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After Glow






「なんか・・・焦げ臭いね」


「うん・・・」


 亜季の言葉に利恵は小さく頷いた。

 

 コクピットの中だと云うのに、焦げ臭い匂いが、操縦席に座る二人の鼻を擽る。

 装甲ハッチが閉じられたままのトンネル内は薄暗く、天井に並ぶ弱々しい灯光の列が浮かび上がらせる滑走路は、酷く儚げに見えた。

 目を瞑ると途切れ、消えてしまいそうにも感じる儚い道。ビリビリと響く爆撃の衝撃が山ごと機体を震わせる。


 山を丸ごと切り抜き築かれた山岳要塞も、世界の至る所で、重防御の要塞群を叩き潰して来た西側連合軍の圧倒的な火力の前では時間稼ぎにしかならない。

 首都を眼前に見下ろす越後山脈や、東北地方を南北に縦貫する奥羽山脈の深部に築かれた秘匿要塞群の数々。しかし、その要塞群の多くは、東日本軍が期待した効果を発揮する前に土塊へと姿を変えていた。


 バンカーバスターを始めとする地下要塞攻撃用の貫通爆弾は、運動エネルギーと自らの自重によって深く大地に食い込み、信管を作動させる。

 突き崩されるトンネル滑走路。幾ら深部構造物が生きていても上層部の航空関連施設を破壊されては、航空戦力の運用は不可能だ。

 また、バンカーバスターなどの攻撃を受けなくても、艤装された滑走路入口を破壊されるだけで、要塞は航空基地としての戦力価値を失う。

 UAVや偵察衛星、そして濃密に張り巡らされた情報ネットワークが、巧妙に隠された要塞の所在を突き止め、ある偽装要塞に至っては戦闘機を発進する為に装甲ハッチを開けた瞬間を狙い撃たれもしていた。


「「きゃ!」」


 亜季と利恵、二人の悲鳴が重なる。


 再び走る衝撃。ドンッという強い音とともに95式が震えた。

 パラパラと落ちてくる小さなコンクリート片が機体に当り、コツコツと嫌な音を立てる。


「大きい・・・」


「見つかったのかな?」


 照明が点滅し、真っ直ぐに伸びていた光の道が虫食いの様に穴が開く。


「ここに飛び込んだのは夜だったし・・・雨も降っていた。きっと大丈夫だよ」


「そ、そうだよねッ!大丈夫だよねッ!夜だったし、そうだよ!雨も降ってた」


 亜季の言葉に、利恵は過剰に明るく振る舞いながら答えた。


 翼端から壁までのクリアランスは、上も左右もほとんどない。秘匿要塞への着陸は空戦で生き残るのと同じぐらい困難極まりないものだった。恐怖をアドレナリンと生への渇望で押さえつけ、命を掛札に挑む。

 ギリギリまで速度を落としたとはいえ、200キロを超える速度でトンネル内に突入し、機体が止まるまで真っ直ぐに進路を保たなければならないのだ。

 操縦桿を僅かに弾くだけで、機体は粉々に砕け散る。亜季は昨夜の着陸を脳裏に思い浮かべ、ブルッと身を震わせた。


(・・・願わくば二度とやりたくないわね)


 戦って生き残る。だが、地獄はそれで終わらない。制空権を半ば奪取され、滅亡への道をひた走る東日本空軍にとっての安息の地は、もはや地獄にしかなかった。

 その地獄でさえ、西側連合軍は執拗に追いかけ、根こそぎに破壊しようとしている。

 危険を通り越して、無謀とも自殺行為とも取れる着陸方法。こんなこと何度も続けられる訳がない。ほっておいても自滅する。


(・・・それなのに奴らは・・・そんなに私達が憎いのか?)


