影の処刑、あるいは沈黙の告発
夜幕は墨のように、聖都の罪悪を静かに覆い隠している。俺は腰を低くし、足尖で王立療養院の中央庭園にある矮牆を蹴って、隣の屋根へと跳躍した。瓦が脚の下で「ギシッ」と微かな音を立てるが、夜風に混じる喧騒がそれを完璧に掻き消していく。
屋根の上で、俺は月光に照らされる中層区の街角を凝視した。そこには松明を掲げた兵士たちが、厳整な列を成して要道を固めていた。
「くそっ、あいつはまだ上がってこねえのか? 下で迷ってんじゃねえだろうな」 不機嫌そうな、しわがれた声が響く。
「焦るな。閣下が仰った通り、あの地下室を突破したのなら、必ず屠殺者のいる通路に辿り着く。俺たちはここで網を張って待っていればいい。自ら罠にかかりに来るのをな」 もう一人の、冷静で確信に満ちた声が続く。 「だが、万が一あいつが鍵を見つけられなかったらどうする?」
「見つからなきゃそれでいい。そのまま地下でのたれ死んでくれれば、俺たちの手間が省ける。……ただ、閣下はあの野郎が少し『邪門(不気味)』だと仰っていた。油断はするな」
兵士たちの会話を聞き、俺の中で全ての脈絡が繋がった。 敵は俺のルートを予読し、あえて屠殺者のエリアに伏兵を置いていたのだ。俺が鍵を持ってそこから現れるのを、奴らは確信して待っていた。
……恥ずかしながら、その時の俺は鍵を見つけられなかった。というよりも、あの乱戦の中で金属が落ちる音を聞き取れなかったのだ。だが奴らは夢にも思うまい。俺が偶然にも昇降井戸を見つけ、療養院の庭園という奴らの「真後ろ」に這い上がってきたことなど。
……鍵ね。俺もう一度さっきの死闘を思い返した。 まるで運命に導かれるように別の道を選んだのだ。その偶然が、結果として敵の包囲網を無力化させた。
「……面白い。なら、驚かせてやるとしよう」
俺は断刀を握り込み、幽藍の火光を瞳に沈めた。三十二人の処刑を始める。
まずは屋根の監視兵、四人。 死角から音もなく舞い降り、一人目の口を塞ぎながら断刀をうなじに突き立てる。刀身の冷気が噴き出す血を凍らせ、音を殺す。そのまま影を渡るように残りの三人の喉を裂き、屋根の上を「死の静寂」で満たした。
次に、外周を巡回する十六人の巡回隊だ。 左側の八人が建物の影に入った瞬間、最後尾の二人を闇に引きずり込む。断刀が同時に二人の首をなぎ払い、松明が地面に落ちる前にその腕を掴んで受け止める。先頭の者が異変を感じて振り返った時には、俺はもう奴の目の前にいた。驚愕が声になる前に、刃が眉間を貫く。 右側の八人も同様だ。俺の速度は奴らが振り返る速度を遥かに超えている。ある者は壁に叩きつけられ、ある者は路地の奥で物言わぬ肉塊へと変わった。
残るは、地下出口を扇形に囲む射撃陣八人と、中央の長官を含む四人。
俺は暗闇から小石を拾い、出口の反対側へ放り投げた。「コツン」という音が響いた瞬間、銃口と矢先が一斉にそちらを向く。 その隙だ。俺は爆発的な踏み込みで、真横から突撃した。
「敵襲ッ! 左だ――っ!」 叫びが終わる前に、最前列の火銃兵二人の身体が斜めにずり落ちた。一太刀で両断したのだ。 火銃が轟然と火を噴き、火薬の刺激臭と石炭酸の薬剤臭が入り混じり、視界を白く染める。その硝煙の中を、俺は死神の如く突き進む。弓を引き絞る指を切り飛ばし、銃床で抗う者の喉笛をえぐり取る。
「化け物め、死ねぇ!」 長官が剣を抜くが、俺はその剣筋を受け流すと同時に、奴の右腕を肘下から斬り飛ばした。 「ぎあああああッ!!」 絶叫が夜の静寂を切り裂く。一分と経たぬうちに、立っているのは俺と、失禁して崩れ落ちた若い火銃兵だけとなった。
俺は血濡れの断刀を引きずり、のたうち回る長官の髪を掴んで壁際へと引きずっていった。隣にはガタガタと震える火銃兵。
「下水道で見たぞ。腐肉で育てられた、あの純白の蛆虫を」 二人の顔から血の気が引く。 「……お前たちの肉を削ぎ落として、俺もあの虫を養ってみようと思うんだが、どうだ? 安心しろ。俺の問いに正直に答えない限り、そう簡単には死なせん。蛆虫がお前たちの血肉で蠢き、繁殖していく様を、一分一秒でも長く味わわせてやる」
俺はまず若い兵士に問い、次に長官を蹴り飛ばして同じことを聞いた。
「子供たちはどこへ運ばれた? 二人の答えが少しでも食い違ってみろ。その瞬間から、どちらかの『餌付け』を始める」
恐怖が限界を超え、若い兵士が喚いた。 「しゃ、喋ります! 中層区にある暗娼街……『銀の孔雀亭』です! あそこの秘密の部屋へ運べと……閣下が、あれは最優等な素材だから高く売れると……っ!」
俺は冷たい目で長官を見た。奴は激痛に顔を歪めながらも、否定しなかった。 事実を確定させた瞬間、俺の瞳から最後の手加減が消えた。 無実の子供を「素材」として売る。この腐れ切った雑魚どもに、生かしておく価値はない。 断刀が二筋の寒光を描き、絶叫すら許さずに二人の首を断ち切った。
俺は断刀を握り直し、夜の闇に沈む「銀の孔雀亭」へと向かった。 救いだけに行くのではない。ただ、俺の「注文」を汚した奴らに、代金を支払わせに行くだけだ。




