表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/16

Sisters





 進むたびに、枝葉についた雨粒が体を濡らす。草木の匂いと、ムッとするような湿気が鼻をムズムズさせた。

 朝から降り注いでいた雨こそ止んでいたものの、体温を奪われるという面ではあまり違いはない。いや、動けるだけ月の覗く現状に感謝すべきか・・・。

 酷く寒かった。飛べば一瞬の距離も、自分の足で歩くとなれば驚くほどの時間がかかる。乗機の性能と人としての限界を噛みしめながら、一歩一歩斜面を登る。


 戦闘機パイロットとしての訓練は受けていても、歩兵として本格的な訓練を受けている訳ではない。

 本当なら動かず、身を隠した方が良いのだろう。夜の山野は素人が思い描くほど人間に優しい場所ではない。


 行動するも、ただ闇雲に体力を消耗する可能性は十二分にあった。


「・・・寒いわね。ホントに」


 自然に漏れた声が闇に溶けていく。


 ブルっと体を震わせながら、亜季は自分の体を抱きしめる様に腕を組み、不安気に周囲を見回した。

 野鳥の声か・・・ホーホーと不気味な鳴き声が耳を打つ。ぬかるんだ泥に塗れたブーツは水を吸い、酷く重かった。

 泥と落葉に覆われた地面は、足を踏み出す度に大きく沈みこみ体力と気力を奪う。足先が冷え切っているのが嫌でも分かる。


「もう少し持ってくれればな・・・」


 緑、今はただ黒々とした樹木のカーテンに覆われた空を見上げる。枝葉の隙間から漏れる月明かりが、荒んだ心を僅か癒した。

 隠れるだけなら曇天の方が有難いのだけど、移動するなら仄かに照らす月光だけが頼りとなる。


 胸のハーネスには、強力な光を発する軍用マグライトが止められていたが、スイッチは切られたまま。

 信号灯の代わりにもなる軍用マグは強烈な光を発することができ、山道を照らすことなど造作もない。だが、亜季の頭中に照明をつけるという選択肢は端から存在しなかった。

 使うのは、味方を見つけた際のシグナル代わりぐらい。敵に見つかる危険性を考えれば自ら光を発する訳にはいかなかった。

 敵歩兵に発見され、死にたいのなら別だが、乗機が墜落し、敵地を徒歩で歩く目にあいながらも、未だ亜季の心中に諦めの文字は無かった。


―――あの馬鹿も今頃歩いてるのかな・・・。


 亜季は、相棒の顔を思い浮かべながら足を進めた。グシュっと嫌な感触を残し、ブーツが沈み込む。


 被弾し、片肺ながらも奮闘を続けてくれた愛機が力尽きたのは、北関東工業地帯の西方10キロほど。

 コンパスの針と自分の距離感が正しければ、未だ緩衝地域を抜けだせていない。


 夜間の脱出。梢にパラシュートを引っ掛け、負傷しなかったことは僥倖。だが、RIOを務める利恵との合流に失敗したのは痛かった。

 ある程度、余力を持った脱出であった為、一応の待ち合わせ場所は決めてはいたが、暗視スコープやGPSマップ越しで決められた合流地点は、夜の山野では何の意味も持たなかった。

