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 日本海上空、高度6000メートル。


 夜とはいえ、雲の上に出ると夜空は意外なほど明るい。

 柔らかな月の光は、夜の闇が作り出す漆黒のベールを少しだけ開けることを人に許してくれる。


「真っ暗な中、低空を這いずり回るばかりじゃ息も詰まるもんね」


 フルムーン。夜空に、くっきりとした球形の姿を浮かび上がらせる月を見上げながら亜季は呟いた。


 相変わらずの夜間飛行とはいえ、自由に空を舞える幸福に嫌が応にも気持ちが昂る。

 ここ1ヶ月、偏屈なほど続いた夜間低空侵入訓練。久しぶりの空戦訓練に亜季の機嫌はとても良かった。


 月から前方へと視線を替え、ざっと計器を流し見て、己の操る機体に異常がないことを確認する。


「甲2(制空任務)装備だしね。機体も軽いよ」


 亜季の言葉に合せるように後席に座る利恵が口を開いた。


 ロシア人が産み、日本人が鍛え上げたSuー27シリーズの中でも最強クラスの攻撃力を持つ95式戦闘爆撃機。

 最大搭載量8トン以上を誇る95式にとって、全て合わせても3トン程度にしかならない対空兵装など重荷にもならない。

 東側最強戦闘機の系譜に連なる怪鳥は、空対空(ダミー含む)ミサイルを大小12発抱えながらも、その機動に僅かな揺らぎもみせなかった。


「そうね。61式はデカイし、重いし。ほんと誰か・・・」


「亜季ちゃん、そのネタはもういいよ」


 何時もと同じ様にからかおうとする亜季の言葉を、利恵はチッチッチと顔の前で指を振りながら遮った。


「嫌味一つでも同じことばかり言ってると飽きられるよ」


「はあー飽きられるって誰によ?」


 利恵の物言いに亜季は首を傾げる。


「勿論、私!」


「フッ、フハハ・・・何やってるのよ?貴女・・・馬鹿じゃないの」


 自分の顔を指差し、胸を張る利恵。そんな利恵の滑稽な姿をバックミラー越しに見ながら、亜季は笑みを浮かべた。


「フフン!馬鹿は捻りのない亜季ちゃんの方だよ!」


 亜季の笑い声に利恵もまた口元を緩め、言葉を続ける。


「胸と同じで頭も固いんじゃないの?」


「五月蠅い!調子のんな!そっちこそ捻りも何もないじゃない」


「言いだしっぺはそっちだよ!」


 笑いあいながら二人は軽口を叩き合った。


「61式がデカくて、重いのは事実でしょ!」


「その後だよ!」


 指先一つ、ボタン一つ弾くだけで死をまき散らすことのできる殺戮機械のコクピットには似つかわぬ、少女達の華やいだ声。

 その時だけは、亜季も利恵も東日本空軍戦闘機パイロットという仮面を脱ぎ捨て、年相応の表情を浮かべていた。


―――フフッ・・・やっぱり空は広い方がいいわ。


 利恵に構いつつ、亜季はまた空を見上げた。


「ほんと・・・久しぶりに見た気がする」


 見上げながら小さく呟く。


 黒に黒を重ねた様な低空飛行とは比べるべくもない。亜季は不思議な解放感に身が包まれる想いがした。

 まもなく訓練空域に入る。そこには仮想敵を務める89式(Su-27)が自分達のことを待ち構えているだろう。


―――だけど・・・ほんの少しの時間しかないけれど・・・


 思想も信条もない。ただ子供の様に無垢に空を楽しむ。亜季は口元に浮かぶ笑みを大きくした。


「んん・・・どうしたの?亜季ちゃん」


 急に静かになった亜季に、利恵が訝しげに問いかける。


「なんかさ・・・」


 問いかけてくる利恵に、亜季は言いかけて言葉を一度切った。


 月の明かりに浮かび上がる雲海。分厚く、真っ白に輝くその姿は、祖国の大地を覆う雪のようでもあった。


「なんか楽しいなって!」


 亜季は大きな声で叫ぶように言った。


―――色んなモノを背負って飛んでいる。仲間の為であったり、国の為であったり・・・姿形は見えないけれど、確かな「重さ」を感じるモノを。


「でもさ・・・」


 言いながら亜季は突然、機体をロールに入れた。


「な・・・ちょ・・・亜季ちゃん!」


 利恵が抗議の声を上げるが無視。進行方向を軸に、そのままグルグルと回り続ける。


「フ・・・フハハハ。ねッ!ちょっとぐらい我儘に飛んでもいいでしょ!」


「もうー何がちょっとぐらいよー」


「貴女だって楽しんでるでしょ!そ~れッ」


 声とともに亜季は僅かにサイドスティック(操縦桿)を押し込んだ。


「ちょっとー!」


 利恵が抗議の声を上げるがもう遅い。


 ロールを続けていた95式は、パイロットに忠実に反応。回転をそのままに滑るように高度を下げる。

 そのまま高度を一気に千メートルほど駆け降りた所で二次燃焼装置アフターバーナーに点火。


「どっせーい!」


「亜季ちゃんのアホー!」


 95式のコクピットに響く二人の叫び声。亜季と利恵、二人の体を加速Gがシートへと叩きつける。

 ダイブ&ズーム。降下することにより稼いだ運動エネルギーにエンジンパワーを加えた95式は垂直上昇。あっという間に失った高度を取り戻す。


―――最高ッ!