 どす黒い負の感情が、亜季の胸中を渦巻いた。


 暗視装置や開口レーダー、闇を見通す手段は幾つもある。だが、どれも安いものではないし、必ずスペック通りの性能を発揮する訳ではない。

 人が作り、使っている以上、穴は必ず存在する。技術は有能であっても万能ではないのだ。

 それなのに・・・技術は万能ではないはずなのに、西側の攻撃精度は、亜季や利恵、東日本軍人達の想像の遙か上にあった。

 地図の上では小っぽけな日本列島。だが、実際の面積は37万平方キロにも及ぶ。その半分を占める東日本の国土の中から、たった30平方四方の偽装されたハッチを見つけ出す。

 可能性の問題ではない。所在を特定した上で、ピンポイントでの攻撃を続ける。あれがあれば出来る。これがあれば出来る。言葉で云うほど容易いことではない筈だった。


「い、燻り出そうったって、そうは問屋がおろさないんだからッ!」


 また大きな揺れがトンネルを襲う。利恵の震えた声が亜季の耳をうった。


(・・・このまま生き埋めってのだけは勘弁だよ)


 機体を叩く音が大きくなっている様な気がする。

 このままでは飛び立つ前に機体が破損するのではないのか。亜季は心の中で呟いた。点滅を続ける照明が、更に彼女の不安を掻き立てる。


「クロエ、こちらミサキ。まだか?」


 我慢しきれなくなった亜季は無線を開いた。


『ミサキ、もう少し待て。外は酷いことになっている。今出たって、みすみす死にに行くようなものだ』


「滑走路の状況が悪い。トンネルが崩れかけている。このままじゃあ飛ぶ前にやられる」


 パラパラと落ち続けるコンクリート片。繊細極まりない西側の機体に比べ、逞しさに勝る95式とはいえ、さすがに障害物に埋まった滑走路からは飛び立てない。

 このまま無理に離陸を敢行すれば、エンジンに異物を吸い込み、機体を傷めるか、運よく異物を吸い込まなくとも散らばったコンクリート片で脚をやる。

 続く衝撃。募る不安。陸の上にいるパイロットほど無力なものはない。亜季は苛々と拳を握りしめた。


『お前達が出る前に滑走路の確認はさせる。心配するな。西の攻撃は隣の山だ。俺達じゃあない』


―――助けに行かないとッ!


 管制官の言葉に、亜季は思わず口から出そうになった言葉を飲み込んだ。


『まだ、この6号要塞を失う訳にはいかない。7号の連中には悪いが、西の奴らが飽きるまで出撃は許可できない』


 偽善と分かっている。何も出来ない。軍事的整合性など欠片もない。完全な浪花節。

 出撃してもむざむざ死に行くだけ。それに今飛び出せば、被害は自分達だけに止まらない。

 一度、偽装を破られた要塞の運命は・・・地震の様に揺れるトンネル。その顛末は、腹に響く爆撃の衝撃が物語っている。


「でも・・・このまま座して味方は見捨てることなんて・・・」


 唇を噛み締める亜季の代わりに、後席に座る利恵が震える声で言った。


『でもも、しかしもない。命令だ。ミサキ』


 冷徹な声が亜季と利恵、二人の耳をうつ。


「うーーー!」


 呻き声とともに、ガンッというキャノピーを殴り付ける音がコクピットに響く。

 軍人に死に場所を選ぶ権利はない。選択の自由は無く、諦観だけが運命を決める。


「利恵・・・」


「悔しい。私・・・悔しいよ。亜季ちゃん」


 感情を吐露するかのように吐き出される利恵の声。

 溢れる想いをキャノピーにぶつけた彼女の声は、悲しみや恐怖とはまた別の感情に支配されていた。


 空を舞う自由を手に入れたはずだった。仲間を、皆を守る力を手に入れたはずだった。

 少なくとも、こんな穴倉で恐怖に震え、己の無力さに苛むまされるなんて・・・亜季は頭をバックシートに預け、頭上を見上げた。


(・・・何て・・・何て・・・無力・・・)