 どの方向に流されたのかも分からない。あっという間に利恵のパラシュートを見失い、降りたった山野の暗さに絶望するのに然したる時間は掛らなかった。


―――舐めてたな。


 頬を濡れた葉が掠める。亜季は斜面を這う様に登りながら、自分達の迂闊さを呪った。


 冷静に考えれば簡単に分かることだった。夜間、それも山中で簡単に合流なんて出来る訳がない。

 初めての実戦。初めての被弾。そして、初めての被撃墜。知らず知らずの内に舞い上がり、冷静さを欠いていた。


―――落ち着け。落ち着け。落ち着け・・・伏倉亜季。


 気持ちとは裏腹に、ブーツがまたグシュっと情けない音をたてる。亜季は冷たさに顔を顰めた。


 落ち着け、落ち着けと考えている内は大概、平常心は保たれていない。

 この時の亜季の状態もまた、その寡聞に漏れず平常とは言い難い状態にあった。


 初めて尽くしの状況と仲間の不在、夜の山野、それも敵中で孤立という不安が心に重く伸し掛かる。

 いくら訓練を受けていると云っても、二十歳に届くか届かないかの娘。兵士である前に彼女もまた人であった。


 利恵との約束。逸れた際は峰まで登り切り、そこで合流を図る。山中で探し回るよりよほど確実で、というかそれ以外に手はない。

 合流し、味方の勢力圏まで徒歩で進み、そこで救助を待つ。それが脱出の間際で決めた彼女達の取り決めであった。

 10キロも歩けば、国境線を超える。そうすれば救出される可能性は飛躍的に高まる。亜季の頭には利恵と合流し、脱出することしかなかった。


 地面に沈み込む足に力を込める。いつの間にか、月は陰り周囲は暗闇を取り戻していた。

 合流し、脱出。頭には、それしかない。闇に目を凝らしながら、足を急ぐ。


―――半日もあれば何とかなる。


 だからこそ、亜季は気づいていなかった。周囲に漂う自然の匂いとは別の何かが燃えた様な匂いに。

 気づいていなかった。自分の足元に半ば埋まる様に存在する岩の存在に。


 グッと踏み出されたブーツが、苔に覆われた岩を踏む。


「キャッ・・・」


 山野に短い悲鳴が響く。


 滑ったブーツが、僅かな時間中空を掻く。前かがみに、一歩ずつ体重を乗せ切って歩いていた亜季に転倒を防ぐことは出来なかった。

 胸に走る鈍い痛み。その痛みで、彼女は初めて自分が、石だが岩だか何か固い物を踏んづけたのを理解した。


「うあッ!・・・・ああああ!」


 理解はしたが、気付いた時には手遅れだった。伸ばされた手が、濡れた葉を掴むが下草に人の体を支える張力はない。

 バランスを崩した己の体ごと、ブツンッと引き千切られた葉が宙を舞い、登って来た斜面を転がり落ちる。

 悲鳴が漏れるがどうしょうも無かった。何も見えない。ゴロゴロと体が転がる。


「ああああ・・・きゃッ!」


 亜季は一際大きな悲鳴を上げた。跳ねる体。不思議な浮遊感、そして衝撃。

 先ほどまでの軟弱な斜面とは異なり、少し固い平地の様な場所に放り出される。


「アッ痛う・・・ゴホッ・・・ゴホッ・・・痛い・・・」


 潰された蛙の様に力無く投げ出される四肢。痛みに自然と声が漏れた。

 暗闇の中、ゆっくりと体を回し、仰向けになる。まだクラクラする視界の中、頬を雨粒が叩いた。


―――泣きっ面に蜂・・・だね・・・畜生。


 目尻に涙が浮かぶ。グスッと鼻を鳴らしながら、亜季は寝ころんだまま自分の体をゆっくりと触った。

 頭上が木々に覆われている為か、まだそれほど雨脚が強くないのか、体を叩く雨の量は少ない。


―――どこも・・・折れてない。装備も・・・


 身体のあちこちがズキズキと痛むが、どうやら折れてはいないようだった。暗闇の中、派手に滑落したわりには運がいい。

 気分的には死んだッ!と思ったが、まだ天は自分を見捨ててはいないらしい。

 亜季はゆっくりと体を起こし、二三度その場で屈伸してみた。打ち身から鈍い痛みが走るが、足も大丈夫。少しほっとする。


「後は・・・天気だけか・・・」


 降り注ぐ雨の量は、段々と強くなっている気がした。気温は相変わらず低いまま。

 自分が考えているより体力を消耗している。あまり濡れると助からない。亜季は自分が滑り落ちてきた斜面を見上げた。

 木々の立ち並んだ斜面。ピンボールの様に途中で樹木に叩きつけられなかったことは感謝だったが、またこれを登るとなると酷く気が折れた。


