絶望を覆う純白――シルヴィアの覚醒(シルヴィア視点)
「……あ……」
喉が鳴った。温かい液体が私の顔を濡らしている。それは、私がずっと求めていた母様の温もりだった。けれど、その温もりは彼女の胸の傷口から、止める間もなく溢れ出していた。
精霊王の聖剣が、母様の身体を貫いている。淡金色の血と、濁った紫の漿液が混ざり合い、私のドレスを汚していく。かつて銀のバラが刺繍されていたスカートは、今では汚物と刺激臭と魚臭だけが漂っている。それは、一見高貴でありながら傷だらけだった私の人生と同じだ。
「ごめんね……シル……」
光を失いゆく母様の瞳が、私を映した。彼女の異化した手が、震えながら私の頬を撫でる。その感触は荒々しくも優しく、数え切れない夜々に彼女が私の銀髪に触れたときと全く同じ温度だった。
「ごめんね、私のシル……素敵な才能を……あの子たちのような天賦を……あげられなくて……あなたがなりたかったものに……してあげられなくて……本当に、ごめんね……」
母様の声は、かすかな吐息のようだった。「でも、せめて……最後だけは。……守らせて、頂戴……」
それが、最後だった。頬に触れていた手が力なく落ち、石の床に空虚な音が響く。その音はまるで重いハンマーのようで、私に残された最後の希望を打ち砕いた。私が不当な扱いを受けたときにいつも腕の中に守ってくれた人も、もういなくなっていた。
その瞬間、私の中で何かが、音を立てて崩壊した。
――ああ、汚い。
視界に入るものすべてが、吐き気を催すほどに汚濁している。狂った父様。ほくそ笑む妖女。母様の身体を突き破った聖剣。家族の血で汚れきったこの聖霊殿。こんな血塗られた、醜い現実なんて、いっそ消えてしまえばいい。
悲しみや怒りが極限に達すると、涙は流せなくなる。瞳が灼けるように痛み、喉が渇き切れても、一滴の涙も溢れない。
……ああああぁぁぁぁぁ!!!
心が咆哮した。それは悲しみだけではなく、世界を拒絶する叫びだった。
アドリアンおじさん、見ていて。
思い出がひっきりなしに湧き上がる。宮殿の廊下で、父様がマクベサの奥術を褒め称え、ウォルスの自然力を慈しむ様子を、私は柱の後ろからずっと見ていた。同じ屋根の下にいても、私だけが余計な存在。侍女たちのささやき、貴族たちの憐れむような視線、父様の冷酷な沈黙……それが私の日常だった。
母様だけが、毎日私の寝室に来てくれた。彼女はベッドの端に座り、柔らかい手で私の銀髪を撫で、「シルはシルでいい」と囁く。彼女は私を両腕で抱きしめ、その花の香りで、劣等感から生まれた握りしめた拳の汗を隠してくれた。「魔法が使えなくても、私のシルは最も強い子だ」。当時、私はいつも母の胸に顔を埋めて泣きながら、父に認められ、母を失望させないようにと心の中で密かに誓っていた。
けれど、父様の「ドルイドにもなれぬ出来損ない」という一言が、すべての期待を打ち砕いた。私はアドリアンおじさんの元へ走った。庭園を守る、比類なき守護者。私は泣きながら問うた。「私は何にもなれないの?」
彼は慰めの言葉を言わなかった。ただ私の手をとり、掌にある無数の傷と角質を見せた。「血と影で生きる道を教える。だが、苦しむだけだ」
それからの日々は、地獄だった。アドリアンおじさんは私を森の奥に連れ出し、冬の寒風の中で石を使って短剣を磨かせた。かつての柔らかな手は擦り切れ、血が滲んだ。だが、その血が流れてもなお『痛みを隠せ』と命じられた。夜は木の下で眠り、棘で肌を裂かれても、誰にも訴えなかった。彼は時折傷薬を置いてくれたが、決して手は貸さない。彼が教えたのは、「独りで立つこと」だけだ。
私は草むらに潜み、風の音に合わせて息を整え、獣の足音さえかき消す動きを学んだ。幾度も樹梢から滑落し、魔物の爪に背を裂かれたが、私は歯を食いしばり立ち上がった。母様の温かい手を、アドリアンおじさんの期待を思い出したからだ。ついに、私は暗影の中で瞬間移動し、短剣で敵の心臓を貫く術を身につけた。アドリアンおじさんは私に細い尖刺を渡した。「これで、お前は潜行者になった」
魔法の才能なんて、いらない。父様の承認なんて、もう要らない。私はただ、この地獄を塗り潰したいだけ。
黄金の血が、私が失ったものをすべて埋め合わせてくれているようだが、ああ、母、私は何も望まない。もし、かつてのあなたを取り戻せるなら、どんな犠牲を払おうとも、喜んで差し出そう。
身体が内側から弾け飛ぶような衝撃が走る。骨が軋み、筋肉が膨張し、意識は獣の衝動に飲み込まれていく。銀髪は月光を吸い込んで刺々しい白銀の毛皮へと変じ、指先の爪は、神をも引き裂く冷徹な刃へと成り果てた。
そこにいたのは、皇女ではない。絶望の果てに現れた、純白の巨狼だ。
「ガァァァァァッ!!」
吠えると同時に、砕けた殿門から凄まじい勢いで暴風雪が流れ込んだ。外は血の月が輝く熱い地獄のはずなのに、私の周囲だけは、骨まで凍てつくような冷気が吹き荒れる。この寒さは、森で修練したあの冬の夜に似ている。だが、それよりも強く、すべての悪を葬り去るほどの寒さだ。
狼の瞳となった視界で、世界が白く染まっていく。どれだけ雪が降れば、この血生臭い現実は消えるだろう。どれだけの寒さがあれば、この胸の灼けるような痛みは凍りつくだろう。
私は雪を蹴り、地を這う影となった。白銀の毛皮をなびかせ、牙を剥き出しにして、玉座の上の「汚れ」へと飛びかかる。
アドリアンおじさん、母様、見ていて。
真っ白な、純粋な雪が降り注ぐ。それは母様の血を隠し、汚れたムーンウェルを覆い、醜い触手さえも白銀の沈黙の中に埋めていく。雪片が母様の異化した顔に落ち、わがままにその汚れを拭い去る。
雪の花が舞い降り、すべてを雪の下に埋める。時間さえも凍りついたようだ。母の横顔を見つめながら、凍りついた表面を舐めた。舌先には淡金色の血の味が残る。
愛しい人よ、あなたは本当に美しい。あの頃と同じように。宮殿の庭で、私のために花を摘みながら微笑んでいた、あのときのように。