 鈍い光を放つライトの灯が亜季の目を射抜く。


 衝撃で揺れる度に点滅を繰り返す光。近づく終焉。古き旭日は、新たなる光に飲み込まれようとしていた。

 理性で分かっていても、感情が追い付かない。終わること、変わることへの恐怖。

 国を信じ、党を信じ、駆け抜けてきた濃密な時が、急に空虚なものへと変わる。「最後」の訪れを理解した兵士に信じれるものは少なかった。


―――お姉ちゃん・・・。


 うわ言の様に自分のことを呼び続ける姉の姿が、亜季の脳裏を過ぎる。忘れようと思った。でも、出来なかった。

 頬に感じた姉の吐息。胸に抱いた姉の鼓動。そして、体温。

 勿論、あの夜のことは誰にも言っていない。利恵にも・・・。温かった。あんなに冷たい夜だったのに。


―――お姉ちゃん・・・。


 上を向く亜季の横顔。その頬を、一筋に雫が流れ落ちた。






「Rigel FOX TWO」


 小さく呟きながら、トリガーを引く。HMDに映るレティクルには、無防備な背を見せる91式局地戦闘機の姿があった。

 開発費の高騰からロシア(ソ連)が投げ出した試作機を買い取り、東日本が世に送り出した傑作VTOL戦闘機。


「惜しかったわね」


 だが、その傑作機も高度な戦闘管制システムの恩恵を受けたADイーグルの前では、狩られるのを待つ雛鳥と変わらない。

 完璧な電波封しとステルス性能による死角から一撃。同情?憐憫?それとも罪を重ねる自分への言い訳か。サイドハッチから飛び出していくAAM-5の光をバイザー越しに見送る。


 山間部に築かれた秘匿飛行場から飛び立つ敵機群による奇襲攻撃。


 これが10年前、いや、20年前だったら状況は違ったかもしれない。もしくは開戦時の第1撃なら有効であっただろう。

 シュチュエーションさえ噛み合えば、有用な一手になったであろう戦術も、戦時体制に移行し、AWCSや数多の無人偵察機が飛び交う、この状況では悪戯に戦争を長引かせる時間稼ぎにしかならない。


「Splash One Bandit」


 直撃。空に走る閃光。特長的な機尾を吹き飛ばされた91式が黒と赤、煙と炎に身を包みながら、大地へと墜ちていく。

 敵パイロットの脱出は確認していない。元より、そんな暇もなかった。

 戦場を覆う数々の索敵端末から流れ込む敵性情報。敵機撃墜の余韻に浸る間もなく次の敵に向け、機首を翻す。


(・・・戦闘機械。私はその一部で・・・)


 最も科学的で、最も人間的だった航空戦。過去、空には挑戦と浪漫が満ち溢れていた。満ちていたはずだった。

 目に映る幾何学模様。数字とシンボルマークが支配する世界は、血潮の熱さが感じられない。

 効率的に敵を見つけ、殺す。楓は、見慣れたはずの空が、何か異なる物に変わってしまったかの様に思えた。


―――亜季・・・


 ヘルメットに響くオーラルトーン。途切れ途切れではなく長いフラットな音が楓の耳に響く。


「Rigel FOX ONE」


 肉眼で捉えることもできない距離。50キロを超える先にいる敵を狙い撃つ。HMDに映し出される情報から、僚機もミサイルを放ったことが分かった。


 誰が見つけようと、誰が撃とうと関係ない。この世界を支配する「姿無き戦神」は、敵の血に飢え、貪欲に搾取し続けている。

 ウエポンベイオープン、飛び出す長距離対空誘導弾。後は勝手にミサイルが始末してくれる。


(・・・これが戦争なのか)


