろう」


 前園の言葉に、坂は絞り出すかのように小さく答えた。


 国を割った頃なら理解できる。だが、今の東日本はGDP(国内総生産)において世界第7位、イギリスに次ぐ経済力を持った先進国だ。

 その上、この10年間、停滞を続ける西日本を後目に、東日本の経済力は、その伸び率こそ高くないものの着実な上昇カーブを維持している。


「金が欲しいだけなんですよ。奴らは」


 前園の隣に座る島経済産業大臣が口を開いた。


「金、金、金。昨今の軍事兵器は開発費用が高額であると聞き及んでいます。軍事技術やその生産施設に先鋭化することにより国際競争力を維持しているのでしょう。東日本のリソースの多くは軍需産業を中心とした輸出産業に振り分けられている」


 全てを投げ出すかの様に、大きく両手を上げながら金、金と強く言う。


 東日本は自由主義と共産主義が最も熱くしのぎを削り合った70年代頃から共産圏の軍需工場としての役割を担ってきた。

 萎びれた農村に突如姿を現す先進工場群。東北地方を中心に存在する航空機産業を中心とする、これらハイテク軍需工場群は、東日本経済を支える屋台骨といえた。


 ソ連の崩壊による冷戦の終焉は、確かに一つの終わりであった。だが、世界から争いの火が消えた訳ではない。

 大火は消えた。しかし、それは消滅ではなく小さく細かな種火となって世界にばら撒かれただけだった。


 冷戦の終焉は、米ソという枠組み破壊を破壊し、新たなる混沌の世界にもたらしたのだ。

 自由主義と共産主義という二つの大きな頸木から解き放たれた人類は、人種、宗教、国家観など多種多様の価値観を露わにするようなった。

 そして、己の価値観を示すには力がいる。その力の中で、最も単純で最も手に入れることが容易なもの。それが兵器だった。


 戦いが武器を必要とし、武器がまた新たな戦い産む。

 己を表現する為、己を守る為。消えぬ争いの火が東日本軍需産業の明日を照らす。


「共産圏の軍需工場再びという訳か・・・」


 島の説明に、坂は呻くように言った。


「共産圏の・・・失礼、東側の兵器輸出額において東日本のそれは抜きん出ています。ロシアは、そのことをあまり快く思っていないようですが、彼らは中国とは違い、きっちりと対価(ライセンス料等)を払うことにより摩擦を最小限に抑えているようです」


「ロシア正規軍が使っている戦闘機だって、部品の多くに東日本製が使われている」


 島の言葉に、前園が付け加える。


「設計はソ連、作るのは赤い日本人。冷戦時代から言われ続けてきた言葉です。ここで東日本に対するODAを復活させても、彼らの軍事開発を助けるだけで総理が考えられるような効果は薄いでしょう。東日本には自国民を養う力がある。我が国の血税を投入する必要性は全くありません」


「そうは言ってもな・・・」


 力強く言う前園に、坂は視線を逸らすようにしながら言葉を漏らした。


 政権を取る前と取った後で、一番違ったことは圧倒的とも云える情報量の差だった。

 国情だけではなく他国の軍事情報をはじめとする一般人は無論のこと、政治家であってもおいそれと見ることの出来ないものも含まれる。


―――事実は見えている。


「過去、東日本に対して行われたODAで軍事関係に流用、又はその疑いのあるものは無い」


 東日本が世界中に武器を売りさばいているのも一つの事実。前園の言うことに間違った所はない。だが、その考えは坂自身の理念とは遠かった。


―――断罪されるべきは一部の者達であって、その他多くの国民に罪はない。


 弱者を救え。その考えの中には愚かな為政者に虐げられる他国民に対する支援も含まれる。

 もっと云えば国境線こそ引かれているものの東日本は「日本」なのだ。反論の為の正論。坂は弱々しくも言葉を発した。


「確かに総理の仰る通りです。軍事関係へのODAの流用はない。しかし、やっていることは同じことです。本来なら自国民の為に使わねばならない予算を軍需産業に傾注し、不足分をODAで補完しているのです。確かに終戦直後や内戦が終わった頃なら私もここまで言いません。しかし、今や東日本は世界第7位の経済大国なのです!ODAなどに頼らなくても彼らは自分達で十分にやっていける。その辺を総理はどうお考えか?」


