昏い王座の終焉――アールヴ・ヘイムの黄昏(ダンカン・エヴィヘル視点)
「肉体凡胎では、アールヴ・ヘイムの栄光を摧くことなど叶わない!」
戴冠の日、大預言者が告げたその言葉に、余は悦に入った。肉体を持つだけの脆弱な種族には、我が一族の繁栄は侵せぬ。ならば、我が国は万世にわたり不滅のはずだ――。 だが、当時の余は知らなかった。その予言には、血で汚された続きがあったことを。
『……ただ、白狼が風雪を連れて舞い降りるまで……』
今、胸を貫く劇痛が、余の意識を裂こうとしている。 寒霜を纏った刃が、余の心臓を深く、冷酷に穿っていた。死の冷気が剣先から這い上がり、凍てついた死寂が四肢を侵食していく。
剣を握る男を見上げた。ミン。 死霧を纏った男の瞳には、波紋一つない。ただ、底冷えのする虚無がある。足元では青灰色の食屍鬼たちが飢えた唸りを上げ、風雪の向こう側では、一頭の純白の巨狼が立ち尽くしていた。翡翠の瞳に宿る憎悪。それは余を焼き尽くす神火のようだった。
シルヴィア。 我が二女。才能なき「出来損ない」と突き放したあの子が、今や罪を埋葬する暴雪となり、余が守り抜いたはずの栄光を、塵へと変えている。
視界が霞む。千年前の戴冠。その意気軒昂たる光景。 そうだ、千年だ。余の治世は穏やかだった。民は増え、大地は潤っていた。 どこで、道を違えたのだ。
胸の剣がさらに深く沈み、余は血を吐いた。 その瞬間、風雪の果てに、一人の女が立っているのが見えた。
「……エローウェン?」
迷子の子供のような声が漏れた。 そこから先、余の心の中にあった「王」の仮面は、音を立てて砕け散った。
……私だ。 私が、君をあのような無惨な姿に変えたのだ。 永遠という甘い罠に落ち、大預言者の言葉を捻じ曲げ、毒婦カーシャの囁きに魂を売った。最愛の君を、そして幼きウォルスを、古神への生贄として差し出した。すべては、手に入らぬ永生という幻想のために。あまつさえ私は、古神の力に侵された『死胎』を産むよう君に強いた。冷たく固まった小さな骸を抱き、君が肝腸を断たれる思いで泣き崩れ、気を失いかけていた時でさえ、私はカーシャの花言巧語に溺れ、君に一言の慰めすら与えなかった。ただ、手に入らぬ永生という幻想のために。」
君は、どこまでも優しかった。 私に言われるまま、古籍を読み耽り、私を信じてあの毒婦を受け入れた。君の瞳には、いつだって、愚かな私しかいなかった。
それなのに、私は。
私は最後の一振りの力を振り絞り、王座の傍らに立つ女を見た。 カーシャ。すべてを壊した妖女。 だが、最後にその手を引いたのは、他でもない私自身だったのだ。
「……マクベサ」 遠く、グリフォンの上に立つ長女を見る。私の瞳と同じ紫の目。 一度でいい。あの子を抱きしめてやりたかった。
「……シルヴィア」 白狼。お前がアドリアンと共に傷だらけで訓練していた姿を、私は知っていた。王としてのプライドが、お前を認める言葉を奪った。だが、見ろ。お前は立派な狼になった。 私の承認など、もはやお前には必要ない。お前こそが、アールヴ・ヘイム最後の誇りだ。
寒さが重い。意識が消える。 カーシャの悲鳴が遠ざかり、ミンの影が滲んでいく。 ただ、白狼の輪郭だけが風雪の中で鮮明だった。あの子は、最後まで私に近づこうとはしなかった。
エローウェンの呼ぶ声が聞こえる。 頬を撫でる、あの温もりが蘇る。
エローウェン……済まない。 私は、間違えた。
アールヴ・ヘイムの栄光を、私たちの家を、壊したのは、この私だ。
瞼が閉じ、世界は真っ白な雪に埋もれていく。 「……落とした片は、白茫々(はくぼうぼう)として……真に、潔いな」
視界は無辺の闇に沈んだ。
行かないでくれ……エローウェン……。 行くなら、私を連れて行ってくれ。 ……私は、暗闇が怖いんだ。




