血の記憶と揺らぎ
クドは頭を垂れたまま、黒袍のフードですべての表情を隠していた。ただ、深緑色の顎だけが僅かに覗き、長い沈黙が続く。工坊で爆ぜる薪の音と、遠くから響く地鳴りのような江の音が唯一の響きとなり、その場を息が詰まるほど重く支配していた。彼が答えることはないだろうと思ったその時、クドは緩慢に顔を上げた。フードの奥の瞳には涙が滲み、流暢だが震える共通語が、微かな風のように漏れ出した。
「分かりません……。あるいは、僕はここに居ていいのでしょうか?」
その声はひどく細く、隠しきれない卑屈さと無助に満ちていた。一文字一文字が、喉の奥から絞り出されるようだった。 「僕はオークですが、何も知らないのです。オークの言葉も話せず、親が誰かも、宗族がどこにあるかも知らない。オークの領地がどんな景色なのかさえも。もし父上があの時、僕を拾ってここへ連れ帰ってくれなければ、僕はとっくにあの凍てつく雪夜に死に絶え、獣の餌になっていたでしょう」
彼は手を上げ、震える指先で黒袍を強く掴んだ。その力で節くれ立った関節が白く浮き上がる。 「この数年、僕は必死でした。ドワーフにできることは僕にもできると、皆に証明したかった。彼らが鉄を打てば、僕はそれ以上に打ち続け、手のひらが擦り切れても休まなかった。彼らが地道を穿てば、僕は誰よりも重い石を担いだ。……ですが、どうです? 皆は僕の姿を見て、怯え、忌み嫌い、陰で嘲笑う。近所の子供たちは『化け物』と呼び、石を投げつけてくる……」
最後には声が嗚咽に変わり、縁どられた赤らんだ眼が、俺を、そしてラクドンを縋るように見つめた。 「僕は、何か間違ったことをしたのでしょうか? それとも、最初から生きていてはいけなかったのでしょうか? 父上……」
空気は一瞬にして氷点下まで下がり、窒息しそうなほどの静寂が降りた。鉄炉の火さえも、その勢いを失ったかのように弱々しく見える。シルヴィアはいつの間にか目を開け、その視線には冷淡さの代わりに複雑な色が混じっていた。クレアは眉をひそめ、憐れみに満ちた瞳で言葉を探すが、かけるべき言葉は見つからない。
「……いい加減にしろ! お前に何が分かるッ!」
怒声が沈黙を切り裂いた。ケイソンがいきなり立ち上がり、手にした麦餅を石卓に叩きつけた。砕けた破片が四散する。彼は目を血走らせ、肩で息をしながらクドを指差した。その声には、剥き出しの怒りと呪詛が籠もっていた。 「お前らオークが、あの年にどれほどの羊を食い尽くしたか知っているのか! どれほどのドワーフを奴隷にし、橋を架けさせ、泥にまみれて鉱石を掘らせたか! 逆らえば即座に殴り殺されたんだぞ!」
「俺たちドワーフとオークは、滄江を境に安穏と暮らしていたはずだ! だが十年前、お前らオークが南下し、焼き、殺し、奪った。バラックザールは血の海に沈み、どれだけの同胞が死に、どれだけの家が焼かれたと思っている!」
ケイソンの声はさらに高く、引き裂かれるような痛みを伴って響く。
「それを今さら『知らない』の一言で済ませるつもりか? 俺は忘れん! すべてのドワーフが、そして大地の母が決して忘れはしないんだ!」
ラクドンが石卓を激しく叩いた。「黙れ! 飯を食え!」
ケイソンの身体がびくりと震えた。拳を固く握りしめ、瞳の奥の怒りは消えぬままだったが、それ以上言葉を重ねる勇気はなかった。彼は忌々しげに座り直し、荒い呼吸を繰り返した。
ラクドンは重苦しい溜息を吐いた。その顔には、隠しようのない疲弊と虚しさが刻まれている。彼は俺とクドを交互に見やり、申し訳なさに声を沈めた。 「……すまん、ミン。それに、クド。儂の教え方が悪かった。こいつに余計なことを言わせてしまったな」
「はあ……」 再び長く、尾を引く溜息。ラクドンは麦餅を手に取ったが、食欲はないらしく、ただ無造作に一口齧っただけだった。
それから、誰一人として言葉を発することはなかった。ただ咀嚼する微かな音だけが、耐え難いほど沈鬱に響く。先ほどまで香ばしかったはずの麦酒は苦く、喉を通り過ぎるたびに心の底が酸っぱく疼いた。クドは俯いたまま黙々と麦餅を噛み、涙が音もなく黒袍に落ちては、湿った染みを作っていった。。ケイソンは顔を伏せ、昏い表情で沈黙し、クレイは気まずそうにパンを千切っている。俺とラクドンは視線を交わしたが、そこにあるのはただ、どうしようもない無力感だけだった。