「少しだけなら・・・大丈夫だよね」


 降り注ぐ雨。痛む体。心が言い訳で満ちる。


 亜季は周囲を見回した。どこか雨宿り、休むことができる場所を探す。疲労と滑落による痛み。亜季の心は曇っていた。

 見まわす視線が一点で止まる。そこは亜季が滑り落ちてきた場所だった。最後の大きなバウンド。盛り上がり、そこだけ段差のようになっていた。

 一際暗い闇。深さは分からないけど、窪みになっているそこなら雨は防げるかもしれない。亜季は、その中へ足を突っ込んだ。


「うッ・・・ううう」


「ひゃいッ~!」


 自分の声とは違う呻き声。ブーツ越しに何か柔らかい物を踏んだことが分かる。


―――踏んだッ・・・何か踏んだッ・・・


 亜季は変な悲鳴を上げながら、転がるようにして窪みからはい出た。

 鼓動が一気に高まり、自分の置かれた現状が脳裏に走る。ジタバタと腰のホルスターに手をやり、51式拳銃を抜く。


「ふーふーふー」


 スライドを引き、初弾装填。膝立ちで銃口を窪みに向ける。追い詰められた猫の様な荒い吐息が漏れた。

 スチェッキン・マシンピストルを大倉銃器がライセンス生産する51式拳銃は、オリジナル同様に重く、かさ張るシロモノであったが、今は逆に、その重さだけが生を実感させる。


「だッ誰だ!?拳銃が、ねッ・・・狙ってるわよ!ゆっくり、ゆっくり出てきなさい!」


 亜季は恐怖を吹き飛ばすように叫んだ。


 踏んだ時、確かに声がした。人間。敵地。頭を過ぎる単語は歓迎できるものばかりじゃない。

 声は聞きなれた利恵のものではなかった。自分達のように撃墜され、脱出した友軍か?それとも・・・、


「もう一度言うわ!ゆっくりとそこから出てきなさいッ!」


 再び叫ぶ。


 頬を叩く雨は強さを増していた。下草の向こう、真っ暗な窪みに変化はない。

 亜季は右手に51式拳銃を構えたまま、左手で胸元をまさぐった。

 視線を窪みに向けたまま、マグライトを取り出し、明かりをつける。白い灯が、レーザー光線のように窪みを照らした。


 白い輪の中に移る人影。そこには、窪みにはまり込む様にして、自分と同じ様にパイロットスーツに身を包んだ兵士が横たわっていた。

 装備は友軍の物じゃない。西日本、敵。トリガーに掛けた指が強張る。


「動くなッ!動いたら撃つ!」


 亜季は銃口を向けたまま、ゆっくりと立ち上がり、窪みに横たわる西日本軍パイロットに近づいていった。

 51式を構える右手を支える様に左手をクロスさせ、マグライトで照らす。近づくにつれ、西日本パイロットの状態がはっきりと目に映る。

 閉じられた目。破れたスーツから覗く右手は出血で赤く染まっていた。時折、漏れる苦しげな吐息。上下する胸の膨らみから、そのパイロットが女であることが分かった。


「おい・・・おい・・・」


 力無く投げ出された女の足をブーツで突っつく。淡い白光の中、パイロットに動きはない。亜季はゆっくりと拳銃を降ろした。

 いよいよ降り注ぐ雨は強くなっていた。自分と同じ様に撃墜されたパイロット。味方ではなく敵だが・・・。


 拳銃をホルスターに収めながら、亜季は大きく息を吐いた。


「アンタも運が無かったわね・・・」


 マグライトを女の胸に向ける。ほんの気まぐれのつもりだった。名前(TACネーム)ぐらい見てやろう。たんにそれぐらいの気分。

 胸に縫い付けられた名札。だが、刺繍で掛れた名前を見て、亜季は息を飲んだ。


 気がついたら、女の胸元に手が伸びていた。不用意に近づいて危ないとか、そんな考えは完全に飛んでいた。

 女、刺繍された名前。直感が、亜季を衝動的に動かす。首元のファスナーを無理やり引きおろし、あるはずのものを探す。

 目的の物。首にかけられた3センチほどの金属板が、亜季の眼に飛び込んでくる。


「うッ、あ・・・あん・・・」


 ドックタグを引き千切った拍子に、女パイロットが苦しげな呻きを上げる。

 だが、その呻き声は亜季の耳に届いていなかった。


 震える手で認識票にマグライトを近づけ、刻まれた文字を読み取る。そこには、彼女が予想した通りの文字が刻まれていた。


「う・・・嘘だよね。そんな・・・」


―――JASDF KAEDE・NISIMURA BLOOD AB+―――


 懐かしく待ちわびた人の名。金属板には、ローマ字で自分が良く知る人の名が刻まれていた。

 