「島君も反対なのか?」


 前園の険相から逃げる様に、坂は黙ったままの経済産業大臣に話を振った。


「・・・総理。我が国に東日本を支援している余力はありません。高橋さん(財務大臣)も青息吐息ですよ。東南アジアの台頭で産業の空洞化は進むばかりだ。この辺りで一つ大きな手を打たねば本当に大変なことになります」


 先進国が必ず通る道である人件費の高騰。さらには社会保障や税制改革の遅れから、西日本の経済成長は停滞を続けていた。


「革新的で大胆な一手を・・・出なくては我が国の浮揚はありません」


「島君・・・君は増税の話をしているのか?僕は今、東日本の話を・・・」


「ですから東日本にタダでくれてやる金など何処にも無いと言っているのです。北関東だけでも3000億近い予算が流れた。これだけあれば新たな事業の一つでも起こせたのですよ」


「言葉を慎みたまえ。タダで金なんて渡してないだろ」


「極めて外交色の強いものです。元より利潤などより東日本の機嫌取りを目的に始められたのでしょう?」


 確かに島の言う通り、北関東工業地帯の始まりは、東日本への融和政策の一環であった。


「北関東だって立派な経済事業じゃないか!君には先が見えていないのか!?」


 島の言葉に、坂は声を荒げながら言った。


―――違うのだ。自分の目指すものは、そんな目先のことではない。


 坂は北関東工業地帯に、自分の抱く未来像を映し見ていた。


 北関東を手始めに東日本と協調体制を築く。

 新しい経済圏の確立とまでは云わないまでも、東日本と西日本が協力することによって、アジア圏により強固な経済体勢を敷くのだ。


 二つの日本の経済的融合。それこそが、坂の目標とする未来像であった。


「君らには優しさがない。未来を見る目がない。どうしてこうなんだ?」


「他国の国民を見る前に自国民の為に・・・」


「同じ日本人だ!」


 顔を朱に染め、怒りで肩を震わせるその姿。執務室に響く坂の叫び声は悲鳴の様にも聞こえた。


「同じ日本人なんだ。どうして・・・どうして互いにいがみ合わなくてはならない?どうして互いに手を取り合うことができない?」


―――なぜ?なぜ?


 なぜ、そうまでして争う必要がある。坂には理解出来なかった。


「総理・・・。総理のお考え、理念は素晴らしいものです」


 頭を抱える坂に、前園が声を掛けた。


「しかし、外交は相手にも話し合う気が無ければ進みません。こちらから一方的に善意を押し付けても効果は無いのです」


「頭を下げるだけで済む話じゃないか。自衛軍だって・・・」


―――すぐに敵を作りたがる軍だって抑えた。後は互いが話し合うだけで・・・


 最後の抵抗を見せるように坂は小さく呟いた。


「その結果が今の事態を招いたのです。時には毅然とした態度を見せることも必要かと」


「私も外務大臣の言葉に賛成です」


 己を真っ直ぐに見る二組の眼。 島もまた坂に決断を求める。


―――なぜなんだ・・・?本当にこれが正しい行いだというのか?


