Happy life
「Rigel Check6(後方確認) Bogey(敵機) Angel240(高度24000フィート)」
「・・・Rog(了解)」
地上要撃管制官の声とほぼ同時に鳴り響くレーダー警報機の悲鳴。神経を掻き乱す単音が耳朶を打つ。
声と同時に身体が動く。ハーフバレル。空と海が入れ替わり、真っ青な南海の海が視界を埋める。
機体を背面降下に入れながら日本航空自衛軍所属西村楓大尉は答えた。こちらの高度は200ちょっと。相手の方が有利なポジションを占めている。
(いくらなんでも・・・これは・・・)
いきなりの大ピンチに楓は心の中で罵倒の声を上げた。攻撃を受けるまで全然、敵機の位置が分からなかった。
降下することにより位置エネルギーを運動エネルギーに変換しながら全力で逃げるF-15Jイーグル。
坂道を転がり落ちるかのような急降下に下腹部に嫌な感覚が走る。胸から足へと血液が体の下部へと落ちていくような不愉快な感覚。
機体進行軸と視線が一致しない。訓練で鍛え上げられた感覚と己の手足を信じながら楓はマイナスGの不快感に耐えながら蒼空の中、敵機の姿を探す。
(どこだ!?・・・どこにいる)
真っ直ぐに飛べば刹那の間に撃墜されてしまう。
降下しながらもシザース機動を織りませ、不規則に機体を揺さぶりながら飛ぶが未だ警報は鳴りやまない。
操縦桿を握るグローブの中、手がじっとりと汗ばむ。不安と焦りが徐々に心を覆っていくのを楓は感じていた。
(まだだ・・・敵の姿も見ずにやられてたまるか!!)
楓は自分自身を必死に叱咤する。
勿論、この間も彼女の眼は敵機の姿を蒼空に追い求め、手足はイーグルを操り続けていた。
激しく動かされる化学繊維で編まれたヘルメット。現代の魔弾ともいえる対空ミサイルの命中率は100パーセントに限りなく近い。
警報は続いていた。敵機はまだ後ろにいる。機体を再び反転させシャンデルへ。再び、視界を蒼空が埋める。
降下することによりたっぷりとパワーを稼いだイーグルは楓に答えるかのように鋭く身を捩る。
「・・・In Site・・・ちっ・・・Raptor(敵機発見、敵はラプター)」
(こんなに近くにいたのか!?)
報告しながら楓は舌打ちした。高速ですれ違うF-15に良く似た機影。
しかし、戦闘機パイロットとして鍛え上げられた楓の眼はその機体の正体をはっきりと掴んでいた。
ステルスを意識し、エイを思わせるようなのっぺりとした機体。そして尾から突き出た特徴的な推力偏向ノズル。
F-22ラプター。F-15イーグルに変わり米空軍の世界最強の座を守護する新たなる戦いの翼。
(よりによってラプターとはね・・・)
特徴的な機影を視線にとらえ続けながら楓は体の奥底が熱くなるのを感じていた。
訓練で対戦する機体や部隊構成は相手に「出会う」まで教えられない。
(ぐっ・・・逃がすか!)