 気持ち良かった。全身を締め付けるGもめまぐるしく変わる風景も・・・。耳元で地上管制班が何か言っているが無視。

 背後で乳牛がグルグル呻っているのだけが気がかり(利恵はナビも務めている。燃料計算も後席の重要な仕事の一つだ)だったが、許されるのなら、もう一発行きたいところ。


「もういっ・・・」


「絶対ダメ!」


「それは残念」


 シレっとした声で答えながら亜季は機体を左右に軽くバンクさせた。


「やったらコンビ解消だからね」


「やらないわよ。ちょっと機体の様子を探っただけ」


 不審げに言う利恵に、舌を出しながら亜季は言った。


 訓練空域まで後僅か。東日本空軍パイロットに戻る時間が迫っていた。

 責務を果たさなくては、権利は得られない。守りたい権利は勿論、95式のシート。


 その為には何だって・・・、


「343(東日本空軍戦闘第343航空隊)なんかに絶対負けないわよ!」


 その顔に好戦的な笑みを湛え、亜季は言った。


 仮想敵アグレッサーを務める戦闘343は東日本でも最強と謳われる戦闘機部隊だ。

 戦闘343と亜季達が所属する戦爆131とは、その主任務の差こそあれど強いライバル関係にあった。


「夜の空が誰のモノかたっぷりと教育してあげなきゃね」


 亜季の言葉に利恵も同意する。


 佐渡島西方80マイル。目に見えぬリングロープの張られた大空の決闘場がそこにある。

 待ち受ける相手は強敵。亜季は自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。


 研ぎ澄まされていく感覚。体の作り、変わるはずのない体組織さえも戦う為の何か変わっていくかのような気がする。

 女から戦闘機械へ。伏倉亜季と云う個人は消え、東日本空軍少尉という認識票をぶら下げた一人の戦闘機パイロットが現れる。


 狩りの時間が迫っていた。狩人になるか、狩られる獲物になるかは己の腕次第。


「いくよ!」


 亜季は呟きながらスロットルレバーを静かに押し込んだ。






 空に自由がないことに気付いたのは何時のことだっただろう。


 無数に引かれた国境線や防空識別圏、民間航路に米軍管制空域。運輸省が定める法令に自隊規則。まったく不愉快だった。

 燃料が続く限り何処までも自由に空を舞うことが出来る能力を持ちながら、目に見えぬ鎖で雁字搦めに縛り付けられた鋼の大鷲。


―――今日だってそうだ・・・。


 イーグル形態Ⅱ型、最近では、アドヴァンストイーグルの通称で呼ばれ始めた愛機の中、楓は不満げに鼻を鳴らした。


「東日本空軍機に告ぐ。貴機は我が国の領空を侵犯しようとしている。速やかに進路を変更せよ」


 眼前を悠々と飛行するJフランカー、東日本人達が89式と呼ぶ戦闘機の横に付き、定められた言葉を繰り返す。


 もう幾度、繰り返したか分からない。


「はあ・・・何時まで続けるつもりよ」


 楓は、89式のコクピットを見ながら大きな溜息をついた。


 この分だとビンゴフェル、燃料が切れるまで帰るつもりはないのだろう。

 その証拠に89式は、大きなエイトパターンを空に描きながら同じ場所をグルグルと回っていた。


「早く帰れよ・・・」


 呻くように言いながら楓は、回る89式に続いて、イーグルを旋回させた。


 社交ダンスの様に一定の距離を保ってピタリと張り付く。何時も図々しい東日本軍機であったが、ここまで露骨な態度を取ることは稀だった。

 一向に引こうとしない東日本機。その翼には、これ見よがしにと電子戦ポッドの姿まであった。


「当空域での軍事行動(情報収集活動)は認められない。速やかに活動を中止し、本空域から退去せよ。繰り返す。当空域での軍事行動は認められない・・・」


 旋回したことにより89式の進行方向が変わる。楓は、先ほどとは別の警告を繰り返した。


 群馬上空、複雑怪奇に入り組んだADIZライン(防空識別圏)は、東と西、双方の日本にとって互いに領域を主張し合う厄介な場所だった。

 こちらが主張する様に、東日本もまた「この空」を自分達のモノだとして扱っている。


―――それでも限度ってものがあるでしょ!