 自分の膝の上で握りしめられた両拳が、溢れ出てくる激情で小刻みに震える。

 遠のく未来、消えていく己の理想に、坂は目の前が暗くなる様な気がした。






「・・・分かった」


 どれ位時間が経っただろう・・・坂は大きく息を吐きながら言った。彼の言葉に、前園と島が黙って頭を下げた。


「前園君。東日本との交渉は君に任せる。ODA、賠償の件は断ってくれ。東日本との基本スタンスは互助の精神で頼む」


「分かりました。お任せ下さい」


 互助の精神。それは坂にとっての許容出来る最大限の譲歩であった。


 坂の言葉に、前園は大きく頷いて見せた。


「くれぐれも穏便に・・・戦いは何も生まないんだ」


 平和を願う坂の想い。そこには、一人の男の確かな善意があった。






 「非常態」を「常態」に見せる。それは第1次統一戦争以来、東日本が西日本に対して国家戦略の一端として行い続けてきた戦術行為の一つであった。


 国境線に大規模な部隊を展開させる。


 領空侵犯を繰り返す。


 時には、外交問題に発展しかねない過激な軍事行動を取ることさえあった。


 老練なボクサーが相手との距離感を計る様に、そして相手の反応に慣れを生じさせる為に・・・。

 いくら国境線の部隊展開や軍事兵器のスペックを覚えても、その情報が真に意味することが分からねば、幾ら価値ある情報であっても意味がない。

 人間は考える生物だ。そして、その思考は「己の価値観」が基準となることが多い。何時もと同じ。危険な兆候を危険と思わせない。


 今回もきっと恫喝に終わる。戦闘までには発展しない、と希望的観測を相手に強要させる。


 プロパガンダは別として、もはや祖国統一の可能性など誰も信じてはいない。だが、信じる未来を望めなくとも東日本軍は、その任務に忠実で在り続けた。

 時代の変化や技術の進化によって、手段こそ変われど骨子は変わらない。

 初撃に全てを賭ける。一度の決戦で雌雄を決する為に、彼らは半世紀にも渡り、愚直であり続けたのだった。


「どう利恵、何にか反応はある?」


 レーダー照射を浴びれば警報が鳴る。だが、亜季は、後席に座る利恵に聞かずにはいられなかった。


 自分達の足元に見えるのは北関東工業地帯。

 形骸化しつつあるとはいえ、非武装地帯上空を飛ぶことに亜季は緊張を隠せなかった。


 95式の胴体に抱かれた61式対艦誘導弾。翼には500kgレーザー誘導爆弾やECMポッドが鈴なりぶら下がっている。


―――これが逆の立場なら問答無用で撃ち落としている。


 亜季の頬を汗が伝った。


 ECMポッドだけなら、まだ言い逃れも出来る。しかし、61式誘導弾や誘導爆弾は別だ。

 ましてや61式は、対艦誘導弾と銘打っているもののモードを切り替えれば対地攻撃も出来る。


―――私達のやっていることは、相手の眼前に銃を突き付けているのと何ら変わらない。


 自分達の行為の意味することを考えながら亜季はゴクリと喉を鳴らした。


 勿論、西日本が本気にした場合に備え、61式も500kgレーザー誘導爆弾も弾頭はダミーだったが、そんなこと外見からは分からない。

 全ては西側の本気を試す為。当然の事ながら事前通告など為されているはずもない。


―――そうは言っても・・・さすがにこれは拙いんじゃないの。


 戦闘機にとっては猫の額ほどの面積しかない非武装地帯であったが、今飛んでいる場所は、より西日本側に近いデリケート極まりない場所。

 領線ギリギリ。操縦桿を少しでも倒せば西日本の「絶対」領空へと侵入する。


―――挑発のレベルを超えている。


 任務内容に猜疑心を浮かべることなどありえない。だが、そう思わずにはいられなかった。

 不安げに後方上空を振り返る亜季の眼に、二機のF-15の姿が映る。


「利恵?」


 西日本が誇る鋼の猛禽が翼も触れんばかりの距離で、こちらをエスコートしていた。

 亜季は、再び後席に座る同僚に声を掛けた。


 隣国同様、国連の仲介により停戦に至った二つの日本であったが、その間に友好条約の締結は行われていない。

 幾度かの交渉と国連、主にアメリカを中心とする西側諸国からの外圧により、非武装地帯の設定こそ為されているものの、正式には二つの日本の戦争は終わっていなかった。


 規制事実と自制心を担保に、互いの勢力圏を維持しているに過ぎない現実。


「利恵ったら!」


「五月蠅いな~。今忙しいんだから、ちょっと黙っててよ!」


 しつこく自分のことを呼ぶ亜季に対して、利恵は煩わしげに答えた。


「だって・・・気になるじゃない」


「煩い。黙って飛ぶ」


 不安げな声を漏らす同僚に利恵はピシャリと言った。


―――肝っ玉が小さいなー。亜季ちゃんは!何時もの図々しさは何処に行ったのよ!?