スロットルを僅かに緩め、機体を旋回に入れる。
翼を翻す大鷲。体に締め付けるGが最適のコーナー・べロシティを楓に教える。やみくもにアフターバーナーを吹かしても機体は曲がらない。
だが、そんな楓の努力をあざ笑うかのようにラプターは彼女の視線の端へ端へと進んでいく。早い。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」
自分の吐息の音がうっとしい。Gが体と精神を締め付ける。
ラプターとイーグルの機体性能差は圧倒的だ。
米空軍の実験でラプターは従来機との戦闘訓練において144対1という実験結果を疑うような結果を叩き出している。
「ごほっ!・・・それでもっ!」
影だけでも逃がさない。楓はラプターを追い続けた。
シャンデルの途中、いやラプターはいつでもこちらをKILLできた。遊ばれてなんかやるものか。
ラプターの姿を視界内に必死で捉えながら楓は叫んだ。無理に叫んだ為、肺が悲鳴を上げ咳込む。だが楓は、その痛みを無視した。
負けを望む戦闘機パイロットなんて世界中、どこの空を探したっていやしない。
体の痛みは我慢できるが傷つけられたプライドは容易に癒されないのだ。
攻守が入れ替わり、ラプターを追うイーグル。ドッグファイト。
推力偏向ノズルの恩恵を受け、旋回径の内へ内へと切り込むラプターに対し、イーグルは機体の限界性能を持って挑む。
右旋回の途中、空の法則を半ば無視するかのように直線的に進路を変え、跳ね上がるようにして上昇するラプター。
逆方向に吹っ飛ぶように機体進路を向けたラプターを追い、イーグルは素早く機体をハーフロールに入れ、旋回。
ラプターの僅かに外を通り、イーグルの翼が蒼空にラインを引く。
蒼空に引かれる二条のコントレール。直線と曲線が織りなす幾何学模様が大空のキャンバスに描かれていく。
それは形こそ変えど一流の絵画と同じ価値を持つ芸術だった。
本物の絵画と違う所は、見る者を選ぶことと、刹那の時間しか楽しめないこと。
イーグルとラプターの戦いもその原則を変えることはなかった。
変則のシザース機動を繰り返しながら互いの背を狙うイーグルとラプター。
ついに楓の眼がラプターの背を捉える。
「Rigel・・・」
操縦桿を握る手が兵装選択ボタンをクリック。選ぶのはAAM5、04式対空誘導弾。
大柄で角ばった主翼。HMD、ヘルメットの動きと同調したミサイルシーカーがラプターをロック。単音から長音へ。
勝利を確信し、楓はトリガーを引く指に力を込める。
ラプターが動いたのは、その瞬間だった。
「Fox・・・ツ、何ッ!?」
楓は驚きの声を抑えきれなかった。
いきなり機首を上げるラプター。高度変化なし。視界一杯に特徴的な機体が壁のように聳え立つ。
楓に出来たことは激突を避ける為に咄嗟にロールを打つことだけ。機体全体をコントレールで真っ白に染めながら後方へとラプターが消えていく。
コブラ機動。
1989年、パリ航空ショーにおいてヴィクトル・プガチョフによって初めて世に出た戦闘機動が場所を変え、グアムの地で再現されたのだった。
「ふざけんじゃないわよ!あんなの反則よ!反則!安全守則も何もあったもんじゃないじゃない」
「分かった・・・分かったからもう少し声を抑えてくれ・・・」
カウンターの中でコップを磨くバーテンの視線が痛い。
隣に喚く酔っ払い、楓の肩に手を置きながら高峰長門は言った。
こんなことなら労を惜しまず、基地の外に出れば良かったと後悔するが今更遅い。
(はあ・・・やっちまったなー)
グアム、アンダーセン米空軍基地。
その一角にあるオフィサーズクラブのスツールに腰掛けながら長門は溜息をついた。
アルコールと興奮で顔を朱に染めた楓はいつもとは違う魅力があるがそれも限度がある。
「なんで長門は悔しくないのよー」
そんな長門の気持ちを知らずに、また隣で酔っ払いが気勢を上げる。
昼に行われた米軍とのDACT、異機種空戦訓練においてF-22ラプターに負けたのがよほど悔しいらしい。
衝突回避を優先し、ラプターを回避した楓はその直後にガン攻撃を受けて撃墜判定をもらっていた。
「いや俺だって悔しいさ。でもな。考えてみろよ。相手はラプターだ。本当ならBVRでやられていた所を格闘戦に付き合ってくれたんだ。少しは感謝しろよ」
そういう長門は遠距離からのアムラームの一撃で撃墜判定を貰っていた。