 楓は悠々と飛行を続ける89式の姿を睨みつけた。


 互いの領有を主張し合う群馬上空はこれまで非武装地帯、云うなれば一種の緩衝地域としての役割を担ってきた。

 南北に長く伸びる日本列島も、列島の幅を見ればさして広くない。ましてや現代戦闘機の健脚を持ってすれば離陸からものの数分で、両国の主要地域が攻撃圏内に入ってしまう。


 相互確証破壊と呼ばれる考えの中、仮初めの平和を享受しあってきた日本。

 本気でやり合えば共倒れになる。それは外交の一環として、軍事力を行使することに躊躇しない東日本も理解しているはずだった。

 いや、軍事力を是とする東日本だからこそ、北関東緩衝空域(地域)の意味を誰よりも理解していると考えられていた。


 それなのに・・・、


「DC UNKNOWN Inability contact(不明機とのコンタクトが取れない) Recomment GUN(警告射撃を要請する)」


「Rigel Not GUN(警告射撃は許可しない」


「チッ・・・DC UNKNOWN Enforcement EL(不明機は電波情報を収集中)Recomment GUN」


 何たる弱腰だ。楓は苛立ちを隠さぬように舌打ちしながら繰り返した。しかし、


「Rigel Not GUN repeats Not GUN(繰り返す。警告射撃は許可しない)」


 これが「高度な政治的判断」というものなのか。地上、要撃センターからの指示は変わらない。


 互いに軍事行動の兆しを厳しくけん制しあうことにより秩序を保ってきた。

 それなのに・・・あからさまに電波情報を収集している敵機、エリント機に対して警告を行うこともできない。


 全ては現政権が掲げる対東日本融和政策の為だった。東日本との関係が拗れる度に譲歩し、相手の一歩を許す。

 仲の良い隣人ならそれも良いかもしれない。それが大人の対応というものだろう。だが、際限のない譲歩は国際政治、外交交渉の場で致命的だった。

 北関東工業地帯における人権問題から始まり、東日本は日に日に態度を硬直化させつつあった。それを宥めるかのように、また譲歩する。


「Rigel Calm down(落ち着けよ)」


「・・・Rog(了解)」


 僚機から気遣いにも不機嫌さを隠しきれない。


「・・・Rigel same heart(俺も同じだよ)」


「sorry Thanks・・・」


 旋回ポイントに来たのだろう。89式が旋回に入る。仲間の言葉に礼を言いながら、楓もまたイーグルを旋回に入れた。


―――いつもババを引くのは現場だ・・・。


 俺も同じだ。仲間の言葉が胸に沁みる。


「ありがとう」


 現代戦闘機のコンバットフォーメーションは広い。遠くで自分と同じ様にけん制飛行を続ける僚機の方に目をやりながら、楓はもう一度小さく呟いた。


 好意を持ってもらおうなんて思わない。認められなくたっていい。だけど・・・理解して欲しかった。

 軍人が好かれ、敬意を集める国家なんて間違っている。でも、軍事力、上に立つ者なら最低限、力を持つことの意味、重要性を知るべきだ。