 楓はサイドスティック上部に設けられた発射ボタンを押し込みながら、眉を歪めた。

 その場にいれば、誰でもできる。AWCSやイージス艦からの情報を元にボタンを押すだけ。

 幸か不幸か・・・楓は、この戦いにおいて既に5機もの敵機を撃墜していた。


 ビーっと短い音が耳に響く。HMDに映し出される情報が5機目の撃墜スコアを楓に知らせた。


 5機目の敵機撃墜。この敵機を撃墜する為に楓がしたことは発射ボタンを押すことだけだった。

 敵機を見つけたのも、中間誘導を行い、ミサイルを敵機に叩きつけたのも他の友軍機や友軍艦艇。ヘルメットの中、楓の愁眉が更に歪む。


 己の全てを賭けて、命を削り戦っている。戦っているはずなのに、8492部隊に配属になって何かが違う。


「んッ?」


 楓は僚機が近づいてくるのに気付いた。


「何をしてるのよ」


 激しくバンクする僚機の姿。ウイングマンを務める比嘉中尉が、何故か手の平を広げ、此方に向かって何度も突き出していた。

 楓はコクピットに包まれた頭を傾げた。電波管制は続いている。無線で比嘉に問い掛ける訳にはいかない。

 首を傾げる楓。そんな彼女の様子に、比嘉は指を一本立てた。そして、もう一度手の平を広げる。


(一に・・・五・・・)