 リゲル。くすんだ熊の人形の姿が脳裏を過ぎる。

 それは予想だもしなかった再会だった。亜季は雨に打たれるまま、横たわる女の姿を茫然と見やった。






 1980年代後半、西日本は未曽有の好景気に沸いていた。東日本と西日本、二つの日本の距離が最も離れた時期。

 好景気に沸く西日本とは裏腹に、東日本は共産圏の盟主でもあったソ連の混乱に引きずられる様に大きな低迷を見せていた。

 ペレストロイカ。鉄のカーテンに生まれた綻びから差し込む光は、共産圏に大きな混乱と変化をもたらしたのだった。


 まずは東欧が資本主義の濁流に飲み込まれ、続いて宗主国であるソ連本国にも、その波は到来する。

 ハードパワーからソフトパワーへの転換。技術革新の遅れと進まぬ経済発展を打開する為に行われた大手術は、共産圏にとって劇薬に過ぎた。

 地獄の釜が開かれた。東日本のある外交官はペレストロイカによる混乱をそう称した。半世紀にも渡って抑圧され続け来た人民の不満は、熱いマグマとなって至る所で噴出していた。


 ソ連の後退は、全ての共産国家の後退に繋がっていく。東の軍需工場と謳われた東日本も例外でなかった。

 同盟国価格で格安に入手できていた資源が入らなくなり、情報公開の波は東側兵器の価値を暴落させた。

 悪の帝国が生み出す謎の新兵器は、蓋を開けてみると西側の最新兵器と比較して、ハイテク兵器では根幹とも云える電子部品で10年以上の遅れがあった。


 偏屈な職人たちによって作り上げられた凡作。安いだけモンキーモデル。時代遅れの鉄くず。

 悪評が悪評を呼び、さらには経済的混乱により、東側諸国の軍事予算が一時的に落ち込んだこともあり、東日本の兵器輸出は急下降する。

 神の視点で振り返るならば、1980年代当時の東側兵器は、そこまで酷評するほどの物でもなかった。

 確かに電子部品の性能は遅れていたが、全体的に見れば悪くはない。だが、欧州、そしてアメリカ。世界を牛耳る死の商人達は、このチャンスを逃す様なことをしなかった。

 東側兵器のネガティブなイメージが世界に広まる。事実は事実。1割の真実が、全てを染めることもある。ライバル達は狡猾であった。


 国は窮し、民は飢えていた。衰退。軍事兵器の輸出一辺倒により経済を支えていた東日本にとって、1980年代後半から1990年代初頭は暗黒時代にも等しいものだった。

 共産圏でも屈指の官僚群と統制のとれた国軍により、政治崩壊の兆しこそ見せてはいなかったものの大きな揺らぎをみせたのは間違いない。


 困窮と体制の混乱は、国民を最も刺激する要因でもある。

 そして、溺れる犬は打て。基本である情報収集から脱国支援、政治工作など西日本による表裏に渡る工作活動が最も活発化したのもこの時期であった。


 西日本による工作の結果、脱国者。国を捨て、もう一つの日本へ逃れ様とする者は少なからず出た。

 亜季や楓、二人の家族もまた祖国を捨て希望を目指し、西日本に逃れようとした家族の一つであった。


「遅いよ・・・遅すぎるよ・・・」


 姉と同じ名を持つ西日本軍パイロットを後ろから抱きしめながら、亜季は小さく呟いた。


 降り注ぐ雨は勢いを強め、遠く雷の落ちる音まで混ざりはじめていた。

 一瞬の閃光と轟音。雨のカーテンの向こうでドーンと云う爆弾がさく裂したかの様な音が響く。


 女の首元に顔を埋めた。汗と草木が入り混じった臭いが鼻孔を擽る。女の立てる小さな吐息の音が聞こえた。

 狭い窪みの中、アルミ箔でできた防寒シートを巻き付け、敵国のパイロットと抱き合いながら過ごす。

 自分は一体何をしているのか・・・亜季は小さく溜息をついた。窪みに入り込んで何度目になるかも分からない。


「亜季・・・亜季・・・」


「大丈夫。ここにいる」


