地底へ
夜が明けるか明けないかの頃、俺たちはラクドンを見つけた。奴は数人の矮人兵を引き連れ、トンネルの入り口で防壁の補強に追われていた。眼窩は深く落ち込み、疲労が色濃く滲んでいる。俺たちの姿を認めると、奴は重い鉄槌を置き、意外そうに眉をひそめた。
「あんたたち、どうしてここへ。五日間もあんな地獄のような鍛造を続けたんだ、少しは身体を休めたらどうだ」
「ラクドン、俺がこの武器を打ったのは、地底へ潜るためだ」
俺は端的に言い放った。視線は微塵も揺るがない。
「あのアイアン・ドワーフたちの異様な襲撃は、決して偶然じゃない。この俺が手も足も出ない連中に、この世界で出会うとは思わなかった。奴らの攻撃を喰らわなきゃ、奴らと同じやり方でやり返すなんて思いつきもしなかっただろうよ。……地下には、奴らを歪めている『何か』が確実に潜んでいる」
ラクドンの表情が、一瞬で石のように強張った。傍らの兵を下がらせると、声を潜めて俺たちを見据えた。 「正気か。地底は遊び場じゃない。光の一切届かぬ深淵だ。鉄矮人だけじゃない、正体不明の怪異が腐るほど潜んでいる。生きて戻った者は十に一つもいない。……我らが王の弟、あの高名な冒険家ブランク・坩堝でさえもな」
「分かっているわ」
シルヴィアが短刀の柄を強く握りしめ、冷徹な響きで言った。
「ミンが行くと決めた。なら、私も行く。それだけよ」
ラクドンは長い沈黙の後、重いため息をついた。
「ああ、クソッ! どいつもこいつも狂ってやがる。バラックザーの牛より意固地な連中だ。止めようったって無駄だろうな。……ついて来い。国王陛下に取り次ぐ。古の閘門を開き、地底への通行を許せるのは、あの方だけだ」
矮人の領地を抜けて進む。沿道の民の顔には、昨夜の襲撃が落とした恐怖の影が色濃く張り付いていた。 城は城邦の最上階に、漆黒の岩と分厚い鋼鉄を組み上げて築かれていた。遠目には、獲物を待つ巨大な獣が地を這っているかのような、重苦しく沈黙した要塞に見える。
取次もそこそこに、ラクドンは俺たちを大殿へと導いた。 玉座に鎮座していたのは、国王オレイリウス・坩堝だった。銅色の肌には歳月の刻印が刻まれ、銀白の髭が胸元まで伸びている。その手には複雑な紋様が刻まれた巨斧が握られていた。威厳に満ちているが、その眼の奥にある疲弊までは隠しきれていない。
「陛下、アルフヘイムの勇者たちが、鉄矮人の襲撃の謎を追うべく地底への進入を望んでいます」 ラクドンの報告を聞き、オレイリウスはゆっくりと眼を開いた。暗紅色の瞳が俺たち三人を射抜くように凝視する。その奥底には、深い絶望と、隠しきれない微かな希望が混在していた。
「……本気か。地底の惨状はラクドンから聞いたはずだ。これまで数多の精鋭を送り込んだが、誰一人として戻りはしなかった。我が弟ですらな。余は無能だ。地底で何が起きているのかも知らず、民が怯え、襲撃にさらされるのをただ見ていることしかできん」
「陛下、覚悟はできています」
俺は一歩踏み出した。
「ラクドンへの借りを返すためにも、この手で真相を暴きたい。たとえ僅かな望みだとしても」
ラクドンは俺の背を強く叩いた。俺は奴に短く笑いかける。
オレイリウスの瞳に光が宿り、すぐに重苦しい諦念へと上書きされた。
「よかろう。これほど長い間、自ら地底へ赴こうという者は一人もいなかった。……すべてを貴殿らに託す」
彼は侍従に命じ、微かな魔力を放つ円形の符呪——『転送符』を差し出した。
「この閘門を開く以上、死守せねばならん。お前たちが絶体絶命の淵に立たされても、こちらから門を開けてやることはできんのだ。……だが、それを握り潰せば、一瞬でここへ戻れる。命を捨ててくれるな」
俺は冷たい感触の符を受け取り、静かに懐へ収めた。
「感謝します。これを使わずに済むことを願っていますよ」
古の閘門は、想像を絶する威容で俺たちの前に立ちはだかった。 黒石と鋼鉄で鋳造された、十丈を越える巨大な鉄門。表面には古のルーンが刻まれ、触れずとも肌が粟立つような冷気が漏れ出している。 門の傍らには、武器を構えた数十名の精鋭兵が、死を覚悟したような表情で立っていた。
「陛下のご命令だ。古の閘門を開け!」 ラクドンの怒号とともに、兵たちが一斉に機関を回し始めた。 ガガガッ、と。耳障りな金属音が響き、重い門が内側へと開かれる。その先にあるのは、光を一切拒絶した暗黒だった。巨大なブラックホールのようにすべてを飲み込もうとするその闇から、刺すような冷気と、名もなき生物の生臭い臭気が吹き抜けてくる。
「……ここが地底だ。転送符だけは失くすなよ」 ラクドンの声は、もはや祈りに近かった。
俺たちは迷わず、その喉元へと足を踏み入れた。 背後で門が閉まり、外世界の音と光が完全に遮断される。周囲を支配したのは、自分たちの心音と呼吸音、そして闇の奥で何かが這い回る「カサリ」という微かな震動音だけだ。
「暗すぎるわ。これでは一歩も進めない」
クレイアが聖物を掲げ、呪文を紡ぐ。手の先から清冽な白光が溢れ出し、半径百メートルを強引に照らし出した。 湿った壁面には青苔がへばりつき、古の壁画が干結した血のような色で浮かび上がる。地面には矮人や異形の骸、砕けた鎧が累々と横たわっていた。
クレイアの放つ光は、暗闇を切り裂く聖なる道標に見えた。 だが、俺たちは気づいていなかった。 この絶対的な静寂と暗黒の世界において、光とは救いなどではない。それは、飢えた捕食者たちへ向けた「晩餐の合図」に他ならないのだ。
白光は、俺たちの足元を照らすと同時に、闇の深淵に潜んでいた「奴ら」を露わにした。 光の届かぬ死角から、冷酷な複眼がこちらを凝視している。貪欲な、そして嗜虐的な輝き。 這い回る音、蠢く気配が、四方八方から包囲するように近づいてくる。
俺たちは足を止め、武器の柄を握り直した。 勇者として調査に来たつもりが、その実、光を灯した瞬間に、俺たちはただの「餌」へと成り下がっていたのだ。
暗闇の中、氷のような視線がゆっくりと、確実に間合いを詰めてくる。 殺戮の幕が、今、上がる。