 自分の手が届く範囲の中では勝気な癖に、それ以外では驚くほど弱くなる。


―――もし、この距離で撃たれたら、どうにもならないよ。それに・・・。


 利恵は口元を小さく歪めた。


 先ほどから引っ切り無しに入る西日本軍からの警告。不安で堪らないのは亜季だけじゃない。

 無意味と分かっているのに何度も何度も繰り返される警告。苛々しているのは西日本の方も同じだ。


 撃てる訳がないのに、ご苦労なことだ。利恵は眼前に並ぶ液晶モニターから背後へと眼をやった。


 撃墜されなければ西日本の交戦規約の限度を計ることができる。

 落とされたら落とされたで、「非武装」の機体を撃墜したと外交上のイニシアティブを握ることができる。


 これは端から勝者の決まったチキンレースなのだ。理屈が分かれば恐れることなど何もない。


―――まあーそうは言っても無理もないか・・・パイロットだもんね。


 後ろに付かれて平然としているパイロットよりはいい。豪胆は無謀と紙一重だ。

 ならば少々臆病でも、戦地で慎重な行動を見せる方がいい。


「亜季ちゃん、後ろのイーグルのパイロットが手振ってるよ」


「えッ!うそッ!?」


「うっそー」


 頭で分かっていても、信じることができない。

 猜疑心が恐怖を生む。驚く亜季に、利恵は殊更明るい声で言った。


 眼前の液晶モニターには、95式がその身に浴びる各種電波情報が項目別に並んでいた。


―――民主国家はつらいね。


 いくら高性能レーダーを装備した所で、それを100パーセント運用出来る環境が無ければ意味がない。

 照れを隠すかの様にギャアギャアと文句を言う亜季の言葉を受け流しながら、利恵はサイドスティック上のトラックボールに指を滑らせた。


―――横須賀のミサイル巡洋艦も国境沿いの対空陣地も沈黙を保ったまま。これだったら・・・。


 モニターを流れていく電波情報。そこにあるべき識別略語がないことを利恵は見て取った。

 腕時計の時間を確認し、二―ボードへとGPS方位、高度や侵入時間などを書き込んでいく。


「乳牛!私がこんな目に会うのも全てアンタのせいよ!」


「はいはい。亜季ちゃん。分かったらから次は高度を少し下げてみようか・・・そうだねー。500に挑戦してみない?」


「はあ~?」


「だから500まで高度下げてみようよ。それも緩降下じゃなくて、何時もの様にビュっとさ!」


「あ、アンタ何言ってんの?」


 利恵の提案に、亜季は言葉を詰まらせた。


「私達の機体は、模擬とはいえ爆装してるんだよ。そんなことしたら・・・」


「出撃前の説明でもあったじゃない。西日本の領空さえ侵さなければ何してもいいってさ。盛大に挑発してこいって飛行隊長も言ってたよ」


 どこまで許容するのか・・・。兵装士官として利恵は西日本の限界を知っておきたかった。

 この位置で高度を下げる。それも見た目は爆装した機体で。その重要性が分からぬ西日本ではないはずだ。


 知らず知らずの内に唇を舐める。利恵は、その顔に獰猛な笑みを浮かべていた。


「貴機は、重大な協定違反を行っている。当空域での軍事行動(情報収集活動)は認められない。速やかに活動を中止し、本空域から退去せよ。繰り返す・・・」


 西日本軍機が続ける警告が耳朶を打つ。その声に利恵は、さらに笑みを大きくした。


―――さ~て・・・国境沿いの対空陣地を無力化されても、まだ我慢するか?西日本軍。


「ねえ、ヤバいって。さすがにそれはやり過・・・」


「つべこべ言わずに早くする!」


 未だウダウダと情けないことを言う亜季を利恵は叱りつけた。


「何時もの勝気は何処に行ったのよ。撃たれやしないよ。せいぜい警告射撃ぐらい。それだって下に工業地帯があるんだ。西日本の臆病者に撃てやしないよ!」


「私だったら撃つよ・・・」


「相手は東日本じゃないんだから。亜季ちゃん、勉強足らな過ぎ!行かないなら模擬弾落とすよ!早く行って!」


「んーもうーどうなっても知らないからね!」


 模擬弾を投下するという脅しが効いたのか、亜季の言葉と共に95式の機体が急降下に入る。


「何をしている!?すぐに行動を停止しろ!」


 国際VHFに、西日本軍パイロットの慌てた声が流れるが、もう遅い。

