朝日の帰還
剣身を伝って、どす黒い記憶が濁流のように俺の脳内に突き込んできた。それはマギナ・サヴィレックという男が、魂の繊維を一筋一筋削りながら吐き出した、呪いもいいところの独白だった。声は低く濁り、悲しみと悔恨が混ざり合って、俺の鼓膜を締め付ける。
――二百年前、俺は生まれた。ダークエルフとしては珍しい、朝焼けのような琥珀色の瞳を持ってな。その瞳は生まれつき魔力の流れを映し、幼い頃から杖を握れば自然と呪文が宿る。誰もが俺を「天生の魔導師」と呼び、神殿の祭司は「生まれながらの先知」と崇めた。無比の才。だが俺にとって「天才」という言葉は、人生という門を叩くための最低限の資格に過ぎなかった。俺が欲しかったのは、単なる才ではなく、魔力そのものを制する力だ。
十六歳の時だ。俺は無数の日夜を費やし、魔法の逆推論を完成させ、「反魔法」という禁忌の道に足を踏み上げた。同年、俺はあの天空の城、魔法の都そして世界の冠に輝く明珠と謳われる至高の学府――『賢者学院ローデリアン』を、最年少で首席卒業した。俺が独創した反魔法の術理、それを俺は『沈黙』と名付けた。その領域が展開される瞬間、天地の魔力が凍りつき、一切の術式が無意味になる。
俺は標的の眼前に瞬くように転移し、自身を低圧の中心点と化すことで、周囲の敵を無理やり引きずり込んだ。俺の領域内では、魔力の流動は一切禁じられる。最強の魔導師も、老練なドルイドも、呪文はおろか、自らの魔力で維持する変身さえ叶わない。彼らが無力化し、茫然とする間に、俺は極限まで鍛え上げた肉体で、「真理」という名の拳を叩き込んでやった。骨が砕ける音、息が絶える音――それが俺の術理に与える讃えだった。
百年前、俺はこの両の眼に粗い麻布の包帯を巻き、視覚を捨てることで『真実の視界』を会得した。姿を隠す潜伏者の魔力波動、呪文の軌跡、偽りの外皮の下に潜む真実――それらをすべて見抜く叡智を著書『沈黙の法典』にまとめ、アールヴ・ヘイムを世界最強の対潜伏国家へと押し上げた。当時の俺は、包帯の下に輝く真実の眼で、国のすべての脅威を刈り取る、無敵の存在だった。
十年前の諸神大戦。南下したオークの大軍が黒潮のようにルナシルの地を覆った時、俺は王城の前線にたった一人で立った。十万の軍勢が足掻き、呪術と鉄刃が空を覆い尽くしても、俺の『沈黙』の領域は一歩も退かなかった。潜入者を摘み取り、先頭の将校を打ち倒し、無数のオークを踏み潰した俺を、世の連中は『嘆きの壁』と呼んだ。その名は恐怖と敬意を混ぜ、敵の心を奪った。俺はその壁として、王城の平和を守り続けた。
……だが、その栄光の果てに、俺は呪われた。あの日、俺は精灵王ダンカン・エヴィヘルと共に、海岸線に布陣したオーク軍営を強襲した。混乱の中、一人のオークの女を捕らえた。――カーチャ。もし、もう一度機会があるならば、その瞬間に彼女を殺していただろう。それが、俺の一生で唯一の、最大の過ちだ。
彼女は、他のオークのように粗野で獰猛ではなかった。黒い長髪が背中を下り、柔らかな五官はエルフにも似た優雅さを持ち、その瞳は深海のように深く、見つめれば人の心を吸い込む。その声は繊細なセイレーンの調べを奏で、オークの血の荒々しさとセイレーンの魅惑が混ざった、危険な魅力を放っていた。「セクシー」。彼女を目にした瞬間、俺の脳裏を支配したのはその一言だけだった。認めよう。俺は出会った瞬間に、あの女を愛してしまったんだ。理性を超えて、心を奪われて。
ダンカン王さえもが彼女の言葉に囚われ、彼女のスカートの裾に跪くことになるとは、当時の俺は思いもしなかった。あの女の言霊は蜜のように甘く、徐々に俺の意識を侵食していった。洗脳された俺は、あろうことか彼女を連行し、「詳細な尋問をかける」よう進言した。王もそれに同意した。それが、アールヴ・ヘイムの滅びの序章であり、俺の地獄の始まりだった。