 楓は緩やかに旋回を続ける89式の姿を見ながら思った。


 先ほど声をかけてくれた僚機もまた眼前のエリント機のエスコートを追って、この付近を回っているだろう。


―――今日は何機上がることなるやら。


 この分だと交代機を出す必要があるかもしれない。89式は元となったSuー27の良好な長距離飛行能力(航続距離約4000キロ)をしっかりと受け継いでいる。

 防御側は、やり逃げすれば良い攻撃側とは事情が異なる。もしもに備え、余力を残す必要があった。こちらは燃料カツカツまで粘れない。


 楓は無力感と徒労感をごちゃまぜにしながら、それを義務感で覆い隠そうと努力した。


 張子の虎だろうが、何だろうが黙って見逃す訳にはいかない。両手を縛られながらも胸を付き出し、押し返す。

 危機的状況の中でも、航空自衛軍は最善を尽くそうとしていた。厳しいローテの中から、One On One(一対一)を保つ。


 激増する東日本機の領空侵犯に対し、常に要撃機を上げ、戦う(戦える)姿勢を示し続ける。それが楓達、西日本軍人の考える抑止力だった。


「東日本空軍機に告ぐ。貴機は我が国の領空を侵犯しようとしている。速やかに進路を変更せよ」


 また、旋回により89式の進路が変わる。


 楓は警告を繰り返した。それが今、彼女にできる唯一の術だった。


「繰り返す。貴機は我が国の領空を侵犯しようとしている。速やかに進路を変更せよ」


 89式に寄り添うようにピタリと張り付くADイーグル。神経をすり減らす蒼空のつばぜり合いは、89式が緩衝空域を出るまで続けられた。






 最前線に問題が存在する様に、後方、決断を強いられるトップもまた最前線とは異なる問題が存在する。


 定められたことを定められた範囲、与えられた能力でこなすフロントとは違い、様々な問題を有機的に処理判断し、状況を創造せねばならないヘッドクォーター。

 強いプレッシャーを受け続ける最前線が大きな困難を強いられるのは当然のこと。だが、思考するという点では、トップが果たさねばならない労力は、前線より遙かに大きい。


 トップは、現場のことが分からないと云われるのは、どの世界でも共通することだが、それは逆をいえば当然のことでもあった。

 立場が違う。考える視点が元から異なる。時には目指すべき方向性さえ異なる。


 最前線を担う軍隊と、その軍隊を統率し、軍事力の効率的運用を行わなくてはならない政府の思考、方向性が一致しない。

 トップと現場の思考の差異。そして、その差異を埋めることができない。現在、西日本の置かれている状況は、まさしくその状態であった。


「現状、東日本が軍事的解決を望んだ場合、前面戦争の可能性こそ低いものの紛争レベル、具体的には群馬国境線付近、もしくは日本海における戦闘が予想されます」


「昨年に比較し、東日本軍機による関東方面への領空侵犯が倍増しております。日本アルプスなど国境沿いでの山地低空侵入訓練も活発に行われているという情報もあり、最悪、首都圏への攻撃も予想しております」