BVR(視界外戦闘)と格闘戦。政治的問題から同盟関係にヒビが入りつつある中、米空軍は良くやってくれたといえる。
彼らは自分達の持つジョーカーの力をわざわざ曝してくれたのだ。
世界唯一のステルス戦闘機との空戦訓練は、西日本にとってこれ以上ない貴重な経験となるだろう。
「将来的には中国やロシア、ロシアが作れば当然、東の連中も導入するだろう」
ウイスキーの入ったグラスを弄びながら長門は言葉を続けた。グラスの中の氷がクルリと回る。
今は同盟国であるアメリカしか持っていないが、将来的に仮想敵である東日本や中国、ロシアがステルスを導入する可能性は大きい。
身を持って体験したステルスの威力。東側が本格導入する前に対策を立てる必要がある。それが出来なければ西日本は終わりだ。
「三型にはIRSTや新型誘導弾の搭載も予定されている。それにフランカーだってコブ・・・」
そこまで言って長門は口を閉じた。いや、閉じずにいられなかった。
東側と酔っ払いに正論は通じない。彼はそのことをすっかり忘れていた。
今の楓にとっての敵はラプター。そして必要なものといえばIRSTでも新型誘導弾でもなく愚痴を聞いてくれる男だったのだ。
静かになったと思い、ふと隣の方を見た長門の眼に酔っ払い特有のアルコールに侵されトロンとした目つきで自分の方を睨みつける楓の姿が飛び込んでくる。
長門が不味いと思った時には全てが手遅れだった。
「長門の馬鹿ー!負けて喜ぶ奴がどこにいるのよ!この玉無し!チキン!臆病者ー!×××!」
ギャアギャアと喚きながら楓が掴みかかってくる。
「落ち着け!落ち着けって!×××は言い過ぎったっての!それにほらッ!周りを見てみろ。みんな、こっちの方見てるぞ!」
女だが相手は戦闘機パイロット。鍛えられた腕力は侮れない。
そんな楓を長門は必死に収めようとするが、彼女の怒りは高まるばかりだった。
うーうーと小動物のような呻き声とともに拳の雨を長門に降らせる。
そして、悪いことに状況も長門に組しなかった。
普段は静かなオフィサーズクラブ。しかし、この日は休みの前日ということで多くの戦闘機パイロットが来店していた。
今回、グアムに派遣された日本軍の中で女性パイロットは楓しかいない。
日本よりよほど門戸の開かれた米軍といえどもまだまだ女性戦闘機パイロットの数は少なく、物珍しさから楓は基地内でも一時的な時の人だ。
その楓が男に殴りかかっているともなれば騒ぎにならない訳がない。囃し立てる様な口笛とともに歓声が上がる。
「せんきゅー!じぇんとるめん!」
声援に調子に乗った楓がほとんど回っていない舌でギャラリーに応える。
そして、無責任な民意を背に長門への攻勢をますます強めていく。
(もう・・・こうなったら為るようになれだな・・・)
せっかくのグアム。気分的には楓と二人で静かな時間を送りたかったのだがこうなってはしょうがない。
背中や頭に走る痛みを無視しながら長門は苦笑いを浮かべた。
華やかな喧噪が周囲を支配する中、ガードする手の隙間から楓の顔をのぞき見る。
そこには楽しそうに自分に向かって拳を振り下ろす楓の姿があった。
朱に染まった顔に、いつもより目じりの下がった瞳。
(最近忙しかったしな・・・たまにはこういうのもいいか)
長門は笑みを浮かべた。
心の辞書に洋酒と訓練の話は禁句と書き加えながら・・・。
南洋の空が生命感溢れる色濃い青なら、冬の日本海の空は凍てついた灰色の空といえる。
薄雲のベールに弱い陽光。晴れていてもどこか白濁とした色合いを見せる空が気分を滅入らせた。
(高度を上げれることが出来ればな・・・)
95式戦闘爆撃機のコクピットの中、東日本空軍伏倉亜季少尉は、心の中でそっと呟いた。
雲を抜ければ澄み切った空がある。しかし、現状は伸ばす手はあっても掴むことは許されない。
高度15メートル。感覚的には地表に張り付くような低高度を飛ぶ95式。
気をつかってくれているのだろう。いつもは五月蠅いぐらいに元気な後席の利恵も今日は沈黙を保っている。
対地攻撃能力を付与されているとはいえ95式は、米帝のF-15Eストライクイーグルが装備するLANTIANのような高性能な航法システムを持たない。
地形追従用レーダーと前方監視用の赤外線センサーこそ装備しているものの自動化されておらず、パイロットの腕に頼る部分が大きいのだ。
阿賀野川と信濃川に挟まれるようにして築かれた新潟空軍基地を飛び立ってから30分。