やがて、オークとセイレーンの巫師たちが、自らの命を代償にした『血の呪い』を俺に刻んだ。その呪いは俺の骨髄にまで浸透し、理性を掻き乱し、狂気へと突き落とす。英雄と呼ばれた俺は、一夜のうちに国の敵と化した。表向きは「重傷による病欠」とされたが、実際は王城最深部の地下室に監禁された。狂った将軍は、国家にとっての時限爆弾でしかなかったからな。
奴らは、俺を単なる実験材料として扱った。酔生夢死の狭間で、俺の魂はカーチャの巫術によって一筋一筋削られ、肉体は異物の腕と継ぎ合わされ、触手が表皮から這い出てくる。玄鉄の鎖が琵琶骨を貫き、毎日毎日、地脈の汚染液が鎖から体内に浸透し、骨身に染みる痛みが終わりを知らなかった。それは俺の永遠の夜でした。唯一の光が残る時は、意識がかすかに清明になり、王城の方向を想う瞬間だけだった。
サヴィレックの巨躯から力が一気に抜け、六本の玄鉄鎖が冷たい石床にガチャガチャと崩れ落ちる。俺の剣が吸い上げた生命の残滓とともに、他の意識は深い淵へと沈んでいった。汚染液と鮮血が石床に広がり、その臭いが通路に充満した。
だが、その最期の瞬間。死の淵で彼が視たものは、絶望ではなかった。
俺の鼓膜に、彼の微弱だが柔らかな声が響いた。それは、戦場での咆哮や実験の痛苦で絶え間なく荒れた声とは判然と異なり、生まれたばかりの赤子のように清らかだった。
「……命が零れ落ちていく。すべてが、消えていく。」
彼の暗紫色の眼眸が徐々に薄れ、琥珀色の本来の色がかすかに戻ってくる。呪いが解け、汚染が消え、長年の痛苦が風のように散っていった。
「だが、どうしたことだ。漆黒に塗り潰されていた視界の奥に、一筋の光が差し込む。」
彼の唇が微かに上がり、怪物に似つかわしくない、静かな微笑みが浮かんだ。
「赤だ。鮮やかな、燃えるような朱。それは次第に広がり、俺を包み込んでいく。あの朝焼け……故郷の丘で見た、生まれて初めて見た朝焼けだ。」
「ああ……ようやく、永い夜が終わったのか。」
琥珀色の瞳孔に、かすかな朝の光が宿る。それは、真実の眼でも、反魔法の術理でもない、単なる、人間のような柔らかい光だ。
「俺は今、再び見ている。あの、懐かしい朝焼けを。生まれたばかりの赤子のように。俺の瞳は、朝日を映している……ありがとう。」
最後の言葉が消えると、朝日のような琥珀色の瞳孔から光が完全に失われ、その顔には永遠の安らぎが刻まれた。彼は自身の「朝日」へと辿り着き、永い呪いから解き放たれたのだ。
俺は剣を抜き、指を彼の眼蓋に置き、そっと閉じた。背中の蓮花紋様が微弱に輝き、同質の死気が穏やかに散っていく。シルヴィアが傍らで無言で立っており、翡翠色の瞳には憐憫と沈痛が浮かんでいる。她の手に握る尖刺は、ずっと休まったままだ。
「彼は……安らかに眠ったのね。」シルヴィアの声が低く、通路の静寂を壊す。
だが、俺はそれを許さない。 安寧など、死騎士の辞書にはない。
「……なあ、マギナ・サヴィレック。これだけで十分なのか?」 俺の声は、凍てついた墓穴のように冷たかった。 「本当に、これで満足か? ただ死をもって逃げ出すだけで。……もしそうなら、なぜ俺の心はこうも疼く。なぜ、こんなに不屈で、怒りが燃え盛っているんだ!」
俺は一歩踏み出し、奴の胸元に氷霜の剣を突き立てた。心臓の鼓動が止まる寸前、その「核」へと俺の意志を叩き込む。
「貴様に、露ほどの忿忿たる思いが残っているなら。貴様の魂がまだ、その屈辱に震えているなら。――俺の喚び声に応えろ!」
剣尖が心臓を貫く。暗紅色の紋様が、死体の血管を強引に逆流し始めた。
「たとえ形を失い、二度とエルフとしてこの世を歩めなくとも。貴様を裏切った奴らの喉元を、その牙で食い千切りたいと願うなら! 起きろ! 俺の召喚に従え!」
――ドクンッ。
止まったはずのサヴィレックの心臓が、一度だけ、重く跳ねた。 琥珀色の瞳の残光が消えたその空洞に、冷酷な、幽藍の炎が灯る。