「何で君達は、そうやって危機感を煽ることばかり言うのかね」


 眼前に並び立つ制服姿の男達。軍事顧問として陸海空、3軍より内閣に送り込まれたエリート軍人達を前に、坂は不機嫌さを隠そうともせず言った。


「東日本軍の活動状況から・・・」


 黒いダブルボタン、海軍の制服に身を包んだ男が口を開きかける。


「それは今聞いた。例年より活発に活動しているのだろう!」


「いえ・・・それだけでは・・・」


「飛来する飛行機が多い。出港する船が多い。山間部で飛び回っている。どうして、それが戦争に直結するんだ?訓練なんだろ!」


 坂は男の言葉を遮って言った。


 軍は何時もそうだ。危ない、危ないと騒ぎ続け、毎年莫大な国防予算を奪っていく。

 これ見よがしにつけられた勲章(国防記念章)が、坂の苛立ちを加速させる。


―――何も生み出さない壊し屋どもめ・・・


 お前達に誇るべきことなど何もない。軍は何も生み出さないではないか。坂は目の前に立つ軍人達を睨みつけた。


 軍事産業が技術、経済に恩恵をもたらす?年間、幾ら国防予算が投入されていると思っているのか。その分、産業保護に回した方がマシだ。

 災害派遣?軍が行う必要などない。消防、警察、海保にだって出来る。無理なら新しい防災組織を立ち上げてもいい。


 国際貢献でもそうだ。テロを撲滅するといいながら、アフガンでも中東でもいまだ然したる成果は上がっていない。

 治安を向上させるなら軍より警察組織が先であろう。考え方が間違っているのだ。


 軍は何も生み出さない。軍事力は何も為さすことが出来ない。


 技術進歩や思考の変化、時代の進化は、世界のグローバル化を促進しつつある。


―――考え方が小さいのだ。島一つがどうのこうの。群馬上空がどうのこうの言っている場合か!


 一向に態度を何させない東日本。もしかしたら原因は過剰な軍の対応にあるのではないか?

 ナイフ(軍事力)をチラつかせながらの交渉など、そこいらのチンピラと変わらない。

 互いに銃を突きつけあって話し合いなど出来る訳がない。歯には歯をでは、いつまでも負の連鎖は終わらない。


 銃の次は大砲。大砲の次はミサイルか?軍の理屈はいつもそうだ。

 相手が向けるので、こちらも向けます。相手が持っているので、こちらも持ちます。


―――どちらかが先に矛を収め、話し合いの席に着くよう勧めるしかないのだ。なぜ、それが分からない!?


「レポートは見た。君達の話も聞いた。だが、僕にはどうして戦争になるかが分からない」


「戦争になるとは言っていません。先ほど述べてた通り、可能性があるのです。東日本が決意した場合・・・」


「言ったじゃないか!群馬か日本海で戦争になると!ええ、ここも東京も爆撃されるんだろ!」


 強い口調で言う坂に、たじろいだ様に男は黙り込む。男の胸に張られたネームには田所とあった。


「田所君。説明したまえ。何で戦争になるんだ?根拠を、根拠を言いたまえ」


「ですから・・・可能性の・・・」


「起きるのか!?起きないのか!?」


 起こらないとは言えない。だからといって起きるとも言えない。

 想定し、それに備えることを必要とする軍にとって、坂の言葉は酷なものだった。


 外交と軍事力は、互いに強い親和性を見せるもの、その内封される性質は異なる点が多い。特に開始点における思想は、まったくの逆といえる。

 徐々に圧力を強めていく外交と、初動全力での行動を是とする軍事力の行使。軍事力の行使においては、何かが起きた時には既に手遅れなのだ。


 だが、坂の考えも全てが謝りとはいえなかった。


 過剰な軍事的反応は無用な緊張を招きかねないのも事実。

 要はバランスの問題であった。外交と軍事の本質は異なる。しかし、両者を別々に扱うことはできない。


「・・・・・・・・・」


 坂の言葉に田所は黙るしかなかった。


「起きないんだな!」


「・・・現状では判断できません」


 起きないと云わなかっただけでも田所を褒めるべきだろう。

 だが、決断する場において、どちらとも取れる答えは絶対に避けなくてはならない。それが上であればあるほどに・・・。


「今、分からないということは、起きないんだよ」


 田所の言葉を聞いた坂は叩きつけるように言った。


 現場の声(情報)がトップに正確に伝わらなかった瞬間だった。西日本の不幸がそこにあった。

 第2次世界大戦とその後の祖国分断。あまりに凄惨な戦争の記憶は、国民に現実を見ることを忌避させ、軍人に政治に深く介入することを躊躇させた。


 追い立てられるように総理執務室を後にする田所ら、軍人達。


 歴史に必然などなく分岐点があるとしたら・・・今日、この日が西日本にとっての最後のターニングポイントであった。

 分断から半世紀。二つの日本の間で、くすぶり続けた火種は再び大きく燃え上がろうとしていた。










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