聖霊殿に寒月(かんげつ)赤く、血に染まる
血色の風が硝煙を巻き上げ、ルナシールの廃墟を吹き抜ける。獣人部隊の咆哮と畸変体の哀号が交じり合い、戦歌となって響いていた。ラインハルトの金色の鬣は汚血に染まり、その巨斧が振るわれるたび、襲い来る肉塊は両断された。
ウォルスヴィスはドゥルイドたちの中心に立ち、琥珀色の瞳で双月を見据えていた。彼女から溢れ出す淡緑色の光輪は、枯死した草木に再び生命を吹き込み、負傷した同胞の潰れた傷口を塞いでいく。橡の杖を握る小さな手は震えていたが、彼女は一歩も退かなかった。新月の光がその銀髪に降り注ぎ、血塗られた戦場の唯一の救いとなっていた。
俺たちは、汚染の最も濃い方角へと突き進んだ。暗影のグリフォンに跨るマクベサの指先から、奥術の弾幕が注がれ、阻む者を灰へと変える。シルヴィアは影に溶け、鋭利な爪刃で畸変体の急所を正確に断ち切っていく。魔法なき劣等感に沈んでいたかつての皇女は、今やその爪で聖域を護る戦士へと変貌していた。
聖霊殿の影が、硝煙の向こうに姿を現した。 アールヴ・ヘイムの行政の中枢。かつては聖なる光に包まれていた場所も、今は汚血にまみれ、回廊には紫色の触手が蠢いている。砕けた石床を踏み越えて踏み込んだ殿内は、静寂に満ちていた。中央に座すのは巨大な月之井。銀の輝きは消え、暗赤色の汚泥が心臓の鼓動のように脈打っている。
偌きな殿堂に、生きている者は二人しかいなかった。
玉座に座すエルフの王。かつての豊神俊朗な面影は失われ、身躯は朽ち木のように枯れ果てている。だが、その瞳に宿る君主の威厳だけは健在だった。ただ一睨みされただけで、私の気血が凍りつく。
そして王の傍らには、一人の女がいた。 カーシャ。 深紅のドレスを纏い、雪のような肌を晒すその姿は、まさに国色天香を体現していた。この国を滅ぼした元凶でありながら、その美しさは見る者の理性を溶かす。彼女は紅い唇を歪め、目前の窮地を愉しむように笑った。
「……ちっ」
俺は低く舌打ちし、殺意を露わにした。 王座の王が、枯れた声を絞り出す。 「堂下に控えるは何奴か。ここがアールヴ・ヘイムの聖霊殿であると、弁えているのか」
私は迷わず背の長剣を抜き放ち、その剣尖を王へと向けた。 無尽蔵の死気が体内から噴き出し、影の中から青い炎を宿した食屍鬼たちが這い出してくる。
「ミン、待って」
微かな声と共に、シルヴィアが私の袖を引いた。 彼女の瞳には、仇敵への憎悪と、実の父への断ち切れぬ情が渦巻いている。彼女は私の前を通り過ぎ、一段低い台階の下で、その脊髄を真っ直ぐに伸ばして跪いた。
「父皇よ」
シルヴィアの声は凛として、殿内に響いた。 「アールヴ・ヘイムは堕ち、山河は生霊の嘆きで満ちています。カーシャが地脈を汚し、朝廷を乱したのは疑いようもありません。私は既に城外の畸変を鎮め、逆賊の相を斬り捨てました。今日ここへ来たのは、全ての根源を清算するためです」
彼女の視線が、カシュへと突き刺さる。 「この女こそ万の災いの源、君主を惑わす毒婦です。聖霊殿の前で、どうかその前縁を断ち切ってください。父上の手で、彼女に死を」
シルヴィアは深く頭を垂れた。 「我が振る舞い、不敬の極みであることは承知しております。ですが、まずはこの女を斬り、その後にこの壊れゆく山河を立て直していただきたい。この血飛沫は、私の生死を以て償いましょう。父上はあくまでアールヴ・ヘイムの王、我らエルフの唯一の主であられるのですから」
死寂が殿内を支配した。 月之井の赤黒い漿液がうねり、グールの低い唸り声だけが響く。 カーシャは王に寄り添ったまま、他人事のように微笑んでいる。王の枯れた指先が玉座の扶手を叩いた。その威厳に満ちた眼差しの奥にあるのは、怒りか、失望か、それとも語られぬ隠忍か。
マクベサの指先に紫の奥術が凝縮され、ラインハルトの巨斧が殺気を放つ。 シルヴィアは頭を下げたまま、父の答えを待っていた。 空気は凝固し、血に染まった聖霊殿には、ただ死と対峙の気配だけが充満していた。