「・・・あッ」


 パイロットにとって撃墜数5機は大きな意味を持つ。楓は小さく声を上げた。


 撃墜数5機。それは「エースパイロット」の証。第4世代機時代に入って以来、西日本空軍にエースパイロットの称号を持つ者は未だいない。

 楓は落ち着きなく周囲を見回した。ウイングマンを務める比嘉機以外にも、彼女達の背後を飛ぶ2機のADイーグルも、楓の為しえたことを祝福する様に翼を振っていた。


「ふっ・・・ふふふ」


 楓は涙で視界が歪むのを感じた。機体を軽くバンクさせながら仲間達の祝福に応える。

 だが、祝福に応えるバンクとは裏腹に、楓の胸中には複雑な想いが渦巻いていた。


「望むものは手に入らない」


 クツクツと笑いながら、楓は呟いた。


 ヘルメットのバイザーを跳ね上げ、グローブで覆われた手で目を擦る。

 戦闘機パイロットなら一度は夢見る最高の栄誉。近代戦において、エースパイロットは恐ろしく希少だ。


―――私の望むものは・・・こんなものじゃない。


 楓は頭上を見上げた。キャノピー越しに陽光が目を射抜く。


 ヘリや旧式機がスコアじゃない。撃墜した敵機の全てが、第4世代に連なる東日本自慢の戦闘機群。誰もが羨む戦果を上げながら、満足感も何も感じない。

 敵国にいるであろう妹への後ろめたさ。個ではなく、システムの一部として戦うことへの不安。この戦いに、この栄誉に意味を見いだせないのだ。


―――私が欲しいのは・・・


 別に戦闘機パイロットをやることが嫌な訳ではない。


 妹を取り戻す為に手に入れた力。事を成し遂げる為に手に入れた力。別に殺戮機械に為りたかった訳ではない。

 妹と、ただ家族と一緒に普通の生活を送りたかった。欲しかったのは、守りたかったのは、小さな幸福。


「亜季・・・長門・・・」


 愛する者の名を呼びながら、楓はサイドスティックをギュッと握りしめた。弱い自分を隠すかのように上げていたバイザーを降ろす。


 望む望まないに関係なく、彼女は西日本航空自衛軍戦闘機パイロットであった。

 責務を果たせ。未だ戦いは終わらない。ヘルメットに覆われた楓の目は、次の獲物を追い求め、蒼空を彷徨っていた。






「これ以上、ここで粘るのも難しいな・・・」


「我々は何処までもお付き合いしますよ。何処に降りようと必ず全機飛ばしてみせます」


 軍内呼称、第13号要塞。朝日連峰の懐に築かれた要塞基地の一室に男達はいた。

 東日本空軍第343戦闘航空隊を率いる源田光則少佐の言葉に、整備兵を率いる下谷和夫大尉は、大きく肯きながら答える。


「整備班長の言葉は心強いが、次は何処に逃げるかだな」


「大湊・・・いっそのこと千歳あたりまで下がりますか?89式の航続距離なら、そこまで下がっても十分にやれます」


 89式戦闘機の航続距離は、フル装備でも4000キロに迫る。後方基地に下がることにより、戦闘時間の制約を受けるものの、それは致命的なものではない。

 第2編隊を率いる嘉村孝也大尉が、大量の赤バツが書き込まれた日本地図を指差しながら言った。赤バツは、西側の攻撃を受けて破壊された航空基地を現している。

 足が長く、移動速度の速い戦闘機自体は比較的、生存率が高かったが、その戦闘機の活動を支えるインフラ施設は、そういう訳にはいかなかった。

 野戦飛行場や山岳部等に設けられた秘匿要塞など、東日本軍のインフラ施設の多くが西側連合軍の攻撃を受け、破壊されている。


「奴らの機動部隊は、ロシアを気にしてか、日本海においては40度線より北へは上がっていません」


「大湊か・・・安全を考えれば一気に千歳まで下がるのもありなんだろうな」


 光則はそこまで言って、下谷の方を見た。

 基地の損害は東日本全域に広がっているものの、その度合いは首都である新潟周辺が一番大きく、北海道も攻撃を受けてはいたが、その密度は本土と比べれば、まだ小さい。


「千歳にしろ大湊にしろ、資材の確認が必要ですね。まあ、渡さないというのなら・・・」


 下谷の目に剣呑な光が宿る。


 基地転換は云うほど容易くはない。30機あまりの航空隊が動けば、西側は必ず迎撃を上げてくるだろう。だからと云って少数機で動けば嬲り殺しになる。そして、問題はそれだけではない。

