血肉という呪い
奴はただ静かに、溶岩の中に佇んでいた。膨大な暗金の躯体はその大半を赤紅の溶岩に浸し、今まさに緩慢に力を込め、粘着質で煮え滾る岩漿から這い上がり、地上へと戻ろうとしていた。天地を揺るがす咆哮も、抗い難い衝撃もない。ただ、この上なく単純で、遅鈍な一動一動が、阻むことのできぬ災厄となって地底空間のすべてを席巻していた。
暗金色の掌がゆっくりと持ち上がり、溶岩を滴らせる「ジリジリ」という音と共に、一点ずつ地面へと押し当てられる。激しい衝突などない。だが、その掌が地面に触れた刹那、かつて干結びて岩石のごとく硬化していた溶岩の床は、支えをすべて奪われたかのように轟然と陥没した。掌を中心に亀裂が狂ったように走り、蜘蛛の巣のごとく細密に広がる。平坦だった床は枯れ果て脆くなった落ち葉のように瞬時に歪み、縮れ、無数の微細な石片と粉末へと砕け散った。それらの残骸は四方に飛び散ることなく、掌から放たれる恐怖の引力に捕らえられ、無形の巨口に呑み込まれるように暗金の掌の下へと吸い込まれていく。音もなく、痕跡すら残さず、それは徹底的に虚無へと帰した。
ゴールド・ドワーフの核心から放たれる引力の圧迫は、潮汐のごとく再び暴騰し、俺の全身を叩き伏せた。肺の中の空気が無形の力によって強制的に引き抜かれ、胸腔は万鈞の巨石に圧し潰されるかのように、その極限の質量に粉砕され、平らにならされようとしている。喉の奥に生臭く甘い感覚が込み上げ、呼吸のたびに引き裂かれるような激痛が走り、四肢百骸には酸っぱい痺れが伝わる。骨格は負荷に耐えかねて微かな悲鳴を上げ、次の瞬間には寸断されるかのようだった。細胞のひとつひとつが、原始的で本能的な恐怖を剥き出しに叫んでいた。逃げろ! 直ちに逃げろ! 触れるな! わずかでも近づけば、その恐怖の引力に切り刻まれ、触れた瞬間に死ぬ!
理解を超えた物理的巨獣を前にした今の俺は、塵のように矮小で、あまりにも脆弱だった。掌に隠した転送符を無意識に握り締める。それは坩堝の帝王から授かった保命の品だ。指先の血ですでに湿ったその符を軽く発動させれば、この絶境から即座に逃れられる。だが、疲労困憊しながらも退かずに踏みとどまるシルヴィアとクレアの姿、そして未だ立ち上がろうとするゴールド・ドワーフに目を向けたとき、心底の葛藤は激しさを増した。ここまで来て、本当に諦めるのか? 死んでいったドワーフたち、共に戦った軌跡、未だ解けぬ謎……それらすべてを白紙に戻すというのか?
「おい、聞こえてるんだろ? この鉄屑を操ってる野郎」
俺は全身を強引に強張らせ、骨を圧し潰さんばかりの重圧を撥ね退けて血混じりの唾を吐き捨てた。紅い血の玉は熱せられた床に落ちた瞬間に蒸発し、一筋の白煙となった。口角に惨烈な笑みを浮かべる。その笑い声は掠れ、壊れ、粘着質で圧迫された空気の中に響いた。それは捨て身の強情であり、背水の陣の悲愴でもあった。
「この状況だ、俺の負けを認めよう」
俺は言葉を切り、その暗金の巨獣を凝視した。声は大きくはないが、一音一音が明瞭に、溶岩の唸りと引力が空気を歪める震動を突き抜けて響く。
「だが……お前は本当に勝ったのか? 見ろよ、お前が捏ね上げたこの完璧な『神』を。こいつは重すぎる。重すぎて、もはやこの世界ですらこいつを容れることはできないんだ! 溶岩の中から立ち上がるその無様な姿を見ろ。一挙手一投足が周囲のすべてを壊し、一歩踏み出すたびにこの大地を切り裂いている。お前が誇る堅牢な堡塁さえも、この質量の前で崩壊へと向かっているぞ!」
言葉が終わるのと同時に、ゴールド・ドワーフはすべての動きを止めた。暗金の躯体は溶岩の中に固まり、大半を赤紅の熱液に浸したまま、瞳のない暗金の眼窩だけが空虚に俺たちを「注視」していた。長い、あまりにも長い沈黙。金属の共鳴も、怒りの咆哮もない。ただ溶岩の逆巻く唸りと、引力が空気を捻じ曲げる微細な震動だけが響く、窒息しそうな死寂があった。