 高度3000mから500mへ一気に高度を下げる95式戦闘爆撃機。


「亜季ちゃん!高度500で反転上昇。F-15の後ろに付けたら隊食で好きなもの奢ってあげる。出来なかったら亜季ちゃんの奢り!」


「・・・無理に決まってるでしょうがー!腹には・・・グッ!」


 一気に捲し立てる利恵に亜季は抗議の声を飲み込まざる負えなかった。

 上から被ってくるF―15。コクピットにロックオンされたことを知らせる警報音が鳴り響く。


「ああ!もうッ!」


 腹に抱いた61式の為に満足な機動が取れない。亜季はただ叫んだ。

 利恵の言う様な急降下からの反転上昇なんて出来る訳がない。そんなことをすれば61式が落っこちる。


 実弾こそ飛んでこないが、警報が「お前は、もう死んでいる」と騒ぎ立てる。まったく持ってやるせない。


「当空域での軍事行動(情報収集活動)は認められない。速やかに活動を中止し、本空域から退去せよ。繰り返す・・・」


 ロックオンしたまま、また警告が流れた。後ろを振り返るまでもない。亜季はガックリと頭を垂れた。


「はあー分かってるわよ・・・」


 冷や汗で、背中がグッショリと濡れていた。今回は西日本軍の自制心に感謝だ。逆の立場なら100%引き金を引いている。

 亜季は大きな溜息を吐きながら、スロットルを緩め、機首を北へと向けた。


「いやー亜季ちゃんのお蔭でいい情報が取れたよ。さすがに攻撃機動は駄目だよね!でも、あいつら最後まで撃ってこなかったよー」


「もう・・・勝手にして・・・」


 消える様な声で亜季はボソリと呟いた。


「実戦だったら撃った後だから、反撃できてるよ!落ち込まない。落ち込まない!」


「煩い・・・」


 後席から響く上機嫌な声が、また神経をささくれさせる。

 機首を北に向けるのとロックオン警報が消えたのは、ほとんど同時だった。






「北関東工業地帯上空において、西日本軍機が、訓練中の東日本軍機に対し、レーダー照射を浴びせるという事件が発生しました」


 テレビから流れるキャスターの声。


「この西日本軍の挑発的行動に対し、東日本からは強い憤りの声が上がっており、平和協調路線を提唱する坂政権に取っては、今後難しい選択を迫られることになりそうです」


「おいおい・・・こんなのありか?」


「ありも何も訓練中に迷い込みました。搭載していたミサイルはダミーですって向こうが言い張ってるんだからどうしょうもないじゃない」


 行儀悪く、テレビ画面を箸で差す長門に、楓は不満を押し殺しながら言った。


「だってよ、見て見ろよ。あの腹の誘導弾。61式の姿もはっきりと映ってるじゃないか」


 テレビには、イーグルに追われ、低空を駆け抜けていく95式戦闘爆撃機の姿があった。

 視聴者が取ったというその映像は、決して褒められる画質ではなかったものの、95式のエアインテークの間に搭載された大型の誘導弾の姿をはっきりと捉えていた。


「そんなの国民は誰も気にしません」


 言いながら楓は、目の前に並べられた料理から海老の天ぷらを摘まんで口へと放り込んだ。


―――んーナイスッ!頑張った!私。


 口の中に広がる海老の甘味と、柔らかで、その上で確かに残るサクッとした食感。

 楓は、自分の料理の出来に満足げに頷きながら、ビールの入ったコップへと手を伸ばした。


「レーダーを照射したということは、何時でも撃墜できたということですよね」


「そうです。軍事用語ではロックオンというのですが、よく東日本軍機は我慢したと思います。通常の警告射撃ならロックオンの必要はありませんから・・・」


 キャスターの代わりに、今度は、こういった事案が起こると必ず登場する「自称」軍事専門家が胡散臭げに語っていた。


「今回の自衛軍の対応は、非常に好戦的なものと言わざる得ないですねー」


「えッ?それでは今回の対応で戦争に発展していたかもしれないんですか?」


 一般人代表の代わりにと席に座る芸能人の一人が、声を上げ視聴者の不安を煽る。


―――はあ・・・チープな演出ね。それより・・・。


 楓は内心ゲンナリしていたが、対面に座る長門は、箸を動かしながら熱心な視線をテレビに送っていた。