 うわ言の様に呟かれる自分の名前。亜季は囁きながら、ギュッと女を抱く両腕に力を込めた。


「ハア・・・ハア・・・ふー」


 安心したのか、女はまたスースーと寝息を立てはじめる。


 立ち去ろうとした。だが、呻き声ととも女の口から漏れた己の名が、この場に足を止まらせた。

 会いたかった。待ち続けた。ずっと。


「馬鹿・・・」


 誰に対してじゃない。他でもない自分を小さく罵る。

 聞かなければ良かった。とっとと立ち去るべきだったのだ。亜季は土の壁に頭を預け、目を閉じた。


 色々なことが頭を過ぎる。だが、その光景の中、「西村亜季」であった頃のモノは驚くほど少なかった。時の流れは無情だった。

 思い出そうとしても霞みがかかった様に姉のはっきりした顔が浮かばない。TACネームや認識票、囁かれる自分の名前。

 だが、いま腕の中に抱く女を姉だと証明するモノが、亜季の中に何も無かった。

 夢に出てくる姉の姿。必死に笑顔を浮かべながらリゲルを手渡してくれた姉の姿と、パイロットスーツに身を包む女の姿が重ならない。


 実感が湧かないのだ。直感は女を姉だと言っている。状況証拠もある。だけど・・・、


「大変だったんだ。ここまで来るのは・・・今更・・・」


 亜季は土壁に頭を預けたまま呟いた。


「今更・・・帰れないよ・・・」


 利恵や孤児院で裏切り者と蔑まれていた自分を救ってくれた伏倉の爺や婆の姿が頭をよぎる。

 長い時間が過ぎていた。自分にとっても・・・姉にとっても。歩んできた人生は変えられない。リセットボタンなんてないのだ。


 あの日、山中で兵士に救われた自分が、救われたのではなく捕らわれたのだと気付くのに時間は掛らなかった。

 国を捨てた裏切り者。脱国者。まだ幼いという理由から見逃された命。

 孤児院で発端を知り、自分を引き取ってくれた伏倉夫妻に迷惑を掛けまいと入隊した軍で全てを知った。


 西側の云うように東日本は狂犬国家でも何でもない。そこには資本主義国家と同じ、感情を持った人間が住み、暮らしている。

 笑い、泣く。その出自から酷い中傷を受けたこともあった。だが、祖国は自分の努力に応えてくれた。

 国を裏切ったはずの自分にチャンスを与えてくれた。95式という翼をくれた。


「いきなり現れたって・・・どうすればいいのよ」


 亜季は自分の顔を女の背に擦り付けた。


 西には行けない。行こうとも思わない。爺や婆、利恵達、仲間もいる。色々な問題があっても亜季は東日本という祖国を愛していた。

 しかし、だからと云って女を捕虜として東にも連れていけないことも彼女は理解していた。

 祖国のことは愛している。だが、その全てを盲信している訳でもなかった。連れて行けば、女は不幸になる。例え、女が実の姉であっても。それだけは確信できた。

 考えれば考えるほど。思えば思うほど女を東日本に連れて行くことは出来ない。


 亜季は女の手をそっと握り、指を絡めた。


「すぐ戻るって、すぐに迎えに来るっていったじゃない。もう・・・10年以上経ってるよ」


 姉と別れて15年。月日の流れは、二人の距離を途方もなく遠いものに変えていた。

 互いに銃を突き付け合う関係。ソビエトが崩壊しなかったら・・・両親が脱国を考えなければ・・・軍人なんて目指さなければ・・・いくつものifが亜季の頭を過ぎる。


 どうして・・・何がいけなかったのだろう。どこですれ違ってしまったのだろう。

 頬を熱いものが流れ落ちた。姉を抱いたまま亜季は、声を押し殺して泣いた。




「うッ・・・うッく・・・こんな所で会いたくなんかなかったよ・・・。お姉ちゃん」










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