 人員の移動だけなら手がない訳ではなかった。軍事施設のみならず、主要幹線道路や鉄道網も損害を受けていたが、秘匿度の高い地下交通網は、未だ機能を続けている。

 だが、これが整備機材や補給物資も含めて運ぶとなると話は別だ。1個航空隊を維持する物資の量は膨大なものとなる。

 地下道入口までの僅かな距離とはいえ、大型トレーラーの隊列を見逃すほど連合軍は甘くないし、何も敵は連合軍ばかりではない。


「おいおい、敵を間違うなよ。何、心配するな。大湊なら親父殿のコネが使える。基地司令も知らぬ仲ではない」


 光則は笑いながら言った。


 劣勢どころか亡国の道を転がり続ける東日本軍。敗戦が確かになるのに合わせ、軍秩序もまた綻びを見せ始めていた。

 全ての部隊が高いモラルを維持している訳ではない。戦う理由は人其々。全ての者が、決定的な敗北を前に戦い続けれるほど強くない。

 戦いの帰趨が決した時点で、戦後を見定める者が出るのは、ある意味しょうがないことであった。


「それは心強いですな。補給さえあれば、もう少し、この饗宴を楽しむことができる」


「ああ。これは『俺達の戦い』だ。最後の一瞬まで楽しむがいい」


 制空権、制海権の喪失。日本海側から首都(新潟)への上陸も間もなく行われるであろうと予想される戦況。

 そんな困難な状況下にありながら、男達は笑いあっていた。東日本空軍屈指の戦闘機部隊である343戦は、祖国の敗北を前にしながら、未だ戦いを諦めるつもりはなかった。

 国家への忠誠ではなく、ただひたすらに己の培ってきた業と力を燃やし尽くす。こんなに愉快で楽しいことはない。闘争だけが作り出す高揚が、男達を狂わせていた。


「千歳なら私が何とかします」


「無理しなくていいんだぜ」


 紅一点。自分の隣に立つ柴田明美大尉の方を向きながら、光則は苦笑いを浮かべた。


 東日本空軍を二つに分かつ、その一方。政治力の面でも、光則にとって明美の存在は大きなアドバンテージだった。

 だが、それは光則が明美に求めるものではない。彼にとって明美の存在は、愛する者以上でも以下でもない。柴田ではなく、人としての女として明美のことを求めていた。


「良き時も、悪しき時も、私の立ち位置は貴方の隣です。勿論、89式の後部座席も誰かに譲るつもりはありません」


 明美の言葉に、誰の者かは分からないが室内にアメリカ人がやる様な口笛の音が響く。

 ニヤニヤと口元を歪める部下達の視線を感じながら、光則は顔を歪めた。


「目を放すと何をするか分からない。貴方には私が必要です」


 澄ました様に言う明美。だが、その声とは裏腹に、冷静を取り繕う彼女の顔は朱に染まっていた。


「これはますます負ける訳にはいかなくなりましたね」


 第3編隊長を努める村田省吾大尉が、光則と明美、二人の様子を茶化す様に笑う。


「ケツ持ちはお任せを」


 第4編隊長拍手久大尉が、村田の言葉を引き継ぐ様におどけて見せる。


「お前らね・・・もう少し緊張感を持てよ。明美も。補給の問題は解決できても下がるのが難しいことには変わらないんだ」


「私がやらせません。部隊全員きっちりと面倒みます」


 子供の様に口を尖らせる光則に対し、明美は顔を朱に染めたまま微笑んだ。

 そんな彼女の様子に、冷やかしの声で、また室内が騒がしくなる。


「柴田大尉の管制であれば間違いない。しっかりとこいつ等の手綱を握って飛行機を壊さない様にしてください」


 343戦の主要幹部の中では最年長(ベテラン)。お堅い性格である下谷までもが、白い髪が混じる己の頭を掻きながら言う。


「はい。必ず全員を連れて行きます」


「おいおい、それは俺の台詞だぜ」


 下谷の言葉に頷く明美の横で、光則が文句を漏らす。


「隊長はすぐに一人で飛びだすからなー」


「柴田大尉の指揮の方が確実です」


「信頼されるのは有難いのですが・・・もっと部隊のことも顧みてもらわないと。指揮官ですので」


「煩い!余計なお世話だ」


 だが、日頃の行いが悪いのか光則に味方する者は室内に誰も居なかった。

 彼の部下達は、腕も確かなら態度もふてぶてしい。上司を尊敬することはあっても、媚びを売り、取り入ることなどしない。

 四面楚歌に置かれた光則に出来ることは、負け犬のように吠えることだけであった。


「まあ・・・いい。お前らの士気が十分に高いことは分かった」


 再び、笑い声で室内が満ちた後、光則は声色を変えた。静まる室内。部屋につめる男達の視線が、光則に集中する。


「部隊の行動指針を達する。これより343戦は準備出来次第、大湊基地に移動。当該基地で防空戦を実施する。後は・・・まあ、この国とお前達の努力次第だな」


 そこまで言って、光則は自分を見る部下達をぐるりと見渡した。質問の声を上げる者はいない。


「柴田大尉、下谷大尉とすぐに大湊に話を通せ」


「分かりました。かかります」


 答えるが早いか、明美と下谷、二人連れ立って部屋を飛び出していく。


「他の者も部下をよく抑えておけ。危うい者は置いていく。かかれ」


「「かかります」」


 敬礼しながら部屋を出ていく部下達。その背を見送りながら光則は、大きく息を吐いた。

 一人残され、静まりかえる室内の中。未だ部屋の中には、熱の残滓が残っている。


 光則は机の上に広げられた祖国の地図に目をやった。


―――いよいよだな・・・。


 旧世代の遺物。帝国主義の亡霊。東日本の悪名は幾らでもある。

 しかし、その胎内に生きる者達にとっては代わりの無い陽光(ひかり)であった。


―――嫌いで堪らなかったが・・・こんな国でも、やはり祖国が消えるとなると寂しいものだ。


 例え、その日差しが苛烈なものであっても・・・。

 光則は、赤く染まった祖国の地図を前に、陰鬱な気分を抑えることが出来なかった。










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