「記者会見で坂首相は、今回の国防省の対応には行き過ぎたものがあったと釈明。事態の究明と以後こういったことが起きない様、再発防止を強く国防省に指示しました」


 画面が切り替わり、記者団にマイクを突き付けられ、不機嫌そうな表情で語る首相の姿が映る。


「あのマイクが銃だったら、どんな顔を浮かべるんだろうな・・・」


 テレビに目をやったまま箸を伸ばす長門に、楓の眉間に皺が寄る。


「んッ・・・んん・・・61式の足なら5分と経たずに国会議事堂も直撃できた。そのことをあのおっさんは理解してるのか?」


 海老が長門の口へと消える。


「坂首相は、筋金入りの平和愛好者よ。ミサイルの性能なんて知る訳ないじゃない」


「そうは言ってもな。軍の最高指揮官だぜ・・・ふむッ・・・ん・・・」


 秘かな自信作であった鱚が、長門の口へと消えた。


「危機管理っていうか、全てを覚えろとは言わないけど、ある程度の知識は・・・んッ?どうした」


 ジッと自分の顔を見詰る楓に、長門は不思議そうに首を傾げた。


―――それ・・・手間がかかってるのよね。頭をおとして、鱗取ってさ・・・片付けだって面倒だったのに。


「・・・戦争を忌避するのと軍隊を嫌うのは、また別問題だと思うんだがなー」


 また一つ長門の口へと消える天ぷら。


「官邸には、軍事問題担当のブレーンなんざ幾らでもいるだろう。何で、こんな状態が良しとされるんだ」


「・・・そうね、高度な政治的判断って奴じゃないの」


 箸を握りしめ、フルフルと身を震わせながら楓は言った。


「平和を維持する為に俺達はいる。それでも許されないのか?」


 今度は舞茸。舞茸もまた揚げるのが難しい。衣をつけ過ぎては、繊細な味を消してしまう。


 テレビ、天ぷら、テレビ、テレビ、天ぷら。

 バクバクと食べていく長門。その食べっぷりは立派だが・・・楓は自分の中で何かが音を立てて切れるのを感じた。


「私はアンタの態度が許せないわよ」


「えッ?」


 ボソリと呟かれた言葉に長門は慌てて楓の方を見た。


「慣れって怖いよね・・・」


「な、慣れって?」


 決してエアコンが効きすぎている訳ではない。

 冷ややかな目で自分のことを見る楓の姿に、長門の頬を汗が伝った。


「彼女の手料理も当たり前になると嬉しくなくなるんだ?せっかく頑張ったのに・・・。長門は褒めてもくれないんだ」


「い、いや・・・そんなことない。上手いよ。これ」


 楓の言葉に、全てを察した長門は大皿に盛られた天ぷらへと伸ばした。しかし、


「上手いッ!この鱚なんて最高だ。サクサクだし・・・か、楓さん・・・?」


 長門を無視し、楓はリモコンを手に取り、テレビを消した。


「長門も東日本も同じだね」


「な、何が・・・?」


「調子に乗らせると何処までも付け上がる所よッ!」


 バンッと机を叩きながら楓は叫んだ。


「今更、防衛事情を説明してもらわなくても分かるっつうの!それより料理を褒めなさいよ!料理を!」


「わ、悪かった。すまん!」


「やっと取れた休みだって云うのに!せっかく頑張ったのに!」


 平謝りで頭を下げる長門の姿が涙で歪んだ。


―――駄目だ・・・。止まんない。


「東日本が何だって!?そんなの嫌になるくらい知ってる!」


 叫びながら楓は、机の上に置かれていた焼酎の瓶をそのまま一気にラッパで呷った。


「お、おい!楓!」


「何よッ!」


 慌てた様に長門が瓶を持つ手を抑えようとするが、その手を子供の様に撥ね退け、また一口呷る。


「警告射撃一つ満足に出来ない。爆装した機体が非武装地帯を低空でフライパスして行ったのよ!一歩間違えれば東京が攻撃を受けていた。なんで私達が怒られなくちゃならないのよ!」


 感情が制御できない。グルグルと回る視界の中、楓は叫んだ。


「平和、平和って言われなくても分かってるよ!私達は・・・私達は・・・あッ」


 ふらつく体を支えようと机についた手が空を切った。


「楓ッ!」


 歪んだ視界。長門の声が何処か遠く聞こえる。


―――畜生・・・何でよ・・・。


 溢れる激情に身を委ねながら、楓はそのまま意識を失った。










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