一度、日本海に出てからランドマークである弥彦山を左に見て旋回。平野部を抜けた所で一気に高度を落とし、内陸に向かって侵攻開始する。
越後山地に連なる山々に機体を擦り付けるようにして川を溯り、谷を抜け、稜線より低く飛ばなくてはならない。
難しいけどやり遂げる。亜季は冷静さの中で、静かなる闘志を燃やしていた。
新鋭戦闘機パイロットの座を手に入れたといっても、まだまだ新人の亜季にとって95式を手足のように操り、一人前と認められるまでには、まだまだ上るべき階段は多くあった。
今回の低空侵攻訓練もその一つ。さらには今回の訓練をパスできたとしても次は同じことを夜間に行わなくてはならない。
東日本空軍では夜間低空侵攻が可能になって初めて一人前の95式パイロットと認められるのだ。
それまではOJT、飛行隊に配属後も訓練を続け、任務につくことを許されない。
「目標まで10キロ。攻撃準備」
「了解。タイミングは任せるわ」
後席で兵装管理を担当する利恵が声を掛けてくる。
訓練目標である田子倉ダムまで後少し。亜季は酸素マスクの中、唇を噛んだ。
右手に守門岳。その少し奥、左に見える浅草岳の裏に目標はある。
「いくよ!」
「了解!」
利恵の声を聞きながら、亜季はスロットルを微妙に調整しながら機速を調整していく。
守門岳と浅草岳の間を抜けて、左旋回。浅草岳をグルリと周りながらダムを爆撃。その後は同じ飛行経路を通って離脱する。
迫る山肌。翼端が木々に触れるかのような錯覚。浅草岳を回った瞬間に機体軸をダムへと乗せる。
「用意・・・てー」
後席で利恵の声が聞こえる。しかし、亜季に戦果の確認をしている暇はなかった。
再び山肌が迫る。ダムを飛び越え、高度を下げるが再び浅草岳が道を塞ぐ。北へと延びる浅草岳の峰が離脱の障害になるのだ。
飛行データは後で全て解析される。誤魔化しはきかない。
亜季は山に突っこむかのように勢いで95式を飛ばした。ハードル選手のように峰を飛び越えては、すぐに高度を下げる。
(絶対合格するんだ!)
冷静と情熱の狭間で亜季は、立ちふさがる越後の山々をキッと睨みつけた。
「かんぱーい」
綺麗にはもる二つ声。
続いて打ち合わされたコップが立てる澄んだ音が響く。
「ぷっはー!やったね!亜季ちゃん!」
コップに注がれたビールが瞬く間に消える。
一気にコップを空にした利恵は、アルコール濃度の高い息を吐きながら口を開いた。
年頃の乙女としては少し恥じらいが足りないかもしれないが、この場所にそんな些細なことを気にする者は誰もいない。
「まあね。パイロットの腕が良いから当然でしょ!」
「ええー。爆弾をダムに命中させたのは私だよー」
少し顎を上向きに胸を張る亜季に利恵が抗議の声を上げる。
勿論のことだが机に置かれた亜季のコップも利恵のものと同様、空になっていた。
「何言っているのよ。機体姿勢良し。ドンピシャの侵入コースだったでしょ。私のお蔭だね」
片目を瞑り、利恵に指鉄砲をつきつけながら亜季は答えた。
「爆弾を落としたのは私だもん!」
パイロットも重要だが戦術航空士(米軍で言うところのWSO、兵装システム士官)も重要。
自分と亜季のコップにビールを注ぎながら利恵も食って掛かる。
「何よ!私が飛ばさなければ、そもそも目的地につけないでしょうが」
テーブルに両手を叩きつけ亜季は身を乗り出す。
「何さ!私がいなくちゃ航法も爆撃もできないもん!」
負けじと利恵も身を乗り出す。
「私のお蔭!」
「私だもん!」
威嚇しあうようにうーうーと呻りあいながら顔を突き合わせる亜季と利恵。
注文の途中、二人の喧嘩を見止めた店員がハラハラしながら引く末を見守る。
しかし、彼の心配は杞憂だった。
「ふっ・・・ふっふふふ」
最初は小さく、そして徐々に大きく。どちらが先かなんて問題じゃない。
合わせられたおでこ。亜季と利恵の肩が小さく揺れる。
「ふっ・・・はははは!おめでとう。利恵」
そして、ついには我慢しきれなかった亜季が顔を上げ笑いながら手を上げた。
「はははは!おめでとう。亜季ちゃん!」
上げられた手に自分の手を叩きつけながら利恵も笑う。
昼間に行われた低空侵入訓練、命を削るような訓練の評価は「優良」 合格だった。
「次は夜間よ!明日からも気合入れていこう!」
「了解ー!」
声とともに打ち合わせられる二つのジョッキ。
亜季と利恵の顔は喜びに満ちていた。