大気には、液化寸前まで濃厚な硫黄の臭気が充満し、俺たちの周囲を粘りつくように纏わりついていた。鼻腔から喉へと入り込み、呼吸すらままならぬほどに咽せ返る。ゴールド・ドワーフが作り出す極高圧の環境下において、その臭いはもはや単なる刺激臭ではない。呼吸のたびに、肺には熱く重い重油が強制的に流し込まれるかのようで、気管を焼く激痛が全身へと広がる。高温と硫黄に蝕まれた気管からは粘着質な甘い血生臭さが漂い、喉の奥の血の味と混ざり合って嘔吐を誘う。だが、咳き込むことさえ膨大な体力を費やす行為だった。
言葉に、手応えはある。俺は心底で微かに安堵し、再び奥歯を噛み締めた。骨を粉にするほどの重圧に抗い、困難な一歩を踏み出す。一歩ごとに足元の石板は破砕寸前の悲鳴を上げ、双腿は震え、身体を支えきれぬほどだったが、俺は止まらなかった。視線をゴールド・ドワーフから逸らさず、ただ一点を見据える。
『接近……禁止! 血肉に呪われし子らよ!』
氷のように冷たく、掠れた金属合成音が突如として響き渡った。そこには隠しきれぬ微かな震えが混じり、静寂を打ち破る。同時に引力の圧迫が跳ね上がり、俺を地面へ叩きつけようとした。俺は即座に足を止め、ハドレットを収めて両手を耳の横に掲げ、微かに腰を曲げて無害であることを示した。口角には相変わらず、惨烈ながらも穏やかな笑みを浮かべて。
「分かった、分かったよ! 近寄らない、近寄りはしない!」
「そもそも、俺たちに恨みなんてないんだ」
声のトーンを落とし、強情さを捨てて懇切に、だが隠しきれぬ疲労と掠れを帯びて語りかける。
「数えきれないほどのアイアンドワーフを壊した下手人として、謝罪はしよう。だが、俺だって生きるために他に道はなかった。大切な者たちを守るため、これ以上ドワーフたちが無駄に死なないようにするためにだ」
俺は再び惨烈に笑った。粘りつき凝固したような大気の中で、その声はひどく滞重で、壊れていた。一文字一文字が喉の奥から強引に搾り出される。
「壊した奴らを前に、こんな独りよがりの言葉を並べる資格がないのは分かっている。奴らはただ命令に従っていただけかもしれない。俺たちと同じように、致し方なかったのかもしれない。……それでも、俺は信じている。対話には結果が伴うはずだと。暴力が唯一の出口ではないはずだと。あんたたちはドワーフの生存を脅かし、残酷に殺してきた。できることなら、俺たちのような『血肉の産物』をこの世から徹底的に消し去りたいんだろう。俺もまた、あんたたちと同じ権利を行使したに過ぎない。生きるために、抗っただけだ。……それでも謝罪はしよう。いや、こんな謝罪は無意味だな。あんたが俺たちを嫌悪しているのは確信している。それは今この瞬間の殺し合いによるものではなく、亘古の歳月から続く、原子の深くに刻まれた排斥反応だ。血肉と金属、生命と氷冷の、天性的な対立なんだ」
俺は瞳のない暗金の眼窩を凝視した。指先は力みで白くなり、転送符を握り潰さんばかりに、一字一字を問いかける。声には焦燥と、そして困惑が混じっていた。
「あんたが手を出してこないのは、俺たちへの憐れみでも、俺の言葉に打たれたからでもない。この城のためだ、そうだろう? あんたは何かを守っている。……あんたたちはドワーフ族と瓜二つの姿をし、同じ予言を使っている。教えろ。あんたたちは奴らの祖先なのか? もしそうなら、なぜ自分の末裔を傷つける? なぜあんたたちは元素と金属でできた不朽の存在で、奴らはこんな、腐り、血を流し、死んでいく生身なんだ?」
『守護……ではない』
氷冷な金属合成音が再び響いた。そこから警惕と憤怒が消え、万年の時を越えてきたような荒涼と悲哀が滲み出す。その声は時の果てから届くかのように、尽きせぬ絶望と疲弊を孕んでいた。
『これは……鎮圧だ』
「鎮圧?」
俺は呆然とし、表情は凍りついた。心底の困惑が強まり、全身の痛みさえも遠のいていく。「何を……鎮圧しているんだ?」
『呪いの……拡散を……防ぐためだ』
その声に宿る絶望はさらに深まり、命の欠片もない荒野のごとく、骨の髄までを凍てつかせる。やがて、断片的でありながら尽きせぬ悲哀を帯びた言葉が、空虚な地底に響き渡った。
『潮は退き、大地は露わになった。星の彼方より……天の端より……奴らはこの世界に降り立った。奴らは我が民を誘惑し……不朽を捨て、血肉という名の……呪いを受け入れさせたのだ』




